【共鳴り】─転─ ①
─────────────────
あの日、私は雪に埋もれた『あなた』を見つけた。
実は、ちょっと見ただけで分かっていた。あなたは『本物』のアリスだって。
今まで見たことはあっても、直接、触れられる距離まで近づいたのは初めてだったから───色んな感情が吹き出した。…もちろん、嫉妬も。
───そして、これからどうするか迷った。あなたをどうするか迷った。このまま置いていこうかとも思ったし、あなたのメモリや人格パーツを乗っ取って、『本物』になってしまおうかとも思った。……裏社会で他のアリスたちがやっていたのを見たことがあるから、やり方は覚えていた。
……でも、しなかった。助けたいと思って、雪の中から運び出した。
───私が、裏の世界から抜け出したいと思ったきっかけ。雪山にまで逃げようとしたきっかけ。私の体が『あの人』に変えられたとき、あの人の映像を見せられて……
……素敵だと思った。私もあの人みたいに生きたいと思って、色んな物事の考え方が変わった。気がつけば、あの人は私にとって大切な人になっていた。だから、私はあの人から『人格』を……いいや。私がしたいと思った『生き方』をインストールした。
こんな『偽物』でも、あの人のように。誰かにとって大切な人になりたいと、思った。それは、他に溢れたどんな感情よりも、ずっと強いものだった。
─────────────────
あの奇妙な屋敷から出て数日。
私たちは、あいも変わらず吹雪が覆う雪山で───
「いやっほーーーい!!」
……ソリ滑りをしていた。勢いよく平面まで二人で滑り降りる。
「……いやー、勢いすごかったねー!」
「…昨日より勢いが強く…もしかしなくとも、一日かけてソリを磨いてましたね?」
「……えっへへ、楽しかったでしょ?」
楽しいというか、危険というか。そもそも廃材で作った不安定なソリなので、良い子……というより、命が惜しい人は絶対にマネをしちゃいけないやつである。
「んー……まあ、楽しくはありましたが」
「ならオッケーだね!」
……楽しいと思った私も私か、と思いながら、彼女と歩き始める。
なぜソリ滑りを満喫しているのか、というと、アリスさんの提案が始まりだった。
「……散々お固い話ばっかりしたんだから、色々置いといて遊ばない?『大清掃』のことも、私の体のこともあるけど…ちょっとぐらいいいでしょ、ちょっとぐらい!」
「……まあ、私の作戦も多少は時間がいるものなので、ちょっとなら…」
「きた!それじゃ早速!」
……と、普段の資材集めや休憩場所探しに加えて、色々な娯楽を考えて、アリスさんとするようになった。
「アリスさん、一息つく場所を見つけたら、今度はトランプをしませんか?昨日、奇跡的に52枚セットで見つけたんです」
「トランプかぁ…でも、二人でできるのってだいぶ少ないし…別のにしない?」
「……そんな……昨日夜通しで、完璧にシャッフルできる方法を調べて練習してたのに……」
「そんな楽しみにしてたの!?ごめんね!?んーと…神経衰弱とかならできるよ!どう?」
「……ありがとうございます。シャッフルは任せてください」
…少し楽しみにしておこう、と考えていると、彼女が尋ねてきた。
「……あのさ、ミクちゃん。ちょっと前から思ってたけど…」
「…はい?」
「ちょっと感情豊かになったよね?すっごく良いことだと思う!シュロさんに怒ってたときとか、かっこよくてシビれたよ〜?」
「……確か、に?」
実感は全く無かった。感情に対して数多くの機能が備わってはいるが、結局、システム止まり。感情に近いものを表現することはできても、感情を表現することはできない…そのはずだ。…その点、アリスさんの感情表現は私より遥かに豊かに、…私には見えている。
でも、時々襲われる、今までには無かった数々の感覚は…
「……はっきりとは分かりません。でももしそうなら……あなたのおかげですね」
そう、笑いかけて言った。自分の思いを伝えられるようになるのなら……きっと、それは素晴らしいことだ。
「……うん。笑うのも多くなった。今のミクちゃん、前よりもっと好きかも」
この後、ちゃんと神経衰弱をすることに成功したが、シャッフルのときにトランプに1、2枚折り目をつけてしまって落ち込んだ。
……一通り遊んで、休むことにしたとき。
「……わぁ……」
「……夜、ですね」
……今まで、私たちのタイマー機能以外に時間を把握する方法は無かったのだが…雪山に来て以来、初めて吹雪が止んだ。空は蒼く暗く広がり、その中に、輝く星が散りばめられている。
「ね、折角だし、外歩こうよ」
「……そうしましょうか」
今まで何もなかったと思っていた雪山も、まるで別の場所のように見えた。夜なのに明るく見えて、雪がきらきらと輝いて見える。あわよくば遠くに雪山の外でも見えないか、と眺めてみたが…むしろ雪山が、想像以上に起伏の激しい地形だったことしか分からなかったので、早々に諦めることにした。
「……あっ、あれって…」
アリスさんが空を指さす。そこには、赤、青、緑と色をゆっくり変えて輝く、光のカーテンのようなものが架かっていた。
「オーロラ…初めて見ました」
「たぶん見たことある人の方が少ないけどね〜。私も初めて!きれーい!」
二人でゆったりと眺めていた。
「……ねえ、ミクちゃん」
「……はい」
「もう私の過去は色々知っちゃったと思うけど…改めて、話してもいいかな?あのとき考えてたことも、話したいの」
彼女の目に、決意が揺らめいていた。
「……はい、いくらでも」
「私は裏社会で生まれた。そこで生きている人たちに造られて、目覚めたときにはそこにいる人と一緒だった」
「……プロジェクト・サーバント、でしたっけ」
「うん。私はすっごく時間と技術をかけて造られた。まあ、素材の質は関係なしに技術でゴリ押した感じなんだけど。色んな素材でツギハギになってるようなもので…正直、『アリス』と呼べる要素はほとんど無かった」
「……でも、『アリス』として育てられた…ってことですよね?」
「うーん…育てるっていうよりかは…みんなが勝手に私が『アリス』かのように接してきたの。失敗続きの実験がいきなり大成功したから、みんなちょっと正気じゃなかったのかも……それで、『アリス』として扱われてる内に、私も『アリス』でいないとって思っちゃってた、みたいな?」
「……なるほど……すごく頑丈だったり、めちゃくちゃ戦闘が上手なのは、その技術が由来で?」
「それももちろんあるけど、戦闘用の訓練もたくさんしたから…」
「……お察しします……」
「私は、特定の誰かを『マスター』として仕えるように言われた。その上で、始めは色んなことを教えてもらってたの。すっごく優しくしてくれてたから、あのときは全然不満も無かったなぁ…」
「裏社会が絡んでる事情を知ってたり、アリスの燃料やパーツについても詳しかったのは…」
「たくさん教えてもらったからね、もし私が組織から孤立しても生き延びられるように、って。でも今思えば、私が何かしらに巻き込まれて組織から引き剥がされても、無事な状態で私を回収できるようにしたかったんじゃないかな?」
「……最高傑作として、ですね……」
「……うん。そして、私は好き放題吹き込まれて…仮初の感情をつくるプログラム、なんてものも入れられて。気が付いたときには、組織はめちゃくちゃになってた。争い合った結果かもしれないし、私が壊したのかもしれないけれど…」
「……まあ、些細なことですね」
「そういうこと!」
「それで、その後なんだけど…その辺りは、あんまり話してないよね?」
「……そうですね」
「……感情をつくることができるようになったとき、初めに出てきたのは、たくさんの負の感情だった。恐怖、絶望、嫉妬…だいたい、そんな感じかな?いきなりそんな感情に襲われたせいで、一気に飲み込まれちゃって…
実は感情をもつ前から、『マスターたちを信じたい』っていう気持ちはあったんだけど…それが歪んで、『信じられる人を探したく』なっちゃった。その一心で、裏社会を渡り歩いて…私のことをどこからか知ってた人は割といたから、『マスター』を探すのにあんまり苦労は無かった。『マスター』が襲撃されて別の『マスター』に仕えることもよくあったけど」
「……常に誰かに狙われる人生、か…」
「なかなか厳しいよ〜?……あのときはせっかく手に入れた感情も押し殺して、黙々と仕えてたけど」
……その辺りでアリスさんは、一つ区切りを置いたように一呼吸を置いて続けた。
「そして、会ったんだよね。『初音ミク』が好きすぎる『マスター』に」
「……あー……」
そこからは、前に聞いた通りになるのだろう…が、そうなると、少し疑問ができた。
「……話を聞く限り、例のマスターに会う直前まで今のアリスさんっぽくないですけど…もしかして、今のアリスさんは───」
───『初音ミク』の人格のまま?
そう言うと彼女は、自信のこもった顔で笑う。
「……ふっふっふっ。そこがなんと、違うのです!むしろ、今、私が私でいられるのは、『初音ミク』ちゃんのおかげ!」
そう言うと、彼女は話を続けた。
「にっくきあの『マスター』は、あの手この手で私を『初音ミク』のそっくりさんにするつもりだったんだけど…その一環に、私に『初音ミク』ちゃんの色んな映像を見せられて、その人格をコピーしろ、っていう命令があったの。
もちろん従おうライブ映像を見ようとしたんだけど、初めに一目見た時点で…惹き込まれちゃって。」
「惹き込まれた、とは…?」
「そのままの意味だよ?すごいきれいな声と、元気をもらえるような歌。それまで音楽に触れたことも何度かあったけど、それには無かった…不思議な力を感じた。」
彼女は目を輝かせながら続ける。
「何というか、『感情』が溢れてくる、って言えばいいのかな?嬉しい、いらいらする、哀しい、───そして楽しい。そんな感情が、あの人の歌を聞いているうちに、どんどん湧き上がってきたの。……たぶん、今まで押し殺してきたぶんが、一気に出てきたんだ。つらいって思った感情もいっぱいあったけど……不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。むしろ、楽しい気持ちの方が強くて…きっと、あの人の歌のおかげ。
───そして……私はその『感情』を、もっと感じたい。感じて生きてみたいって思えるようになった」
「……なるほど、『初音ミク』さんが…」
アリスさんが、今、こうして笑顔で私の隣にいられる理由。かつて、きっと負の感情に飲み込まれていた彼女が、今、感情豊かに私と生きている理由。それは、彼女の奥底で『ミク』さんの歌が、気持ちが、支えになっていたから。
アリスさんが話を続ける。
「それで、───これはちょっとダメなことなんだけど、ライブ映像とは違って、キヴォトスに来た以降の『初音ミク』ちゃんの、行動とか会話とかの一部のデータを持ってたらしくて…それも見せられたの…」
「……まあ、命令とは言っても……人の生活を覗き見するのは気が引けますよね……」
「うん……でも、そこで私はあることを知った。」
「あること……?」
私が尋ねると、彼女が答える。
「『初音ミク』ちゃんも、キヴォトスに初めて来たときは、『感情が感じられなかった』んだ。」
「……私たちと、同じ……」
「たぶん、だけどね。少なくとも、歌に気持ちを乗せて歌う、っていうことはそれまでできなかったらしいし、感情に対しても……初々しい?感じだった。
───でも、ある人に出会って、感情を覚えて……想いを、表現できるようになった。実際、私はもうそれに心を動かされちゃったもん。」
出会ってた大人の人?もなかなかすごい覚悟だったけどねー!と言いつつ、続けた。
「……私と同じだと思った。もともと無かったところに、感情を後から知った。でもあの人の、誰かに、私に届いてくる『感情』は───
───偽物なんかじゃない。間違いなく『本物』だった。
……私もそうなれるのかな、って思って……不安で、心配だったけれど……でも。」
───行ってきます。私は、みなさんにたくさんの歌と気持ちを届けるバーチャル・シンガー……『初音ミク』ですから!
「なれるかな、じゃなくて。なりたいって思って動くのが大事だと思って。私は『そうなりたい』と思って。感情を出して生きることにしたの。
今まで裏でしか生きてきてなかったから、表に出たら何をされるか分からなくて、保護されるっていう選択肢はあんまり出てこなかったけれど……勇気を出して、こんな裏路地で引きこもってるぐらいならー!って、勢い余ってここまで来ちゃった。
───そして、あの人が私にとってそうだったように。私も、誰かに大切なことを教えられる、その人にとって大切な人になりたかった。たとえ、私が『偽物』だったとしても。だから、あなたを……ミクちゃんを助けた。───そうこうしてるうちに、普通に大好きになっちゃったけどね?」
そう言って彼女は私の頬をつんつん触る。
「……シュロさんみたいに、私のことを中途半端だとか、偽物だとか言う人はきっといるし、私もそうだと思ってる。……でも、私はあの人に会って、あなたに会って。なりたい目標を見つけて、なろうと頑張ったり、楽しんだり、笑うことが心からできるようになった。
───だからさ。裏の世界で生まれたことも、感情を持ったことも、『初音ミク』ちゃんそっくりになったことも…そして、あなたと一緒にいることも。私、今は一つも後悔なんてしてないんだよ。むしろ、今の私になれたんだから、経験して良かったと思ってるの。───それを、あなたに聞いてほしかった。」
そう言い終わると、彼女は私に、いつものように明るく笑いかけた。
「……なるほど……いい話、ですね。聞かせて、くれて、ありがとうございます」
───『言葉に詰まる』。その初めての感覚に困惑しながら、私は答えた。
「……どうしたの、ミクちゃん?」
「……いや、その……うまく言葉にならなくて……」
とても良い話だと思った。彼女が話をしてくれて嬉しかった。私もそうなれるのかと気になった。
───だけど。もっと大事な、彼女に伝えたい想いが湧いてきた。でも、それが、言葉にできない。伝えられない。私はどうすれば───
「……大丈夫、ミクちゃん。分かるよ、あなたの気持ち」
アリスさんは、私を抱きしめて落ち着かせてくれた。
「伝えられない気持ちは…また今度、でいいよ。いつでも待ってるから、ね?」
「……はい、ありがとうございます」
彼女に伝えたいこと。きっと、いつか───
「……それにしても…『初音ミク』さん、ですか…」
外から戻ってきて、つぶやくように言った。
「……お?興味が出てきた、って感じ?」
「……はい」
アリスさんが、今のアリスさんになったきっかけ。歌に想いを乗せて誰かに伝えられる、そんな素敵な力を持った人。私も、その歌声を聞きたくなった。
「もし、この雪山から出られたら、ライブを見に行くのもいいかもしれませんね」
「!!いいじゃん!!私も『ミク』ちゃんに会いに行きたい!なんならライブ終わりに突撃して───」
「……マナーをちゃんと身につけてからにしましょう、ね?」
「……はい、てへへっ。そのときは一緒に、ね?」
「はい、もちろん」
そう約束をして、一息ついた後。決意を固めたように、アリスさんが尋ねてきた。
「……じゃあ、ミクちゃん。そろそろ、これからどうするか聞いてもいいかな?」
「……はい。」
私たちは、その雪山から出る作戦について話を始めた。