六車拳西式ブートキャンプ〜始解編〜
善良な綱彌代あれからもうひと月程経っただろうか。
「ちょっと、こんな所で寝転がられると困っちゃうんだけどなあ」
「うるさい……」
1番隊隊首室で這い蹲る男は四大貴族の1つである綱彌代家の新当主とは思えないほど、疲労困憊と言った様子であった。
「どうなっている、卍解どころか始解すら出来ないぞ」
「そんな簡単に行くわけないでしょ。皆何のために霊術院に行ってると思ってんのさ」
「そんなのは知らん」
新当主様は今ので拗ねてしまったらしく、京楽に背中を向けてしまった。
その背中は1か月前よりも明らかに鍛えられていて、立派になっている。
勿論今までの病床に伏した生活もあってお世辞にも強そうとは言えないが。
「ああそうだ。お前の始解を見せてみろ」
「ええ……?君なら何度も見たことあるでしょ」
「馬鹿め。映像と実物では全く違うんだよ」
「なんか君、僕にだけ口が悪くないかい?」
貴様に取り繕う必要性を感じないんだよ、と人を小馬鹿にしたように笑う男は、昔のような幼い姿とはまるっきり別人だ。
「昔はあんなに可愛かったのにねえ」
「何の話だ」
時灘の忘れ物を届けるために弱々しい身体で霊術院へ来たのが初対面で、あの頃は背丈も京楽の半分ほどもなかった。
しかしあの頃から性格はよろしくなく、浮竹の前では可愛こぶるが、2人きりになった途端口が悪くなって無愛想になったものだ。
それからもちょくちょく遊びに行ったが、浮竹がいないと気づくとすぐに追い出しにかかってきた。
まあ子どものやることと思えば腹も立たなかったが。
「おい!それより始解だ。私は砕蜂君の卍解のようなミサイルがいいぞ、それか隕石を降らせるヤツとか」
京楽が過去の思い出に浸っていると我慢出来なくなったのかゲシゲシと脛を狙って蹴ってくる。
子どもじゃないんだからさあ、と言いかけた所で、彼が最近まで床に伏していたことや機能不全な家庭環境であったことを思い出し口を噤んだ。
最近の彼は今まで出来なかった青春を取り戻そうとしているのかもしれない。
「君の捻じ曲がった根性でそんな能力が出るわけないでしょ」
「何だと……!」
「まあ始解は見せてあげるからさっさと訓練に行きなよ」
そう言いながら京楽は斬魄刀に手を掛ける。
六車拳西の斬魄刀、断地風は短刀であり彼の白打を交えた戦闘スタイルに適している。
間合いは短いが拳西の持ち前のスピードで補い、懐に入れば小回りの聞かない刀では上手く対応出来ずに、その恵まれた体躯による力で身体を刃に貫かれ吹き飛ばされる。
つまり彼とまともに戦うには間合いを取るための機動力と打ち合うための筋力が必要なわけだが__当然男にはそれが足りない。
1ヶ月鍛錬を続けたといっても所詮付け焼き刃。
隊長を務めるほどの実力者には到底敵いはしない。
その日も綱彌代はボロ雑巾のようになるまで痛めつけられ、花太郎に回道を掛けられていた。
「ぐ……もうやめろ!」
「す、すみません……流石に回復しないわけにはいきませんので……」
抵抗しようとしたが、四肢の損傷が激しく手足が上手く動かない。
もっと、もっと力が欲しい。
傍観者でいることに甘んじた自分がまさか舞台の上へ立ち続けることを望むとは思わなかった。
「おい、何へばってんだ!」
回復が終わると同時にまた訓練場へ放り出され、土埃塗れにされる。
こんな屈辱を受けても諦められないのは、積み上がった彼のプライドが許さないからだ。
ここで諦めたら拳西に所詮貴族かと侮られ、地獄の底にいる時灘が煽りに来て、京楽にやっぱり僕が教えた方が良かった?と嘲笑われるだろう。
自分の妄想だというのに腹が立って刀を握る力を強めると、刀がいつもとは違う響きを奏でた。
「……なんだ?」
拳西は気付いていない。
斬魄刀が男に語りかけるように鳴る。
「オイ!ボーッとしてんじゃねえ!」
「ゲホッ……!」
鋭い拳が鳩尾を抉るが、修練の成果か嘔吐することはなかった。
とにかく回避に専念せねば!
そう判断して攻撃の手を止める。
攻撃に転じようとさえしなければまだ皮膚に切り傷をつけるだけで済む。
そしてその間に刀の声に耳を澄ませる。
小さな金属音が、やがて大きくなり言葉を紡いでいく。
その声に従い、男は呟く。
「天望枯れ果て……」
握り締めた斬魄刀の刃に黒い手形が無数に滲み出て、鍔が祈るような手の形に変化する。
「地を辿らん」
男の影が大きく揺れ、捻れ、いくつもに分岐していく。
「花典」
影の先が手の姿になり、次々と拳西のもとへ向かう。
「何だ!?」
目の前の相手に集中していた拳西は背後からの影の侵攻に気付かずに、その手に絡み取られた。
「身体が……重てえぞ……!」
まずは体力。そして筋力、機動力。
己よりも優れた力を削り取る。
天上の星々に手が届かないのならば、地に落としてしまえば良い。
そんな彼の歪んだ思想が滲み出た始解能力であった。
「ふ、ふはは!これで勝てるぞ!さらば拳西君!さらば地獄の日々よ……!」
目に見えて鈍くなった拳西の動きを見て、男は落ち着きと自尊心を取り戻す。
余裕綽々といった様子で手形塗れの刀を振るう。
「お前……馬鹿か?」
しかしその刃はやすやすと受け止められる。
「何……だと……!」
「俺が弱くなっても、お前は成長してねえじゃねえか!」
「ガハッ…!」
そして袈裟懸けに切られ内蔵と血反吐をぶちまけた。
「つ、綱彌代さーーん!」
拳西の言う通り、この始解は相手を地に這わせることしか考えておらず、削った力を自身に与えるなどの効果はない。
男のいつもと変わらぬ動きでそれに気づいたのはやはり隊長としての観察眼故か。
兎も角、まだまだ男の修行の日々は終わらないのである。
おまけ
「綱彌代さんって映像庁の管理もしてるんですよね」
「ああ、そうだよ」
「じゃあその……乱菊さんの映像とかあります?」
「十番隊副隊長だね、勿論あるとも。見せようか?」
「お願いしますっ!」
「じゃあ……これなんてどうかな」
「ギャアアア!何ですかこれ!!」
「うん?破面と戦った時の乱菊君だよ。綺麗に腹が抉れているだろう」
「も、もっと他のがいいんですが!」
「む、次によく撮れているのはこれだね」
「……こ、これは?」
「護神大戦でゾンビ化したときの姿だよ!いやあ悔しいけど涅くんの科学力には叶わないね。まさかゾンビの支配権を移せるとは」
「……なんか日常的なやつとかは」
「飲みすぎてゲロをぶち撒けている姿なら」
「もういいです」
「そうかい?まだまだコレクションはあるんだけど檜佐木君がそう言うならやめておこう」
「(この人、結構やばい人なんじゃ……?)」
「ちなみに最近はコレクションに私の勇姿も追加されたよ」
「自分でもいいんすね……」