先生に花嫁衣装を着せたいだけのアレ

先生に花嫁衣装を着せたいだけのアレ


 とある日、小笠原屋敷で、伊織は忠政と向かい合っていた。

「そち、仕官に先立って嫁を取ったとか」

 齢五十七になる忠政は、さすがに家康から激賞された猛将なだけはあり、衰えを微塵も感じさせない偉丈夫であった。

 太い眉を常にひそめる虎のような表情には威圧感があるが、別に力んでいるわけではなく元々こういう顔であるらしかった。根はやさしい。

「カヤからお聞きであられましたか」

「水臭いやつじゃの。仕官してからであれば盛大な祝言にしてやったものを」

「それは、……痛み入りまする」

 平伏する伊織を面倒くさそうに制して顔をあげさせ、忠政は思案顔で言った。

 島原の関係者であり、かつて浪人たちの救済を掲げ、いまや幕府にとって汚点となった盈月の儀にかかわった正雪は、幕府の覚えめでたいとは言い難い。

 ドロテアの(諦め混じりの)助言もあり、表向きは商家の娘を娶ったということになっていた。

 そういうわけで、主君から嫁の話を振られるたびに、伊織としては内心で冷や汗をかかざるを得ないのである。

「ふうむ……」

 なにやら考え込む忠政。名君の素養がある忠政は、伊織の能力を正確に見抜いていた。

 単に腕が立つというだけではない。この男は物の考え方が柔軟で時に破天荒だが、それでいて物腰が穏やかだ。補佐役として理想的といえ、豊前への転封を控えた忠政としては、是非ともそばに置いておきたい人材なのだ。

 その上で、主君と家臣という関係に物を言わせるのではなく、代価を差し出すことで忠誠を得ようと考えるのが、良くも悪くも戦国の遺風を残した古大名らしい考え方だった。忠政は、手にした扇子をぱちんと閉じると、なんとも凄みのある笑みを浮かべた。

「それでは埋め合わせをしてやろう。なに、女子の喜ばせ方は心得ておる」


 翌日。小笠原屋敷。伊織の家。

「それで、こうなったと」

「面目ない」

「いや、別に謝るようなことでは……

 目を瞬かせる正雪と、沈痛の表情を浮かべる伊織。

 家の中にはありとある化粧道具、装身具、着物や反物が山と積まれ、荷物と一緒に遊びに来たカヤがきゃあきゃあと騒いでいた。

「あっ、これいい! 姉ちゃん! これ着てみて!」

「カヤ」

 伊織はため息混じりに妹を窘めたが、正雪は穏やかに笑った。

「ふふ、いいのだ。馬子にも衣装というし、案外似合うかもしれないぞ?」

「似合うのはわかっているが……」

「そ、そうか」

 伊織が無自覚に放った一言に、正雪は顔を赤くした。贈り物の数々に興奮していたカヤは横目でそれを伺い、ニヤリと微笑んだ。

「兄ちゃんも見たいでしょ? 姉ちゃんが着替えたところ!」

「俺か? うむ、まあ……しかしさすがにこれは貰いすぎだろうし、返したほうが」

 転封で金もかかっていることだし、と本人からすればしごく常識的なことを言ったつもりの伊織だったが、カヤは頬を膨らませた。

「じゃあいいよ、私が見たいんだもん。いこっ、姉ちゃん!」

「あ、ああ」

 そのまま着物をいくつかひっつかみ、戸惑う正雪の背中を押して出ていってしまう。

 へそを曲げられないか心配だが、出ていくときの顔はわくわくしている様子だったから、たぶん大丈夫だろうと伊織は思った。

「これでどうだ!」

 しばらくして戸が勢いよく開け放たれると、目を輝かせたカヤが正雪を連れて飛び込んできた。

 連れてこられた正雪は、恥ずかしげにしながらも伊織の様子をうかがっていく。

「これは……」

 正雪は白地に金銀の箔押しがされた打掛を着せられていた。髪はカヤがやったのか、軽くまとめられて右肩から前に垂らされていた。

 雪のように白い肌と銀髪の正雪が着ると、華やかな衣装はいっそ幻想的な印象を与え、一方でなかば降ろされた髪のもたらす落ち着いた様子の落差が微妙な色気となって香っている。

 伊織は黙って固唾をのんだ。

「あの……」

「……」

「あの、な、なにか言ってほしいのだが……」

「ん、ああ」

 困惑と羞恥が等分された正雪におずおずと言われ、伊織は生返事を返してしまう。

 思っていたより本気の反応に、見てはいけないものを見てしまったような気がして、カヤまで赤くなった。

「もう! 似合ってるとか綺麗とか言えないの!」

「ああ、いや、すまん。よく似合っているよ」

 照れ隠しに妹に叱られ、伊織はようやく笑顔らしいものを浮かべることができた。それを見て、正雪も口元を綻ばせる。

(花が咲くようだ)

 伊織は思った。そして、そんなことを自然に思いついた自分に、大いに驚くのだった。

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