兆(前後編統一)

兆(前後編統一)

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簡単な密売、密輸の調査。

その筈だった。


しかし、急遽“先生”が早期の解決を望み、現地に直接赴く、と言った。


先生が来たことで正義実現委員会のメンバーは士気を高め、気炎をあげている事だろう。


ならば事態はすぐに解決する、沈静化を待って移動する必要も無い。


だから、先生に同行して現地入りをした。


キヴォトスでは良くある事件。



―――その筈だった。



先生が指揮を取った事もあり、作戦は非常にこちらの優位に遷移している。


密輸に使っているトラックを逃げ場の少ない高架道路上に足止め。

トラックを確保する、一度情報を抑えてしまえば極めてシンプルな作戦


何処の犯罪組織が雇ったか、ロボ傭兵は正義実現委員会の猛攻を前に逃げ去って行く。その様子には秩序立った物は無く、まさしく敗走だ。



しかし、私の中のナニかが訴え掛けてくる。

胸の奥でのざわつき、或いは頭の中に引っ掛かるモヤ



視界の隅を掠めて不意に足元に転がってきた手榴弾


考えるよりも先、それが“何”なのかと認識する事さえも先に咄嗟に飛び退き、半ば爆風に吹き飛ばされながらも叫ぶ。


「先生はそれを着て物陰に隠れていてください!」

着ていたプレートキャリアを先生の方に投げ捨て、愛用銃『絡新婦の理』の状態を確認する。


バレルの歪み、無し フレームのガタツキ、無し

チャージングハンドル、問題無し チャンバーチェック、問題無し



連中は隣接する建物から高架へ移り、防音壁を爆破し、迂回して来たのだろう。


バリケードのように置き去りにされた車越しに、牽制射撃も兼ねて数発撃つ。

ミレニアムに依頼したサイトシステムも調整からブレていないようだ。



(銃には問題なし……

で、あるなら後は戦うのみ。 どこまで行けますかね、“私”一人で)



発砲寸前を測って、ロボ傭兵の手首駆動部、限られた外装の無い一点を狙い、銃を弾き飛ばしてこちらへの攻撃を防ぐ。


物陰に隠れようとする者にその周囲へ撃ち込んで足止めを行う。


「――完全に私を相手に想定された戦略ですね……」

“えっ……”

独り言のつもりだったが、思ったより大きく声が出てしまったのだろう。

先生が聞き返してくる。



「なんでもありません、単なる独り言です。」

先生の耳に入れるにはまだ不確定事項が多すぎる。

愛銃を左に持ち変え、右で予備の拳銃を引き抜く


二つの銃で応戦しながら、高速で思考を巡らせる。

――正義実現委員会が前線を押し上げすぎた?

おそらく違うだろう、敗走に偽装の色は無い。


あれは嘘偽りの無い正真正銘の敗走である。



――先生が伏兵の可能性を見落とした?

否、先生の指揮の手腕に澱みは無く、横で聞き耳を立てている分には戦術にも誤りはなかった。


また、正義実現委員会の部隊を預かっている以上、十分な数の駒がある。

伏兵や別動隊への備えを怠る必要はない。


思い付く現状に至ったあり得る要素を思い浮かべ、否定して行く。


そうして最後に残った要素がもっとも可能性の高い真実である。



「――これは……一本取られましたね…」

“ショウコ……?”


「おそらく、向こうの目的は最初から先生の身柄です。

――いえ、“彼ら”に取っては密輸は本気だったでしょう、この構図を書いた人物に取っては両方が本命と言ったところでしょうか。」



敵の装備する銃も、銃種も口径もバラバラで統一感が無く、制圧した相手からの補充も難しく、連携の欠片もみられないチンピラのような動き、それでいて後方を突く奇策を打つチグハグさ。


なのに、先生がここで陣頭指揮を取ったのは偶然


先生が居なくとも、“多少”時間がかかるだけでトリニティ単独で解決するだろう規模

先生がここに残ったのは「私」が同行したから

極めて低い確率の筈であるのにどちらもが本命


だが、末端は……いや、この分では密輸の首謀者も実態は知らないだろう。


一見、穴だらけの計画だが、それが故に目的を見透せず。

偶然をも利用しつつも、極めて細い糸さえ乗り越えれば着実に目的を果たせる精緻な計画。


マガジンが2つと手榴弾が2種3発

武器の残りが少ない、これ以上は粘れないだろう。


「……先生は何分潜って居られますか?

……いえ、泳ぐのは私が牽引しますので、単純に呼吸を止められている時間で結構です……!」

攻撃寸前の敵を狙って怯ませ、出来た隙を狙って一気に先生の直近に近づき、問う。


“正確に測った事は無いからわからないけれど、2分か、2分半くらいだと思う”


……中々に長い、頭の中で計算していた式を修正。

「五秒後にここを離脱します、準備を」

“ショウコ……?”


銃をフルオートに切り替え、残弾を一気に吐き出す

「……4……3……2……1……」

煙幕手榴弾を炸裂させ、目を眩ませると先生を担ぎあげると防音壁を駆け上がる。


壁の縁に立つと、最後のマガジンと交換

眼下の景色を見下ろすと大きく息を吸い、重力に身を任せた。







地に脚が着き、漸く能見ショウコは人心地着くことが出来た。


先生と共に追い詰められた高架道路。

少しずつ後退していた戦場は、高架に届くビルから運河の上へと移動していた。


逃走経路として、川へと飛び込み、流れに任せて下流に出たのだ。


“先生”を担ぎ、水に浸からない場所まで移動する。

(ミカさんなら「男女が逆だったらロマンチック」とか言うんでしょうか……)

止めどなく沸く無意味な思考を片隅に追いやりつつ、じっと手を見る。


軽度の目眩、指先にふるえ。

あたまを使いすぎたのと、肉体に負ったダメージによる疲労による低血糖だろう。


なんせ、下が川といえどあの高さで水の粘性ではコンクリートの地面に落ちるのと大差は無い。


それを細かく計算を繰り返して落下姿勢を修正し、手榴弾2つを適切な位置で破裂させてその爆風と巻き上がる水柱を用いて落下の衝撃を和らげたのだから……。


一番強く衝撃を受けた彼女の腹部には青アザの一つも出来ているかも知れない。


十分に水辺から離れると、先生を地面に降ろし、胸元をまさぐり、プレートキャリアに取り付けられたポーチから個包装のキャンディを幾つか取り出して乱暴に噛み砕いた。


「脳へのエサ」と言って過言では無い、味としてはハズレの、特殊技術とやらで砂糖を圧縮形成した尋常じゃなく甘い飴だったがこんな形で役に立つとは……後で個人的に融資しますか。


自分のコンディション確認が終わると“先生”の容態を確認する。

「意識無し……水も飲んでるようですね……はぁ、“大丈夫”と言ってたからここまで泳いで来たと言うのに……これは応急措置ですからね?」




───目が、覚めた

どうやら、ここは奇襲を受けたハイウェイの川下のようだ。

額に乗せられた濡れたタオルを取って、起き上がると周囲を見回す。


「おや、お目覚めになりましたか。先生」

一瞬、何が有ったか思索するが、ショウコは何時と変わらない、まるでシャーレオフィスに居る時と変わらない声で語り掛けてきた事で、意識が暗転する前と思考が繋がった。

“逃げる為、とは言え川に飛び込むとはね……”


「もっとも安全な手段を選択したまでです。

他の行動では“わたし”への被害がそれ以上に大きくなります。

それは先生が望むところでは無いかと。」


“そっか、ショウコがそう言うならきっとそうなんだろうね……”



「正義実現委員会の方には連絡済みです。間も無く迎えが来ると思われますが……

到着時間を逆算すれば、その前に現状で出来る最低限の身だしなみを整える時間はある、かと。」

そう言いながら、お湯の入ったコップを差し出して来た。

見れば、ビニールパウチに洗面器一杯分ほどのお湯も用意されている。

飲んで身体を温め、タオルで汚れを拭け、っと言うことだろう。


“ありがとう、ショウコ”

コップの中身を一気に呷ると、程よい温度で身体が内側から暖まる。


タオルを受けとると、ショウコが後ろを向く まあ、彼女も年頃の少女なのだから気恥ずかしさがあるのだろう。

その配慮に感謝しつつ、上着を脱いで身体を拭いた。



“所で…口の中がスッゴい甘いんだケド……何か知ってる?”「気のせいでしょう。迎えが来る前に早くしてください」

帰ってきた返答は何時も以上に鋭く、早かった。

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