兄カルナルート 女神魔性転生 クルクシェートラ5
街は異様に静かだった。市街地も、宮殿にすらも、人がいない。もぬけの空だ。街並みは特に壊れた様子もない。綺麗なまま残っている。宮殿を進むと、大柄な壮年の男が待っていた。あれがシャクニなのだろう。カルナの顔が厳しい。
「よく来た。愛しいわしの甥。なんだ、ユディシュティラは来てないのか?兄弟もろとも丸裸にしてやろうと思っていたんだがな。」
スヨーダナを見る目がねちっこい。こんな目は、見たことがある。金を強請る親類、怒鳴る声、親を亡くした子供にかける言葉ではかなった。ろくな目ではないことは、よくわかる。
「パーンダヴァの長兄はちゃんと来ている。」
「おお、可愛い甥、そうだな。言葉遊びが過ぎるが、まあいい。」
「・・・弓が引けん。」
「賭け場まで待たんか。血の気が多いぞ、若造。」
ついてこいとばかりに後ろ姿を見せる。カルナの弓を引く手は一切動いていない。試しにスキル使おうとしたが使えなかった。マスターに目配せすると無言で顔を振られた。礼装も使えないらしい。
「どうした?お前ら。言っただろう。賭けに暴力は不要だ。」
おかしい。マハーバーラタでは、シャクニは骰子の出目を操る程度の能力しかない、ドゥリーヨダナの悪意の枝。クシャトリヤとしては優秀だったとしてもこんな戦闘不能スキルを持っていることは、おかしい。人間ではない、でもあれはシャクニだというのならば、あれは、あの正体はーーー
「この人サーヴァントだ。」
信じたくないものであっても、可能性がそれしかないのであればそれが真実である。骰子賭博のエピソードが英霊化して、賭博に特化したキャスターであったら、
「ああ、この世界のわしは死んでおる。目的のため召喚に応じた。」
シャクニは、マハーバーラタでもよくわからない人間だった。ドリタラーシュトラを、ビーシュマを憎んでいる。ドリタラーシュトラの息子にも複雑な感情を持っている。だがドゥリーヨダナの味方であった。彼を召喚したのは誰だ?
「誰が、何の、ために?」
「誰、だと。そんなものドゥリーヨダナの母親に決まっているだろう。わしはドリタラーシュトラを許しはしない。ビーシュマも駄目だ。全部壊すと決めた。それだけだ。」
全部、壊すと、それだけのために、大地の女神をどうしようというのか。神様は人に干渉はしても神そのものが人に何かをしてくれるわけではない。そもそも次元が違う。同じ土台に立っていないものをどうにかできるはずがない。
「やりようは、いくらでもあるのだろう。シャクニ。さっさと賭け場へ案内しろ。」
「そう焦るな。わしらは二つの賭けをしている。一つはパーンダヴァの長兄と、もう一つはドリタラーシュトラの長男と。」
宮殿の奥へ、奥へ、随分と来た気がする。進めば進むほど薄暗くなる。進む先に、一つの影が見えた。
「まずはその一つ目の賭けをしようじゃないか。愛しい甥。」
それが、賭けの始まりの合図だった。スヨーダナだけが影に吸い込まれるように消える。カルナが追いかけるが透明な壁に阻まれて先に進めていない。
「弟を返してもらおう」
瞬時に動いたビーマ、ドゥフシャーサナ、ヴィカルナの拳がシャクニの体に触れる前に止まる。
「暴力は厳禁だ。ここはこいつらの賭けだ。当事者以外は入れない。終われば出てくるさ。」
「スヨーダナは何を賭けた?素振りなどなかったが?」
「いや、アーユスは賭けなどしていないが?」
「賭けをしたのはドリタラーシュトラの長男だ。愛しい甥はここに来た。それは賭けの了承と一緒だ。」
うっすらと笑う、その顔はカルデアのドゥリーヨダナに少し似ていた。
「何者でもないものが何者かに成るために、必要なものだ。」
どうしてだろう、愛しい、という言葉に嘘はないように思えるのは。
空気が変わる。これが、サーヴァントが使う宝具と言うものなのだろうか。外の様子はわからない。目の前には遠くからしか見たことのない異母兄がいた。目はギラついている。正気ではなさそうだ。
「よく来れたなお前、お前がちゃんと死んでいればよかったのに。」
口から出るのは呪いの言葉だ。
「凶兆、正しくそうだ!どうして戻った!クル族の汚点が!」
凶兆、獣が啼いたくらいだろうに、どうしてそれくらいで不吉と言われなければならないのか、とは思う。
「今更だろ!お前がいるから皆不幸になる!」
俺がいなければ、カルナは物語に巻き込まれることはない。理不尽な死を迎えることはない。アシュヴァッターマンもドローナも不利な側につくことはないのだろう。
「言うとおりだ」
正論すぎて、卑怯なことだ。
「俺はお前方が百王子の長兄に相応しいと思うぞ。」
「そうだ、お前、なんて、いった?」
驚きすぎだろう。それでもドゥリーヨダナを名乗っているつもりなのか。
「お前が思うより、俺は絞りカスだ。例え捨てられてもカルナと出会う行幸があった。それだけで俺は恵まれている。百王子の対応を間違えなければお前は俺より王の嫡子として正しくあった。」
多少気に入らなくても、パーンダヴァを受け入れること、ユディシュティラを次期王とすること、他の五王子とも交友を欠かさなかったこと、受け入れる度量を見せるのはカウラヴァのトップとして正しいことだった。
「お前はよくやっている。」
努力は、報われなくてはならない。何であっても、誰であっても、その全てが無に期すとして、それでも費やした時間は嘘ではない。
「お前に何がわかる?私の努力が、苦労が、正しくあろうとした結果がこれなど、許されるはずないだろうが!」
「ユディシュティラはお前を理解している。」
なかったことにはならない。
「嘘だ!ダルマは、正しい王子を選んだ!」
「ユディシュティラはお前を秘書官として雇うつもりだったぞ。」
「は?」
存在することに罪がないものはいない。人はもちろん、半神であってもそうであることを、ユディシュティラはわかっている。その上で、良き行いに報いることも知っている男だ。
「やったことは、自分に返ってくる。お前が為した正しいことは法の半神にちゃんと届いていた。」
おそらくこの世界は、ずれ過ぎている。俺がいないことで、戦争が起こらない。だったら、もうずれたままでいいじゃないか。
「だから戻れ。俺が悪いことにしていい。お前がスヨーダナ、俺がドゥリーヨダナでいい。」
ユディシュティラの仲良くしたいと言う希望も叶う。スヨーダナとかルナが無事に戻る。何も約束を違えていない。
「シャクニなんぞの甘言に乗るな。」
あれは、お前の味方ではない。
「いいや、俺がドゥリーヨダナだ。」
その先は地獄だと言うのに。その名前が意味していることが何だかわからんわけではあるまい。
「どうしてそれを選ぶのか、理解できんな。」
「お前にとっては、そうだろうな。お前と俺は違う。それがわかった。それだけだ。」
「・・・お前、死んだぞ。」
「死ぬ気はないが?死んだことにするな。」
笑った顔は初めて見たな。そっちの方がいい顔をしている。
「とりあえず全部終わったら弟に殴られることは覚悟しておけ。もしかしたらカルナも殴るかもしれん。」
「なんだ、普通だな。お前。」
「ドゥリーヨダナにしてはコミュニケーション能力が低いぞ。」
「お前が高すぎだ。いつビーマまで取り込んだんだ?」
「成り行きだ。」
「酷いな。」
笑い合うと、兄弟みたいだ。兄弟なのだが。
「・・・お前はもっと欲しがってよかった。弟をもっと欲しがれ、話が通じないなら通じるまで対話しろ。弟以外に兄弟成分を求めたのが間違いだったな。」
「そうだな、私が、私なのだから、弟も一人一人ちゃんと弟だったんだな。」
「99人分名前も覚えろよ。顔も一致させろ。」
「ほとんど同じだったんだが?」
「意外と違うから大丈夫だ。」
「不安しかない。」
俺とお前が、笑い合えているのだから、百王子とも大丈夫だ。五王子だってお前を助けるだろう。そうできる力が、お前にはあるとも。
透明な壁が消える。
「何だ?負けたのか、ドゥリーヨダナ。」
「誰も負けておらん。シャクニ。」
「そうか?現実を見ろ、愛しい甥よ。まあ良い。清算は後にしてやろう。」
首を竦める動作がわざとらしい。わざとやっているのだろう。人を苛つかせることをわざとやる人種だ。それで怒りで人間をコントロールするタイプだ。煽りに乗るべきではない。
「ドゥフシャーサナ、ヴィカルナ、西の外れの宮殿に父上はいる。案内しよう」
「ドゥフシャーサナ、ヴィカルナ、行ってくれるか?頼む。」
突然名前を呼ばれた王子たちは少したじろいでいる。何しろ名前を呼ばれたことは初めてだったのだろう。呼ばれないと思った名前を突然呼ばれる驚きは理解できる。なんで認識阻害突破するかな?
「ヴィカルナ、お前が行け。俺は兄上と行く。」
「両方だ。頼む。」
「・・・俺たちは、行かない方がいいのか?」
「危険にさらしたくない、だけだ。」
ただの人間にできることとできないことがあるように、ここから先はサーヴァントか半神の方が、死ぬ可能性が低いからだ。自分でさえ、怖い。戦うのは怖い、死ぬことはもっと怖い。
「・・・帰ったら兄上としたいこと100選あるから!ちゃんと帰ってきて欲しい。」
「わかった。あれは殺すなよ。ユディシュティラとの交渉材料だからな。」
「酷い言いようだな。他の用語はないのか?」
「離れろ、近い。」
カルナさん少々過保護が過ぎるのでは、いやマスターに勝手に黄金の鎧貸し出すくらい過保護だったわ。通常営業だ、あれは。
「99人分あるから、それまで、アンガに行くこと許さないから。できてもアンガに行かないで欲しい。」
「・・・分割払いは?」
「「一括しか認めない。」」
「駄目だが?」
「兄様!」
「俺も従兄弟としたい1000のことがあるが?」
「死にたいか?」
「兄様!!」
「俺はずっと兄上と一緒だ。」
「お前はいいこだな、アシュヴァッターマン。そのままでいてくれ。」
「ヤンキーくんも小さいだけで言ってること変わらないっす。」
やばい、思っていることが口に出てしまった。マスターもマーリンさんもにんまり笑ってると緊張感なくなるんでやめてほしい。
「頼む。ドゥフシャーサナ、ヴィカルナ。」
「・・・すぐ、合流するから。」
「サービスだ。ドリタラーシュトラのところまでは邪魔はせんよ。メインディッシュではないからな。」
「嘘は言っていない。さっさと行け。」
「さっさと案内しろ。」
「わかっている。こっちだ。」
三人が駆けていく。カルナが言うのだからシャクニは邪魔はしないのだろう。
「それではご招待だ。最後の賭け場へようこそ。愛しい甥、カルデア、パーンダヴァ。」
その言葉を合図に、地面が割れた。