兄と妹③

兄と妹③

 兄と妹シリーズの人


ごうごうと。ごうごうとずっと燃えている。

当の昔に火傷だらけになって、それでも消そうとは思えなかった。

(俺はもう何処にも行けなくていい)

未来を創るのは、描くのはローでなくていい。

(その代わり、『今』を壊すのは俺だ)

故郷ごと何もかもを失ったあの日から。

妹を取り零したのだと思ったあの朝から。

世界を壊すと決めたあのときから。

妹をこの手で亡くしたときから。

そう決めている。


過去は変えられない。

失った大切なものを忘れることは出来ない。

忘れたいとも思わない。

ただ、幸せな光景を塗り潰すかのように地獄が焼き付いてしまったことを、ほんの少しだけ寂しく思った。


◇◇◇


「お前ならば、普通の医者に今からでもなれるだろうに」

「それは侮辱か?ヴェルゴ」

「ただの心配だよ、ロー。分かっているだろうに」

「そうだな……すまない。はぐらかそうとした」

「気にしていないさ、ただ悪い癖だと思っただけだ」

憎らしいほど聡明なヴェルゴの主はゆっくりと瞬きをした。自分に頓着しないローが自身への加害を訴える言葉を口にするとき、それは大抵誤魔化しか、己への心遣いは不要だと訴える言外の卑下だ。ヴェルゴはそれを度々悪癖だと諌めたが、改まる様子はない。

「そうか。……俺は医者だ」

言葉を探すように、ローの指先が揺れる。鬼哭を抱え込むようにして、『death』の文字が刻まれた細い、骨ばった手が祈る形に組まれる。

「オペオペの実を食べた以上、俺に救えない命があるならば、それは俺以外のどんな医者に診せたとしても助からないよう研鑽を積んできたつもりだ。腕だけならばおれは世界一の医者だろうよ。まあ普通から外れるだろうな。だからといって研鑽を怠る予定は全く無いが」

ローは、ふと息をついた。

「お前の言いたいことは分かっている。医者としての在り方でも、腕でもなく。ただの一般人としての医者の話だろう。だが、そもそも普通とは何だ?俺は上も下もそこそこ見てきた方だろう。その平均値が普通なのか?」

何でも知っているとは決して思わず、言えない男の玲瓏な声が訥々と紡がれる。国一番の医者の息子から、スラムで残飯を漁る孤児をも経た男の言葉はどこまでも重い。

「……」

「争いから遠いところで医者をする、それが普通を指すならば、俺がオペオペの実の能力者であり世界政府の罪の生き残りの時点で終わりが見えている」

嗤うような調子が僅かにでもあれば良いのに、紡がれ続けるローの声は淡々としていて、ヴェルゴをして何の感情も読み取れない。

「それに、その普通を俺はもう必要としていない」

「そうか」

自分でもどんな感情をこめたかも分からないようやく絞り出した相槌に、ローはヴェルゴを見遣った。

「安心したか?」

無表情に唇だけ少し微笑ませて、からかうような調子で辛辣なことを言う主に、ヴェルゴは久々に頭の痛くなる思いをした。


ヴェルゴが主と定め、親友と呼ぶ男は、難儀な人間だった。捻くれていると言い表すには可愛気がなく、ねじ曲っていると評するには性根が真っ直ぐすぎる。悪人だと嘯き、実際やることなすことスケール感から違うものばかりの奸計と、緻密な計画。それでいて勘と勢いと悪運で想定外な難所をぶち抜く力技でのごり押し。繊細のようで図太く、情が深いから何も手に入れようとしない男。

彼が経た経験を思えば今ある彼の在り方は驚嘆に値する――おそらく凡人ならば等に悪運尽きるか心が持たず廃人になっている――が、ローにとってそれが幸運かどうかなど、ヴェルゴには推し量れそうにもない。何一つ捨てず、任せず、背負い続けるあの背中には、どれだけのものが積み上げられているのだろう。

背負うものを、分けてほしいと一緒に背負いたいと願う気持ちがないわけではない。だが、向けられた背中がそれを不要と訴える。喪服のような黒衣を常に身に纏うローの瞳は、先程のようにほんの僅かにヴェルゴたちを捉えるけれど、すぐにその目は外れてしまう。彼が見るべきものは、ヴェルゴたちではないからだ。

それでいいと思う。ローの瞳が真実こちらを見ることが滅多になくとも、それでもローの手はこちらが手放しさえしなければ離されない。その手は差し出す相手を選ばない。その手を握る相手をどうするかはローの自由だが、ローは仲間――こちらが勝手についてきているだけだが――を無為に死なせることも、軽んじることもしないのだ。ゴミ溜めのような場所だろうと、日差しが差し込まない暗がりだろうと、月光は全てに等しく降り注ぐ。それが、どれほどの慈悲か。

そんなローの特別。失うばかりだったローの唯一残った幸福の縁。

無知で、愚かで、醜悪な自覚のない、慈悲を装った女。スパイとなってローから一時離れたヴェルゴの後釜に収まった女。

あの女を思うと、泥濘のような感情がヴェルゴを襲う。幼いローの手で耳を塞がれ、目隠しをされ、汚い現実から守られた結果恥知らずにも世界政府の手先としてローの元に戻ったローの妹。

あの女は度々ファミリーにいる子どもたちを遠ざけたのだと言う。『こんなところに子供がいるべきではないでしょう』そう言っていたという女は、その子供と一度でも言葉を交わしたのだろうか。ローが保護する段階の非加盟国の子供など、海軍に保護されたとしても子供が受け入れず、野に放逐されたとしても先が知れている。その見通しの甘さと、それを自覚できない鈍さ。珀鉛病への迫害を知らぬままローに命を救われたことを忘れ去る薄情さ。ローに庇護されながらローを傷つけたすでに過去の女に舌を打つ。

赦されずとも、他ならぬローに嫌われ、殺されたとしても。

「やはりあのとき殺しておくべきだった」


「世話をかけたな……」

ヴェルゴには、あとで何か礼をしなくてはならないだろう。それに、他の部下たちここ数年、ラミに関してかなり負担をかけた自覚もある。部下の顔色を窺うつもりは毛頭ないが、迷惑をかけたまま放置というのは、ローが気に食わない。

オニオン島でコラソン――ラミが死んで一月が経つ。

ローに銃を向け、マリンコードを告げ、自らが裏切り者であると高らかに名乗ったラミは、ローの用意していた逃げ道を自ら塞いだ。

『もう貴方はお兄様なんかじゃない……バケモノよ……!』

叫ぶように言葉を吐き出したラミは恐怖に震えながら、兄を名乗り続けたひとがたの化け物を見つめていた。化け物、モンスター。……人の枠から外れた怪物。遥か昔に、そして今も呼ばれ慣れた呼び名だというのに、痛む胸が可笑しかった。人を殺して、傷つけて、不幸にしている自分は当の昔に、化け物になっていたのに。

『殺せ!ホワイトモンスターだ!』

『感染者、2名駆除!』

幻聴が耳の奥にこびりつく。銃声、悲鳴、病院を燃やす炎、やさしきあたたかなひとたちがころされたもの。

化け物は、世界のために殺されなくてはならない。向けられた銃口が、言葉とともにお前は化け物だと告げていた。

フレバンスに産まれた人間が、それを口にするのかと僅かに思った。同時に、ラミがそれを口にできるほどの幸運に恵まれてきたことの証左のようにも思えて、悲しみ以上の心の底からの安堵を感じた。

『ドフィは心のない貴方なんかと違う……!』

怒りに震える配下達を制しながら、ローは胸中で苦笑した。

(そうだな、ラミ。お前の言うように心をなくしてしまいたかったよ)

眉一つ動かすことなく人を殺すようになった。国を滅ぼし、奸計の上で操った。フレバンスで暮らしていた頃から随分遠くまで来てしまったと思うのに、まぶたを閉じればすぐにごうごうと音がする。心なんてものがあるから、ローは止まれないのだ。ローを理解できない妹がどこまでも遠く、愛おしかった。

『おにいさま………』

裏切り者には死を。別れを告げる前にトレーポルの銃弾に倒れた妹。白いマフラーは赤に汚れ、雪原にまで赤が染みこんでいった。最期に、ローではないローを呼んだ、最愛の妹。

その最期は、ローが担った。苦しみは、長引かせるべきではない。医者としての判断だった。

だが。

生かす術は本当はひとつだけあった。

オペオペの覚醒技、不老手術。それならば、即死ではなかったラミをこの世にとどめ置くことが可能だったはずだ。それを選ばなかったのは、偏にローの医者としての矜持であり、人としての価値観であり、兄として守ると決めた一線であったからだ。

だが、それらはロー個人の都合に過ぎない。

ローはローの都合でラミを殺した。それをただの事実として、ローは背負う。

不老手術を行わなかったことを罪だとは思わない。安楽死という手段も、罪とはまた別のところにあるとローは思う。あの瞬間に何度戻れたとしても、不老手術だけはローは行わないというだけの話だ。

命を繋ぐことが医者の仕事だ。命を繋ぐということは、生かすことだ。生きて、人と交わり、食物を食べ、笑い、泣き、歳を重ね、やがて皺の寄った手で子供のまろい頬を撫ぜる。それを幸福な生き方だとローは思う。不老手術は確かに死を遠ざけるだろう。擬似的な不死すら手に入れられる。だが、老化せず、即死するほどの傷を負わない限り死なない体――成長しなくなくなった命は、本来の命の形から遠ざけられた形の命は、本当に命と呼べるのだろうか?真実生きているといえるのだろうか。それは、人が人の領分で行うものを越えてやしないだろうか。

医者としてのローは、命を歪めるそれを、患者に施すべきものではないと訴えた。

一人の人間としてのローは、こんな人倫にもとる行為を自分が死ぬという無責任さで行うべきではないと考えた。

兄馬鹿、臆病者と笑うならば笑え。兄としてのローは、妹をそんな不安定な形の命にしたくなかったのだ。

「おやすみ、ラミ」

命も。心も。すべて薪にして。そうして愛した妹も過去になる。


◇◇◇


過去を背負い続けると決めている男は、命どころか心すら手放せぬままに、これから13年の時を幽鬼のように歩み続けることとなる。

歩くと決めた。いばらを踏み、爛れ、痛みに焼かれる道だとしても。己の相反する心に苛まれ続ける道をゆくのだと。

ひとり道なき道をゆく男の名をトラファルガー・D・ワーテル・ロー。フレバンスが生んだ化け物であり、神の天敵である。




(蛇足)

トラファルガー・ロー

普通背負えないはずのものを概念含めて背負った挙句に世界をぶち壊す意思を保つ男。辛辣な発言は7割ただの天然。なお、部下たちへの気遣いはあくまで礼儀やローにとっての常識であって別に情からの行動ではない。

本来、愛に素直な健康なメンタルを誇る男である。If世界でもその気質は残っている。だが、その気質があるからこそ、狂うことも死ぬことも出来ないでいる。愛されていた記憶があり、良識があり、自分が必要とあらばどこまでも冷酷になれる悪であるという自覚がある。

今回の件で完全にラミのお兄様=過去の自分≒自分という計算式が出来上がってしまう。自分のことをラミのお兄様を名乗る不審者だと思ってるフシのある実兄。

化け物たらんとするただの優しい、愛を抱え続けることを選んだ男である。

この世界線では11歳のときに自力でオペオペの実を食べ、26のときにラミを殺している。


トラファルガー・ラミ

死んでしまった。メンタルクリティカルを決める才能があるD。

自分の邪気のない罵り、振る舞いがどれだけローを傷つけていたかの自覚が最後までなかった。傷つけられるほどかつてのローが残っていると思っていない&迫害の記憶がないことが主な理由。

甘いものと、白いものが好き。タバコは嗜好品であり必需品。珀鉛病にかかっていた自覚はなく、珀鉛の有害性も知らない。フレバンスに関しての真実も、戦争があったことくらいしか知らない(覚えていない)。

善性のひとではあるがローファミリーには全力で嫌われていた、正義を掲げた海兵さん。その正義は誰も救わないと陰でファミリーに言われながらも、確かに一人の子供の心を救った。

ただ、かつての兄が大好きだった妹。

彼女の『兄』は10歳時点で時を止めている。享年22歳。


ヴェルゴ

お前が月でお前が星。(強火のロー担)

ローを神聖視し過ぎることがなく、ローに対して換言も行う第一の腹心にして親友。ラミに対して憎悪を抱く。正義を掲げるのならば、なぜローを傷つけることが出来るのか。その理由を理解はしても行動に納得は出来ないでいる。

ローは割と聞けば答えてくれる(内容や言葉が充実しているかは相手と場合による)ことを知る数少ない人。ローが最早『普通』の人生に戻れないと知りながらも、ラミに最期まで傷つけられ続けたローに要らないと分かっているお節介を焼いた。



(蛇足の蛇足)

ローは大海賊時代の海賊としてだと秩序・悪なんですけど、何事もなければ秩序・善の男だと思って書いてます(自解釈)。原作世界だと秩序・中庸寄りですが、海賊なので自認込みで悪属性。

ラミちゃんは中立・善。原作世界では幼い頃に亡くなっでるので変動なし。

ドフラミンゴは原作世界では混沌・悪、この世界線では中立・悪のイメージで書いてます。ドフラミンゴ出てきてないけども。

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