元飼い主

元飼い主

マンションの上のハート組


「おれは捨てられたんじゃない、逃げたんだ」

え?なんで?どういうこと?

「おれの元飼い主との出会いを教えてやろうか」


ローは箸を置いて淡々と語り出した。

物心付いた時からあの家にいたこと。優しい両親以外に元気な妹がいたこと。みんな元飼い主が大好きだったこと。

結構大きな屋敷だったのに、なぜか一つの部屋だけしか記憶の中にない。部屋に沢山の本が置いてあった。自分は本の絵を眺めるのが好きだったけど、妹はよく退屈でうざ絡みしてくる。両親もこの屋敷で生まれたらしく、よく元飼い主の話を聞かせた。世話はいつも使用人達がしてくれたけど、自分たちのことにあまり興味がなさそうだった。それと対照的に元飼い主はたまにしか会いに来なかっただけど、いつもおやつをくれて遊んでくれた。大きな手で撫でてくれるのが好きだった。たまに外の庭まで連れて行ってくれた。そんな時は妹がいつも大はしゃぎして使用人を困らせた。

ある日、事故が起きた。

火事だと叫び声が部屋の外から聞こえた。何が起きてるかよく理解できなくて、大泣きしてる妹を慰めながら自分たちを庇うように抱いてる両親の不安そうな顔をただ見上げていた。やがて元飼い主と使用人が来てくれた。炎がこっちに向かってると、家族は使用人に、自分は元飼い主に抱えられて部屋から逃げた。煙を吸わないようにと頭から布を被さった。何も見えなくて、聞こえるのは走ってる元飼い主の心臓の音だけ。怖くなって泣き出したら大きな手が布の上から撫でてるのを感じた。そしたらなんか安心していつの間にか寝ていた。

目が覚めたら部屋に戻っていた。だけど両親と妹の姿が見当たらなかった。元飼い主は運良くこの部屋は燃やされずに済んだけど、家族を抱えてた使用人は途中ではぐれてみんな亡くなったと教えた。何日泣いたか分からない。だけど元飼い主はずっと側にいてくれた。こんなこと二度と起きないように強くなろうと励ましてくれた。


相槌もできないままおれはただ静かにローの話を聞いた。

あれから英才教育が始まったと。

毎日のようにインストラクターが部屋に来て、朝から晩まで言葉やマナーから医学や歴史まで色々学ばせられた。勉強は嫌いじゃなかったけど嫌になって落ち込んだこともあったし暴れたこともあった。疲れて大好きだった絵本も読めなくなって、一日中眺めていられる解剖学の本すら触りたくない時期もあった。だけど元飼い主が会いに来た時は今でも一番幸せに感じる時間だった。寂しい時も辛い時も元飼い主が唯一の心の支えだった。ローは凄いなって褒めてくれて、おれがいるから寂しくないって慰めてくれるから頑張った。大きな手で撫でて欲しくていい子でいるよう頑張った。

肌に白い痣が現れた日までそんな日々が何年も続いた。もう専門的な医学書でも自力で読めるようになったから、資料を調べながら自分を診察して珀鉛病だとすぐに分かった。フレバンス原産のOP種だけが一定の確率で発病する遺伝性の病気だ。発病したことを元飼い主に教えたら顔が曇って一刻も早く手を打とうと言って部屋を出た。急いでたせいか扉を締め損ねた。珀鉛病は放置すると数年で死に至るが、治療法が確立した今は一般的な病院でも対応できるようになって、昔みたいに恐れている病気じゃなくなったはずだ。それを知らないから焦ったのかと首を傾げたら部屋の外から声がした。好奇心で外を覗いたら元飼い主が使用人と話しているのが見えた。あの日、両親と妹と共に火事で死んだはずの使用人だった。頭が肌の痣より真っ白になった。


言葉が出ない。グラスも瓶ももう空っぽだ。

ローは他人事のように話を続けている。

その場から動けずぼんやりと二人の会話を聞いてたこと。自分は厳選された個体だったこと。家族は事故で死んだわけじゃないこと。

断片的な情報が勝手に繋がって形を取り始める。

よく考えたら元飼い主は部屋を出る時いつも丁寧に鍵をかけた。使用人達が朝晩電気を付け消しに来るのはこの部屋に窓がなかったからだった。屋敷が火事になった時、悲鳴を聞こえたのは最初だけだった。大きな火事なのに熱を感じなかった。使用人達は皆無愛想だけど、一回だけ一人に撫でられたことがあった。次の日からあの人を見なくなった。

見えるはずの世界も知るはずの愛も、元飼い主が全部消した。

顔すら思い出せないのに、あの時元飼い主の言葉だけ焼き付いたように覚えてる。

「ジョーカーに闇オペオペロー探すのを頼め。それまでは他の個体に珀鉛病誘発しないよう隔離だ。このローは今まで一番の上出来だ、破棄する訳にはいかない。せっかくおれのために死ねるようにまで調教したんだ」

何かが音もなく崩れ消え去っていった。戦慄を覚えながらことの皮肉さに思わず笑ってしまった。色んな知識を叩き込まれなかったら生まれてからずっと監禁されていて洗脳されていたと気付くはずもなかった。感謝するよ。

元飼い主の意図はまだはっきりしないけど直感が逃げなきゃと叫んでいた。ここは鳥カゴの中だ。気付いたら体がもう動いてた。廊下を走り抜けて窓を割って飛び出した。追手の叫びがすぐ後ろに聞こえる気がするが見向きもせず庭のフェンスを乗り越えた。犬の鳴き声を遠回りして避けて、森の中に隠れつつ何日もかかって山を降り町に出た。

そこでドンキホーテファミリーに入ってドフラミンゴとコラさんと出会ったと。


話を終えて沈黙が流れた。ローは神妙な顔でこっちを見てる。

なんとか口を開いたら何故か分からないけど謝った。ごめんな、知らなかった、そういうつもりじゃなかった、苦しかったよな、おれが悪かった、おれたちが悪かった、こうなるはずじゃなかった…自分にも何言ってるか分からないけど謝った、意味もなく謝り続けた。

涙が止まらない…きっと酒のせいだ

お前が謝る義理はねェし同情もいらないから泣くのやめろって言われた。

そんなの知ってる、知ってるさ…

だけど可哀想と思ったら悲しむだろ!悲しんだら泣くだろ!お前に感情あるか知らねえけどよ、おれはお前が可哀想で悲しいから勝手に泣くぐらいさせろやバカヤロ!!!

おれがキレて泣き喚いてるのをローが頬杖付いて面白そうに見てる。何が面白いんだバカヤロこっちはお前が帰ってから色々あり過ぎてもう感情死んでて大変なんだ

突然フフッとローが笑った

……あの冷血野郎がまさかこんな表情ができると思わず涙が引いた

な、なんだよ…

「いや、ちょっとあの人思い出した」


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