元漫研の石塔君が軽音部入部に至るまで

元漫研の石塔君が軽音部入部に至るまで

本誌の学パロ直義先生の妄想

※本誌の学パロ直義先生の妄想。

 直義+石塔+α(尊直もちょこっと)

 石塔1年なので孫二郎君は今回出ません。

※直義先生の担当教科と生い立ちの設定はスレからお借りしました。





「もう二度とここには来ないっ!!」

「石塔君、何もそんな…」

放課後の関東庇番高校に石塔範家の怒声が響き渡る。彼は止める声にも構わず、原稿と荷物を引っ掴み漫研の部室から飛び出した。

「田中君何言ったんだよ」

「いや、別に…『石塔君は女の子描くのうまいからロマドのミナ描いてよ』って言っただけ」

「それだけでェ?変な奴」


石塔はとかく怒り狂っていた。ドスドスと音を立てながら早足で廊下を進む。


――あいつらは志が低すぎる!!『漫画研究会』などと名乗っておきながら、やることといえば漫画を読んで駄弁ったりせいぜいが読んだ漫画のキャラクターを描くことくらいだ。自分の作品を作ろうなんて思わないどころかバカにする始末。なにが「そんなオリキャラなんかいいからミナのエッチな絵描いてよ」だ、死んでも描くか!ロマドも二度と読まん!!


石塔は本当に怒っていたので、周りがよく見えていなかったし音も聞こえなかった。このため、近くの教室のドアが開いたことに気づかなければ、ドアから出てきた教師の存在にも気づかなかったわけで、二人はぶつかった。軽くよろめき、何枚か原稿を取り落とす。


「すみません」「すまない」

お互い謝りながら廊下に落ちた原稿を拾う。繊細なつくりの指先が原稿を差し出したのを見て、初めてぶつかった相手がだれか認識した。

「どうぞ。ケガはしていないか?」

「古山先生」

石塔はよりによってこの先生か、と思った。


古山直義は今年から赴任した公民科の教諭だ。よく通る声と几帳面な字で書かれる読みやすい板書、身近な事例や時事ネタを交えた授業はわかりやすいと評判で、彼が赴任してから公民の平均点が10点ほど上がったと聞いた。自分のクラスでも公民については赤点を取ったものはいなかった。知性的で品のある振る舞いとその整った容貌も相まって女子生徒からの人気も凄まじい。

つまりこの古山先生という人は優秀でイケメンでモテ男であり、石塔からすると自分のような偏屈なオタクとはほぼ対極に位置するように見えた。対極な人間とは分かり合えない。分かり合えない人間とは話したくない。きっと否定されるから。そう、石塔は繊細なのだ。何分小中のクラスメートからは「何描いてんだキメー」と言われてきたし、親からは「あんたももう高校生なんだから女の子のお絵描きなんか卒業しなさい」なんぞといわれ、挙句同志になるかと思って高校では漫研に入ったらこれだ。彼が小さいころから作り上げてきた理想の美少女「鶴子ちゃん」への理解どころか傷つくようなことばっかり言ってこられたので、自分と鶴子ちゃんを守るためにいつの間にかこうなってしまった。


これ以上何かを言われる前に原稿を引っ手繰ると急いで鞄にしまい込みさっさとその場を後にしようとした。

「待て。何だその態度は。いくら何でも無礼すぎる」

思い切り呼び止められてしまったが。

「……すいません」

「なぜそんな態度をとる?急いでいるのか?」

「……いえ」

急いでるといってしまえばこの場は逃れられただろうに、石塔は変に真面目なため正直に答えてしまった。軽くため息を吐かれて石塔はぎくりとする。これはあれだ。母親から「あんたはまたしょうもないもんにばっかり精を出して」といわれるときのため息と同じだ。否定の言葉なんか聞きたくない。

「好きな飲み物はあるか」

「え」

「時間があるなら少し話そう。付き合え」



あれよあれよという間に自販機で好きな飲み物を選ばされ、そのまま西日の差し込む生徒指導室に連れ込まれる。石塔は啞然としたまま従った。

「それで、石塔。何があった?」

「…別に、何も」

買ってもらったミルクコーヒーを開けもせず眺めながら答えた。とにかく帰りたいと考えていた。

「お前は何もないのに目線も合わせなければ人の手元から乱暴にものを奪うのか。それならそれで指導対象だが」

「古山先生には関係ないです」

「関係なくはないだろう。私は教師で生徒を指導する立場にある。そもそも、お前がちゃんと周りを見てたらぶつからずに済んだ」

「ぶつかるぶつからないはお互い様でしょう」

「どうかな。お前が本当に周囲に気を配れてたら避けられるように体を出したつもりだが」

「え」

石塔はやっと古山をちゃんと見た。舌を出して悪戯気に微笑んでいる。

――この人こんな人だったのか?授業中冗談ひとつ言わないし、クラスの女が「こないだプレゼント持ってったら『申し訳ないが不公平に思われるとお互い損しかないので気持ちだけ頂く』とかって断られちゃったー」なんてきゃあきゃあ言ってたからよっぽどお堅いんだと思ってたが。

「……ひょっとしてわざと?」

「フフフ。ぶつかったのが私程度の小兵でよかったな。あのまま道に出てたら危うく大惨事だ」

とりあえずしてやられたらしいことを石塔は理解した。

「口で言ってくれたらいいじゃないですか!」

「お前はあの時口で『ちゃんと前見て歩け』と言っても従わなかっただろうからな。ハハハ。ちゃんと前見て歩けよ」

ムカつく。間違いなく感謝すべきなのはわかってるけどムカつく。大体石塔は人に笑われるのは嫌いだ。古山のようなイケメンからであればなおのことだ。

「わかったようなことを。俺のことなんか何もわからない癖に余計なお世話ですよ!!原稿に傷がついてたらどうしてくれるんです!」

苛立ちの感情のままそう怒鳴ると、古山はまるで臆することなく涼しげな顔で反論してきた。

「何もわからないと断言するのは早計だぞ。何せお前は私のことをよく知らないだろう」

「知りませんよ、どうせ俺みたいなオタクはあんたみたいな人種のことなんて!」

石塔は「またキモイ絵描いてんのかよオタク~」とよく絡んできていた中学のクラスメイトのことを思い出していた。あいつも女子に人気のイケメンだった。「オタク君に絡んであげるなんて優し~」とか言ってる女もいたっけ。クソが。休憩時間に自席で何しようが俺の勝手だろう、ほっとけ。あの時の憤りもまとめて叩きつける。子供染みた八つ当たりなのはわかっているが止められなかった。それにもかかわらず、相手は怒るどころかニヤリと口角を上げた。

「私は情報収集が得意でな。漫研がサボりの温床になっていて、真面目に作品を自作しているお前は浮いていると聞いた。部員と揉めたな」

「う」

「そもそもお前は普段真面目で控えめな性質で周囲が見えなくなるほど暴走するのは珍しい。そこまで意固地になっているところを見ると大方例の『鶴子』を腐されたんだろう。さっき抱えてた原稿も鶴子だったしな」

「そんな、鶴子ちゃんのことまで」

「ぶつかり方には気を付けたつもりだが、原稿に傷がついてたならすまない。その場合、お詫びと言っては何だが、私は子供のころ色々習い事をしていて、風景画も習っていた。漫画は描いたことがないが背景くらいなら手伝えそうだ。どうだ?」

――まさか俺のことをどれだけわかってるか示してきたうえにどうしてくれるかまで提案してくるとは。

石塔の苛立ちは霧散し、代わりに畏怖の念が大勢を占めていた。



そういうわけで、現在石塔は古山と一緒に生徒指導室で原稿を2枚書き直している。正直書き直すほど原稿に致命的な傷が入ったわけではなく、テープの補修でどうにでもなる範囲だ。そもそも、乱暴に取り上げた際に自分でつけた傷の可能性もある。それでも付き合ってもらったのは、単純にこの教師に対して興味と好感が湧いていたからだ。漫画は描いたことがないといっていたが、何度か線を引く練習をした後、指定したコマに非常に達者な鶴岡八幡宮の舞台を描き入れてみせた。先に描いた鶴子ちゃんの表情も、背景がない時より心なしか嬉しそうに見える。

「先生うまいですね。つけペンなんか初めてでしょう」

「ありがとう。しかしな、石塔。お前この漫画はどうかと思うぞ」

「えっそうですか。鶴子ちゃんのかわいさと優しさと健気さが最大限にあらわれてると思うのですが」

「鶴子とそれ以外で情熱が違いすぎる。鶴子にしか魂がこもってない。いや、逆に鶴子の魂のこもり方はすごいが…マジで鶴子以外モブにしか見えない」

「鶴子ちゃん以外はモブです」

「まあお前がそう言い切るなら…いいが……これどこかに投稿するのか?」

「いえ。完全に俺専用です。微笑んでる鶴子ちゃんを見ると俺もやる気が出るので」

「じゃあいいか」

そういうとお互いまた作業に戻った。石塔は何とか自分の顔がにやけるのを抑える。「鶴子に魂が籠ってる」と言ってくれた。石塔の目には鶴子ちゃんが満面の笑みで古山先生に抱き着いているのが見えた。鶴子ちゃんを好意的にとらえてもらえることがこんなにも嬉しいとは。今描いている鶴子ちゃんの笑顔も最初に書いた時よりずっと光輝いて見える。有能な臨時アシスタントもいてくれるし、問題ない原稿も直してしまおうか、と一瞬考え、さすがに厚かましいと石塔はかぶりを振った。そんなことを考えている間に1枚描きあがった、と全コマに指定の背景や効果の入った原稿を手渡された。全く見事なものだ。この先生は何を教えている先生だったかと石塔は悩み、軽音部の顧問だということを思いだした。きっと楽器の演奏もそつなくこなすに違いない、と改めて敬服する。

「初めてでこの出来とは。古山先生ってできないことないんじゃないですか」

「あるに決まってる。大体私は器用貧乏な性質だからな。背景や効果線なんかはともかく、お前の描いたこの鶴子のかわいらしさはとても私では再現できないだろう」

――そんな言葉をかけられたら鶴子ちゃんが古山先生を好きになってしまう。好みの男性のタイプが「クールだけど何でもわかってくれて褒め言葉をはっきり口にしてくれる年上のひと」になってしまった。しょうがない。俺は鶴子ちゃんの恋を応援しよう。

「先生彼女とかいますか?」

「えっ何だ急に……いるが」

――鶴子ちゃんの恋が終わってしまった。大丈夫だ鶴子ちゃん。失恋して泣いてるきみも最高に輝いてる。俺がいつでもついてるぞ。

古山は教え子の唐突な質問に怪訝な表情を浮かべたが、石塔が満足げに頷いているのを見て目線を原稿に戻した。


「よし終わった。確認してもらえるか石塔」

「この鶴子ちゃんが際立つ仕上がり。完璧です。ありがとうございました」

礼を言いながら石塔は手慣れた動作でドライヤーを使い、原稿を乾かす。1枚目を乾かした際には「そんなものまで持ち歩いているのか」と目を丸くしていたが、「最初は部室においてたんですけど田中がヘアセットに使いやがりまして。自分の荷物は全部持ち歩くことにしたんです」と返したら古山も納得していた。「ドライヤーの本来の用途としてはそちらが正しいのでは…」とは呟いていたが。


2枚目の原稿を乾かし終え、部屋の片づけを終えると、二人は充足感に満ちた笑顔で「お疲れ様でした」「お前こそ」と言葉を交わし、生徒指導室を出た。廊下に出ると外はすっかり日が落ちてしまっていた。スマホを見ると18時52分。マッチポンプは多分にあったが、とはいえ古山を巻き込んでしまった罪悪感を石塔は少し感じていた。テスト期間前だから多分テストを作らないといけないだろうし、軽音部の顧問だってあったのではないか。

「…すいません。こんな時間まで付き合わせてしまって。軽音部でしたっけ。行かなくて大丈夫でした?」

「ああ、いや。気にするな。今はテスト前だからうちの部は休みにして………待て」

「?」

古山は踵を返し足早にどこかへ向かう。石塔はもう帰ってもよかったのだろうが、古山の後ろをついていった。果たして、軽音部の部室前で足を止め、ドアを開けた。ドラムの重低音が響く。

「岩松ッ!!」

「やべ、ばれた」

そこには、石塔としては当然気が合わないであろうと勝手に思っていたクラスメイトの岩松経家がいた。


つかつかとドラムセットに陣取る男に古山が詰め寄る。体がいかつく、いかにも不良然とした岩松に対して一切の怯みはない。また、岩松の方も素直に演奏をやめ、冷や汗をかきながら笑顔を作った。

「お前が一番成績に難があるんだ!お前が勉強をしないでどうする!!」

「いや~~直義せんせー、テストってのは日ごろの積み重ねですよぉ?付け焼刃で勉強してもしょーがないって俺思うな~~…だからあの、そんな睨まないで」

普段冷静で淡々とした古山が生徒を怒鳴りつけるところも、ザ☆陽の者でいつも笑って…というかヘラヘラしていて、余裕を見せている岩松がこんなに冷や汗をかいているところも石塔は初めて見た。ヘラヘラはしているが。

「お前は日ごろから勉強してないだろうが!!せめて付け焼刃でも勉強しろ!渋川かお前が懇意にしている女のうち成績上位のものにでも教えてもらえ!」

「渋川君には『お前とやってると脱線が多くて付き合ってられん』って振られちゃってェ~~……カナエにはガチで振られました……あとは俺と同レベル以下の女ばっかりっす……」

「それは………そうだな、お前みたいな股かけ放題の男、まともな女は付き合わんか…悪かった……」

「なんかソレめっちゃ俺のことディスってないすか?傷つくわ~~~。ってゆーか、直義せんせーがしてくれてもいいんですよ?個・人・授・業♡」

「……ハァ」

「うわっ露骨に嫌そ~」

石塔から見ると古山と岩松はまた全く異なる人種に見えたが、随分気安い関係に思える。興味深く眺めていると、岩松が初めて石塔の方を向いた。

「石塔君じゃん。なに?入部希望?今頃?なんかほかの部活入ってなかったっけ?」

「いや……」

「それともお前も直義せんせーに誑し込まれたクチ?」

「………」

岩松の質問に石塔は何とも言えない居心地の悪さを感じた。岩松が苦手なタイプということもある。だが、それ以上に「何をしにここにきたのか?」という問いに明確に答えられなかった。責められているようにも感じる。二人の様子を見て、古山がまた一つため息を吐く。

「……人聞きの悪い。石塔とはちょっと流れで一緒になったんだ、あんまり詰めるな。……いいか岩松。高校生の本分が学業であることを忘れるなよ。赤点とったら部室出禁にするからな」

そう言いながら、古山は部室の出口に向かい、ドアに手をかけた。

「あ!ちょっとどこ行くんすか!そんな脅すんなら面倒見てくださいよ!!」

「業務がまだ残っている。私は忙しい。お前に本当にやる気があるなら明日時間を作ってやる」

「ちょ」

無情にも古山は振り向きもせず部室を出てドアを閉めた。岩松の救いを求める手は宙をさまよい、へなへなと膝の上に落ちた。石塔もいたたまれず、部室を出ようとした。が、大声に阻まれた。

「ちょっと待った石塔君!!お待ちください!お前様成績よかったよね!!?頼む!!数学だけでも!!!要点教えてくれたらいいから!!!!部室出禁は困るの!!!!!」

正直石塔は躊躇ったが、元をただせば古山に時間がないのは自分にも原因があるし、涙目で迫る大男にちょっと身が竦んで逃げきれなかったのもある。止むを得ず、石塔は岩松と軽音部の部室にて勉強会をする運びとなった。



結局なかなか飲めず常温になった石塔のミルクコーヒーと岩松が持ち込んだシ激ックスを二人で分け合いながら勉強を進める。正直全く合わなかったが、まあ行けなくはない。勉強の方はちっともうまくいってなかったが。

「違う違う、この定義は直角三角形の時しか使えないんだ。この場合は余弦定理を用いて……」

「あーやっぱダメだ。数学はどうも覚えられん。興味がねえんだよなあ。サインだのコサインだのタンジェントだのaだのbだのcだの。理数系はまるでダメだ」

そう言って岩松がシャーペンを放り投げる。石塔は「教えを乞うておいてこいつ」と思わないでもなかったが、あまり強くは言えずに、窘めるにとどめた。

「そういって投げ出すと出禁になるんじゃ?」

「うう……英語ならまだ興味が持てるんだが」

「……岩松君は英語は得意なのか」

「おう!日常会話くれーならばっちりだぜ!!だってやっぱ外国の女も口説きてえだろ?全世界の女と寝るのが俺の夢だからな!」

カカカと笑いながら世界平和にも大戦争にもつながりそうな夢を嬉々として語る岩松に石塔は軽く眩暈を覚えた。石塔にとっては現実の女は鶴子ちゃんを否定してくる先鋒であり、鶴子ちゃんに対しても性欲ではなく神聖なマドンナだ。やはり岩松とは相いれない気がする。

「…俺には全く分からん」

「あーーー。石塔君も一人の女に入れ込むタイプかあ。うちの部そんなんばっかだよ。渋川も今川も直義せんせーも。まっ今川は女じゃなくて馬だけどな」

「馬!?………そういえば岩松君はなんで古山先生のことを名前で呼ぶんだ?…まあ、仲がいいってことなんだろうが」

「ブフォッ!違う違う。あの人俺の事嫌ってっから!!」

石塔の目にはとても二人の仲が悪い様には見えなかった。嫌いな生徒が赤点を取ろうとどうでもいいだろうに、態々部室を確認して説教するのはなんだかんだ可愛がっているからに違いない、と思ったが、それよりも名前で呼ぶ理由の方が気になったので黙っていた。岩松はここだけの話だぜ、と石塔に耳打ちしながら話す。

「あの古山って苗字な、多分偽名かなんか」

「えっっっ」

明かされた内容は石塔には思いもよらない秘密だった。なぜ?何のために?と混乱したが、とりあえず続きを待つ。

「や、多分なんか正式な手続きはとってんだろうけど。あの人あの苗字慣れてねえんだよ。…まあ俺らもほんとのとこは知らないんだけどな。あの人が顧問になったばっかりの頃に苗字で呼ぶと反応がワンテンポ遅くてさあ。名前で呼んでみたらすごいレスポンスが早くなったからみんな名前で呼ぶようになったの。直義せんせーからは『部内だけにしてくれ』って言われたけど」

「へえ~~~……そうなのか」

「なんかあの人が自分の苗字描くときに口から書き出して後から十字足したことがあってよ。そんな変な書き方すんの珍しいじゃん?したら渋川が『ひょっとしたらもともと口から書き出す苗字だったんじゃないか』って言いだして」

「すごい名推理だ。説得力あるな」

「だろぉ?でさあ、隣のクラスの上杉君っているじゃん?あいつも軽音部なんだけど、なんか知ってるっぽくてさあ。渋川の推理聞いて意味深にニヤっと笑ってたんだよ……聞いても『内緒にすると約束しましたからなあ』とかっつってはぐらかされてな……」

その発言は少し意外に感じた。上杉のことは石塔も知っている。一学期の中間考査・期末考査の両方において化学で学年トップだったからだ。数学や他の理系教科も軒並み高い順位だった。関東庇番高校は個性的な生徒揃いだが進学校であり、競争率が高い中でこの好成績を修めていることは注目されるに十分だった。

「上杉君も軽音部なのか?じゃあ理系は全部彼に聞いたらいいじゃないか。」

「だってあいつ『今度実験に付き合ってくれるならいいですぞ』とかいうんだもん……何に付き合わされるのかわかんなくって怖えよ……直義せんせーもそれ聞いて黙ったわ……」

しょぼくれた顔の岩松にそう言われて科学実験中の上杉を思い起こす。確かに怪しげな笑みを浮かべ、いかにもマッドサイエンティストという様相だった。いや、ミニチュアで地震による液状化を再現する実験してただけだったと思うが。何人か殺してそうな笑みだった。

「それは怖いな……」

「だろ……ところで俺も聞かせろよ。何で石塔は直義せんせーと一緒にいたわけ?どういう流れ?」

そう聞かれて石塔は若干意表を突かれた。だが、確かに自分らの顧問が普段クラスメイトとも壁のある他部の暗いオタクと連れ立っていたら疑問にも思おう。石塔は漫研を飛び出したところから、直義とぶつかったこと、何故か指導の流れから二人で漫画を描いたところまで話した。話の途中ずっと、岩松は目を輝かせて聞いていた。

「なーーにそれめっちゃ面白!!え!?二人で一緒に漫画描いたの?あの堅物と二人で!?えーーその絵面絶対見てえ!指さして笑っちまいそう」

「いや、いたって真剣だが」

「それがおもしれえーんだって!!……でもそうか。漫研やめちまったのか。そんな勢いでやめちまっていいのか?」

岩松が少し心配そうな面持ちで石塔をうかがった。いい加減そうに見えて意外と常識的なところも持ち合わせているようだ。石塔は笑顔で答えた。

「ああ。漫画はどこでだって描けるし、合わない場所にいてストレスをためるよりずっといい。大体、漫研には同志がいるかと思って入っただけだから、漫画そのものにこだわりがあるわけでもないんだ」

「そうなんだ。じゃあマジで軽音部はいるか?その、鶴子?に捧げる曲とかつくれば?うち初心者歓迎だぜ?先輩が引退して今キーボード空いてるし、ギターのパートだって増やせるぜ」

この岩松の提案はかなり魅力的に思えた。そうか。鶴子ちゃんにテーマソングを作ってあげるのは良いかもしれない。いずれ歌も歌わせてあげよう。いじらしい初恋の歌を歌う鶴子ちゃんと初恋に破れ悲嘆にくれる鶴子ちゃん、どちらも最高に素晴らしいものが作れそうだ。幸い、母は石塔が子供のころ、ピアノを習わせてくれた。石塔自身が飽きて長続きしなかったが、ギターよりはキーボードの方が何とかなりそうだ。

「じゃあキーボードにするか。キーボード叩くのは得意だし」

「えっ経験者?じゃあちょうどいいじゃん!!みんなにもキーボードの経験者が入るって伝えとくわ!!」

「あっいや、そっちのキーボードの経験は……」

岩松を抑えつつ、石塔は何の問題もなく岩松と会話できていることに気づいた。勝手に節操なしのいい加減な奴と思い込んでたけど、いや、実際それはそうかもしれないけど、そういう「合わないだろう属性」というのと実際合うか合わないかは必ずしも合致しないのかもしれない。もちろん合致することも多いだろうが、まあ少なくとも石塔は今回3件の例外と出くわした。石塔は脳内で漫研部員、直義、岩松の三者に己の不見識を詫びた。

――各所に迷惑はかけてしまったが、今日漫研を飛び出して、直義先生にぶつかって本当に良かった。とりあえず、後日正式に退部届と入部届を一枚ずつもらいに行かないといけないな。

岩松とじゃれながら、石塔はこれから卒業まで世話になるであろう軽音部の部室を感慨深く眺めていた。



* * *



直義は職員室の自席で作成済みの現社の試験問題を無感情で眺めながら、先ほどの岩松の発言に思いをはせていた。

――誑し込まれた、か。


(貴方がいるせいで会社が割れるんですよ、直義様。我が社の者はすべて尊氏様を盛り立てるべきなのに何人も誑し込んで。あなたが会社をダメにしているんです。お分かりですか。どうか傷の浅い今のうちに出て行ってください)

(兄者、いくら何でもそんな言い方)

(俺とて本当はこんなこと言いたくはない。しかし主が言い出せぬことをあえて口にするのも忠義だ)

(……わかった。……兄を支えるのはお前達に任せる。師直、師泰、兄のことをよろしく頼む)

(あなたに言われずとも)(…すいやせん、直義様)


この会話は、直義にとっては遠い過去のようにも昨日のことのようにも感じる。実際には3年ほど前の会話だ。兄弟二人で手を携え大きくした会社だった。掠め取られた、という思いがないわけじゃない。必死でまとめ上げた会社も、兄の隣も。子供のころから、兄の役に立つことだけが望みだった直義にとって、兄から離れることは苦渋の決断だった。今の人生も充実していると感じるが、やはり兄のことを慕わしく思い出すこともある。それでも、やはり自分は兄の傍にいない方が良いのだと改めて再確認した。

――二人から言われたのだから、やはり私が人を誑し込んでいるのだろうな。……そんなつもりはないのだが……。

直義にはまるでそんな気などなかった。ただ、社員が働きやすくなることで会社への忠誠心が芽生えれば、そう思って動いていたはずだったのに、何故だか兄を追いやって直義を盛り立てたい、などとおかしな動きを見せる部下が少しずつ少しずつ増えて、直義は望まぬまま兄と対立する構造となった。「責任を取って辞任するゆえ、部下のことは大目に見ていただけないか」との嘆願書を兼ねた辞表を書いた時は字が震えた。落涙すらしたかもしれない。辞表を兄の第二秘書である師泰に託して、直義はすべて失った。産まれた時から馴染みのある「足利」の苗字さえも。

自分の管理能力不足だった、と直義は思う。師直も師泰も状況を見て最終通告をしただけで、おかしな派閥を作ってしまったのは間違いなく自分だ。今鎌倉で高校教師をやっているのは、直義にとって所縁がある地であり、教育自体には適性があるから、という理由もあるが、京都で手広く事業をやっている兄尊氏と万が一にもかち合うまい、と思ったからだ。もし関東に進出することがあっても教師であれば兄の邪魔にはなるまい。直義にとっては今でも、兄の役に立つこと……それができぬのならせめて邪魔にならないことが望みだった。

現状、師泰とだけはたまに連絡を取っている。当時の携帯も何もかも解約したが、師泰から緊急時の連絡先を教えておいてほしいといわれたので、フリーメールのアドレスを新たに作って渡した。直義は連絡など来ないだろう、と思っていたが、緊急でもない連絡ばかり来る。尊氏が宝塚にはまっただの、時間が空けばすぐにふらりと旅行に出るので困っているだの、そんな他愛のない話だ。直義にとって、自分がいなくても変わらない尊氏の話を聞くのは、寂しい気持ちが6割、嬉しい気持ちが4割くらいだ。社長第一秘書だった師直が副社長になっておよそ3年。会社の業績は自分がいたときと大きく変わってはいなさそうだった。

――やはり、私は………兄にとって必要ではなかったのだ。…いや、もうよそう。過ぎたことをいつまでも考えるのは。中間考査が終わっても11月には文化祭が控えているし、部活停止にしていたのだからテスト明けには部員らにも何か楽しみを与えねば。考えるべきことは山ほどある。そうだ、一度大きなライブハウスを借りて演奏してみたいといっていた。思い切って――

思案中に直義の携帯が震えた。フリーメールの受信で、送り主は当然師泰だ。


件名:バレました

本文:住所聞き出せって尊氏様から脅されてます


ははあ。ミスったな師泰。

半笑いで携帯をしまおうとする直義のもとにさらなる追い打ちが来た。


件名:Re:バレました

本文:マジで暴れててダウにもなりません。お願いします


こいつ誤字ってやがる。

直義は何とか笑いをかみ殺して、フリーメールの受信をミュート設定にした。師泰に恨みはない。これは本音だ。だが、「兄を頼む」と頼んで応じたのだから、これくらい自分たちでなんとでもすべきだろう。どうせ兄は飽きっぽい。そのうちどうにでも収まる。師泰が過去の遺物を思い起こさせるようなミスをするのが悪いのだ。


――そうだ。合わない居場所に無理にこだわる必要なんてない。思いもよらぬところが住めば都になるかもな、石塔。


直義は岩松から「入部希望か」と聞かれたときの、石塔の惹かれるようなちょっと怖いような表情を思い起こして退部届と入部届を準備した。新人が入るようなら大き目のライブハウスは少し先送りにしておこう。




なお、京都ではその日10月としては異常な熱波と寒波が同日中に観測されたとのことだ。

Report Page