元帥執務室の子電伝虫は二度と鳴らない
Nera海軍本部で最も偉い役職は元帥である。
世界政府の表の顔として君臨し、世界中の海の治安の象徴。
そんな元帥に着任しているセンゴクは始末書を書いていた。
「おかしいな。まだ書けんとは……」
彼は元帥に就任してからずっと政府と部下の板挟みであり続けた。
誰が言ったか『この海で最も不自由な奴』の異名は伊達でない。
始末書など4桁以上書き上げたのに一枚の書類が未だに仕上がっていない。
「大馬鹿者どもめぇ…最後の最後まで私に迷惑をかけおって……」
彼の眼前にある書類には、ルフィとウタの死亡に関する始末書だった。
ルフィ大佐が天竜人を殴打してウタを連れて逃走した。
だが、追撃してきたサカズキ大将と交戦して2人共戦死した。
現場は凄惨な環境であり辛うじて掌と麦わら帽子の破片が回収できただけだ。
「全く…あいつらは私に迷惑をかけてばかり」
ルフィ大佐とウタ准将はセンゴク元帥にとって頭痛の種だった。
何度も騒ぎを起こす大佐のせいで世界政府に言い訳する始末書を何度も書かされた。
ウタに至っては、そんな彼を成長させた実績があり、更に問題児だった。
なにより、暴走したおかげで国や村が救われる実績がセンゴクを悩ませていた。
そんな彼の苦悩を知らずに子電伝虫は餌を頬張っていた。
「あいつらは…」
もう二度と彼らに悩まされることは無い。
同期のガープの孫に振り回されることは無い。
四皇の“赤髪のシャンクス”の娘に配慮することは無い。
2人のやらかしを知らせる子電伝虫が煩く鳴ることは無い。
既にこの世に居ない以上、トラブルなんて発生するわけがなかった。
「失うべきでは無かった」
既に准将と大佐の軍歴は全て抹消されていた。
それだけではない。
彼らの部下たちも全員、連帯責任として処刑されていた。
半数が上官を逃がす為に果敢に赤犬に挑んで返り討ちに遭った。
残った半数は有無言わさずに銃殺刑にされた。
「もはや海軍の歴史はここで途絶えるかもしれないな」
「歴史が途絶えてもまた作ればいいじゃろ!気にすんな」
センゴク元帥は未だにどうすればよかったのか分からない。
思わず戦友のガープに本音を漏らすほど病んでいた。
これほどガープの言葉に頼もしさを感じる日はないと断言できる。
「世界は混迷を極めている。世界政府が崩壊する日は近いだろう」
「がっはっはっは!!たかが1人の馬鹿のせいでここまで盛り上がるとはなァ!!」
「他人事のように言うじゃないか」
「そうしないとわしは生きていけん…」
「……すまなかった」
ルフィ大佐とウタ准将の関係はゴシップ紙で世間を賑わらせた。
「結婚秒読み」とか「既に懐妊してる」とか根も葉も無い噂ばかりだった。
それだけ海軍の英雄と歌姫の人気が絶頂過ぎたと言っても過言ではない。
だからこそ、我儘な天竜人のせいで全てが終わった。
「なあガープ」
さきほどまで笑っていた同期で親友であるガープ中将は黙り込んだまま俯いていた。
同じ海軍の問題児であった彼は、思う事はあったのか。
海軍の英雄として彼だけ罰を逃れた罪悪感なのか。
さきほどの作り笑い以外で笑顔を見せる事は無くなっていた。
「なんじゃい?」
「おれらは何と戦っていたんだろうな?」
「知らん、わしに訊くな」
「……そうだな。おれが答えを見つけないといかんな」
世界政府の意向により2人の尊厳を悉く貶めて死が拡散された。
クロコダイルとグルでアラバスタ内戦の真の元凶だったりするのは序の口。
インペルダウンLEVEL6に収容された罪人の罪まで被せられた。
その結果、世論は……世界政府の公式発表を信じるわけがなかった。
「おれは引退しようと考えている」
「奇遇じゃな!わしもだ!」
「お前が抜けたら後任が居ないのだが!?」
「わっはっはっはっ!ボルサリーノくらいしか残ってないのう」
海軍大将クザンは、天竜人殴打事件後に海軍から自主的に退役をした。
ルフィとウタの直属の上司だったサカズキは盆栽の手入れしかしなくなった。
残ったボルサリーノ大将は流されやすい性格で元帥の素質が皆無という有様だ。
階級が1個下である中将たちは、必死に軍部を保つのが精一杯で何もできない。
世界の海を守る海軍本部は内戦と不信感で空中分解していた。
「それより聞いたか?世界政府の加盟国がまた一国滅んだそうじゃ」
「これで9ヶ国目だ。むしろ何で未だに世界政府があるのか疑問に思うほどだ」
ガープ中将はセンゴク元帥に今朝の新聞を見せ付けた。
新聞の目出しにはルフィとウタの罪を否定する文面が大きく載っていた。
そしてアラバスタ王国に匹敵する大国が海賊で滅んだという記事が見えた。
「1か月前から海軍本部に出動要請が来たのに1隻も軍艦を動かせんかったな」
「動かせるわけがない……そんな兵員は居ない」
友軍殺しという不名誉、どう足掻いても言い逃れはできなかった。
海軍は世界政府の意向に従った結果、海兵と民衆の支持を失ってしまった。
その結果、事実上海軍大将2名と4割近い海兵を失った。
そんな状況下で他所に兵力を回す余裕などなかった。
「最近、赤髪海賊団が暴れているようじゃ」
「そうだな」
「そのせいでG-1支部が陥落したのはどうする?」
「モモンガ中将率いる3個中隊を軍艦で回収できただけでも上出来だ」
世界の海は大きく荒れた。
奪う側のメリットが増大したこの時代では、海賊になるのがお得だ。
海軍とNEO海軍が対立して内戦しており、海軍の戦力の一部が革命軍と合流した。
戦死者は2万人を優に超えており、NEO海軍のトップは元海軍大将ゼファー。
もはや海軍が機能していない状況を海賊が見逃すわけがなかった。
「百獣海賊団とビッグマム海賊団が海賊同盟をした。直に戦争が起きるぞ」
「頼みの綱である白ひげ海賊団は……」
「“火拳のエース”の義姉弟を殺しておいて守ってくれるとは聖人じゃな」
「そんな奇跡が無い事くらい分かってるさ。ガープよ」
赤髪海賊団が姿を消した結果、同格の海賊団が同盟を結んだ。
すぐさまシャンクスの縄張りを奪い取って着々と勢力を急拡大していた。
白ひげ海賊団は自分の縄張りを守るのに精一杯で味方にならない。
海賊が海賊を生み出す悪循環は更に加速しており海兵の犠牲者は増えていくばかり。
たった1人の天竜人のせいで大海賊時代が大幅に加速してしまった。
「ベガパンクが暗殺された件はどうする?」
「どうしようもない。逆にどうしろと?」
最後の希望だったパシフィスタも全て破壊する羽目になった。
どっかの馬鹿が落雷でエッグヘッドを完膚なきまでに破壊した。
その影響でベガパンク及び島内に居たパシフィスタは全滅した。
そればかりか、運用されていたパシフィスタが全て暴走して海兵を殺戮した。
全てのパシフィスタを処分するのに海兵の死体が3万を超えたとされる。
戦死者の名簿にはギオン中将やドール中将、トキカケ中将の名前が記されていた。
「それにしても華やかさがない新聞じゃな」
「海軍の公式歌姫が狙われたんだ。著名人の女は全員、身を隠したさ」
世界一の歌姫の末路を聴いた女性はすぐに表舞台から引退をする羽目になった。
おかげさまでアイドルや歌姫、ゴシップ紙を賑わせた女性は姿を消した。
女海兵も次は我が身だとさっさと退役して残っているのは、つる中将のみ。
女が消えた職場からは笑顔が消えたとされる。
「さて、悪い事だらけだが、1つだけ良い事がある」
「なんじゃ?」
「ルフィとウタが生きている可能性だ」
2人の生存の可能性を聞かされたガープは眉をピクリと動かした。
与太話で会話する男じゃないと知っているからこそ彼は動揺したのだ。
「それは本当か?」
「ああ、サカズキが殺したとされる遺体の破片と2人の肌の色が合わないそうだ」
「つまり、誰かを身代わりにしたと?」
「そうじゃなきゃあそこまで死体を損傷しないだろう。判別が付かんと意味は無い」
ルフィとウタの直情の上官だったサカズキ大将は、2人を殺害した。
しかし、その瞬間は誰も目撃しておらず凄惨な死体だった何かが残されただけだ。
9割以上焼き尽くされた死体を目撃してガープもセンゴクも言葉を失ったくらいだ。
赤犬に立ち向かった海兵の死体の方がまだマシという現状に絶望した。
だが、今なら納得できる。
「憶測で思考しない。それがお前の考えだったはずじゃが?」
「実は、あれから不審な男女が2人で航海しているという情報が複数寄せられた」
「ほう?それはまた酔狂な事じゃの」
ガープだって2人の生存を信じたかったが、もう割り切っている。
もし生存していたとしても2人を殺さなければならない。
それが世界の摂理だからこそ死んでいないと今度は自分が手を汚す羽目になる。
始末書を書く為の資料を見せびらかすセンゴクからガープは目を逸らした。
矛盾した気持ちを抱えた男は、海軍を辞めるつもりだった。
「……わしに気を遣わなくていいぞ」
「それがな。2人はエレジアに向かっているそうだ」
「エレジアに?」
音楽の都であったエレジアは10年前に赤髪海賊団によって一夜で滅んだ。
そこに赤髪のシャンクスの娘と自分の孫が向かった。
人間の手で滅んだとは思えないエレジアの廃墟には【魔王】が眠っている。
何を意味するのかガープは少しだけ理解した。
「止めなければいかんか」
「ああ、おれは退役した後、エレジアで見張るつもりだ」
「わしも同行しよう」
世界は滅亡の危機に瀕している。
そんな中で希望であった2人が災厄を撒き散らそうとしている。
堕ちた若き英雄たちを止めるのは老いぼれだけで充分だ。
向かい合った2人は頷いて元帥の執務室を後にした。
部屋に残された子電伝虫は二度と彼らに通話を促すことは無かった。
END