端切れ話(優しい太陽)

端切れ話(優しい太陽)


地球降下編

※リクエストSSです




 スレッタは幼い頃からずっと太陽は怖いものだと思っていた。生まれ育った場所…水星基地ではとても厄介な存在だったからだ。

 太陽フレアによるプラズマの大量放出は頻繁に起こっていたし、フレアがなくても太陽風という厄介な現象には常に悩まされていた。

 これにより基地は簡単に緊急事態モードに移行して、幼いスレッタはいつもエアリアルの元に逃げ込んでいた。

「太陽なんてなくなっちゃえばいいのに…」

 一度母の前で言って、叱られたことがある。

 その時は何で叱られるのか理解が出来なかった。だってあの厄介な天体さえなければ、水星基地はもっと安全な場所になるはずだからだ。

 子供心に納得がいかなかったが、母が叱りながらも悲しそうな顔をしていたのでそれ以上何も言わなかった。

 その代わりエアリアルに思うさま不満をぶちまけた。母に叱られた八つ当たりも混ざっていたのだろう、太陽に対しての『悪口』はいつまで経っても終わらなかった。聞いていた彼も困っていたかもしれない。

「太陽のバカ」

「こわい」

「きらい」

「なんでスレッタが怒られるの」

「う~」

 宥めるようにモニターをチカチカさせるエアリアルにも腹が立って、あの時の自分はまるで小さな怪獣だった。

 明瞭な言葉をすっかり放棄して泣きわめいて。顔をビシャビシャにした自分は、気付いた時には母の胸の中にいた。

 ゆらゆら、ぽんぽん、世界一安全な場所であやされて、母の胸にしがみついた。

「スレッタ、お母さんのこと好き?」

「だいすき」

「よかった。お母さんもスレッタのこと好きよ」

 母の言葉に安心して、もう一度眠ろうと目を閉じる。すると、ぽつりと母の声が聞こえてきた。

「太陽は強くて怖い星だけど、優しくて暖かい星でもあるわ。太陽はみんなのお母さんなの。だからスレッタに嫌われたらきっと泣いちゃう。私みたいにね」

 だから嫌わないであげてね。

 母の言葉を子守歌代わりに、スレッタはすぅっと目を閉じた。

 正直な所、スレッタは太陽がそれほど好きではない。もちろん今生活している宇宙…太陽系を形成した重要な恒星であることは分かっているし、みんなのお母さんという呼称にも納得する。

 けれど水星基地で暮らしている人々にとって、太陽はやっぱり困った存在だった。




 比較的大きな駅の構内で、スレッタは同行者の用事が済むのを待っていた。

 すぐ横で端末のやり取りをしているのは、最近ようやく見慣れてきた黒髪のエランだ。彼は必要な事をし終えると、担当した人にお礼を言ってチケットを受け取っていた。

 ジッと見ていたことに気付いたのだろう。彼は少し笑顔になると貰ったチケットを1枚スレッタに渡してくれた。列車に乗車する時に必要になるものだ。

「おまたせ、スカーレット。じゃあ行こうか」

「はい、エランさん」

 差し出してくれた手をしっかりと握り返し、スレッタはゆっくりと駅構内を歩いて行った。

 辺りを見ると珍しい事に、もう日が落ちそうになっている。時刻だけだと完全に夜だ。通常ならシャワーを浴びてさっぱりして、もう少ししたら寝る時間である。

 けれど今日は違っている。なんとエランがわざわざ路線を調べてくれ、夜行列車の予約を取ってくれたのだ。

 ほんの数日前に貨物列車に乗ったのだが、あれは荷物が主役で人は二の次の乗り物だった。少しの灯りもなく、外の景色も見れなかった。

 …スレッタ的にはまったく嫌ではなく、むしろエランにくっ付けて幸せな気分になれたのだが、体的にはおよそ快適とは言い難い乗り心地だった。

 今回はきちんと人間用の列車だ。スレッタは違いを堪能しようとわくわくしていた。

「列車にベッドがあるなんてすごいです。今回は個室…なんですよね?」

「そうだね。いくつか種類はあるけど、僕らが予約したのは一等だから個室になるよ。それより下だと他の人と相部屋になったり、座席しかなかったりするみたい」

「一等!それって一番いいお部屋ですか?」

「言葉の上ではそうだけど、上には特等があるからそれ程じゃないね。上等なホテルよりはよっぽど安い」

 機会があったら特等を予約してみる?というエランに首を振る。

 地球に来て思ったことは、何かとお金が掛かるということだ。防犯上必要なことに使うのは仕方ないが、スレッタの好奇心で散財させるのは気が咎めた。

「その、本当に興味があっただけなので。一度乗れば満足できる…と、思います」

 夜行列車の魅力に取りつかれてしまったらどうしよう。そんな事を思いながら、待機していた車掌にチケットと市民カードを見せて、今夜お世話になる列車に乗り込んだ。

 夜行列車の内装は、一目見ただけでも普通の列車とはずいぶん違う様子だった。

 狭い通路が続いていて、一定の間隔で横に通路が伸びている。スレッタは手を引かれながらも、興奮してきょろきょろと周りを見回した。

 いくつかの横の通路を通り過ぎると、先導していたエランが横に曲がる。目の前には何段かの階段とドアがあり、チケットと同じ番号が書かれている。きっとここが今夜の宿だ。

 先に入ったエランがいつも通りぐるりと部屋を見渡していたので、続けて入ったスレッタも真似をしてみた。

「わぁ、すごい」

 ほとんどベッドで占領されているが、そこは素敵な部屋だった。

 大きな荷物が置けそうな棚があり、簡易的な洗面所もある。何より目を引くのは窓の大きさだ。スレッタが両手を平げたくらいに広々としていて、とても開放的だった。

 少しはしたないが片方のベッドに手をついて窓の外を覗いてみると、先ほどまでいた駅の風景が広がっていた。

「ちゃんとした部屋なのに、外は駅です」

 よく考えれば普通の事なのだが、ベッドがある部屋にいるのに駅のホームが見える事に少々戸惑ってしまう。スレッタは混乱しつつ、同時に少しだけ恥ずかしさを覚えて振り返った。

「窓が大きいですけど、見られる心配はないんでしょうか?」

「この個室は少し高く作られてるから大丈夫だと思うよ。心配なら駅にいる間だけスクリーンを下げようか」

 確かに窓の上には小さく纏められた幕がある。エランが端に垂れているチェーンを引っ張ると、スルリと薄いグレーの生地が下がってきた。

 これで外からでは中の様子は分からなくなるだろう。スレッタは安心して体の力を抜くと、ついでにもう一つ気になったことを聞いてみた。

「エランさん、もうすぐ出発するんですよね?途中で夕日は見れるでしょうか」

 実は夜行列車で楽しみにしていたものの一つに、綺麗な夕日を見ることがあった。

 ついでに天体観測も出来ればいいなと思っている。もう一度エランと星を見たかったのだ。

 けれど目の前の彼は申し訳なさそうに首を振った。

「残念だけど…夕日は見れないと思う」

「え、そうなんですか…」

 もしかして、出発までに日が落ちてしまうのだろうか…。あとは、これから雨が降るとか…。

 シュンとするスレッタに、彼は続けてこう言った。

「夕日は見れないけど、代わりに朝日は見れると思うよ」

「そうなんですか?」

 その後、夜行列車は静かに出発した。

 スレッタは『朝日』という言葉を気にしつつも、初めての夜行列車を存分に楽しんだ。

 お喋りをしたり、外の景色を眺めたり…。十分に夜更かしをした堪能した後、それぞれのベッドに横になった。


「起きて、スレッタ・マーキュリー」

「んむぅ…えらんさん?」

 何となく睡眠が足りない気がしながらも、エランの呼びかけに答えてスレッタは起きあがった。…もう出発だろうか?

 目をこしこしと擦って窓を見ると、まだ空は暗い。いつもなら起きた時にはカラッと明るくなっているのに、随分と早い時間に起こされたらしい。

「ごめん、でもこんな機会はあまりないから。一緒に朝日を見よう」

「あさひ…」

 どうやら『朝日』を見るためにわざわざ早めに起こしてくれたらしい。いつも寝ている間に朝が来ているので、考えてみれば夕日よりも見るチャンスは少ないのだ。

 スレッタは顔を洗うと、しゃっきりとした顔で窓の外を覗き込んだ。先程よりもほんの少しだけ空の色が薄くなり、地平線はオレンジ色に染まっている。

「もうすぐ太陽が出るよ」

 エランの言葉に今更ながら緊張する。学園の疑似太陽を見慣れていたので昼間は意識しないで済んだが、よく考えればこれから姿を現すのは本物の太陽なのだ。

 体が熱せられないか心配になったスレッタは、とりあえず窓から体を離してエランの近くに移動してみた。今の自分にとっての世界一安全な場所だ。

 オレンジ色が濃くなり、隙間から光が差し込んでくる。太陽だ、と思ったスレッタはきゅっとエランの服の袖を握った。こちらは緊張しているというのに、彼はずいぶんとリラックスした様子だ。

「…朝日を見るとホッとするね」

 エランの言葉にびっくりする。彼が心の内を言葉にするのは珍しい上に、スレッタにとっては厄介者に対してのポジティブな感想だ。だからつい聞いてしまった。

「朝日で、ホッとするんですか?」

 スレッタの言葉が意外だったのだろう。エランは小さく目を見張り、すぐにしっかりと頷いた。

「最近まで宇宙にいたから、余計に太陽が恋しいのかもしれない」

「………」

 彼の言葉を聞きながら、スレッタは遠い昔の言葉を思い出していた。

『太陽は強くて怖い星だけど、優しくて暖かい星でもあるわ』

 窓の外に目を向ける。


 いつの間にか太陽は白っぽい色になり、周囲を爽やかな青色に染め上げていた。






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