僕針捏造外伝・アレクの場合
nano疑ってかかるべきだった。
遠征中の急な要請にパーティ全員が現場に向かえず、やむなくアレク一人が単独行動せざるを得なかったという状況。
「ある村の近くの森に凶悪なモンスターがいるらしい」と、妙に具体性を書いた救援を求める文書。
地図で示された座標は村の生活圏どころか主要な交易路とも重ならず、まるで誰かを誘い込むかのように孤立した区域にあったこと。
まっとうな意図の命令でないことは、少し冷静になって考えれば明らかだった。
結果としてアレクは人気のない森の奥にまんまと誘い出され――
――襲いかかってきた数十匹のブルームベアを一太刀で消滅させた。
「……さて、どうしたものか」
敵を屠った大剣を地面に刺したまま、木々と雲の間から覗く月を眺めて現状を整理する。
罠――ではあるが、アレクを殺そうとしたものではない。
「いくら何でも弱すぎる。多少の数を用意したところで、命を狙うどころか負傷させる意図さえ怪しかった」
戦力の分断が本命かとも考えたが、半日あれば行き来できる距離だ。こうまであっさり片付けられては、既に策として破綻している。
「と、なると――」
アレクが一つの可能性に行き当たった瞬間、背後から敵意を含んだ声が聞こえた。
「見つけた――!」
暗い森の陰から素早く飛び出す小柄な姿。月の光を淡く受けた手に長物があるのを確認した瞬間、アレクは反射的に地面の剣を抜いていた。
「やあぁっ!」
裂帛の気合と共に振り下ろされた剣を軽くいなして不安定な下半身に足払いをかける。
「――!?」
完全に意識の外だったのだろう、呆気なく重心を崩して転倒する相手が身体を起こす前に目の前に剣を突き付けた。
しばしの硬直。雲がはれ、月の光が襲撃者の全身をはっきりと映し出す。
短く切られた髪に長い襟巻の鎧姿。ほんの一瞬男性と見間違えるが、幼さの残る顔立ちは明らかに年端も行かない少女のものだった。
「いきなり斬りかかるとはご挨拶じゃないか、『勇者』」
「……どういう、こと……?」
「それはこっちが聞きたい、が……おそらく君が討伐依頼を受けた魔物は俺が既に倒した、という状況だろうな。立てるか?」
剣を鞘に納め、右手を目の前に差し出す。少しの逡巡の後、少女はアレクの手を取った。
「――それじゃ、あなたも王国からの指示で……?」
「ああ。君の指揮系統とは別の派閥だろう」
『勇者』のパーティは討伐の依頼を受けたものの、森を彷徨ううちにバラバラにはぐれてしまったらしい。
とはいえ万一の場合に備え、朝になれば森の入口で合流するよう取り決めているとの話である。アレクと勇者は森の中で簡単な野営の準備を行い、夜明けを待ちながら話していた。
「その、本当にごめんなさい。僕、魔物がいるって聞いてたからてっきり……まさか、別の派閥の目的って」
「失礼な話だが、不意を突いたところで君に俺が倒せるとは思えない。本来のシナリオなら俺が君の助けに入り、『勇者』を支援する陣営に貸しを作る、という所か……この森に入ったのは?」
「ええと、三日ほど前です……」
なるほど、と苦笑する。適度に苦戦した『勇者』パーティの前に颯爽と現れてピンチを救う算段のはずが、想定以上のスケジュールの遅れで先に目標に行き着いて倒し切ってしまった、というわけだ。
そのせいで肝心の『勇者』に魔物と間違えられ、命を狙われたとあっては笑うに笑えないが。
「それにしても、僕が『勇者』だ、ってそんなに有名なんですね」
「……自分が政治の道具でもある、という側面は自覚した方がいいかもしれないな。この国のお偉方の大半は君の一挙手一投足で進退が決まるといっても過言じゃない」
実際、『勇者』の存在を公表するかしないかでもかなりの議論があったらしい。周辺の大国への示威行為として有力である、という好戦的意見が優勢となった裏では、穏健派や消極派が発言力を失って議会のバランスが大きく変わったと聞く。
そうして国粋主義が進んだ結果、積極的に『勇者』に経験を積ませて一刻も早く戦力とすべきだ、と過激とも思える政策がほとんど反対なく可決されたとも言えよう。
あるいは今回の一件には、魔王の早期討伐が国家間の軋轢に繋がりかねないと危惧した勢力の介入もあったかもしれない。
身の丈に合わない敵戦力に単身突っ込ませ、不幸な事故で『勇者』が斃れるような事態となれば、少なくとも短期的な国力の均衡は維持される。
「残念だが、王国は有り余る力をまっすぐ目標だけに振るえるほど成熟してはいない。選ぶと選ばざるとにかかわらず、責任の一端は必ず君に生まれる……醜い話だ」
「……それが役目だから、ですか?」
「……ああ、そうだ」
暗い表情で俯く『勇者』に、アレクは言葉を重ねた。
「だから目標を決めるといい。これは先輩冒険者からのアドバイスだ」
「目標……って言われても……『勇者』の目標は魔王を倒すことじゃ……」
「それが心からの願いならそう決めるといい。だが――」
夜が白み始めていた。立ち上がって剣を構える。
「もしそうでないなら――もし心の奥に別の願いがあるなら」
地面に剣を突き立てると同時、森の奥に息を潜めていたブルームベアの生き残りが数体、咆哮をあげて迫る。
「それは君自身の生きる指針だ。国のために利用されるだけじゃない。自分の道は自分で決めろ」
大地が震動し、やがてそれが空気の鳴動に伝わっていく。大熊の巨体が震動に阻まれるように停止する。
「そろそろ時間だろう? 仲間の所に行くといい。俺も連れを待たせてるんだ」
静止したブルームベアの身体が次第に断裂を始め、粒子のように細かく分解されていく。
少女は眼前で繰り広げられた光景を眺めつつ、かろうじて頷くしかなかった。
アレクがパーティに合流した頃には、陽は随分と高く昇っていた。
「遅いの! 待ちくたびれて先にこっちで全部倒しちゃおうかと思ったの!」
ぷりぷりと怒るサンドラをちくわが制して問う。
「時間がかかっていたようだが、そこまでの強敵だったのか? 応援が必要なら向かっていたが」
「いや、どうやら誤報だったらしい。念のため一晩探したが、何も見つからなかった」
答えるアレクを見やって、ムサシが言った。
「……なるほどねぇ。アレク隊長様をわざわざ呼び立ててロクな成果が得られなかったとありゃぁ、お上の責任問題にもなりかねんな」
真相はほぼわかっている、と言いたげな口ぶりに、アレクも笑みを漏らした。
「全くだ。アレクサンドラ隊も他のパーティも自分の仕事で手一杯だというのに……きっとかの『勇者』の一団でさえ同じだろう」
……『勇者』が森の入り口に辿り着いた時、既に残りのメンバー全員が揃っていた。
「やっと来たか……じゃあ改めて、魔物の討伐に向かおうぜ」
不満顔のケンシに、『勇者』は首を振って答える。
「ううん、もう必要ないよ」
「必要ないって……まさか勇者一人で終わらせた、ってわけじゃないでしょ?」
半ば食って掛かるように口を出すティゴに委縮してしまうが、それでもいないものを探し回ることはできない。
「そうじゃなくて、森の中で会った人が――あ」
「勇者様、どうしました?」
訝しむカスパーの問いかけで、『勇者』は初めて気づいた。
「……名前、聞いてなかったな」
暗く光の届かなかった森の中心は、地形ごと木々の並びを変えて朝日を地面まで落としていた。