傍目
赤髪立ち入り禁止スレのアレ モブから見た鰐バギおかしい。我々は完璧だったはずだ。
海賊王の船員、インペルダウン大脱獄首謀者、クロスギルド総帥、四皇。生きる伝説と言っても過言ではない男、千両道化のバギーを捕らえた。
"海兵狩り"への商談を装っておびき出し、特別濃度の濃い海楼石の首輪を嵌めて無力化した。流石に力が入らないらしく暗い地下牢でぐったりと横たわっているそれは、紛れもない勝利の証だ。
「……なァ~~、ボスなんざ放っといて本気で逃げた方がいいぜ、てめェ。あとついでに首輪も外して?クツ舐めていいから……」
なのに、この緩すぎる態度は何だ。
「この状況で交渉とは大した余裕だな」
「へ?交渉だァ…?っはは、する意味ねェだろばぁか、……どうせみーんな死んじまうんだぜェ……」
皆殺し。気怠そうに口にして、バギーが目を閉じる。悪魔の実の能力、どころか立ち上がる力すらも奪われておきながら、まだ策があるというのか。怖気を振り払うようにあえて牢へ近寄れば、はあっと心底嫌なものに対する溜め息が返された。
「クロちゃん、無能に容赦ねェし」
「……クロコダイルのことか?」
「ん、…あ、ヤッベ、外じゃマズいんだった…でも、頭ぐるぐるしてるからよォ…あァ~~、ゴメン…やっぱ死刑確定だわ、てめェも。ぎゃはは、…はぁ…だりィ…」
瞼を開いて、またバギーが笑う。ぼんやりとした目は、ただただ過去しか見ていない。詰め寄るこちらのことなんて、…思わず歯噛みする。
クロコダイル。七武海として英雄視されておきながら、裏では秘密結社によるアラバスタ王国乗っ取りを企て——結果的にはインペルダウンに投獄されることになったが、後の大脱獄の最中に千両道化のバギーのカリスマに魅せられてクロスギルド立ち上げに関わったと噂されている男だ。
しかし、まさか個人的な仲でもあったとは、…"商談"に常に同行をする訳だ。徹頭徹尾で隣から離れようとしない忠誠心に骨が折れたことを思い出す。
「あの男なら、お前を確保した時点で殺す手筈になっている。扱いにくい駒は不要、神輿だけ手に収める。それが我々のボスの考えだ」
「あ、そう。…扱いにくいはわっっかるわァ~~…ボスってのはあの髭モジャの爺さんかァ?握手ぐらいしといたらよかったぜ」
バギーがまた溜め息を吐きながら体を起こして、ひらひらと揶揄するように右手を振る。一度、二度、そうしてから力が入らないのか手が糸を切られた人形のようにかくんと落ちて、またゆっくりと持ち上がる——
「……何をしている……!!」
「へ?クロちゃんから預かってた葉巻……にー…、…おォ。火ぃ点けた?」
いつの間にそうしたのか、二本指で葉巻を挟みながらバギーが首を傾げる。相変わらず気怠そうではあるものの、余裕はそのままだ。
白い煙が立ち上る。か細く揺らめいていながら、あっという間に広がっていく強い香りは、首輪を着けられてなお怯まない男そのもののようだ。
「あ゛ー……睨むんじゃねェよ、冥途の土産だ。おれ様、どうせ死ぬならハデ死がいいと思ってるからよ」
「ふざけるな!お前の能力は封じている筈だ、それを……クソッ!どこから」
「はあぁ??道化がカラダに手品のタネ仕込んでるのは当然、そこは能力使うまでもねェだろ」
……能力を使うまでもない。全ては死ぬ。冥途の土産。派手な死を。当然とばかりに吐かれた言葉が、焦燥感と共に頭をぐるぐると回る。
落ち着け。絶対的に有利な筈だ。なのにさっきからのこいつの態度はなんだ、異常すぎる。
——クロちゃん、無能に容赦ねェし。死刑確定だわ。
そもそも、四皇が抵抗らしい抵抗もなく捕縛された時点でおかしかったのか、これは最初から。
「いい加減にしろ」
絞りだした声は震えていた。邪魔者を排除したならば、なぜ誰も来ないのか。無力化された四皇なんて格好の見世物だというのに。
あまりにも静かすぎる。下らない会話が、主導権を握るための演技だったとしたら。自分の息が荒くなっていくのがわかる。
『聞き分けが悪い場合に』と用意された、身の丈近い大鋏を掴む。牢の扉の鍵に触れれば、バギーが目を見開いて、…やはりどうでもよさそうに葉巻を唇に近付けていく。
「状況を分かっているのか?全てはこちらの気分一つだ、それこそ能力を使うまでもなく」
「……わかってねェのはてめェらだっての、もうココはドデケぇ棺桶だ。脅されようが今更…な~んで逃げられるのに逃げねェかなァ…おれ様なら絶対とんずら一択だった、ッァ…!」
髪を引っ掴んで床に叩きつけてそのまま馬乗りになれば、ようやく口が閉ざされる。取り落とされた葉巻からは、まだ煙が揺れている。天井に向かってゆらゆらと、まるで嘲笑っているように。
潰してやる、ああせっかくならこいつの手を使ってやろう。四皇である己を囮としても構わないほど愛おしい相手のものなら、痛みなんて感じない筈だ。
百戦錬磨の海賊にしては随分と細い手首を掴む。煙は揺れている。相変わらず、いや、それまでよりも大きく……大きすぎる。
「!!な、何が……!!?」
揺れているのは、天井だ。馬鹿な、こんなタイミングで地震でも起こったとでも、考える間もなくパラパラと天井だったものが剥がれ落ちて来る。視界が遮られていく。埃、ざらざらとした粉、……砂。
「——ハ。小物のジジイにしちゃあ、忠誠心の強い犬を飼っていたらしいな」
低い声と共に、視界が晴れる。檻を挟んだ外、手の中で小さな砂嵐を弄びながら立っているのは、この場にいてはならない、生きているはずのない男だった。
「クロコ……ダイル……」
「……ほォら、な?ドハデな死刑執行人だろ」
待ち望んでいた助けが来たにも関わらず、バギーの表情は変わらない。薄く笑っている、そのままだ。
全てわかっていたから感動はない、ということなのか。自分もボスも何もかも、手のひらの上で踊らされて、体が情けなく震えるのを感じる。
「クハハ…随分と洒落たアクセサリーをもらったもんだな、バギー。似合ってるぜ」
「!だろ!?だろだろォ~?……、だからァ……ゴメン♡ここは見逃してクロちゃん♡」
「断る。…無駄なトラブル起こしやがるマヌケ野郎を置いておく趣味も義理もねェ…」
「あぁ~~やっぱりィ……血も涙もねェ……砂だけに……」
クロコダイルに名を呼ばれるや否やの媚びるような甘い声も、そのまま敵の助命を乞うなんて悪趣味な冗談も、もう全てが決まっているからなのだろう。
もはや何をどこまで聞かれようと構わない、この場で消せばいいのだから。それだけの力を持っているからこそ、こちらが人質を取っている事実すら無いように、まるでこれがいつも通りだというように、互いだけを見て睦言を交わすことができる。だが、それは裏を返せば。
「!ァぢ…ッ!」
床に転がったままの葉巻に、バギーの手を擦り付ける。ジュッ、嫌な音を立てて火が消える。葉巻本来のものとは違う、肉が焼けるニオイが立ち上る。
クロコダイルの眉間に皺が寄る。愛する者を傷付けられたとなっては、流石に冷静ではいられないらしい。
「"砂漠の"——」
砂嵐を弄んでいた手が、ゆっくりと振り上げられる。間違いない。
「う……動くな、クロコダイル!動けば——」
致命的な弱点だ。喉へと刃を突きつければ、ひゅっとバギーが息を呑む。無理もない。能力を封じられていては、お得意の切断マジックも不可能だ。
黒目を揺らがせて、か弱く縋るような目は演技なのか本心なのか、いやどちらでも同じに違いない。相変わらず、バギーの目が映しているのはクロコダイルだけなのだから。
目を合わせたまま無言でいること三秒ほど、ククッと喉の奥で笑ってクロコダイルが振り上げた手を下ろした。
「アー、前置きはいい。そいつをヤりてェなら、どうとでも好きにしな。手間が省けて助かる」
そのままお手並み拝借とばかりにどかっと座り込んだかと思えば、また心からおかしそうに笑いを漏らす。どういうことだ、総帥であり恋人を差し出すなんて、……どうされようと変わらない、とでも言うつもりなのだろうか。
何をしようとお前なんて所詮は前座、海よりも深い蜜月を崩せるなんて思い上がりだ、笑わずにはいられないと、ちくしょう、
「おい…!!こちらは本気だ!動けば——お前の恋人の命はないと思え!!!」
「…………………………は?」
「ひゃ…………ひゃい…………?」
————ピシ、空気が凍り付く音が聞こえた気がした。