俺の愛妻が!

俺の愛妻が!


今日は愛妻の日である。……という訳で、我が愛妻、マンハッタンカフェを全力で労って愛でようと思う!

 発端はカフェの学生時代からの友人、ライスシャワーの元トレーナー、現夫。「お兄さま」と呼ばれていたのがすっかり愛称として定着してしまった男である。先週の昼食の席で一緒になり、その折に「愛妻の日」の話題が出たことで、その日をカフェの為に使おうと思い至ったわけである。

 娘達には事前に行うべきトレーニングの内容を伝えてある。今までも出張その他で娘達だけでのトレーニングを行わせることもあったが、今回は完全に私情だった。一応放課後のトレーナーは外出するのも認められてはいるが、妻のためにというのはあまり公にすべき理由ではなさそうだと感じた。そのため、娘達を始めとしてあちこちに口裏を合わせてもらってある。

 娘達だけでトレーニングを行わせることについては、現役時代にカフェのトレーニングを見守ってくれて、今では実践しているサンデーがいることもあって不安はないが、流石に不満そうにしていた。ので、弁当だけではなく夕飯にも腕によりをかけたものをご馳走するということで納得してもらってある。


🕓️


トレーニングを三人に任せ、家路につく。我が家はトレセンからさほど離れていないこともあり、四時を数分ほど過ぎた時間帯で、既に夕日に照らされていた。そのまま扉を開け、ただいま、と呼び掛ける。奥の方から驚きの混ざった声で返事が返った。早く帰ってくるとは伝えたが、ここまで早いのは予想外だったらしい。

 手袋を外しながら上がり込み、手洗いを済ませて居間に向かうと、扉を開け、こちらを出迎えようとしてくれているカフェと鉢合わせた。明るい表情になったカフェと一緒に部屋に入り、そのまま抱き締める。

「ただいま、カフェ。愛してるよ。」

彼女は普段の声よりも高めの悲鳴を上げて固まってしまった。不意打ちは大成功といった所だろう。そのまま背中を撫でていると、ふふ、と笑みながら頭を擦り付けてくる。

「いきなりなんて、もう……。私も愛してますよ……。」

喜び一色の抗議の声を上げながら、俺の背中にも腕が回される。外の空気で冷えた体には、ウマ娘の高い体温がたまらなく心地よい。数十秒ほどそのまま抱き合い、腕が離される頃にはすっかり体も暖まっていた。

「暖まりましたか?」

微笑む彼女に肯定を返し、スーツ姿から私服に着替えに向かう。

 戻って来ると……今度はソファーの上でカフェが手招きしていた。

「部屋の外も寒かったでしょう……?」

確かにそうだった。ので、遠慮なくカフェを膝に乗せて抱きしめ、暖まることにする。また少しだけ冷えた体に鮮明に感じられる熱と、二十年近くほぼ変わらない、幸せな重み。昔と比べて柔らかくなっただろうか、と思うこともあるが、口には出さない。

「手も、冷えてしまっていますね………」

お腹に回した腕に手のひらが重ねられる。これまた暖かく、心地よい感触だった。夕方のニュース番組を眺め、しばし暖を取る。

 手に熱が戻った所で、改めて彼女の手を眺めると、全く年齢を感じさせず、「白魚のような」という形容がふさわしい、綺麗な手をしている。細身でありながら家族の為に水仕事から何からをこなしてくれている逞しさを感じた。そこで、ふと思い付く。

「カフェ、いきなりだけど手のマッサージをしてあげる。手の方はほとんど素人みたいなものだけど……君にしてもらってるから、ある程度はやり方を覚えてる。」

脚と腰回りのマッサージはトレーナー業に役立てるため、耳は趣味(?)の為に方法を把握し、実践の経験もあった。しかし掌に関してはカフェにしてもらうばかりで、カフェ自身も専門知識を持っているというわけではない。しかし、愛妻からのマッサージというのは、実に良く効くものだった。愛妻を愛でることは達成しつつあるので、労る方に移行しようというわけである。

「はい。では、お願いしますね……でも、このまま膝の上で、してもらえますか……?」

期待の色が込もった声だった。無論、断わる理由などない。

「もちろんだよ。痛かったりしたら言ってくれよ……」

 ソファー前の机に置いてあった普段使い用のハンドクリームを取ってくれたカフェに礼を言って、クリームをの右の手の両面に軽く塗り広げ、まずは手の甲をなぞるように撫でてゆく。中心から左右へ、手首から指先へ………

「ん……手が、ぽかぽかします……」

「うん。上手くいってるかな……?」

見よう見まねだったが、幸いにしてもう効果があったようだ。

「よし。じゃあ次は手のひらだな……」

掌の内にある指の骨に親指を沿わせ、手首から指の根元にかけてを揉み流すと、カフェがくすぐったそうに声を漏らす。彼女にしてもらっている時もくすぐったく感じてしまうことはあるが、反応があると楽しくて、丹念を通り越して少しだけ執拗に撫でてしまった。揉み返しを起こすような強さにはしなかったが、このちょっとしたいたずらはバレていたらしく、ぷくりとわざとらしく頬を膨らまされてしまった。

「うん。ごめんよ……それじゃあ指ね……」

今度は指の付け根を改めて解し、、まずは小指から順に絞り出すような動きでぎゅっ、ぎゅっと揉んでゆく。指四本を済ませ、親指にある母指球を円を描くように刺激する。仕上げとばかりに、小指の先、爪の根元を人差し指と親指で挟み、力を込めて数秒。カフェが長い息を吐いた。

「俺はコレされるの好きなんだけど、カフェはどう?」

爪の付け根は俺にとって自分で押してみても効き目を感じられるツボであり、他人にしてもらうとあればなおのこと気持ちよく感じられる場所だ。

「うん……気持ちいいです……」

続けてほかの指のツボにもじっくりと力をかけてやり、仕上げにこれまでの工程をもう一セット。これで右手の分が終わった。

 そこで気づいたのだが、カフェがこちらにもたれ掛かるような体重のかけ方をするようにになっていた。実に上手くいっているようで何よりだ。

「次は左手に行くね。」

「お願いします……」

リラックスして思考も緩やかになり始めているらしく、受け答えもゆっくりとしたものになっている。右手より穏やかに、丹念さは失わないように、じっくりと揉み解す。途中で声を漏らす頻度が上がっていた。可愛いと思うが、楽しむよりも彼女を癒すことに集中する。

 両手分が終わった頃には、カフェはすっかりふにゃふにゃになっていた。

「すごく、上手でした……ありがとうございます……」

「どういたしまして。上手くいって本当によかったよ……カフェがしてくれてるおかげだ。」

「そうでしょうか?……とにかく、気持ちよかったです。また、お願いしても構いませんか……?」

「もちろん。」

穏やかな声でのやり取りをしながら、しばらくニュースを眺めている。

「そういえば、俺の弁当はどうだった?流石にカフェの腕とは比べられたものじゃないけど……」

「美味しかったですよ。……もしかしてですが、あれはタキオンさんの所から……?」

「うん。俺が料理をする機会に備えて、あのモルモットから教えてもらったんだ。だから、俺の技術はともかくとして、栄養とレシピはバッチリのはず。」

「なるほど……」

 そんな話を続けた所で、机の上に置いた携帯が震えた。

『トレーニングは無事終わった』

『今から帰る』

『言いそびれてたがパパの弁当も美味かった』

サンデーからの連絡だった。

「そろそろか。ちょっと名残惜しいけど、夕飯の準備をするよ。」

「楽しみにしています。……何を作ってくれるのか聞いてもいいですか?」

「オムライスの予定だよ。」


🕕️


 三人娘の「ただいま」の挨拶に出迎えにゆくと、サンデーは面食らったような顔、ダムールは満面の笑顔、カプチーノは微笑みで答えてくれた。

「なんというか……新鮮だな……」

サンデーが呟く。そのまま全員分の弁当箱を洗い…… 

 しばらくして、夕食の時間になった。

「今日の夕飯はオムライスだ!」

三人娘と俺の好物、カフェの得意料理の一つ。彼女は時折隠し味を加えていたりするのかもしれないが、特段自己流のアレンジは加えない、極めてオーソドックスなオムライスだ。娘達とカフェは目を輝かせている。

「カフェには叶わないと思うが……それじゃ召し上がれ……」

サラダ、コンソメ(粉末)スープ、オムライスという洋食然としたメニューである。

「うん。ちゃんと美味しい。」

「ママのにも負けないくらい美味しいわ!」

「心配しなくても、こっちも美味いぞ。」

「とっても、美味しいですよ。」

全員から好評のようで、胸を撫で下ろす。自分でもオムライスを一口食べてみるが……成る程。飾り気は無いが、堅実な味だ。卵の柔らかさも申し分無く、ケチャップライスの味にもムラはない。大成功と言ってよいだろう。

「うん!美味いな!」

自分でも満面の笑顔になる。

夕食を平らげ、皿洗いを始める。カフェは今度はカプチーノの膝の上で、四人揃ってドラマを見ているようだった。食卓の家族の笑顔を思いだしながら作業をしていると、あっという間だった。自分の頬も緩んでいたろうか。その後姉妹達は風呂に入り、それぞれの自室へと向かった。再び、居間でカフェと二人きりになる。

「景福さん、今日は本当にありがとうございました。」

ソファーで隣り合い、微笑みを浮かべたカフェが言う。

「普段カフェには本当に色々してもらってるから、俺もこれくらいはしなくちゃ。また、俺にも色々任せてくれ。」

「では、たまにお言葉に甘えさせてください……」

「喜んで!あ、でも娘達だけにするのはあまりよくないから、今度は休日にね。」

「ふふ……わかりました。ところで、ですが……」

そこまで言って、彼女はすこし悪戯っぽく笑う。

「愛する妻にすべきことが、まだ……残っています。」

目を閉じて、腕を広げた姿勢。そうだ。愛妻を愛でるつもりだったが、今日は一度もしていなかった。カフェを抱き寄せると、彼女も応えて抱きしめてくれ、そのまま、口付けを見舞う。そのまま数十秒、お互いの感触を味わい……体を離した。この二十年近く、何度しても飽きることはなく、これからも飽きることはないだろうけれど、歯止めが効かなくなっても困るので今はこれだけに留めておいた。

「後でまた、抱き枕にしたりだとか、あなたの望むまま、沢山……愛してください。」

幸せそうに微笑む愛妻もまた、いくら見ても飽きることはありえない。


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