修羅と仏:急

修羅と仏:急


金獅子のマリンフォード襲撃を乗り越え、俗に言う「大海賊時代」が始まったその年に、ロシナンテは15で海軍に入隊した。

消えたフェスタ、未だ捕らえられぬ"鬼"の跡目、各地で勢力を伸ばすロックス海賊団の元構成員に、ロジャーの処刑後も増え続ける海賊。我が子を海兵にするような時世ではないとゼファーに苦言を呈されながらも、私は意思を曲げなかった。

海兵になれと言った夜、観念したようなロシナンテに「能力者だから泳げない」と告げられた時はひっそりと枕を濡らしたものだが、海兵として任務にあたる彼はいつでも誠実だった。

動乱の時代に海兵となったロシナンテは、正直で、人一倍の正義感を持つ男になっていった。入隊から7年が経つ頃にはその肩書は東の海支部の見習いから海軍本部中佐へと変わっており、大将を務める私直属の部下の一人になっていた。

その間、本当に色々なことがあった。

度重なるバスターコール。金獅子のインペルダウン脱獄。海賊どもの非道は止まることなく、我々海軍にとって、そして守るべき世界中の人々にとって苦しく厳しい時代が続いた。

そんな中でもロシナンテの周りには、不思議といつもどこか和やかな空気があった。

なぜか大量のみかんを片手に本部に戻ったあいつはすっかり血の気の多い愛煙家になっていて、執務室に勝手に暇を潰しに来たガープが、東の海勤務を勧めてきた元凶の癖に大笑いしていたり。

オハラの件から掲げる正義を変えたクザンや今は白猟の通り名で呼ばれる後輩に、度々呆れられながらもドジのフォローをされていたり。

ばったり出くわした任務帰りのサカズキ相手ににこやかに挨拶して、彼の部下たちをざわつかせたり。

おつるさんの見立て通り内部監査や潜入調査で才を発揮し、中佐という階級にそぐわぬその腕っぷしに首を傾げる新兵たちを煙に巻いたり。

気が緩むとも違う穏やかさを纏ったそれは、言うなれば"こいつは自分の味方だ"という信頼に因るものに違いなく。いつの間にか私の背すら追い越したあいつは、そんなほのかな温かさをもたらす何かを備えていた。


「北の海の潜入任務、おれに行かせてください」

22になった時、北の海で最も危険な海賊、ドンキホーテ・ドフラミンゴの下への潜入任務にロシナンテは志願した。

「珍しいな、お前が潜入先を自分で選ぶなど」

「……」

「…何か事情があるのか」

ロシナンテは努めて長く息を吸い、細く細く吐き出しきってから、こう言った。

「兄なんです」


ドンキホーテ・ロシナンテ。

あの小さな子どもの手を取ってから14年。それが、我が子のように愛した男の名を知る、たったそれだけのためにかかった時間だった。

「兄は…おれのことなんて忘れているかもしれません。でもおれは、兄のことをまだ覚えているから」

だからどうか行かせてください。兄を止めに行かせてください。

こと潜入任務において、私情は命取りでしかない。

だが私にはどうしても、その願いを無下にすることだけはできなかった。

ロシナンテは、昔からわがままを言わない子だった。時折"敵対者"に対し苛烈な面を見せることはあれど、心地良い雰囲気の中で他愛ない言葉を交わして笑うのが好きな男だった。積み上げられたままの隠し事を、優しげな空気で囲い合って。

だからこそ。

その願いが14年かけてようやく絞り出した小さな信頼の形をしていることに、私は気付いてしまったのだ。


ロシナンテの最後の連絡から、11年が経った。

天竜人の血の病。地上に降ろされた落とし子たちの、血塗られた末路。そしてロシナンテたち兄弟が、天に住まう者たちの中でもいっとう濃い血を継いでいたこと。私がそれらを知れたのは、元帥の地位に就いてからのことだ。

ロシナンテは、正直で、人一倍の正義感を持つ海兵だった。

かつて共に正義を背負った者は皆、あいつのことをそう評するだろう。

だが私は、私だけは語られぬものがあることを知っていた。知っていたのだ。

生きているのかどうかすら分からない、血の繋がった家族。

海兵になれと言われ初めて告げた、その身に宿す悪魔。

血の病を知らずにいたはずなのに、頑なに明かさなかった名前。

出立の日に交わした、最後の言葉も。

「そうだ、任務が成功したら、獄中の兄にもお祈りを教えてやってください」

正義のコートを脱いだあいつに、そんなものお前が教えてやればいいと言えたなら、無事に任務を果たしたお前を迎えてやれたのか。

もはやどれだけ積み重ねられていたかも分からぬ隠し事を、もっと早くにひとつでも拾い上げていたならば、私たちには違う未来があっただろうか。

あいつの"血を分けた家族"の声を聞いたその時から、一度も鳴らぬ電伝虫にそっと手を置く。

ロシナンテ、私はお前の父に、お前の家族になれていたか。


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