信仰とは、つまり肯定であろう:急

信仰とは、つまり肯定であろう:急


うるせえ、うるせえうるせえうるせえ、何もかも。


おれに向かって王やら夢やらを求めた奇特な連中を引き連れて、丁寧に丁寧にクズ共の命を狩っていく。少し力をつけてしまえば、獣の狂気に酔いしれた人間共など相手にもならなかった。

死体が見つからなかったというそれだけの事実をよすがにして、おれは弟を探し続けた。クズ共の街には、ロシナンテはいなかった。うまく逃げたのか、攫われどこかに売られたのか。何の手がかりもないまま、手当たり次第に捜索を進めた。

数年もすれば、おれたちにはいくつか組織を作るだけの金と力とが備わっていた。

適当にも程がある理由で勝手に隣町を焼いた時には殺してやろうと思ったもんだが、この頃になれば流石にこの人間たちを切り捨てるのは悪手だとおれも理解していた。

それに、人手も増え最高幹部と呼ばれるようになった連中はおれの逆鱗を学び、弟が間違いなく居ないと分かるまで独断で動くようなマネはしなくなっていた。探し物の邪魔さえしねえなら、夢くらいは見せてやってもいい。おれを王と定める人間たちとの関係は、おれにとっては利害の一致がもたらした一時協定にすぎなかった。

海賊団の旗揚げにあたり、おれは最高幹部にそれぞれ組織を任せることを決めた。

コラソンは傭兵団と医者の管理、トレーボルは奴隷とクスリの取引、ディアマンテは賞金稼ぎの派遣、ピーカはカジノやオークションの経営が専門になった。おれはそれぞれのバランス取りをしながら、目立つ悪党共を放り込んだ海賊団の船長として海を渡った。

弟が北の海から出られる可能性は相当低い。懸賞金は本部の海兵がすっ飛んでこねえ程度、つまり、北で最も高いが偉大なる航路じゃ大したことのねえラインを狙った。船も服も、一目でそれと判るものに。噂を聞いた弟が門を叩けるよう、ひとまず誰だろうが傘下に受け入れるという体制も布いた。

家名を掲げ世界政府に目を付けられようとも、ロシナンテに手が届く確率が少しでも上がるなら、そんなもんは気にするほどのことではなかった。連中はこの世界を確かに支配しているだろう。だがそれはこのおれの壊れた世界を、弟の存在を諦める理由には到底足りねえ、客観と合理の上の一つの要素でしかなかった。

獣共への憎悪は忘れようもなかったが、十年が経つ頃にはおれは下界の連中にもそれなりに差異があることを認めざるを得なかった。おれがどれだけ胡乱な目を向けようとも、最高幹部たちがおれへの肯定を取り下げることはなかったからだ。

弟さえ見つかればすぐに捨ててやろうと考えていた人間たちの王座は、気付けば血に因らぬほのかな熱を帯びていた。そしてそれは、暗い底まで沈んだおれの世界をそうと分からねえほど少しずつ、だが確実に引き上げていたのだ。

死のぬくもりを浴び続ける場所に立ちながら、おれはいつしか血の繋がらない仲間を得、獣の秘匿を分け合う相棒を手にしていた。


「……ロシナンテ」

弟だと、一目で判った。

おれと同じ金の髪と僅かな歪みすらない赤い瞳、そして、深い深い血の匂い。

ディアマンテの報告通りのやり方で人間を殺した弟は、沈黙の中からおれを見つめていた。

その熱く甘い血の奥から、獣の声は聞こえない。

賞金稼ぎの組合をおれの傘下と知らず訪れたらしい弟には、おれに会いに来るという選択肢は初めからなかったらしい。ドンキホーテ海賊団の名もおれが船長を務めていることも情報として知ってはいたようだが、それだけだった。

物言わぬ弟は、おれに肯定を齎した遠い日のその更に向こう側の時間に位置しているように思えた。言葉が出るのがひどく遅く、何を考えているのかてんで分からねえ顔でおれの後ろをついてきた姿など、おれはとっくに忘れていたが。

そう、当時おれはようやく取り戻した弟の、唯一の肉親の扱いを決めあぐねていた。

母がかつて優しいと形容したその心は、人間への強い警戒に覆われ影すら見えねえ有様だった。休息中だろうが食事中だろうが常に武器を手放さず、それどころか与えた部屋のベッドすらまともに使われた形跡がなかった。誰彼構わず殺気を振りまく癖は最高幹部がおれたちの血を知ってなお共にいると分かってからはマシになったが、それ以外はまあ酷いもんだ。

嫌に凪いだ瞳は、血と死のぬくもりの傍でほんのひと時生気を帯びる。経験としてもコラソンやディアマンテの報告内容としても知っていたことだが、そりゃあ人間が夜に眠るような、生理的な反応に過ぎねえ。

獣を狩ったあの日から、積み重ねた死の上でしか生きられなくなったおれと同じだ。

それでもおれは黒い汚泥の底から14年をかけて、ただただ何者をも殺し尽くす以上の生き方を得てきた。おれを信じた頃の弟が、当然のように持っていたものを。

全てを奪われたドン底からこの手で奪い返してきたそれらが、おれの世界を証明した弟の手に何一つ残っていないなど、許せるはずもなかった。


目の前で、ブヨブヨとした触手を伸ばすナニカが吹き飛んだ。

アジトの壁を突き破り、仰天するバッファローの頭上を越えて床に叩きつけられたそいつは、霧が晴れるように揺らいで消えた。

コラソンの任を継いだ弟の、ロシナンテの凪いだ両の目がおれを見上げている。

相も変わらずクソみてェな目つきだ。何者も信じず、故に波打つこともない。

そうなってすらまだ、お前はおれの世界を信じているのか。

部下に悟られぬよう動かしていた指先に一瞬だけ視線を向けた弟の背が、何を語るでもなく遠ざかっていく。脈絡を持たない暴力に怯え遠巻きに己を見送る人間たちに、意識を向けることすらせずに。

世界の肯定、知覚の証明。

暗い泥の中を掻いていた手が、空を捉えたのが分かった。

産まれながらに歪んで壊れ、狂ったままのおれの世界に、あの弟は躊躇いなく触れるのだ。醜く蕩けたこの瞳を美しいと微笑んだあの日のように、今も。

怒りと憎悪の水面に顔を上げ、世界は再び呼吸を始めていた。


我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う


己の血の中で、醜く喚く獣の声が止んだ。

太陽の光の下でなお暗い深海の眠りの底から、懐かしい母の子守歌が聞こえてくる。

足元を小さな白い触腕に引かれるまま抱え上げたその躰は既に熱を失い、しかしその生を示すように静かに寝息を立てていた。

甘い熱を放っていた血はあの美しい琥珀の卵の、冷たい海の香りを溶かし込んで夢に根付いたらしい。

大聖堂に横たわる獣の骸をイトに変えて弟を隠し、ローをアジトに送り届け、おれは一つの予感に突き動かされるままイカれた医療者共の根城に舞い戻った。

凪に覆われたこの街ではもう、血に宿る獣の唸りも頭上からの呼び声も不吉な鐘の音も何も、頭蓋の内を掻き乱すことはない。

これで"仕舞い"なのだと、瞳を開いた糸の悪魔が囁いていた。

はたして狂人どもの夢の残骸には、弟が歩んだ悪夢の証明が残されていた。

かき集められた山のような専門書の一冊に及ぶほどに分厚い紙の束は、おれに宛てられたものだった。

あいつのために全てを差し出すと言い放った、あの白い赤子ではなく。

「フ、フフフフ…」

なるほど、なるほど、なるほど。

「フッフッフッフッフッ!!!!」

がらんどうの街に、狂った男の哄笑が響く。

資料の中の弟は、歪んだ知覚と暗い狂気を指差し啓蒙と神秘の名を与えた。

血に継がれる獣と"神"、遺志を継ぐ狩人、この世界を見下ろすあの赤い月と軛。

獣を狩り人間を殺し、人ならぬ者どもの悪夢までも終わらせたロシナンテは、狩りの成就のその果てに"おれたち"の総てを証明したのだ。

酷く脆く崩れた怒りと憎悪の足下に、赦しを求めた幼い己が顔を出す。

何を泣いている?もう、そんなもんは必要ねェだろう?

さあ、立って笑えよ。最早誰だろうが、おれを否定することなどできやしねェんだ。

啓蒙的真実の名の下に、実在の証明を齎されたおれの世界が瞼の裏側で青く光る。

もういいだろう。戦いは終わった。

世界は今、ただ一つの瑕疵もなくこの頭蓋の内に完成されたのだ。

獣は呪い、呪いは軛。

呪われた血のおれたちは、炎の中で狩られるそのためだけに産み出された。

ただ、それだけの話だ。

そして、そうあってなお、灼けつく獣の一匹が、この凪いだ断絶の守り手として定められたというのなら。

一人残された無風の街で、冷たい静寂の支配する大聖堂を仰ぎ見た。

受け継がれる意志がいずれ青い海の夢すらも狩り出すのならば、瞼の裏に閉ざされた世界でおれは、美しい沈黙を守る秘匿となろう。

いつか、炎の中に瞳を閉じるその日まで。





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