保守供養

保守供養


 

  “寿命を計るよりも、生の輝きを追究せよ”とは。

 命尽きるまでの間に何ができるのかという疑念を須く模索し続けるべきだという意味だ。

 その言葉を遺した偉人は果たしてどこの誰だったのだろうか。いつの時代を生きていたのだろうか。キモリ・ジュプトル・ジュカインの一族に根付くこの古諺の語源は未だに解明されていない。傍から聞けば立派な精神論を掲げているが、来歴もはっきりとせず人知れず浸透している故事に奇妙な執念を感じる。一説によれば、異世界かはたまた平行世界の英雄の因果が、時空を超えてまで血脈に刻み込まれているのだとか。

 だから俺たち、もとい俺は、例え突然奇病を発症してあと余命三年ですと診断されても、恐らく平然としてしまえるだろう。

 これは一族の長から聞いた話だ。

 魂というものは視えない細胞で構築されており、接触どころか言葉を交わすだけで粒子状に分解されて磨り減るのだという。人間もポケモンも皆、無意識に己の魂を削り、誰かに分け与えている。誰かに分け与えられている。まるで植え替えでもしているかのように。

 自分の言葉、生き方、形振り、思想、信念。諸々あるが、強い想いは魂を通じて伝播し、他の魂に刻まれていく――それが他者と接することだと。

 来る消滅の時に備え、魂が磨り減っていく中、己が腕の届く範囲で何ができるのか。己自身に命題を課せと。古諺らしく説教くさい、加えて抽象的だ。どんな背景があればこんな堅苦しい言葉が生まれたのやら。暗黒の未来でも迫っているとでもいうのか。

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