依々恋々怪獣アンビバレンス

依々恋々怪獣アンビバレンス


一瞬だった。

今日まで蓬たちが守ってきた街が、一瞬にして崩壊していた。

三十分ほど前に出現した、たった一体の怪獣によって。


「……マジすか、これ」


隣にいる少女、ちせが呟く。目の前の出来事に、もはや笑うしかないというような表情だった。

……夢に決まってる、と笑いたくなっているのは蓬も同じだった。


……だって、予測できるだろうか?


今日までガウマ隊の仲間として共に戦い、共に姉の真相を追い、共に不自由な日常を過ごし、そしてついさっきまでも共に歩いていた少女───南夢芽が、突然『怪獣』になってしまうだなんて。


「一体……なにがどうなってやがんだ!?なんでこんな……!」


ガウマが崩壊した街を見渡して叫ぶ。

……いや、『崩壊した』という言い方は語弊があるかもしれない。

街は、家は、ビルは。それらは全く破壊されておらず、むしろ数分前と同じ形を保っていた。

ただ一つ、その周りにいた人々を除いて。


「……まるでミイラですよ、これ」


近くの道路にいた通行人をドアでもノックするように小突きながら暦が言う。仮にも知らないニートに突然肩を小突かれたというのに、その通行人は何の反応も示していなかった。

……いや、通行人だけではない。さっきまでオープンカフェで怒って愚痴を言っていた女子グループや、笑顔で歩道橋を登っていた親子連れも。

この街にいる全ての人間が、まるで急に電池を引っこ抜かれたかのように、無表情で固まっていた。

鳥や猫は同じように動いていることから、時間が止まっているわけではないとわかる。本当に、さっきまでここは『人の営み』で溢れていたはずなのだ。


それが今では、『人の営み』が全て消え去り、代わりに巨大な怪獣の足音と鳴き声が響いている。


『ウオアアアアアアアア……!!』


まるでクジラのような、野太く骨に直接響く声。

ビルは崩さないながらも、たくさんの車が行き交う交差点をまるで我が物顔で進んでいく怪獣。今の起きている異常事態がこの怪獣の仕業であるというのは、もはや疑いようがなかった。


その怪獣の目はギョロりとしており、焦点が合っていなかった。

どぎついショッキングピンクの体に、後ろには背びれのようなものがある。

体から生えている四つ足はまるでヒレのようにペッタリとしており、自重を支えられるほどの筋肉が無いのか、その足を使って怪獣はまるでアザラシのように腹を引きずりながら進んでいた。

その特徴は、まるで陸上生物というよりも水生生物だ。明らかに陸地で活動することに適していない。

間違った場所で育ってしまったような、どことなくチグハグな姿。

それだけなら、本物のアザラシや少し前のザイオーンよろしくどこか親しみや愛嬌があるように見えなくもなかったが……頭にある巨大な角と、明らかになにかを捕食することを目的とした大口が、やはりコイツも『怪獣』なのだということを認識させる。


先程までの、昨日までの……『少しアンニュイそうな美少女』の面影など、どこにもない。

今の南夢芽の姿は……既存の生物の常識を無視した、ただの異形の怪獣だった。


「本当に……南さんなんですか?あれが……」


呆然としたように呟く蓬。その問いに、ガウマ隊は誰も答えられなかった。

そんなわけがない、と言いたい。だが、先程他ならぬ自分自身の目で見た光景が邪魔をする。

たまには飯でも食いに行くか、とガウマ隊が歩いていた中で突然うずくまって苦しみだし、背中を突き破るように巨大な体を生やして赤黒い光を放ちながら『怪獣』へと変貌した夢芽の光景が。


「ついに覚醒したみたいだね。依々恋々怪獣、アンビバレンス」


この場に不釣り合いな───むしろこの場に釣り合う声があるのかは不明だが───少年の声が聞こえた。

顔を向けると、いつの間にそこにいたのか、怪獣優生思想の一人であるシズムが立っていた。その目は一直線に夢芽……怪獣へと向けられている。


「アンビ、バレンス……?」

「あの怪獣……『南夢芽』の本当の名前。他人の好意、親愛、恋慕……ひいては情動そのものを喰らう怪獣だよ。一度目覚めれば、その空腹が満たされるまで周囲の人間の情動を根こそぎ喰い尽くす」

「情動……」


さっきの通行人たちの姿を思い出す。……なるほど、彼らは情動というか『生きるための意思』のようなものをあの怪獣に喰われてしまった被害者なのだろう。暦の『ミイラみたい』という表現はあながち間違いでなかったのだ。

現実逃避のように分析する蓬を尻目にシズムは、蓬たちの前で初めて明確に笑った。


「いいね。素晴らしいよ。ガルニクスほどではないけど、こういう怪獣も俺は待ってた。これで今度こそ、皆つまらないしがらみから解放される。まぁ情動の溜まり方が特殊だった分、少し姿は歪になったけど……覚醒に伴って発生した情動もその分多くなった。これは嬉しい誤算としておこうかな。やっぱり南さんに目をつけてた俺の判断は正しかった」

「ふざけんじゃねぇッ!!なにが情動を根こそぎ喰い尽くすだ!!こんな状況を、今の夢芽が望んだってのかよ!?どうせお前らが操って無理やりやらせてんだろ!!」


ガウマが噛みつくように言ったが、シズムは冷静に、冷淡に返す。


「違う。俺たちは何もしてないよ」

「あぁん!?」

「その証拠に、ほら」


シズムが指差した方向を見ると、そこには彼以外の怪獣優生思想の姿があった。いつもは怪獣が出ると喜び勇んでいる彼らが、今はどこか苦悶そうな、もどかしそうな表情をしている。


『おいムジナっ、早く気合い入れて掴めよ!四足歩行怪獣はお前の得意分野だろうが!』

『話しかけないでよ。ブレるから』

『……あの怪獣の力が強すぎるのでしょうか?』

『……というよりも、そもそも「話を聞いてくれない」って感じがする。……掴む以前の問題だよこれ』


断片的に拾えた会話から推察するに、どうやら彼らも怪獣を操るのに四苦八苦しているらしい。

その事実に、蓬の中のナニカにヒビが入ったような気がした。一種の『大義名分』とでも呼ぶような、ナニカに。

……今までの怪獣の活動はあくまで、怪獣優生思想に操られてのものだった。だから倒すことに躊躇したこともあったし、わかり合えるのでは思ったこともあった。

しかし、今は。

この怪獣には、怪獣優生思想は何も手出ししていない。……ということは、今の怪獣のこの行為は───


「じゃあ……これは夢芽が自分の意思でやってるってことなのか……!?」


辿り着きたくなかった答え。ガウマが言葉にしたことで、否応なしに直面させられる。

だがそれは、意外にもシズムによって否定された。


「……いや。それも微妙に違う。今の南さんは、一種の暴走状態のようなものなんだよ。本能と言い替えても良い。今の彼女はただ、『食事』がしたくてたまらないだけなんだ」

「……どういう意味だよ?」

「これまで彼女はずっと、『「南夢芽」に向けられる愛情』に飢えていた。幼き頃に取り上げられたことで生じた飢えを、必死に取り戻そうとしていた。これまでは色んな方法で騙し騙しで情動を摂取して誤魔化してきたようだけど……所詮それは『あの味』ではない。だからついに限界に達したようだね。今の彼女は『南夢芽』の殻を脱いで抑え込んでいた『怪獣』を目覚めさせて、見境なく暴走している」

「情動が足りなくて腹減ってるってんなら、今の夢芽には俺らや蓬がいるはずだろ!その情動を食べれば───」

「五年間欲しがり続けたような情動が、たった数ヶ月程度の付き合いで埋まるとでも?」


急に全てを見透かしたようなシズムの言葉に、ガウマは詰まってしまった。

その間に夢芽……いや、アンビバレンスは、頭の角のような部位からカオスブリンガーを別の街へ向けて放出した。


光る粒子。

あの角を中心点として円を描くように放たれたカオスブリンガーは……まるで天使の輪のような、神秘的な物にすら見えた。


粒子が街を包み込んだ瞬間、その街から聞こえていた『人の音』がピタリと止んだ。

慌ただしく動いていた車は全て止まり、直前に打たれていた野球ボールは誰も取ること無く落ちていき、揚げられていた凧は主を失ってどこかへ飛んでいった。

……近場に飛行機が飛んでいなかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。

そうして、無くなった音の代わりのように、街から色とりどりのモヤが間欠泉のように大量に吹き上がった。

アンビバレンスは体の上半身が割けるほどに大口を開けると、ハイハイする赤子のようにモヤへと向かっていき、一心不乱に飲み込み始めた。

あのモヤは、まさか……。


「とにかくっ、夢芽を止めるぞ!」


ゾッとする事実に蓬が到達する前に、シズムの言葉を無視してガウマが叫んだ。

言うが早いか、ダイナダイバーを構えて駆けていく。


「い、今からですか!?」

「これ以上『ミイラ』を増やすわけにもいかねぇだろ!暦も早く来い!」

「てかたいちょー!夢芽さんがいないと、ダイナウイングを操縦する人がいないし合体もできませんよー!?」

「バラじゃきちぃか……。なら最悪ちせにダイナウイングに乗ってもらうぞ!」

「えぇ私っスか!?ヨモさんのは動かしたことありますけど、ウイングはちょっと……」

「どうせあれよりは簡単だろっ!」


蓬が考える時間も、納得する時間も与えず現実は進んでいく。ある意味最初に味わった感覚と同じだった。


「蓬ぃ!気持ちはわかるが、とりあえずまずは夢芽を止めるぞ!暴走状態だってんなら、尚更助けてやらねぇと!」


ダイナダイバー、そしてダイナストライカーが起動した中でガウマが呼び掛けてくる。

現実から逃げようとするようにシズムの方を向いたが、彼も既に怪獣優生思想の輪の中に戻っていた。

知らぬ内に手に汗が滲む。頭をかきむしりたくなってくる。

だが、そうしている間にも視界には悪夢のような光景が入り込んできた。

呼吸をやめたような街。無表情で固まる人々。人々の大切な情動を食べ、そしてまだ腹が減っているのか、更に別の街へと粒子を飛ばそうとしている夢芽……いや、アンビバレンス。


「……っ、くっそぉ!!アクセスモード────」


押し潰されそうな意識の中で、蓬はダイナソルジャーを起動させた。


『オオオオアアアア……アアアアアアアアア……!!』


ダイナソルジャーへと転送される直前に、またアンビバレンスが骨まで響くような唸り声を上げた。


なぜか蓬には、それが姉を探し求める妹の、悲痛な叫びのように聞こえた。

Report Page