体温で溶けるチョコ
「シド、ここに来てくれ」
「なんだゾ?」
おれの座るソファーの横を指先で叩き、シドを呼び寄せる。
出来るならば膝の上に呼び寄せたかったが、"これ"は熱は厳禁だ。愛しいゾーラを抱えて熱くならないのは保証できない。
ぽふん、と横から腰掛けた音がした。
「……これは?」
小さなジャンプでソファーに飛び乗り、腰掛けたシドの手元に一つの箱を手渡す。
それはラッピングすらされていない小さな箱。その大きさは二メートルに満たない人間が持つには大きな物ではあるが、おれとシドが持つには少し小さいサイズだ。
シドは渡したそれを興味深そうに、床に届かない愛らしい長さの足をゆらゆら揺らしながら箱の表面を眺めている。
「チョコ」
「チョコレート? あ、本当だゾ。ココアパウダーがかかっているな」
「新作のチョコだそうだ。まだ市場には出回ってない」
作ったのはチョコレート大臣である可愛い妹。ホールケーキアイランドで会った際に、これを渡してきて、作りあげるのにどれだけ手間暇と苦労を掛けたかを語ってくれた。
それをこうして譲って貰えたのは兄妹である役得だ。勿論、おれ一人だけ食べるのは望んでない事だとちゃんと理解してくれているしっかりした妹だ。
「そんな貴重なものをオレまで食べていいのか!? 嬉しい……ありがとう!」
「お前が喜んでくれるならおれにはそれが何よりの喜びだ。さァ、食べてみようじゃねェか」
「ああ!!」
喜びでだろう。頭の尾びれをブンブン振り回しながら、既に蓋を開けていたシドが即座に一粒のチョコレートを口に放り込む。
そして即座に蕩けそうな程柔らかな表情を浮かべ、破顔する。
唇をムニムニと動かし、頬に手を当て、目を細めて歯を見せ微笑む。
ああ、その顔を見れるならおれは何でも出来る気がする。
さて、シドの満足げな顔を眺めた後、おれも同じようにチョコレートを一粒摘まんで口へと放り込む。
箱の中心を十字に区切った四つの正方形のチョコレート。指先で軽く持つだけでその柔らかさで軽く凹む儚さに驚く。
そして、そのチョコレートのあまりの美味さについ舌舐めずりをしてしまう。
……ああ。嗚呼、なんて美味さだ。
なんてなめらかで、淑やかで、甘くて美味いのだろうか。
舌先に乗せた瞬間、まるで熱された鉄板の上に置かれた氷のように儚く溶けていく。
その溶け落ちた甘さは舌を撫でるように動き、喉元の奥へと流れていく。
これは美味い。美味すぎる。甘くて、食べるのを止められない。
即座に二粒目を口に入れれば、それもすぐに溶けて口内へと甘さを広げて失くなっていった。
そして三粒目を口に含んだその時、隣から音がした。
バキバキと何かを噛み砕く音が。
見ればシドが口を動かし、何かを噛んでいた。十中八九手元にあるおれが渡したチョコレートの二粒目だろう。
シドは意外とせっかちで、食べるのも早い。
……いや、いや待て。
「シド違う。このチョコは口に入れたら体温に反応し溶け出す、それを楽しむ為の物だ。噛むな」
「えッ!? そうなのか!?」
声をかければ大きく目を見開き驚いた顔でおれの顔を見つめてくるシド。
そういえば座っている状態だと目線が近くて嬉しい。勿論立っている時の下から見上げられるのも、上目遣いも堪らなく好きだが。
「……溶ける……? 確かにチョコレートは熱で溶けるものだが……これが、口に入れて溶ける……??」
手に持っている箱と残りの二粒、指に付いているココアパウダーを見つめ、頭に浮かんでいるだろう疑問を呟くシド。
その勢いで指先を短い舌でペロリと舐めてくれるな、腰辺りがソワソワしてしまう。
シドは一度おれの目をジッと見つめ、そして三つ目のチョコを手に取り、再度おれの目を見ながらチョコを口に放り込んだ。
……そのまま口を動かさず、おれの目を見つめる視線を逸らさず、およそ三十秒は過ぎただろう頃。
口を動かし、そしてまたバキバキとチョコを噛み砕く音を聞かせてきた。
おれが先程口に入れた時とは全く違う、溶けた気配の無いチョコを粉々に噛み砕いて。
……ん……?……あ、ああ。成る程。
そうか……
「お前の体温はおれより……人より低いからか。皮膚も、口内も……」
「カタクリ?」
おれを不思議そうに眺めるシドの頬に手を添え、ひんやりした皮膚をスルリと撫でる。
親指で唇の縁をなぞればその行動に驚いたのかシドの体が少しだけビクリと震えた。
そのままの流れで顔ヒレを軽く持ち上げれば普段隠されてる耳を持たない穴がチラリと見えて、また背筋がゾクゾクとする。
「体温が問題、か……えっと……折角御厚意で頂いた物なのだし、ちゃんとした食べ方で食べてあげたいゾ!」
「いや、そうまで張り切る程じゃねェと思うが……」
「あっ、そうだ、はい! カタクリ!!」
「んッ」
困ったように視線をウロウロさせていたシドの目線が持っているチョコの最後の一粒を映した。
その瞬間といっても遜色ない程、シドは素早くチョコを指先で摘まんで…
……おれの口にねじ込んできた。
喋るために開いてはいたが、不意打ちだった。鋭く尖った歯でシドの指を傷付けなくて良かった。
舌先に乗せられたのは一粒のチョコ。それもそれは柔らかい特別製で、不意打ちで置かれたにも関わらずおれの体温でとろとろと溶けていく。
このままだと後数秒で溶け終わり無くなってしまう……と、思った時だった。
「ん…ッ!?」
不意に視界が紅白に染まったかと思えば唇に柔らかい物が押し当てられる。
更にひんやりした舌先が口内に割り込んでくる。
「ん……ッ」
「……ふ…」
小さな声を漏らしながら、シドが舌先でおれの口内にあるチョコを転がす。溶けたチョコごと舌先をシドの舌で刺激され、その冷えた舌先で突かれる度にゾクリと肌が粟立つ。
驚き思わず漏れた小さな声の隙におれの口内にあったチョコはシドの舌によって絡め取られ奪われた。
「………シド」
離れていったひんやりした柔らかい唇を惜しみつつ、今の行動は一体どういう事か訊ねようとした。
だがその前に口内を舌を転がし、目を細目ながら口元を緩ませ味わい蕩けるように微笑むシドの姿に目を奪われる。
……見聞色の覇気を使っていればこの行動も前もって解っていただろうし、このシドの顔も先に視れて動揺する事もなかっただろう。
だがシドと共にいる時は、覇気を使い未来のシドだけを視る事をしないと決めている。覇気越しの存在ではなく、今この場にいる配偶者を見る為に。
「あっ、まぁ…! 甘い! そして美味い、これは美味いゾ! 確かに溶けた方がこのチョコレートは美味いな!」
「……そうか、味わって満足してくれたなら何よりだ」
「ありがとうカタクリ! オレ一人じゃこの美味しさは味わえなかったな」
突然のその行動に呆気に取られども、それらは決して悪い事ではない。
愛しいシドが愛しい妹の職人技に感動し、味わってくれたなら何を除いてもそれで満足だ。一度おれ経由で味わってくれたというその事実だけで更に高得点だ。
「ならもう一つどうだ?」
「うーん、そう出来たら良かったのだが、さっきのが最後の一粒でな。もう食べきってしまったのだゾ」
空となったチョコの箱を掲げ、もう何も入ってないと見せてくるシド。
困ったように首を傾げるその頭を撫でれば、嬉しそうに目を細める。嗚呼、可愛い。愛らしい。
「んッ…!?」
その閉じた唇に、おれの手元の箱から取り出したチョコをねじ込む。開かれていなかった為に少し無理矢理に押し込んだ為に、濡れている少しだけひんやりした口内に指先が触れ、取り出した指先がテラテラが光り濡れていた。
突然のそれに驚き、目線を合わせて理由を訊ねて来ようとするシドに、おれは唇を合わせる事で答えを返した。
「ん……ッ、ぁ……」
「ふ…っ」
ぬるぬるとした心地良いシドの口内。舌先乗せた全く溶けていないチョコをおれの舌先で転がせば、少しだけ溶け、それに比例するように……寧ろそちらがメインとばかりに冷たい舌を撫で上げ、吸い上げれば小さく甘い吐息を漏らしながらシドはおれの服を掴んできていた。
先程とは逆で、おれの舌がシドの口内にあるチョコと奪うように動く。同時に舌を強く吸えばチョコと共におれの唾液もシドへと流れていく。
その絡む舌と絡まる唾液に夢中におれは貪り続ける。
チョコが溶けていく事など関係なく。
「ん……ッ」
「……は……」
やがて互いの唇の隙間から漏れる吐息が熱くなりすぎた頃。名残惜しくも唇を離せば、舌に乗っていた完全に溶けたチョコレートが唾液と混ざりながらシドの口端から僅かにトロリと溢れてくる。
それを指先で拭い、色んな成分が混ざりあったチョコのついた指先を口元に持っていきペロリを舌で舐め取る。
「美味かったな」
「……あぇ……?」
陸上での酸素不足か、シドは頬を赤く染め呼吸を浅く短く繰り返しながらぐったりとおれの腕の中に収まっていた。
この状態でだと溶けたチョコの味をきちんと味わえたのかも危うい、それだけは少しだけ残念に思う。
まァそれ以上におれの腕の中心地良さげにチョコのように溶けるシドの姿を見下ろせるので満足ではあるが。
「きゅ、急に……な、なに……」
「もっと食べたかったんだろ?」
「……え……?」
「だから同じ事をしただけだ」
「同じ……あ」
困惑から目を白黒させていたシドはおれが手に持っている箱を見るなり納得したような声を上げる。どうやらおれの意図を正しく理解したようだ。
「甘かったな」
「そ、うだな? ……チョコレートは、甘かった……けど」
「ん?」
「でも、溶けたそれが甘かったのか、それ以外の要因だったのか、ちょっとわからなかった……ゾ。カタクリの唇と舌はとても甘くて……とても美味しかったから……」
シドはまるで水中にいるかのように、潤んだ蜂蜜を溶かしたかのように甘そうな金色の瞳でおれを見上げ、そして少しだけ恥ずかしげに目線を逸らした。
おれも同じだ。ああ、もっと甘いそれを味わいたい。
「……それなら」
余分な肉の無い頬を指先で撫で、つい…とそのままの勢いで唇を撫でる。
丁度チョコは二人とも食べきってしまったのだから。
「確かめてみるか?」
もう一度その柔らかな唇に触れようとゆっくり顔を傾ければ、せっかちなシドは返答の代わりにその僅かな距離と時間すら待てないとばかりに素早く重ねてきた。
もうチョコの味など全くしないシドの甘く蕩けた唇と口内を舌先で愛撫し堪能する。
あのチョコのように全て溶けてしまうまで隅々と。