体の芯に根付くもの

体の芯に根付くもの

ドンキホーテ親子inワノ国

「ほらザック、注いでやれ」

 さっきからずっと飲んでいる癖に少しも酔った様子のない父親にせっつかれ、ザックは自分の腕ほどもある徳利を持ち、小さな子供ならすっぽり入り込めそうな大きさの盃へ酒を注いだ。

 ウォロロロ、と特徴的な笑い声が頭上から聞こえる。注がれた本人……百獣海賊団の総督、カイドウはいつになく上機嫌だった。

 理由ははっきりしている。宴に『お気に入り』が来ているからだ。

「ザック、お前もでかくなったなァ!」

 カイドウは自分よりも数メートル小さなザックの頭を指でわしわし撫で、お決まりの台詞を言った。そばに控えた部下である金髪の女性が、ほんとほんとと頷く。

「ありがとうございます。……でも、正直もう伸びたくないんですよね、身長。別にそこまで大きくなりたいわけでもないし」

「寂しいこと言うなよォ〜、もっとでかくなっておれぐらいになれ!」

「そうだぞ、お前まだおれの背も越してねェじゃねえか」

 普段は何を考えているかわからない父親も、今日は少し楽しげにしていた。ザックは少し変な気持ちになる。

 ファミリーと食事をしている時の父親も、笑ってはいるしきっとそれなりに楽しんでいるのだろう。だが、ワノ国での宴に息子を連れて参加する際、父親はファミリーと過ごす時とはまた違った顔を見せた。

 それもそのはずだ。カイドウのお気に入りであるザックを連れて行けば、カイドウの機嫌が良くなって商談がスムーズに進む。海賊であると同時に商人でもある父親にとって、それは願ってもないことだった。

 お前も飲め、と声をかけられ、ザックは手元にある酒に口をつけた。酒自体は家で時々飲まされるので、まぁまぁ得意な方だった。本当はお茶の方が好きだけれど。

 誰かからまた話しかけられ、答え、愛想よく笑う。時折父親の様子を見て、自分が上手くやれているか否か確かめる。良さそうならそのままに、駄目ならやり方を変える。

 なんだか、父上に手綱を握られて操作されているみたいだ。

 音楽と笑い声と歓声に満たされた宴の場、上がっていく体温とは裏腹に冷たい頭でザックはそう思った。


「あついなー……」

 宴もたけなわになった頃、ザックは城を抜け出し夜風に当たっていた。カイドウがご機嫌なのはいいことだが、明らかに飲みすぎ、飲ませすぎである。ザックも久しぶりに酔ってしまい、これはいけないと酔い覚ましに外へ出たのだった。

 月を眺めながら、瓢箪に入った水を飲む。

 ザックは、ワノ国に綺麗な水が飲めない人々が大勢いると知っていた。その原因を作った者達の一人に、自分の父親が入っていることも。

 ザックは正直な話、ワノ国が苦手だった。ここにいると、自分が罪深い生まれだということを一層意識してしまう。

 だが、それはドレスローザに帰ったところで同じだった。父親が奪い、歪め、穢したもので、自分は生かされている。結局のところ、自分に本当の居場所なんてものはないのかも知れないと、ザックは成長するに連れて思うようになった。

「ザック」

「!」

 ふと聞こえた声に振り向くと、後ろに父親が立っていた。特徴的な桃色のファーコートが月明かりに照らされている。

「……なんですか?」

「フッフッフ、二人きりの時ぐらい敬語はやめろ」

 父親はそう言いながら隣に立った。少し酒の匂いがして、ザックは父親も自身と同様相当飲まされたのだろうとわかる。

「いいのか? 抜けて来て」

「商談はもう終わった。上々の結果にな」

「そっか」

「ザック」

 名前を呼ばれ、父親の顔を見る。いやに明るい月明かりが、父親のかけたサングラスを照らして透かした。

「お前がいてくれたおかげだ。ありがとう」

 垂れた目を細めて笑いながら、父親はそう言う。ザックはその表情に覚えがあった。昔、ずっと昔、ザックがまだ何もできなかった頃の記憶。叔父も義兄もそばにいたあの頃に、父親はよくそうやってザックに笑いかけていた。

 ザックは一瞬だけ周囲の音が何も聞こえなくなるような心地になった。身体がこわばり、吐こうとした息が喉の奥へ消える。

「……別に、いい」

 俯いて、やっとのことでそう答え、ぎゅっと目をつむった。懐かしいその顔を、もう見たくなかったのだ。

 ザックはぐちゃぐちゃになった頭の中、必至にたった一人の顔を思い浮かべる。

 桃色のきれいな髪。やさしげな一重まぶたの目。その中に光る瞳。ザック、と楽しそうに呼ぶ声。

(レベッカ)

 唯一無二の親友をひたすらに想う。とにかく顔が見たかった。声が聞きたかった。

(会いたい、会いたいよ、レベッカ)

 ザックは、ワノ国にいれば自分の生まれと父の所業を直視しなければならず、苦しみ続ける。それはドレスローザでも同じで、それらの苦悩に違いは何一つ無かった。

 唯一違うことがあるとすれば、そこに家族よりも自分よりも大切な親友がいるかどうかだった。

「どうした、ザック」

 まるでこちらを見透かすように父親は言う。ザックはうつむいたまま一言、呟くように答えた。

「はやく、ドレスローザに帰りたい」

 それを聞いた父親がどんな表情を浮かべたか、ザックは見ていない。ただ、明日すぐに発とう、という言葉が返ってきたことで、少しだけ安心した。

 遠くから宴に浮かれた声が聞こえる。大勢人がいて楽しげに笑っている中、ザック一人だけがどうしようもない寂しさを抱えていた。


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