代替機構は選択する
生まれた頃から、彼は兄弟妹達とは違っていた。
一応人間ではあるのだけれど、神々からの指令はこの身に刻まれ、カリの化身としての力も十全に扱える。これは、本来そう宿命づけられた長兄ですら、自覚していないものだった。
その事実に、彼は一人納得する。兄に何かが遭った時、代わりにその役目を果たすための代替機構。それが自分なのだと理解して、長兄に何かが遭うまでは、他の兄弟達と変わらずに過ごそうと思った。
だけど、だけど。
「こーんなところにおったのか全く……探したぞ、◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎」
迷子になった時、こうして探し出してくれる長兄が好きだった。
「何ドゥフサーシャナのフリをしておるんだ◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎?」
数多くいる顔の良く似た弟達を、一度たりとて間違えない長兄が好きだった。
「お前は偉ーい! 良くやった◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!!」
そう、雑に頭を撫でてくれる長兄の手が好きだった。
だから、だから。彼は選んだ。
長兄が、兄弟達が、妹が無事なまま、長兄の代わりに人類調整機構となる道を選んだ。
最初は、遠く離れた村だった。力を使って産んだカリ達に、村の外に出た人間達だけをこっそりと襲い、血も肉も骨も残さず食べるように命令した。原因不明の行方不明者が続出したことに恐怖したその村の住人達は村の外へ一歩も出なくなり、一人残さず命が潰えた。勿論、村の中で死んだ者達もカリ達の腹の中に収めた。
そのやり方を国中の彼方此方で繰り返していく内に、空っぽになった村に他所から来た賊が住み着くようになり、その周りの村を襲い始めた。それらについては好都合だし戦士達がどうにかしてくれるからと放っておいて、賊の殲滅に慌ただしくしている戦士達もまた、カリの仕業と分からぬようにこっそり間引いた。
それを繰り返し、繰り返し、繰り返し続けて、あともう少しで使命を達成するその時になってーー遂に、長兄にバレた。
どうしてバレたのだろうと彼は不思議に思った。だって、だって、彼の暗躍は両親や周囲の人間、兄弟達や妹は勿論、あのカルナやアシュヴァッターマン、仲良くしている五王子達やクリシュナでさえ気づけていないのに。
何故、長兄だけは気づけたのだろう。
疑問に思って尋ねると、長兄は今までに見たことが無いほど酷く顔を歪めながら言った。
「当たり前だろう! わし様はお前の兄だぞ! 違和感に気づいて当然だろうが……!!」
それはお腹の底から無理矢理絞り出したかのような、血を吐くような声。まあ当然かな、なんて他人事のように彼は思う。だって長兄は、常々言っていた。
「わし様のものに手を出した連中は、一人残さず殺す」
と。
だから長兄は知ってしまったのなら彼のことを殺すと思っていたし、彼もまた、バレたからには長兄に殺されるのだろうと思っていたのに。いつまで経っても、兄は彼に手を下そうとしない。ただただ、表情を歪めたまま、彼の胸ぐらを掴んでいるだけだ。
甘いなと彼は苦笑する。
彼は機構だ。長兄に何かが遭った時のための代替機構でーーカリを利用し一線を越えた、人間のフリをした怪物だ。
そんな彼を長兄が退治しようとしないのならば、残念ではあるが問題はない。
「寧ろ、僥倖かな」
「? 一体なに、を゛?!」
カリ化した手で、長兄の身体を抉る。より致命傷に見えるように、派手に血を撒き散らした。
宮殿に突然魔の気配が現れたからだろうか、いの一番にこの場にやってきたのは、五王子とクリシュナだった。
「なっ、これは……!?」
「何をしている! その手は何だ!?」
困惑、驚愕、そういった視線を一心に浴び、彼は思わず嘲笑うように口角を上げた。
「あーあ、あともう少しで神々からの指令を果たして何食わぬ顔で生きられると思ったのに……ざぁん念」
結局最後まで彼の暗躍を気づけなかった六人へ向け、思い切り兄を投げつけた。
「うお……な、ドゥリーヨダナ!?」
「酷い傷だ……ビーマ! 今すぐ医務室へ運べ! 絶対死なせるな!」
「チィ……クソッしかたねぇな!」
ビーマが重傷を負った長兄を連れて離脱する後ろ姿を目で追い、敢えて攻撃する素振りを見せたところで、アルジュナの矢によって阻まれる。警戒はあるが未だに困惑が見える姿に呆れ、彼は首を横に振った。
「やれやれ、兄貴も兄貴だけど、アルジュナも甘いね。何で攻撃じゃなくて、牽制に留めたわけ?」
「…………その前に、貴方に聞きたいことがあります」
弓につがえた矢の先端を彼に向けながら、アルジュナは問いかける。
「先程貴方が言っていた……『神々からの指令』とは、何のことなのですか?」
その問いにクリシュナが顔色を変える。何だ、お前もソレを知っていたのかと、彼はクリシュナへ冷めた目を向けつつ素直に答えた。
人間が増えすぎた結果、大地を支える女神に限界が来ていること。
女神が支えられなくなって世界が崩壊する前に、人間を間引く決定を神々が下したこと。
そうして生まれたのが、人類調整機構である長兄であること。
彼は長兄が役目を終える前に何か遭った時のための代替機構であること。
しかし、そのことをきちんと覚えているのは彼だけであったこと。
何も覚えておらず好き勝手している長兄の様子に、指令を果たさずに生を終えそうだと判断したこと。
だから、彼が長兄に代わりカリ達を操り、周りにバレないように少しずつ人間を間引いていたこと。
「指令完遂まであともう少しだって時に、兄貴がオレの所業に気づいちゃってさ、だったらもうぜぇんぶ兄貴にオレがやったことをおっ被せれば良いかなって思ってやったのに、お前らが直ぐ来るんだもん。もう台無しだわ」
そうネタ晴らしをした彼は、静かに五人へと目を向けた。そこに今まで乗せていた親愛の情は無く、他の兄弟達が向ける敵意や殺意も無く、無機質でひどく乾いたものだった。
「まだ、神々の指令は終わっていない。だからまあ、抵抗せずに死んでくれ」
そう告げて、彼はーー百王子最後の良心とまで言われているヴィカルナは、感情無き瞳をそのままに笑みを浮かべたのだった。