今日から人妻

今日から人妻


 撫子は今日初めて石田と身体を重ねた。

 お互いがお互いを求め合い、自分が今ここにいるという事を確かめ合う、そんな行為だった。

「身体は大丈夫?…気持ちよくなかったかな」

 ベッドの上で一糸まとわぬ姿で並んで横になっていると、気遣うように石田が訊く。

「そんなヤワちゃうし、雨竜に触れられて気持ち良くない訳ないやん」

 健気にそう答えた撫子を優しく抱きしめる。二度ほど、ナカで精を吐き出したのを受け入れてくれた。

 裸のまま肌を寄せ合っているだけで幸せを感じてしまう自分はもうアカンなァと思いながら、撫子はそっと目を閉じる。

「これから慣れてくれると嬉しいな」

 耳元で囁かれた言葉の意味を理解して、思わず苦笑する。

「スケベやァ。恥ずかしくなるやん……」

「仕方ないよ。僕は君を愛しているんだから」

 恥ずかしげもなく返された言葉に顔が熱くなる。きっと今の自分の顔は真っ赤に染まっているだろう。

 こんなにも自分を想ってくれる人が傍にいる事が嬉しくもあり、照れ臭かった。

「長くお預けしてもたね」

「……………………そうだね」

 本当に長いお預けだった。出会って十年以上、同棲して八年目の春を迎え2人はようやく結ばれたのだ。

 大罪人の男と手篭めにされた母親との間に産まれた撫子は性に対するトラウマを抱えていたし、それ故に手を出せなかったというのも理由の一つだ。

 だが、それだけではない。

 結婚するまで子を孕みたくないという想いを汲んでの事でもあったのだ。

 安全日や避妊具を使えば良いという意見もあるかもしれないが、そういったものに頼らず、万全の準備を整えた上で行いたかった。それは石田も撫子も同じ意見だった。

 もちろん2人とも年頃だ。そういう雰囲気になりかけた時はいつか身体を繋げる為にと恥ずかしい部分を慰め合い、結局最後まで至る事はなかった。

 そして迎えた入籍日。石田が借りているアパートの、壁の薄い手狭な部屋に帰りつき、ドアを閉め、鍵を掛けた瞬間── 唇を重ね、そのままベッドへ雪崩込んだ。何度も何度も舌を絡めあい、唾液を交換しあった2人の行為はやがて激しさを増していく。

 呼吸する事すら忘れそうになる程の激しい口付けを交わした後、ゆっくりと離れた二つの口から銀色の橋がかかり、お互いに見つめあう瞳には情欲の色がありありと浮かんでいた。

「雨竜、えっちな顔しとる」

「そっちこそ」

 クスリと笑いあってもう一度軽く触れ合うだけのキスをする。

「シャワーを浴びる?」

「ううん……シテ………」

「わかった」

 我慢の糸はとうの昔に切れていた。

 早く夫に抱かれたいという感情だけが胸を満たし、首筋に吸い付かれる感触に身体が震える。

「好きにして……アタシは全部雨竜のやから」

 そう言って腕を伸ばす。恥ずかしい。もどかしい。それでももっと、気持ちよくなって欲しい。その一心で、撫子は石田を受け入れる準備を始めた。


「長くお待たせしてゴメンね。雨竜は辛抱たまらん時もあったやろ?ホンマごめんな……」

「気にしないでいいよ。僕達はもう夫婦なんだから」

 そう言って微笑む夫に撫子の胸が温かくなっていく。

「ありがとう……大好き」

「僕もだよ」

 どちらからともなく顔を近づけ、口付ける。

「雨竜は気持ちよかった?」

「とても幸せだよ。撫子は?」

 そう答える石田の顔は満ち足りたものになっている。

「ウーン、築地に売っ払われんなら、良かったなァって」

 突然何を言っているのかと思ったが、すぐに理解する。幸せそうな笑顔を浮かべる撫子につられ、雨竜もまた幸せだといった様子で笑った。

「撫子の心臓がドクドク鳴っている音が聞こえて…とても心地良かったんだ」

「アタシも……」

 胸に耳を当てる。トクン、トクンと規則正しく鼓動する音を聞いているだけで安心できる気がした。

「ずっとこうしてたいくらい……」

「これからいつでも出来るさ」

「ウンっ」


がちゃがちゃがちゃ、ばたん。


 帰宅したらしい隣人が部屋の鍵を開けドアを閉める物音がした。

 石田が15の頃から住んでいる二階の一番奥部屋は壁が薄く、夜になると隣室の生活音を良く拾う。

 いつもなら特に気にならないのだが、今日ばかりは少しだけ恨めしかった。

「ねぇ……」

「うん?」

「こえ……聞こえるのいややぁ」

 恥ずかしさを堪えながら言う妻の姿に、石田は愛おしさが溢れてくるのを感じた。

「そろそろ引越しを考えないといけないね…子どもができたら、この部屋では狭いだろう?」

 耳元で囁かれた言葉の意味を理解して、また顔が熱くなる。

「中に出したからといってすぐにできたりはしないと思うけど、なるべく早くにね」

 お腹の中まで満たされた充足感に浸っていた撫子は、夫の言葉を嬉しく思いながら小さく笑った。

「うん、雨竜の赤ちゃんほしい…このオウチやと、赤ちゃんも思いっきり泣けンやろし…引越ししよ?」

「そうだね」

 石田は優しく微笑み、妻の額にキスをした。


三ヶ月後。

 撫子の妊娠が発覚し、それから数年に及び石田家には子宝が恵まれ、ある家族は子ども達の世話を焼き、ある家族は復帰を数十年遅れさせれば、と少し後悔したのは別の話である。

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