人生
「いいえ……がっかりだなんて、あの日から一度も、思ったことはありません」
生みの両親から捨てられた私は、家を追い出されこの男の元へ嫁いだ。
本当は恐ろしかったのだろう。心細かったのだろう。今ならわかる。一人放り出された幼い私は、強がった。
一人でも生きていける、誰かに守られないと生きていけない存在ではないと証明したかった。
だから唯一、誰にも負けない力を振るった。
『正直がっかりしました。武田の旗を背負う者が、この程度なのですか』
今思えば、こんな人間を受け入れる人など日ノ本のどこを探してもいないだろう。
……だけど、あなたは違った。
悔しい。誰が見てもわかるほどにあなたは悔しがったけれど、でも、私を拒まなかった。受け入れてくれた。
人として、女として。
生まれた瞬間から父と母に気味悪がれ、周囲に疎まれた私を。
ずっと、出会った時から————。
「ありがとうございます、晴信」
私に人としての生き方を教えてくれて。
私に恋を教えてくれて。
本当に。
本当に……。
「こんな私を、最期まで想うてくださり……虎は、幸せ者でございます」
今まで打ち明けてこなかった想いを口にした瞬間、私の頬にぽろぽろと涙の粒が流れていく。
みっともない所なんて見せたくないのに、どうしても涙は止まってくれない。
これが悲しいという感情なのか。こんなにも苦しい感情を、人は人生で幾度と味わっていくのか。
この身が内から裂けてしまうくらいの激情を、私はこれから一人で抱えていかなければいけないのか。
「虎千代」
泣き止まない私の頬に晴信が手を伸ばす。
昔より細くなった、けれど大きくて温かい手に、私は己の手を重ねる。
「最期におまえの思いの丈を聞けて、我は満足だ。……だが、そうだな。意地を張らずに、おまえの愛らしいその顔を……もっと、見ておけばよかったな」
晴信の親指が私の目元を擽るように辿っていく。愛しい、愛しいと。目を細めて私に触れて————ふと、その手に力が抜け落ちる。
言葉は出なかった。
私はまだ温かいその手を一度握り締めてから、ゆっくりと降ろす。
「……意地を張っていたのは、私もです」
だからこれはお互い様ですね、晴信。
最後の涙が一筋、私の頬を撫でて晴信の指先に落ちていった。
悲しみはまだ胸に残り、痛い痛いと悲鳴を上げている。
この痛みが治まる日は来るのだろうか。私は生きていけるのだろうか。
……だけど、晴信が私の胸の奥にいる気がする。もう話すこともできないけれど、確かに私の中に生きている。
ならばこの痛みを、私は一生抱えて生きていたい。
静まった夜に痛みがぶり返すかもしれないけれど、私はその時強く、晴信を感じられるかもしれない。
あぁ、人の生とはなんて悲しくて、愛しいのだろう。
だけどこれが、生きるということなのだろう。死んでいくということなのだろう。
そうですよね、晴信————。
私は問い掛けるように、晴信の胸元に顔を埋める。
5月13日。その日は、甲斐の桜が散り始めた晴天の日だった。