人形と夜更け

人形と夜更け



「……ギィ」


 私が人形の姿になってから3日ほど経った。はじめはこんな状況に陥った事による混乱と、シャンクス達に気付いてもらえなかった悲しみで泣いてばかりいたけど、ようやく色々と考えるだけの落ち着きは取り戻した。その中で少しずつ分かってきた事もある。


 皆の記憶から「赤髪海賊団の音楽家ウタ」は消えてしまっている事。


 人形の身体では、触った物の温もりを感じたり、涙を流したり出来ない事。


 そして、何かを食べたり飲んだり、眠ったりする必要が無くなっている事。


 こんな状況ではどのみちご飯が喉を通るような気分じゃなかったから、お腹が空かないのはあまり困らなかった。今は眠ることが出来ない方がよっぽど苦痛だった。

 ウタウタの能力も使えない、非力で何も出来ない、何より頼みの綱であるシャンクス達は自分の事を覚えていない。

 子供の乏しい知識と発想では未知の能力に対して何も解決策が思い浮かばず、いっその事寝てしまって、一旦この現実から逃げてしまおうと考えたけどそれすらも許されない。ボタンの目には、閉じる瞼も無い。窓の外から見える空を見つめながらひたすら時間が過ぎるのを待っていた。


「ギィ……」


 少し前までは夜の時間も嫌いじゃなかった。皆がお酒を飲みながら騒いで、私もそれに混じって歌ったりして、穏やかな海の音を聴きながらシャンクスと星を眺めるのが好きだった。

 でも今は……その静けさが酷く不気味に感じた。

 あれほど賑やかだった皆も見張りの人を残して寝室に消えてゆき、甲板はがらんどうになる。海を我が物顔で悠々と泳いでいた海獣も、空を自由に飛び回る渡り鳥も静かに眠りについてしまい、聞こえてくるのは小さな水面の揺れる音だけ。


「ギィ……ギィ……ッ」


 果ての見えない真っ暗な空と海に呑まれてしまいそうで怖くなる。孤独に耐えられず自分の部屋に逃げ込んで毛布に包まっても、今度は頭の中にもじわりじわりと闇が覆い始める。


 --大丈夫、悪魔の実の能力でも限界があるはず。私のウタワールドだって、眠っちゃえば閉じてしまうんだからそれと同じだ。


 --本当ニ? アレカラモウ何日経ッタト思ッテイルノ?


 --「『もう何も喋らないで』」


 --いつか絶対に元に戻れる。そうすればシャンクスも、皆も、必ず思い出してくれる。


 --戻レナカッタラドウナル? 人間トシテノ人生ヲ謳歌出来ズ、ボロボロニ朽チテイクダケナノカナ。


 --「(待って! 私だよ、ウタだよ! 置いていかないで、シャンクス!!)」


 --五月蝿い、五月蝿い、五月蝿い! 戻れない訳無い! このまま一生忘れられて人形として終わるなんて、そんな事ある訳無い!!


 --海賊ノ船ニ人形ナンテ要ラナイ。歌エナイ音楽家ナンテ要ラナイ。


 --「俺に娘は居ないからなぁ」


 --嫌だ!! このままなんて嫌だ! 人間に戻りたい! 歌いたいよ! 私の事思い出して! 助けて、シャンクス! 


「……ギィィィ……ッ!!」


 ベッドの中で蹲りながら頭を抱えた。恐ろしい程の静けさが、私を不安の海に引きずり込もうとしてくる。考えたくもない事が次から次へと押し寄せて、頭が割れそうになる。

 私はたまらず被っていた毛布を蹴飛ばし、部屋から抜け出してある場所を目指した。



 --キィ……ッ


 扉の蝶番の擦れる音と、先に居る何者かの気配で目が覚める。気配の正体は概ね察しがついているので空寝を続けると、それはこちらの様子を伺いながら恐る恐る歩み寄り、垂れ下がる毛布からベッドの方へよじ登ってきた。


「……やれやれ、またか。随分と甘えたがりだな」


 片目をゆっくり開くと、枕元に立つそれと目が合い、びくりと体を震わせた。後頭部に付いている髪飾りを模しているのだろう紅白の輪っかが垂れ下がる。

 新たな拠点探しも兼ねての航海中に立ち寄った国で出会った、生き物のように動く奇妙な人形。何度引き離しても着いてきてしまい、なあなあの流れで船に乗せる事になってしまった。本来なら、明日の無事も分からない、海賊としての危険な冒険にこんな戦いとは無縁そうな人形を乗せるなんて、何の得にもならない筈なのだが。


「……ギィ……」

「…………」


 この人形を見ていると何故か心の中の自分が、「今ここで見放せば一生後悔するぞ」と踏み止まらせ、無下にしてはいけないという感情に駆られた。それは他のクルーも同じだったのだろう、俺が船に乗せるのを決めた時も、茶化す声はあれど反対する奴は居なかった。


「……ほら、こっちに来い」

「……! キィ……ッ!」


 手元の毛布をめくり上げると、輪っかをひゅっと上向きに起こし、嬉しそうに潜り込んでくる。


「明日は早いから、あまり構ってやれないぞ」

「キィッ」


 分かってる、なんて調子の良い返事が返ってきたような気がして思わず小さく笑う。

 はじめの頃は俺の傍から離れたがらず、足元にしがみついたまま、ギィギィと背中のオルゴールがまるで泣き声のように引っ切り無しに鳴っていた。酷く怯えているようだったが、あの国で一体何があったのだろうか。口が利ければ訳でも聞いてやるんだがな……と考えていると、俺があまりにもじっと見つめるものだから不思議に思ったのだろうか、小さく首を傾げ見つめ返してくる。


「何でもない。おやすみ」

「キィ……ッ!」


 --おやすみ、シャンクス。


 覚えのない声が脳裏に浮かび、人形の頭を撫でたまま少し固まってしまった。


 今のは、この人形の声か?

 いや、一瞬だったので顔はよく判らなかったが、小さな女の子だったような気がする。だが俺には妹も居なければ子供なんて--


「(…………俺に娘が居れば、あんな感じなんだろうか)」


 そんな事を1人考えながら、ゆっくりと意識を手放した。


 ゴア王国の外れにあるフーシャ村を目指し、レッドフォース号はゆっくりと夜の海を進んでいくのだった。

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