人はそれを友と呼ぶ その2
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ハンコックは愕然としていた。
自身の湯浴み中に天井から突如落下してきた男。
己の背中に刻まれたものを見てしまったこの男を抹殺しようとハンコックは能力を行使したのだが……
「こやつ……何故石化せぬのじゃ……!?」
しかし何度やっても男は石化しない。男であれば自身の裸体を見て心揺らがないはずがないというのに。
相手が少しでも己にやましい感情を抱けば、たちまち石化させることができる。それが自身の持つ悪魔の実”メロメロの実”の能力だったはず。
まさか、本当に自分の美しさが通用していない?それどころか何とも思われていない?
今まで遭遇したことのない事態にハンコックは混乱の色を隠せなかった。
「あっ……!! ちょっと暴れないで……!!」
ハンコックと同じく石化しない男に驚愕していたサンダーソニアの手元でモゾモゾと動くものがあった。
先ほどニョン婆からハンコックが奪い取った小さな人形。男の方へと両手を伸ばし向かおうとするのをサンダーソニアが慌てて抑える。
「あ!! ウタァ!!!」
その人形を認識した男の顔が喜びで満ちていく。
しかし、人形を抑えつけるサンダーソニアの姿にたちまちその顔は怒りへと染まっていった。
「お前ェ!! ウタを離せよ!! おれの仲間なんだぞ!!!」
男の言葉にハンコックの顔が憤怒に歪む。
「何を……この人形は既にわらわのもの!! お前如きにくれてやる道理はないわ!!!」
訳の分からぬことを言って、我が所有物を奪い取るつもりか痴れ者が。
「しかしウタとは良き名前……その名付けだけは賞賛してやろう!!」
『姉様!?』
今はそれどころじゃありません、という妹サンダーソニアとマリーゴールドの視線にハンコックは気付かなかった。
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男児禁制の国である「アマゾン・リリー」に侵入した男には死あるのみ。その取り決めに従い、ルフィを闘技場にて公開処刑にしようと発動した極刑「武々」。
その最中に起きた不測の事態。処刑執行人として戦っていたサンダーソニアの衣服が焼け落ち、危うく衆人環視の中で背中を晒しかけてしまった。
そんな時にサンダーソニアの背に乗り、背中を隠したルフィ。背に刻まれた秘密を隠し通すために殺そうとした相手を守る行動にハンコックは何を思ったのか。
「………………!!」
観戦しにきた九蛇の住人たちを闘技場の外へと逃がす号令をかけた後、顔を覆い座り込むハンコック。傍に座らされていたウタは確かに見ていた。その手で隠された瞳から涙が零れ落ちていく姿を。
その後ハンコックがルフィに提示した「ルフィを庇い石化した三人の戦士を助けるか、島を出ることを許されるか。選べるのはどちらか一つ」という条件。
ハンコックはルフィの本性を曝け出してやろうと画策したのだが、ルフィは迷うことなく三人を助ける道を選んだ。
己と同じ”覇王色の覇気”を持つ男が。上に立つ”王”の資質を持つものが。見捨てれば己の望みが叶うというのに、命を救ってくれたという恩人のために頭まで下げて感謝を。
その時ハンコックが受けた衝撃は、もはや言葉では言い表せないほどのものだった。
だからこそ、この男に聞きたいことができた。
「九蛇城」、皇帝の広間。そこにはルフィとハンコック、その妹の二人サンダーソニアとマリーゴールド、そしてニョン婆とウタの姿があった。
ハンコックは上半身の衣服を脱ぎ、その背をルフィに晒す。「アマゾン・リリー」の民たちには、かつて討伐した怪物に呪われ刻まれた”ゴルゴンの眼”がある……と『偽っている』背中に刻まれたものを。
『呪い』であることは事実だ。『刻まれた』というのも事実だ。だがそれは「見てしまえば石化してしまう」ようなものではないというだけだ。
そしてニョン婆から告げられるルフィの所業。この世界における”神”に等しき者たち、「世界貴族」”天竜人”をこの男は殴り飛ばしていたのだと知る。
”天”に挑むその”自由”な姿に涙が溢れ出す。この男になら全てを明かしても良いと、石の如く固まった心が解きほぐされていくのをハンコックは感じ取っていた。
ハンコックは顔を歪め、苦しみを露わにしながら語り始める。自分たち三姉妹の忌まわしき過去。”天竜人”の奴隷として飼われ、背中にその証である”天駆ける竜の蹄”を刻まれた過去を。
人としての尊厳を根こそぎ奪われた地獄の日々。希望などまるで見えず、死によってこの地獄が終わることを待ち望んでいた。
そんな時に現れ、たった一人で”世界の摂理”に挑んだ男”フィッシャー・タイガー”。彼の”奴隷解放”によって、自分たちは地獄から逃げ出すことができた。
しかし刻まれた烙印は消せない。これがある限り自分たちが”奴隷”であった事実はいつまでも残り続ける。
たとえ生まれ故郷である国の全てを欺こうと、この過去を知られることが何よりも恐ろしい。
「人」として、自分たちは生きたいのだ。
「もう誰からも、支配されとうないっ……!!!」
溢れ出す涙と共に零れ落ちる本心。そうだ、自分は恐ろしいのだ。
「誰かに気を許す事が恐ろしい…!! 恐ろしうて…かなわぬのじゃ……!!!」
もし自分の過去が知られたら、”奴隷”であったことが知られたら、もうこの国にはいられない。
他人の目が恐ろしい。高慢な”海賊女帝”がかつては”奴隷”であったなど、誰にも知られたくない。
存在しない視線に怯え、誰にも心を許さず、ただ強く在り続ける。
心休まる時のないそんな人生でも、かつての地獄よりはマシだと思い続けていた。
だと言うのに何故だろう。目の前の男に自分の本心を曝け出すと、心がドンドンと軽くなっていくのを感じる。
自分はずっと誰かに話を聞いてほしかったのだろうか。涙で顔を濡らし、嗚咽に喉を震わせながらハンコックは振り返る。
そんなハンコックの肌に何かが触れる感触があった。
「う、ウタ……」
グシャグシャになった顔を上げ、視線を向けるとそこには小さな人形、ウタがいた。
その手はハンコックを労わるように優しく撫でるような動作をしている。
”奴隷”として扱われた。消せぬ過去を烙印として刻まれた。
それを見せないために、二度と支配されぬために己を虚実で塗り固め、強く傲慢に振舞ってきた。
弱い自分とは”奴隷”であった過去そのものだから。
傷つき、誰にも頼れぬ内心を見透かしたかのようにウタはハンコックに寄り添っていた。
「お前達のことはわかったけどよ…」
ハンコックの語った壮絶な過去とその本心に思うところがあったのか、複雑そうな顔でルフィは口を開く。
「ウタは”モノ”じゃねェ。おれの仲間なんだ」
「だからお前のものでもねェ」
いつの間にか、自分たちが最も忌み嫌うものに成りかけていた。
己を強くみせるのは恐怖のためだ。二度と傷つけられたくないから。
傲慢に振舞うのは恐怖のためだ。己の弱さを見せたくないから。
もう誰にも支配されたくないから、支配するのだ。
恐怖で塗り固められた心を守る鎧は、いつの間にか自分をそんな恐ろしいものへと変貌させていた。
「ううっ……!! ウタっ!!」
自分に寄り添うウタを強く抱きしめるハンコック。ウタは一瞬苦しそうにもがくが、すぐに受け入れ優しくハンコックを身体を撫で始める。
「すまぬっ……!!」
”太陽”の如く全てを照らし溶かすほどの熱はなくとも、その暖かさは届く。
恐怖で凍てついた女帝の心はその時、確かに溶け始めていた。