両片思いトレスズ

両片思いトレスズ

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「あの……スズカ?」

「なんですか?」

「見てても面白くないと思うけど……」


トレーナー室に響いていた、キーボードをたたく音が止まる。部屋の中に響くのはかすかなエアコンの稼働音と、それをかき消す雨音だけだった。ぴたりと手を止めたトレーナーの前に座って、サイレンススズカはニコニコと笑う。向かい合って座る彼女から、トレーナーのPCモニターは見えないはずなのだが、それでも満足そうにその様子を眺めていた。


「あー……ほら、宿題とか出てないの?」

「もう済ませましたから」

「あぁ、そう……えーっと……」

「ふふ」


どうして、じっと見つめられているのか。それが理解できていないトレーナーは、目線を泳がせながら必死に話題を探す。キーボードをたたく手は止まったまま。その様子がおかしかったのか、彼女は口元をかくしてくすくす笑った。


「ごめんなさい。お仕事、集中できないですか?」

「いや、そんなことはないけどさ……見ててもいいけど、書類仕事してるだけだよ?」

「はい。いいんです」


雨が、少しだけ弱まる。スズカにとってこうして室内で待機している時間はストレスだと思っているが、かといってトレーナーがどうこうできる問題でもない。屋内練習場もいっぱいだから今日はオフにしようと伝えたはずなのだが、どういうわけかスズカはトレーナー室にいてもいいかと訪ねてきた。断る理由もなかったが、まさかこうして何をするでもなくじろじろと見物されるとは。


「まあ、スズカがいいなら、いいけど……」


目の前の書類を片付けようと手を動かす。そして目線をモニターに移した時、スズカがぽつりと呟くように言った。


「こうしているだけで、いいんです」

「ん?」

「私、トレーナーさんがこうしてひたむきに頑張っているのを見るの、好きですから」


─どういう意味なのか、と、洩れそうになる言葉を飲み込んだ。聞いてはいけない気がしたから。モニターの向こうにあるスズカの表情は、トレーナーからは確認できない。それでもスズカの声は優しく、トレーナーの手はまたぴたりと止まって、少しだけ体温が上がる。これが、二人にとっての答えだった。


「あ─」


雨が上がる。トレセンの上空にかかっていた真っ黒な雲の、にわか雨だったんだろう。気づけば日差しが見えて、トレーニンググラウンドの濡れた芝がいつも以上に奇麗に見えた。


「……スズカ。グラウンドの整備が終わったら、少し走る?」

「え、いいんですか?」


遠慮がちに見えたが、その声はさっきよりも明らかに高く、軽やかに弾んでいた。


「うん。まあ時間ないから、本当に少しだけど……」

「ありがとうございます。でも、本当にいいんですか?お仕事は……」

「ああ、大丈夫だよ」


ぱたんと、ノートPCのカバーを閉じた。立ち上がって、トレーナー室の戸締りを用意する。ちらりと見たスズカの顔は、いつもと同じ見慣れた顔。

ずっと昔、スカウトしたころをぼんやりと思い出していた。あの頃は、気持ちよさそうに走る君が好きだったけど、今は。


「俺も、スズカが走っているのを見るのが好きだから」


─その言葉は、声には出せなかった。月並みな言い方だけど、この関係が変わってしまいそうだったから。いつか、君に伝えたいけれど。

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