不知火ちゃん

不知火ちゃん


 あーんあーん


 か細い泣き声が気になって足を向けると、そこには小さな子供が1人、丸まっていた。

 年は3つか4つ。当世風の数え方だと2つか3つ。親の保護が必要な年齢だ。

「どうした」

 ひょいと抱き上げるとわんわん泣いていた幼児はピタリと泣き止んだ。

 ふわふわした猫毛とくりくりした垂れ目。目の色はライムグリーンで髪は真っ白。

 なんとなく連想するものがあるが、それが何かははっきりとは分からなかった。

「スタッフの子か? 親とはぐれたのか」

 聞いたところで答えることはできるまいなと思いながらも話しかけてみる。

 涙で顔をぐしゃぐしゃにした子供は、ぱああっと満面の笑みを浮かべ、小さな小さな手で抱きついてきた。

「ちちえー」

 よしよしと頭を撫でながら、何を言われたか考える。幼児特有の舌足らずではっきりとは分からないのだが。

「いや、深くは考えまい」

 それより優先すべきはこの子供の世話である。飯は食ったか用は足したか。幼児は色々手がかかる。

 俺も生前子はいたが、世話は妻や女房に任せきりだった。具体的になにをすべきなのかはわからない。


 そう思って、とりあえず誰かいるであろう食堂に向かったのだが。



 ざわっと食堂全体がざわめいた。

 遠巻きに注視されているのを感じる。

 込められている意味は分かるが、俺の隠し子ではないぞ、いやほんとに。

「大将、水臭いな。いってくれれば盛大に祝ったのに。いや、今からでも遅くないか。越後の姐さんも呼んで、おっと丁度いい」

 立板に水の新八になんと言い訳をするか考えていたところで、現れたのは景虎だった。


「なんです?」

「何というか。おまえ、これ、心当たりあるか」

 すやすやと眠っていた赤子が、ぱちりと目を開く。その色は、まさに景虎の眼と同じ色だった。

「は?知りませんよ。あと、どっちかというと貴方に似てますよ、この子供」

「はあ?どこが」

「ふわふわの癖っ毛とか、垂れ目とか。肌の白さとか」

「肌はお前も白いだろうが」


 益体もない言い争いになりかけたのを制止したのは、赤子の一言。

「ははぅえー」

 両手を広げた赤子は、誰がどう見ても景虎に抱っこをねだっていた。

「は?え?無理ですよ。私、こんな幼い子供抱っこしたことありません。壊れます」

「壊れねぇよ。壊すなよ。首はすわってるから大丈夫だ」

「嫌です、怖い」

「じゃあこっち来て座れ」

 俺の腕から転がりそうに身を乗り出す赤子を抱え直し、景虎をソファーに座らせる。

「怖いならじっとしてろ。大丈夫だから」

 そして赤子を膝に乗せると、丸い両手できゅっと景虎にしがみついた。


 固まった景虎は、しばらくして恐る恐るとそれに触れ、恐々と抱きかかえた。

 微笑ましい光景だった。親の愛を知らず親になったこともない女にはいい経験だろうと、そう思っていた。

「あたたかい、ですね」

 ふわりと微笑んだ景虎は、まるで本物の母のように慈愛に満ちていて。

 その神聖なほどの美しさに、子供ごとその女を抱きしめたい衝動を俺は必死に堪えたのだった。


「ねぇ晴信。赤子というのは、愛しいものなのですね」

 どうして俺は生きているうちにこの女に子を抱かせてやれなかったのだろう。

 あまりにありえない、可能性もない、そんな後悔が脳を占める。

「そうだな」

 いつか、いつか、もしかしたら次の世では。それとも聖杯を得て生身の肉体を得られれば。

 終生口に出すことのない願いを秘めて、か弱い生き物の髪を撫でたのだった。


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