三輪「銀河鉄道の夜?」

三輪「銀河鉄道の夜?」



「……あれっ、ここは?」


三輪霞が目を覚ますと、電車の客室に身を置いていることに気が付いた。かたこと、かたことという心地良い走行音が徐々に意識に染み込んでくる。


「えぇ……私、まだ夢見てるのかな?」


三輪はまどろみながらも周囲を見回して状況を確認しようとする。少し踏み込むとキイキイと音を立てる木製の床。暖色のちらちら光る豆灯。青いビロードが張られた座り心地の良い腰掛け。それら全てが夢ではないという事実を五感から三輪に告げていた。


ふと、三輪は前の座席からちょこんと何かが飛び出していることに気が付いた。アレは……髷?

どうやらこの客室には前の座席に座っている人と三輪以外は誰も乗っていないようである。どこかで見たことがあるような、ないような……。何故か三輪は髷の持ち主が誰だか分かりたくて堪らなくなっていた。


(……えぇい、ままよ!)


三輪は立ち上がってゆっくりと前の座席へ歩を進める。一歩、一歩と近づく度に床板がキイキイと音を立てた。頬杖を付きながら真っ暗闇の外を眺めている髷の持ち主に、三輪は恐る恐る声を掛ける。


「あ、あのぉ……すいません……」


「……っ!どうしてここに!」


声を掛けられた髷の持ち主は、三輪の方を見やりながら目を丸くした。

その狼狽した様子に三輪は驚きつつも声を返す。


「えっ、ここって乗っちゃいけない感じの車両でした!?」


「いやっ、うぅん……そういうわけではないんだが……しかし、乗りっぱなしというわけにも……」


そのまま腕を組んでうんうんと唸り出した髷の持ち主を、三輪はそのまま観察する。

見た目や体格からして恐らく同年代だろうか?黒い髪、結った髷、切れ長の目、左頬の大きな傷……知らない青年である。それでも、三輪の胸中に湧き上がった懐かしさは消えないままであった。


三輪がそのまま視線を落とすと、青年の服に付いたボタンが目に止まる。


「あーっ!!!」


突然大きな声を出された青年はビクンと身体を跳ねさせた。そんな事には気にも止めず、三輪は矢継ぎ早に青年へ話しかける。


「それ!そのボタンって、呪術高専のやつですよね!」


「え?あぁ、確かにそうだが……」


「良かったぁ〜!こんな所で同校の人と会えるなんて思ってませんでした!東京校の人ですか?それとも窓の方?」


キラキラと目を輝かせる三輪から詰め寄られた青年は視線を斜め上に向けながらしどろもどろに答える。


「あー……窓、だな。うん、窓だ。」


「窓の方でしたか!いつも、助けられております!」


「こ、こちらこそどうも。」


突然慇懃無礼に頭を下げた三輪へ青年はおずおずとお辞儀を返した。


「あの!もし良かったらでいいんですけど、お名前伺ってもいいですか?私は三輪霞って言います!」


有無を言わさない、といった三輪の様子に青年は苦笑いしながら返答する。


「……幸吉だよ。与幸吉。ムタは与えるで、幸福のコウに吉兆の吉。」


「ムタ、コウキチ……良い名前ですね。じゃあ、与さんって呼んでも……」


「いや、幸吉でいい……それにそんなに畏まらなくて良いよ。多分、同い年だから。」


名前を褒められたのが嬉しかったのか、青年……幸吉は三輪へぶっきらぼうに言葉を投げかける。同じ呪術高専生で同年代、何故自分がここにいるのか分からない三輪にとっては唯一の信頼できる味方である。三輪はニッコリと笑った。


「それじゃあ……幸吉さんって、呼びます。私のことは三輪でも霞でも大丈夫です!……改めてよろしくお願いしますね、幸吉さん!」


幸吉、と呼ばれた青年も恥ずかしそうにくしゃっと笑う。


「……ははっ、そうだな。改めてよろしく、三輪さん。」


「……ところで、三輪さんはどうしてこの電車に?」


幸吉が三輪に問い掛ける。幸吉の正面の腰掛けに座って向かい合う形になった三輪は少し考え込んだ。


「うぅ〜ん……それが覚えてないんですよ。確か、大切なコトをしていた気がするんですけど……幸吉さんはいつからこの電車に乗っているんですか?」


「俺は……いつからだったかな。ずぅーっと、乗ってるよ。」


「……ずっと乗ってるんなら私が乗ってきた時に気が付きませんでした?」


「いや、残念ながら。ずっと外を見てたんだ。」


外を見ていた、という幸吉の話に合わせて三輪はチラリと窓の方を見やる。窓の外は黒い絵の具で塗りつぶしたように真っ暗であった。手を伸ばしたらそのまま飲み込まれてしまいそうな暗闇。三輪は何故かそれが堪らなく恐ろしいものに感じた。


「幸吉さん。この電車ってどこに向かってるんですか?」


三輪が神妙な顔をしながら幸吉に問い掛ける。


「もしコレが呪霊の生得領域だったら……私達オダブツですよ、オダブツ!いくら私が刀を持っているとはいえこのクラスの呪霊は……って、あ゛ー゛ッ゛!!!」


「ど、どうした!?」


「かっ、かっ……刀がっ……無いっ……!!」


どうして今まで気が付かなかったのだろうか、三輪の手元には刀が無かった。元々座っていた座席や腰掛けの下、上にある小さな荷物置き場も探したが影も形も無い。


「お、終わった……結構な値段するのに……」


ガックリと肩を落とす三輪。その落ち込みようを見兼ねた幸吉が声を掛ける。


「三輪さん、気を落とさないで。大事なモノなんだからきっといつか出てくる。」


「……そういうモノですかね?」


「あぁ、そういうモンさ。」


「三輪さん。ほら、窓の外を見て。」


落ち込みっぱなしの三輪を励まそうと幸吉は声を掛け続ける。


「……窓の外って言っても真っ暗じゃないですか。」


「最初はそうだよな。でもほら、ようく目を凝らして。」


幸吉に言われた通り、三輪は窓の外へ目を凝らす。じっと暗闇を見つめていると、全てを飲み込んでしまうような真っ暗闇の中にきらりと光る何かを見つけた。

1つ見つけると他の瞬くモノたちも目に留まるようになってくる。


「わぁ……!」


三輪が暗闇だと思っていたそれは、大きな大きな星空だった。大小様々な星がちらちら、ぎらぎらと瞬いている。青白く光る銀河の岸には背の高い葦のような植物が生い茂っていた。


「……私、やっぱりまだ夢を見てるんですかね?」


「どうだろうなあ。」


二人はしばらく、この世のものとは思えない幻想的な風景を車窓から眺めていた。


「……俺は、赦されるんだろうか。」


窓の外を眺めながら幸吉がポツリと呟く。


「俺はただ、皆と会いたかっただけなんだ。その目的を達成するためならどんなことでもするつもりだった。けれども、それは皆にとっての幸福では無かったんだ。」


三輪には幸吉の言っている事が分からなかった。けれど、それが何か他人事では無いような、そんな気だけはしていた。


「……悪いことも、したんですか?」


「……ああ。」


三輪は思わずうぅんと考え込む。普段であれば相槌を打って流すような話だが、今回は……今回だけはしっかりと返答しなければいけないと感じていた。


「正直、私には幸吉さんが抱えている悩みの事は分かりません。ただ……悪い事をしたのであれば、その罪とは向き合わなくちゃいけないと思います。」


「……」


幸吉は静かに三輪の話に耳を傾けている。


「それでも……みんなと会いたいって気持ちも、分かります。私も高専のみんなが大好きですから。歌姫先生に真依や桃、加茂先輩に……東堂先輩はちょっと怖いけど。」


三輪があれやこれやと友人の名前を挙げる様子を幸吉は優しい目で見つめていた。


「それとメカ丸です!私と同じ学年なんですけど……色々あって、直接話した事が無いんです。もっと仲良くなりたいから今度お見舞いに行っていいかな?って聞いたんですけど……なんて言われたんだっけ……」


三輪は少し考え込む様子を見せたがすぐにぶんぶんと頭を振って仕切り直す。


「……私の話ばっかりになっちゃいましたね。ともかく!幸吉さんは会いたい人に会えた時、全部話してみればいいと思います。赦される、赦されないは別としてもそれが1つのケジメですから。」


三輪の言葉を聞いた幸吉は少しだけ険しい表情になり、唇をぎゅっと結んだ。沈黙が2人の間に流れる。すうっと息を吸い込んだ幸吉は意を決したように口を開いた。


「三輪。俺は──」


「わっ!ととと……」


幸吉の言葉を遮るように列車がぐんっと停止する。気を抜いていた二人も思わずがくんとよろけてしまった。転びそうになった三輪を幸吉が身体で受け止める。


「えへへっ……すいません、つんのめっちゃいました。」


「いや……大丈夫だ。」


バツが悪そうな顔をしてはにかむ三輪から幸吉は目を逸らす。照れているのだろうか、その動きはぎこちない。その様子は手を繋ぐのを嫌がる三輪の弟のようで、どこか懐かしく思えた。三輪はそのまま駅の看板を見やる。


「……知らない駅ですね。プリオシン……海岸?」


ぼんやりと光る白い柱に規則正しく並んだプラットホームの一列の電燈。ホームにぶら下げられた時計はきっかり11時を指しており、その下には【20分停車】と書かれている。


「少し降りてみようか?」


「そうですね!ずっと座りっぱなしも良くないですし。」


二人は同時に立ち上がってドアを潜り、そのまま無人の改札を抜けた。


改札を抜けると、そこには小さな広場があった。イチョウの木に囲まれた広場から幅広の道がまっすぐに延びており、その先には駅名に相応しく海岸のようなものが見える。

人の気配がまるでない小さな街を、二人は肩を並べて歩き出した。目指す先はもちろん海岸である。


「この街はなんだか不思議ですね。誰も居ないけれど、キラキラしていて温かいです。」


「……随分詩的な表現を使うんだな。」


「……う〜っ!そう言われたら急に恥ずかしくなってきた!今のトコ忘れてくれません?」


「ははっ、無理言うなよ……おっ、これは……」


幸吉は突然立ち止まり足元に落ちていた何かを拾い上げる。三輪が覗き込むと、それは小さな石であった。


「何ですかそれ……石?」


「まぁまぁ……コレを空にかざすと、ほら!」


幸吉が石を摘んだ手を高く掲げると、石が光を集めて水晶やトパーズのようにキラキラと輝いて見えた。


「わぁ……すごい!何かの鉱石ですか?」


「これはな、中で小さな火が燃えてるんだよ。」


「……さっき変な事を言った私への当てつけですか?それともよく分からないから雰囲気で誤魔化してるだけ?」


幸吉はくしゃっと笑いながら三輪に小石をひょいと投げて渡した。


そんな事を続けているうちに、2人は海岸まで辿り着いた。白い砂が星の瞬きに呼応するようにチラチラと光る。普段なら不快に思うような重い潮風も、今はさほど気にならなかった。石で作られた小さな階段をパタパタと下り、そのまま砂浜を散策する。

波の音を聞きながら何をするでもなくぷらぷらしていると、海辺の遠くにぽつんと立つ人影が見えた。


「幸吉さん、アレって人じゃないですか?」


「あー……そうだな、珍しい。」


「……近付いてみません?」


「近付くくらいなら、まぁ……」


2人は小走りで人影に近づく。サクサクと言う小気味よい足音が静かな砂浜に響いた。


近付くに連れて朧げにしか見えていなかった人影の正体が見えてくる。

スラリとした細身の身体、少しだけ緑がかったボブヘア、その姿は、どこからどう見ても──


「──真依!?」


三輪と同じ京都校の生徒である、禪院真依その人であった。呼び掛けられてコチラの方を向いた真依もハッとした表情を浮かべて2人の方へと駆け寄ってくる。三輪が続けて何かを口に出そうとした瞬間、真依は三輪の両肩を掴んで狼狽した様子でまくし立てる。


「霞!?アンタっ、どうしてここにっ……!」


「真依こそどうしてこんな所にいるんですか……もしかして私と同じように、突然ここに……!?」


「馬鹿っ、突然こんなトコに来る訳がないでしょ……!」


その時、真依は困惑する三輪の少し後ろで所在無さげに立ち尽くしている青年の存在に気が付いた。


「霞、アンタの後ろにいるソレって……」


「えっ、あぁ……初めましてですもんね。紹介します、同じ高専生の幸吉くんです!幸吉さん、こちらは私と同じ京都校の禪院──」


「いや、紹介は大丈夫だ……もう知ってる。」


「えぇ、私も知ってるわよ……『幸吉』。」


「なんだぁ、2人とも知り合いだったんですね!任務で顔合わせた事があるとか?」


「……まぁ、そんなとこだ。」


「えぇ、そんなとこね……幸吉、ちょっとコッチ来なさい。」


真依は三輪の肩を掴んでいた両手を離し、幸吉を少し離れたとこまで引き摺る。そうしてそのままヒソヒソと何かを話し始めた。


(……もしかして何かアレな関係性の人だったのかな、やっベェ……私、とんでもないやらかしをしちゃったのかな……)


暫しの内緒話も終わり、2人が三輪の方へと戻ってくる。三輪が空気を変える為に何かしらの話題を降る前に真依が口を開いた。


「霞、まぁ……取り敢えずは大丈夫よ。然るべき所まで幸吉が付いてってくれるみたいだから。」


それに合わせて幸吉もこくこくと頷く。


「はぁ、然るべき所……っていうか、どうして真依はココにいるんですか!」


「私は……ここが然るべき所だから、かしら。」


真依は目線を海岸の方へと向けた。その目は海岸線のずっと向こうを見つめているようで、三輪にはそれがどこかとても寂しく思えた。


「……真依も、一緒に行きましょうよ。」


「無理よ。私の終着点はココなの。」


「でも……なんか、寂しいですよ。3人で行きましょう?電車もまだ停まってますし、それに──」


「三輪さん。」


なおも食い下がろうとする三輪の声を幸吉が遮る。


「言ってるだろ?真依……さんは、ココが終着点なんだ。ココから先へは、電車じゃ行けない。」


「……それじゃあ、真依はこれからどうするんですか。」


「私は……そうね、ここは少し肌寒いし、暖かい所へ向かおうかしら。」


真依は微笑みながら自身の手のひらを見やる。その手には何も握られていなかったが、何か大切なものがそこにあるように優しく、慈しむようにその部分を撫でた。真依はそのまま三輪と幸吉に目線を戻す。


「ほら、もうすぐ電車が出る時間じゃないの?さっさと行きなさい。」


「真依……これでさよならじゃないですよね?」


三輪は不安そうに真依へ語りかける。真依はそれに対しては何も応えず、ただ優しく微笑んだ。


「……幸吉、さっさと霞を連れて行きなさいよ。早くしないとホントに電車行っちゃうわよ。」


幸吉は頷いて三輪の手を取り、先程自分たちが下ってきた階段へと歩き出す。


「さようなら、幸吉。さようなら、霞……元気でね。」


三輪は駅へと戻る道すがら、何度も後ろを振り返る。振り返る度にひらひらと手を振る真依の姿はどんどん小さくなり、最後にはどこからか飛んできた雁の影に隠れて見えなくなった。


電車が発車してもなお、三輪は沈んだままだった。

かたこと、かたことという走行音が重苦しい空気の中で響く。


「切符を拝見いたします。」


「「ぅわっ!?」」


沈黙が突然破られる。2人の席の横にいつの間にか立っていた背の高い、赤い車掌帽を被った男がずいと手を出してきた。


「えーと……き、切符ですか?私そんなの持ってたかな……」


三輪が困ったように幸吉の方を見やると、幸吉はわけもないといった風に小さな切符を車掌に見せていた。


(えぇ〜……もしかして切符持ってないのって私だけ……!?)


三輪は慌てた様子でスーツのポケットをまさぐる。ガサゴソと乱暴に漁る指先に、何か硬いものがツンと当たった。


「こっ、これをお願いしますっ!」


最悪切符じゃなくても良い、もし見つからなければ幸吉も誤魔化すのを手伝ってくれるはず……という思いで三輪は手に当たったそれを車掌に渡す。車掌は手渡されたそれを丁寧に確認すると、小さく感嘆の声を上げた。


「お嬢さん、この切符はどこから?」


「え、えぇと……すいません、実はよく分からないんです……」


「そうですか、そうですか。なにぶん、珍しい切符だったものですから。これはどこでも勝手に歩ける通行券のようなものですよ……いやぁ、久し振りに見たなぁ。」


車掌はしきりにうんうんと頷きながら切符を丁寧に三輪の手に返して、再び来た方へと戻っていった。車掌が立ち去ったのを確認したあと、三輪は訝しげに幸吉へ質問する。


「……これ、そんなにレアなやつなんですか?」


「さぁ……でも車掌が言ってるんだから、そうなんだろうな。」


それから、三輪と幸吉は電車に乗り続けた。

どれだけ揺られただろうか。どれだけ色々なものを見ただろうか。青い橄欖の森、キラキラと輝く天の川、焼けるように赤く輝く蠍の火……その全てがこの世のものとは思えない輝きを放っており、全てが2人の感情を揺さぶった。


また、2人は電車に揺られている間に色んなことをたくさん話した。幸吉の好きなロボットアニメの話、三輪の弟の話、高専の友人たちの話……初対面とは思えないくらいに会話は弾み、一生このまま話し続けられるのではないかと錯覚しそうになるくらいであった。


「あはははっ!幸吉さんったら、おかしいんだから、もう……」


ヒイヒイと笑う三輪はなんの気無しに窓の外を見やる。


「……あれっ。幸吉さん見てください!なんか……外白くないですか?」


いつからだろうか、気が付くと外がすべてを飲み込むような真っ暗闇から真っ白に変わっている。それに、これは……


「……雪だ。幸吉さん、雪ですよ!」


子どものようにきゃあきゃあとはしゃぐ三輪とは対象的に、幸吉の顔はどこか辛そうであった。


ぷしゅう、と音を立てて電車が停まる。ドアが開くとひんやりとした空気とまばらな雪が車両内に流れ込んできた。


「幸吉さん、降りてみましょうよ!」


「……あぁ、そうだな。」


腰が重い幸吉とは対象的に、三輪はバタバタと駆け足で外へ出る。


「あははっ、すごいすごい!こんなに積もってるのは初めて見ました!」


年甲斐も無くはしゃぐ三輪に幸吉は苦笑いしながら付き添う。駅の外はどうなっているのだろうか、三輪は期待に胸を躍らせながら改札を通り抜けた。


「……あれっ、なぁんだ。」


改札を抜けた先には、何も無かった。だだっ広い雪原に、静かにしんしんと雪が振り続けている。建造物や木々の類も見当たらず、地平線の向こうまで真っ白い雪が続いていた。

静寂と孤独。ここにはその2つしか無い。


「……なぁ三輪さん。もう電車に戻らな──」


何かを言いかけた幸吉の顔面にぼふんと雪玉がクリーンヒットする。ぶんぶんと頭を振って雪を取っ払った幸吉の目の前には雪玉を数個抱えてニヤニヤと笑う三輪が立っていた。


「にひっ、隙ありですよ!」


そう言うやいなや三輪は再び雪玉を幸吉へ投げる。2投目はなんとか上体を逸らして躱す事ができたが、バランスを崩してそのまま背中から転んでしまった。


「……ははっ、やったな!」


幸吉はようやく笑顔を見せ、にぎゅにぎゅと雪玉を作って三輪に放り投げる。

静かな雪原での2人きりの雪合戦はしばらく続いた。


「あははははっ、あはっ、あはははっ……はぁ、はぁ……」


笑い疲れたと言わんばかりに三輪と幸吉は雪原にぼふんと座り込む。お互いの悴んだ指と上気した顔が真っ白な雪原の中では目立って見えた。


「……こんなにはしゃいだのは、いつぶりだろうなぁ。私、呪術師になってからずっと剣の練習ばっかりだったから。」


「……そうか。」


「幸吉さんはどうです?楽しかったですか?」


「あぁ……人生で一番、楽しかったよ。」


「ふふっ、それなら良かったです……そろそろ戻りましょうか?」


「……そうだな。」


幸吉は一足先に立ち上がると三輪へ手を差し伸べる。三輪はにへっと笑ってその手を取り、立ち上がった。


「うぅ〜っ、寒い寒い……!」


出ていった時のように駆け足で車両内に戻る三輪。しかし、幸吉がそれに続いてこない。


「幸吉さん、何してるんですか?ほら、早く乗って──」


「ごめん。俺は、乗れない。」


「……え?」


「俺の切符はここまでなんだ。だから……ごめん。」


「いっ……いやいやいや!ちょっと待って下さいよ!だって……言ったじゃないですか、私を然るべき所まで送り届けるって!」


幸吉は目を伏せ、黙っている。三輪は声を上ずらせながら続けた。


「こっ、ここまで2人で来たじゃないですか!どこまでもどこまでも2人で行きましょうよ!」


「……」


「……ひとりぼっちは、嫌ですよ。」


「……」


「〜っ!なんとか言ってくださいよ、メカ丸ッ!!」


その瞬間、幸吉は身体を強張らせて顔を上げる。


「いつから、気付いてたんだ……?」


「……確信したのは、真依と別れてからです。真依があんな接し方するのはメカ丸か加茂先輩くらいでしたから。」


幸吉は暫し瞑目して天を仰ぐ。そしてふうっと大きな溜息をついたあと、再び三輪に向き直った。


「……三輪、気付いているなら尚更理由は分かるだろ?俺は、そっちに行っちゃいけないんだ。裏切り者なんだよ。俺のせいで大勢死んだんだ。京都校のみんなにも散々迷惑を掛けた。だから、俺は──」


「知りませんよそんなのッ!」


三輪は激情のままに言葉を叩き付ける。


「自分勝手にッ、一人で全部抱え込んでッ!!その挙句なんですかッ、幸せになってくれって……!」


三輪は幸吉の胸ぐらをぐいと掴む。いつの間にか、三輪の目からはぼろぼろと涙が溢れていた。


「私の『幸せ』の中には、あなたも居ないとダメだったのにッ……!」


「……三輪。」


「全部、独りよがりなんですよ……あなたの事を忘れられない誰かのことは、どうでもいいんですか……?」


三輪は泣きながらずるずるとへたり込む。


「……ごめん、ごめんよ。俺は、そんなつもりじゃ無かったんだ。」


「……分かってますよ。メカ丸の、幸吉の罪が簡単に許されるモノじゃないコトも。こうして罰を受けなきゃいけないコトも。」


「……」


「でもッ、おかじいじゃないでずか、ごんなの……!」


三輪はグズグズと泣きべそをかきながら辿々しく続ける。


「自分の幸せを追求することのッ、何が罪なんでずかッ……!!」


幸吉は涙でぐしゃぐしゃになった三輪の顔を優しく撫でる。


「……三輪、もういいよ。ありがとう。」


「よぐないでずッ!」


「いいんだっ!!!」


突然大きな声を出された三輪は思わずひゅうっと息が詰まってしまった。


「……いいんだよ。俺がやった事はどう取り繕っても悪であり、罪なんだ。しっかりここで償いをするよ。」


「ぐずっ……ひっぐ……嫌だよぉ……」


「ありがとう、三輪……正直、俺は怖かったんだ。この先に何が待ってるか分からなかった。でももう、一人で大丈夫だ。」


「いいか、三輪。この電車はここから南十字星の方に向かうんだ。サウザンクロスを超えたら天の川が見えてくる。そこには石炭袋のような真っ黒な穴が空いているんだ。そこまで行けば、もう大丈夫だ。」


「わがんないッ……わがんないよぉッ……」


「ありがとう、三輪。俺の為に泣いてくれて。俺の事を幸吉と呼んでくれて。俺はもう、十分に幸せ者だよ。」


発車ベルがジリジリとけたたましくホームに響く。幸吉はぐずる三輪の身体を無理矢理自分から引き剥がした。


「嫌だッ、幸吉ッ!!幸吉ッ!!!」


「京都校のみんなにも宜しく頼むよ。……三輪、幸せになってくれ。」


バタンと、ドアが閉まった。列車が動き出しホームと幸吉がゆっくりと遠ざかっていく。


「ぐぅっ、うう゛ぅううぅ〜〜ッ……ごうぎぢっ、ごうぎぢぃ゛っ……!!」


一人きりになった車両にはずうっと三輪の泣き声だけが響いていた。


「……み、かすみ!霞!!ちょっと、霞が目ェ覚ましたよ!!家入先生呼んできて!!!」


気が付くと三輪は、ベッドに寝かされていた。目の前には涙で顔がグシャグシャになった西宮桃が居る。頭に巻かれている血の滲んだ包帯が痛々しく見えた。


「……桃?ここは──」


「霞っ、アンタ大丈夫なの!?痛いとことか無い!?」


「私より、桃の方が……あだだっ!」


起き上がろうとした三輪を桃はベッドに押し返す。


「ダメダメダメ!!霞、アンタ3日間寝たきりだったんだから!!」


「……えっ?」


「宿儺の野郎、最後の最後にとんでもない技をカマしてきやがってな。お前らの建物まで巻き込まれちまったんだよ……覚えてないのか?」


病室の隅に座っていた日下部が怪訝そうな顔をしている三輪に説明する。その全身に残る生々しい傷跡が戦闘の激しさを物語っていた。


「えぇと……ハイ、覚えてないです。すいません。」


「お前ッ、師事してた人間の勇姿を覚えてないってのはなぁ……まぁ、お前が生きてて良かったよ。目ェ覚まさなかったらどうしたモンかと思ってた。」


頷きながら桃が続ける。


「建物の崩落にみんな巻き込まれちゃって……他のみんなは目を覚ますなり何なりしてたんだけど、霞だけずっと寝たきりだったんだよ?」


「はぁ……」


未だに状況の理解が追い付いていない三輪はただ、それらに曖昧な返事を返すだけだった。


「……あれっ、霞。手に握ってるそれは何?」


「えっ、何だろうコレ……石?」


三輪の手には小さな石のようなものが1つ握られていた。


「うぅん……何だろうなぁ……」


三輪が蛍光灯に石をかざすと、その石は光を集めて水晶やトパーズのようにキラキラと輝いた。


「わあっ、凄い!霞、そんなんどこで拾ったの?」


「えぇ〜?覚えてないなぁ……でもコレ、凄いですね。中で小さな火が燃えてるみたい。」


「……霞、アンタやっぱり頭とか打ったんじゃないでしょうね?」


「酷い!でも……この石は、大切にします。」


そう言って三輪は再びキラキラと輝く石に目を移す。キレイだけど、見つめ続けているとどこか胸が詰まるような……そんな石。三輪は少し微笑むと、石を優しく握った。


おわり

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