一番想うあなたへ…三次創作SS
黒恋 翔(くろこい しょう)。それが疑似生命体ブラックペッパーに与えられた……正確には、彼が自分で考えだした名前だった。
「黒胡椒をもじって黒恋翔って、お前、もう少しこう、なんとかならなかったのか?」
「本音をいえばブラックペッパー以外の名前が必要とは私には思えない。他に名前が必要だと言われたから、こう名乗るだけだ」
拓海の問いかけにブラぺ:翔は生真面目な顔でそう返した。
パムパムの献身によって産まれた彼は、紆余曲折の末に品田家の親戚として、オリジナルである拓海と共に暮らしていた。
「しっかし黒恋って、そんな小っ恥ずかしい名字を名乗るか。センス疑うぞ」
「センスの無さは君譲りだと言っておこう」
「俺のせいか!?」
「そんな細かいことはどうでもいい。そもそも私はブラックペッパーである自分に誇りを持っている。その名を名乗れないのは耐え難いんだ。この名がダメだというなら、拓海、君の名を私に寄越せ」
「はあっ!?」
「私はブラックペッパーであり品田拓海だ。ここねの為にそうあるべしと産まれて来た。だから、私は君であらねばならんのだ…」
「お前……」
馬鹿なことを言うな、と一蹴することは拓海にはできなかった。
ある少女への愛を産まれながらに背負った少年。それが、このブラックペッパー・黒恋翔だった。
〜〜〜
湖の見えるテラスでの食事、それが芙羽ここねの変わらぬ日常だった。ひとりっ子のここねが多忙な両親と食事を共にすることは滅多にない。それを寂しいと思ったことは何度かあったけれど、どんなに離れていても家族の絆は消えないことを確信しているから、今ではあまり苦にならない──はずだった。
あの日、自分の半身ともいえるパートナー、パムパムを失って以来、彼女の食事は何もかもが色褪せていた。
テラスから望める青い空と緑豊かな雑木林、手前に広がる湖面が穏やかな陽射しを受けて輝いていても、ここねの心は静かな哀しみに沈んでいた。
「ここね……」
「ッ!?」
少し低い、でも優しい声が彼女を呼び、ここねは思わず身を固くした。
声をかけたのは黒恋翔だった。その手にはここねの昼食を載せたトレイがある。彼は今、芙羽家が営む高級レストランにコックの見習いとして働いていた。
「賄いを任されたんで作ってみたんだ。食べてもらえないだろうか」
翔のその声は落ち着いていたが、ここねに対する期待と不安が微かに混じっている。
彼女はこの自分を受け入れてくれるだろうか。そう問われている気がして、ここねは顔を上げ、微かに頷いた。
「あ…ありがとう……いただくわ」
「良かった!」
翔の声が明るくなって、その顔にはきっと微笑みが浮いてるのだろう、と分かった。だけど、ここねはその顔を見れないでいた。
顔を上げれば、すぐそばに自分の想い人と同じ顔をした少年が、その素敵な笑顔をここねに向けてくれているはずなのに。
「ハンバーグとパン、サラダだ。パンには全粒粉を使用して──」
テーブルに並べられたのはプロ顔負けの見事な料理だ。厨房のスタッフからもその腕前は太鼓判を押されていて、正式な調理員として客に料理を振る舞うのも遠くないだろうという話だった。
その腕前に加えて、彼はここねの健康などにも考慮して、その材料やカロリーなどもきめ細やかに配慮してくれていた。
料理を最も美味しくするスパイスが愛情というなら、翔の料理には誰よりもそれが込められている──はずなのだ。
「このサラダは今朝採れたばかりの新鮮な──」
「──黒恋さん。食べ終わったら、呼びますね」
「……はい」
ここねの気配を察して、翔はスッと身を引き、そのままテラスから去っていった。
また、彼を傷つけてしまった。
ここねは目を伏せたまま、小さくため息を溢しながら、皿の上の小さな丸いパンを手に取った。焼きたてのそれを指で千切る。ふっくらとした感触と共に素朴な小麦の香りが立ち昇る。
それを一口、頬張ったけれど……それはきっと美味しいはずなのに……ここねには、味がわからなかった。
芙羽ここねの恋を叶える為に、エナジー妖精パムパムがその命と引き換えに生み出したもう一人のブラックペッパー:黒恋 翔。
彼の存在理由はただ一つ。芙羽ここねを想うこと。
だけどそれは、彼女を幸せにしたいと願ったパムパムの想いを翔が引き継いだからだ。
(ごめんなさい…パムパム…)
大切なパートナーにそんな行動を取らせてしまったのは、自分の短慮な片想いのせいだ。叶わぬ恋と諦め捨ててしまえば良かったのに、彼への未練が捨てきれず恋に恋したまま引きずり続けた、この自分のせいで。
私はなんと業の深い女だろう。自分のために産まれてしまった新たな生命と向き合うことを恐れ、ずっと立ち止まり続けるなんて。
翔の自分への想いが本物だと知っている。でもそれは彼自身の想いじゃない。自分のわがままが生んだ都合のいい願いを押し付けているに過ぎない。
彼の想いを受け取ることはできない。受け取れば、それはきっと生命に対する愚弄だろう。
……なのに、なのに、彼を、翔を拒むこともできない。パムパムの行為を否定する勇気なんてない。翔から存在理由を奪うことが怖い。
(パムパム…どうして……私なんかのために……どうして……!?)
「ここね…?」
呼びかけられて、ハッと顔を上げたそのすぐそばに、翔の顔があった。
「ッ!?」
「もしかして、気分が優れないのか?」
真摯に気遣う彼の眼差しに耐えきれず、ここねは顔を逸らした。
その視線の先で、空は既に赤く染まり黄昏ようとしていた。いったい自分はどれだけの時間、物思いに耽っていたのだろう。テーブルの上にはほとんど手をつけなかった料理が、寂しそうに冷め切っていた。
それがあんまりにも後ろめたくて、
「ごめんなさい…」
呟きながら席を立ったここねに、翔が手を伸ばした。
ずっと哀しみに曇っていた彼女を放っておけなくて、このままだとここねが遠くへ行ってしまいそうで、それを引き止めたくて、翔は思わず手を伸ばし、去ろうとするここねの腕を掴んだ。
「待ってくれ──」
「─嫌ッ」
悲鳴のような否定の言葉と共に、その手は振り払われた。ここねの体がよろめき、テーブルにぶつかった。割れる皿、飛び散る料理。
その一瞬、空気が凍った。
──ここね…どうして…私をそんな目で見るのだ……
ここねのあまりにも辛そうな眼差しに耐えられず、翔は後ずさり、そして……
……逃げ出した。
「待って!?翔、違うの!お願い、待って!?」
慌てて手を伸ばそうとしたが、全ては手遅れだった。
ブラックペッパーそのものとして産まれた彼は、その常人離れした力で跳躍し、たちまちのうちに何処かへと去ってしまった。
そんなつもりじゃなかったのに。
振り払ってしまったのは、自分への嫌悪感が理由だった。翔は、こんな私に触れちゃいけない。あなたに罪はないのに…それなのに……ッ!
追わなくちゃ。
でも、私に追う資格なんてあるのだろうか。謝罪する資格なんてあるのだろうか。
ブラックペッパーの業を背負わせて生み出した私の罪の赦しを乞い、彼の気持ちに甘んじろとでもいうのか。
なんと傲慢な女か、私は。
「でも…でも…ッ!」
ここねは走り出していた。
なぜなら、翔があの時、泣きそうな目をしていたから。
莫迦で傲慢な想いとわかっている。それでも、彼の涙を拭ってあげたかった。
街へ出てあたりを見渡す。けれど翔の姿はどこにも見当たらない。
自宅である品田家に戻ったのかもしれない。そう考え、その方向へ向けて通りを曲がった時、出会い頭に現れた人影とぶつかってしまった。
「きゃっ!?」
「ご、ごめん!」
跳ね返され、倒れそうになったここねを相手が咄嗟に手を伸ばして抱き寄せるように支えた。
その声と、そして間近に迫っていたその顔は、
「翔!」
「え?」
「──拓海…先輩…?」
黒恋 翔のオリジナル、品田拓海だった。
〜〜〜
夕飯用の買い出しから帰宅した和実ゆいは、隣家の玄関先で、幼馴染そっくりの姿をした少年が項垂れているのを見つけた。
「あ、翔くん。何やってるの?」
「キュアプレシャスか…いや、気にしないでくれ」
「そんなこと言われたら余計に気になるよ〜。あ、それといい加減さぁ、普通にゆいって呼んでくれないかなぁ。変身してない時にそう呼ばれるとなんか調子狂っちゃうよ」
「それはできない。私が君のことを名前で呼ぶのは拓海に申し訳ない」
「なにそれ〜、変なの」
「そういえば拓海はどうした。一緒じゃないのか」
「おかずに使う材料の買い忘れがあったんだってさ。──ほら、ウチに上がりなよ。今から夕飯を作るから手伝って」
ゆいに促され、翔は和実家の敷居を跨いだ。ゆいと拓海はお隣さんの幼馴染で、同じ家族のように食事を共にしている。品田家の一員となった翔も、それが日常になっていた。
「でもさ〜、翔くんと夕飯作るのも久しぶりだね。ここねちゃんのとこで働き出してから時間合わなかったしさ。早く帰ってくるなんて珍しいじゃない」
「……プレシャス、今夜は炊き込みご飯か?」
「うん、そう。だったら翔くん、炊き込みご飯お願いしていい?あたし他のおかず作っちゃうからさ」
「わかった」
キッチンに二人並んで手早く調理を仕上げていく。料理人として働く翔は無論のこと、ゆいも手際よく食材の下拵えを進めていた。
「腕を上げたか、キュアプレシャス」
「まぁね、拓海に頼ってばっかりてのも情けないから。──あ、翔くん、待って」
翔が米を研ぎ終えてすぐに具と調味料を入れようとしたのをゆいは止めた。
「調味料は後回しにして、先に水だけをお米に吸わせてあげて」
「そうなのか」
「うん、そうするとよりふっくら炊き上がるんだ。おばあちゃん言ってた。お米を炊くのは愛情と同じ、ゆっくり焦らず染み渡らせるの。そしたらやがて、ふっくら育ってあったまるから、って」
「ふっくら育つ……か……米料理には疎いので勉強になる」
「翔くんはここねちゃんのためにパンとかフレンチとかが中心だもんね〜。…さてと、お米が水を吸うまで少しお茶しよっか」
ゆいは軽く笑いながら下拵えを済ませると、手を洗い、薬缶を火にかけた。
「……話たいことがあるなら聞くよ、翔くん?」
〜〜〜
日が暮れゆく公園の片隅。そこのベンチで、ここねは拓海と並んで腰掛けていた。
「そっか。翔のやつを泣かせちまったか…」
「…はい」
落ち込むここねに、拓海はやれやれと頭を掻いた。
パムパムの件でここねが自分を責め続けていることは、親しい者たちなら皆知っている。だから、いつかこうなってしまうだろうとは拓海も予想していた。
だけど、こうなるしかないんだ。拓海はそう腹を括っていた。それは彼だけでなく、皆、同じ気持ちだった。その時が来た。それだけだ。
「芙羽、お前は翔のことをどう思っているんだ」
「……わかりません。でも」
私に、彼から想われる資格なんてない。けれどそれを否定したら彼が傷つく。傷つけてしまった。そんな自分がどうしようもなく憎くいし、それになによりも翔が哀れすぎる……。
嗚咽混じりに、絶え絶えに、そんな想いがポロポロと涙と共にこぼれ落ちた。
そんなここねの俯いた頭に、拓海は優しく手を置いた。
「…先…輩…?」
「すまん、芙羽。あいつは俺に似て莫迦だから…兄貴として謝っとく」
「莫迦だなんて、翔はそんなこと…!」
「そう言ってくれて嬉しいよ」
拓海は笑いながら軽く撫で、ここねから手を離した。
「あっ……私…」
「すこし、落ち着いたか?」
「はい…」
「翔はな、ガキなんだよ。俺も大概ガキっぽいけど、そんな俺をモデルになんかしたから、ほんと恥ずかしいくらいにガキなんだ」
「そんなこと…ありません。翔はブラックペッパーと同じくらい頼もしくて…優しくて…」
そう口にしながら、ここねはまさにそれをブラックペッパー本人に向けて言っていることに気がついて赤面した。
拓海は苦笑し、指で頬を掻きながら言った。
「ま、まあ翔への褒め言葉と受け取っておくよ。…でもな、ブラックペッパーの時の俺がそう見えてたなら、それは誤解さ」
「誤解?」
「…ゆいや、芙羽たちがプリキュアとして戦っているのに、俺だけいつも力不足で、出遅れたり、時には足も引っ張ってさ……我武者羅だったんだ。で、必死に見栄を張ってさ……ゆいのために」
頬を掻きながら目を逸らした拓海の、その顔は赤く染まっていた。
「一番大切に想ってるやつのためにさ、素直になれなくて、本当の自分とか出せなくてさ…は、恥ずかしくなって…必死に取り繕って強く見せたかったんだ……」
守りたかった。父を陥れた敵への復讐という動機以上に、ゆいを守るために強くなりたかった。
「そんな莫迦みたいな俺そっくりだから、翔は、それしか知らないんだ。相手の気持ちがわかってるはずなのに、ガキみたいに自分の気持ちを貫こうとして、空回ってばかりさ」
「翔が…私の気持ちをわかってる…?」
拓海は頷いた。
「わかってるけど、止まらないんだよ。あいつはそういう奴だから」
「そういう風に産まれてしまったからです。…翔の気持ちは、パムパムから与えられたもの。私のわがままで都合の良い願いでしかないのに…」
「かもな。でも、男ってのは単純なんだ。惚れた女の子のためなら、見境なく空回りたくなる生き物なのさ」
「……先輩はどうしてゆいのことが好きなんですか?」
「さあね……でも、昔から隣に居た。案外、たったそれだけのことだったのかも知れない。…翔を見ていると、俺だってたまに思うんだ。もしゆいへのこの気持ちが始めから誰かに仕込まれていたとしたら、どうなんだろうって」
「……」
その答えを知りたがるここねの視線に、琢磨は応えるように笑った。
「むしろ感謝するね」
「感謝、ですか?」
「ああ、ゆいを好きになるきっかけを作ってくれたことに…な。……そりゃな、アイツは食い意地張ってるし、お人好しで見境なく色んなことに首を突っ込むし、俺には何言っても良いみたいな感覚で図々しいし、いい加減にしろって思ったことばっかりだ」
でもなぁ、と拓海の顔が緩んだ。
「まぁ、そうやってお互い、呆れたり、怒ったり、喧嘩したり……傷つけちまったり…色々あって、でもその度にさ、好きって想いが育っていく。そんな気がするんだ」
「………」
「なぁ、芙羽……翔の想いは、確かにパムパムから与えられたものだ。だけど、翔にとっては紛れもなく本物の想いなんだ…」
それを育てるチャンスをどうか与えてやってくれないか。拓海はそう言って、ここねに頭を下げたのだった。
〜〜〜
「そっか……ここねちゃんに嫌われちゃったか…」
「私が悪いんだ。彼女が私のことで自分を責めていたのはわかっていた。……私の存在が、ここねを苦しめているんだ」
「でも、だからここねちゃんのために何かしたかったんだよね?」
「しない方が良かったんだ。…何もしなければ…始めから身を引いて近づかなければ、彼女を傷つけることは無かった…!!」
それでも離れることはできなかった。自分の存在理由を失うことが怖かった。
ここねを想っているなどと、どうして言えるのか。想っているのは、自分の気持ちだけじゃないか。
ここねよりも自分の気持ちを優先して、君のためだなんて戯言で誤魔化しながら、ずっとここねを傷つけてきた。
こんな最低な存在など、否定されて当然だ。わかっていた。いつかこうなるとわかっていた筈だ。なのに……
いざその時が来ると、こんなにも動揺してしまうなんて。
本当にここねを想うなら、消え去ってしまえばいいのだ。ここねの前から姿を消して、二度と逢わなければいい。あの時、そう考えたから、逃げるように去ったのだ。
それなのに、のうのうとした顔で住み慣れた場所に帰ってきた。
「自分が情けない……私はいったいどんな顔をしてこれから生きていけばいいんだ…」
「ん〜、拓海の顔かなぁ」
「それはそうなんだが……」
「まぁ似合ってるよ。拓海もしょっちゅうそんな顔で落ち込んでたしさ」
「キュアプレシャス、それは慰めなのか?」
「一応」
「まったく暢気だな君は。私がここねを想って苦しむ気持ちなどわからないだろう」
「……うん、わかんない」
ゆいから意外にもドライに突き放され、翔は思わず彼女を睨みつけた。
だが、その視線の先に居たのは、思い悩んだ顔で俯くゆいの姿だった。
「…プレシャス?」
「…わかんないんだ…あたしも…自分の気持ちがさ……」
おばあちゃん言ってた、とゆいは小さく言った。
「愛情はほかほかご飯とおんなじ、あったかくてふわふわしてる、って。…私もそう思ってた。大好きな家族みんなと一緒にいるとき、大好きな友達と一緒にいるとき…そして、拓海と一緒にいるとき……あたしの心はいつもほかほかご飯だった」
でも、最近は違うの。そう言いながら、ゆいは自分の胸に手を当てた。その奥にある気持ちを確かめるかのように。
「……拓海のことを考えると、時々すごく苦しくなるの。いつもと同じ拓海なのに、たまにすごく遠く思えたり……たまにびっくりするくらい近くに感じたり…ドキドキして、苦しくなる」
「拓海も、君を苦しめているのか。私と同じように?」
「うん。そうだよ」
ゆいの言葉に、翔は思わず天井を仰いで嘆息した。
「拓海、君はなんという……私たちはなんと業が深いのだ…」
「──っぷ、ふふふっ」
そばでゆいが吹き出して、翔は視線を下ろした。
「何を笑ってるんだ」
「だってぇ、本気で嘆いてたんだもん」
「当たり前だ。拓海は君を苦しめたんだろう!?」
「そうだよ。でも、あたし…嫌じゃないよ。この気持ち」
「何?」
「知ってる?好きって気持ちは、あったかいより、苦しくて泣きたいことの方が多いんだよ」
「……それもよねさんの言葉か?」
その問いに、ゆいは首を横に振って、笑った。
「おばあちゃんは色んなこと教えてくれたけど、これだけは教えてくれなかったんだよね〜。……多分、いつか自分で気づくってわかってたんじゃないかな?」
「……好きという想いは、苦しいのか」
「翔くんはどう思う?」
「その通りだな。ここねを想うのは苦しい。でも、この想いは捨てたくない。……だが、ここねを苦しませたくない」
そこまで口にして、翔はふと、気づいた。
「……まさか、…いや、でも…そんなことあるわけが…」
「ここねちゃんのこと?」
「ここねが私のことなど…」
「おばあちゃん言ってた。好きな反対は無関心だって。ここねちゃんはね、翔くんのことをいっぱい想ってるから、苦しんでるんだと思うよ」
「……私は、どうすればいいんだ?」
「ん〜、わかんないけどさ。悩んだ時はとりあえず!」
「とりあえず?」
「食べる!!」
「……だと思った」
呆れ返った翔を置いて、ゆいが再びキッチンに立った。
「お米、いい感じにお水を吸ってるよ。ここにたくさんの具や調味料….それに翔くんの色んな気持ちも入れてさ、美味しい炊き込みご飯、作っちゃお」
「私の気持ち…か。さぞかし酷い味になる。そんなものを作ってどうするつもりだ」
「ふふ〜。お結びにして、ここねちゃんに食べてもらう」
「冗談はよせ、キュアプレシャス」
「いいから、いいから」
ゆいから具材と調味料を押し付けられた。
「翔くんの気持ちは苦くて、苦しいかも知れないけれど、こうやってゆっくりゆっくり、温かく育てていけば、きっと美味しくなるよ。あたしは、ここねちゃんにもそうあって欲しい」
それを伝えるのは誰でもない、翔くんの役目だよ。ゆいはそう言った。
〜〜〜
通い慣れた和実家の裏庭。
居間とキッチンが面したそこに炊き込みご飯の出汁の香りが漂っていた。
「ゆい、今戻った」
「あ〜拓海、遅いよぉ」
裏庭の縁側からやってきた拓海に、居間のテーブルに夕食を並べていたゆいが唇を尖らせた。
「すまん、ちょっと客を呼んできた」
「お客さん?」
首を傾げたゆいの前に、縁の影からここねが姿を見せた。
「ここねちゃん…そっか、翔くんを探しにきたんだね」
「うん……翔は?」
「居るよ」
ゆいが振り返り居間の奥に目を向けた、その先のキッチンに、彼は居た。
「ここね…?」
縁側の気配に気がつき、向き直った彼の手には、炊き立ての炊き込みご飯で作ったお結びが握られていた。
「翔! 私、あなたに謝りたくて……ごめんなさい!」
裏庭で立ち尽くしたまま頭を下げたここね。その姿を眺めながら、彼は手にしたお結びをそばの大皿に載せた。そこには既に、大きさも形も不揃いなお結びがいくつも並んでいた。
「ここね…私こそ、ずっと君を苦しませてしまった…」
その言葉に、ここねはハッとなって顔を上げた。
「違うわ。あなたのせいじゃない! 悪いのは全部、私──」
必死に訴えようとしたここねを、出汁とお米のふわりとした香りが包み込んだ。
翔が、お結びのひとつを両手で添えて、ここねの前に差し出していた。
「翔…?」
「ここね…私の気持ちを言葉にするのは難しい。謝りたい、苦しめたくない、でも君のそばに居たい。ここねに笑って欲しい。そんないくつもの気持ちが混ざって、言葉にできなくて……だから、このお結びに込めた」
せめて一口でいい、食べて欲しい。そう求められたとき、不意に、ここねのお腹からクゥと音が鳴った。
「ひゃ…!?」
思わずお腹を抑える。しかし昼食もろくに摂らなかったその胃は、なおもキュルルと鳴いて空腹を訴えていた。
「あ、あぅ〜…」
この音を聴かれてしまった以上、何を言っても説得力など無い。ここねは気後れしつつも、翔からお結びを受け取った。
手の中にある、炊き立てで熱い、少し歪な三角形のお結びを口にする。
男の力で握られたそれは幾つもの具がギュッと詰まっていて、その感触と共に、少しピリっとしたスパイスが口の中に広がった。
「美味しい…」
思わず言葉が漏れた。そうだ、このスパイスは黒胡椒だ。
翔に目を向けると、彼は恥ずかしそうに、目を逸らした。
「お結びに胡椒なんて邪道かと思ったんだが、わ、私なりの気持ちを込めようと思ったら、他に思いつかなくて…その…」
「ううん、そんなことない。美味しいわ…とても」
「そうか。……しかし、自分勝手な気持ちだな、これは」
「……それでも良いわ。だって、美味しいもの」
ここねはそう呟きながらお結びを食べ切り、そして、
「もう一つ、頂いても良いかしら?」
「…ッ!? あ、ああ、もちろんだ!」
二つ目のお結びをここねはゆっくり味わいながら食べた。
さっきとは形が揃ってない、具も偏ってる不器用なお結び。きっと、和食に慣れてない翔がそれでも一生懸命握ったのだろう。その想いが、ここねの空っぽの胃を満たして、
……不意に涙が溢れていた。
「こ、ここね!? や、やっぱり無理をさせてしまったのか!?」
「違うわ、違うのよ、翔」
泣きながら、ここねは二つ目のお結びを食べ終えた。
「美味しかったの。あなたの気持ちが、こんなにも温かくて…私には、温かすぎて……」
その言葉を聴き、翔は安心したのか、気が抜けたように笑った。
それは子供みたいに明るくて、無邪気で、幸せがふわりと浮くような、そんな笑みだった。
「ここね……それは、君のおかげだ。私の存在を憐れみ、私の代わりに苦しんでくれた…その優しさが、私にとっては温かったんだ。それを、君にお返ししたかった」
「翔…ごめん…ごめんなさい…」
「私こそすまない。そして、私の気持ちを食べてくれてありがとう。これでもう思い残すことはない。…さよならだ」
翔はそう言って立ち上がると、タッと床を蹴って庭先へと飛び出し──
「待って、翔!」
「こんのドアホぉ!」
「逃がさないからね、翔くん!」
──飛び出そうとしたところをここねと拓海とゆいの三人がかりでとり押さえられた。
「ぐはぁ!?」
引き倒され、そのまま居間の畳の上に仰向けで転がされる。
起きあがろうとしたが、そこにここねが抱きつき、覆い被さるように押し倒された。
「翔…お願い…行かないで…」
「ここね…しかし…」
「私が一緒に居たいの!」
ここねは泣きながら叫んだ。
「私のわがままでパムパムを失い、あなたを生み出した…こんな最低な私を、私は許せない……でも、あなたがさっき笑ったとき、思ったの。この笑顔をもっとみたいって!」
「ここね…」
「莫迦な女の最低な思い上がりかもしれないけど……私がその笑顔の理由なら…私があなたを笑顔にできるなら……私はなんでもする……だから、お願い……私に、あなたを幸せにさせて…」
翔の胸に顔を埋めて泣くここねの頭に、翔はそっと手を置き、撫でた。
「私はブラックペッパー、誰よりも君を想おう。私を産んだパムパムよりも強く、この気持ちを育てて行こう」
〜〜〜
抱き合う二人を残し、ゆいと拓海は裏庭からそっと隣の品田家にある拓海の部屋に移動していた。
「あ〜、腹ペコった〜。夕飯食べ損ねちゃった」
「まったく、雰囲気ぶち壊しだな」
ほらよ、と拓海はラップに包んだ大きなお結びを差し出した。
「どうせこうなると思って、キッチンでこっそり作っておいた」
「さっすが拓海〜、大好き💕」
あーん、と雛鳥みたいに口を開けるゆいの姿に苦笑しながら、お結びを差し出す。
パクパクと数口であっという間に食べ終えるゆいに、色気より食い気か、と呆れたとき、彼女の唇が、拓海の指を咥えた。
「ゆい?」
「んっ…ちゅ…ふふ、デリシャスマイル〜💕」