一年後のオモテ祭り(後編)
階段を降りると途端に人混みが増えて、なかなか追いつけなくて…それでもきみの後ろ姿に追いつこうとした。
光に誘われる虫のようだけど、きっと世界一情けない笑顔をしてるかもしれないけれど、たしかにここには幸せがあった。
ずっとずーっと続くだろう幸せが、その時まではあった。
「……ぁ」
そんなものはなかった。そんな幸せは幻だった。なんて短い白昼夢だったのか。
遠くに見えるのは、大好きなアオイとおそろいのじんべいを着た自分の姉。
仮面を外して二人の周りを走り回る鬼さま。
『…‥来年は、おそろいのじんべいでお祭りに…』
いつか聞いた会話が今のことのように頭にこだまする。
逃げていた現実がそこにある。見ないようにしていた現実がそこにいる。
それでも、それだけならば良かった。
「はい、あーん♡」
「あーむ。おいしい~!」
姉の手に握られたりんご飴を、美味しそうに食べるきみ。
りんご飴みたいに頬を赤らめる大好きな女の子。
それは、いつの日か自分だけの宝物になるはずだったもので…
「…ああ…ああぁぁ…そんな、そんなん酷い、酷い酷い酷い…」
頭が理解する前に鈍重な鎖が全身に絡みつくかのごとく身体が重くなる。
頭を抱えて俯いても、もう目に焼き付いてしまったから手遅れだ。
重油みたいなヘドロが内側から溢れて喉が焼ける。
今すぐにでも吐き出したい、吐き出せるものであるのならば出て行ってほしい。
何が起こったのか理解したくない。理解しているけれど気づきたくない。そんなことはないのに悪意が心を支配する。ぐるぐると悪意の渦が首を締め上げる。
『待っていて』と言われたのだからそこに悪意はない。言いつけを破った自分が悪いのだ。言いつけを破ったから罰が当たったのだ。『仮面を渡すな』と言われたのに渡したから罰が当たったのだ。だから、悪いのは自分だけだ。
本当に?
本当は見せつけて嘲笑っているんじゃないか。それに仕方ないだろう、『仮面を渡すな』という言葉に従ったからあの子が手に入らなかった。だから命令は無視しないとあの子は手に入らないのだから、だから『待って』いたらあの子は逃げてしまうような気がしたから、だから捕まえようとしただけなのにこんな仕打ちなんて酷い。
林間学校の最初の日、一人でやってきたかっこいい女の子が姉に勝ったという初恋の思い出。その初恋は姉も同じで、だから初恋の思い出は奪われてしまった。
看板巡りの思い出。大好きな女の子と一緒に映った三枚の写真。姉の部屋には鬼さまとあの子が写った素敵な写真が三枚もあった。だから、写真の思い出も奪われてしまった。
村のみんなの誤解を解いた日の思い出。初めて胸に誇れる達成感に満たされたあの日。誰よりもきみに伝えたかったあの日。どこを探しても見つからなくて、早く鬼さまときみと里に戻りたくて、探して探して探したのに、見つからなくて、諦めようと思ってそれでも諦められなくてようやく見つけた。
見つけたのに、きみはもう姉のものだった。
何もかも姉に奪われた。
それでも、それでもだ。
このりんご飴だけは、取られたくなかった!
この宝物だけは、ずっとずっと、信じていたのに!
この一年間、これだけが、自分だけの心の支えだった!
このりんご飴さえあれば、荒れ狂う心が穏やかになれた。これがなければ自分はただ強さに狂う鬼に成っていた。
大好きな女の子に手渡した、そんな小さな宝物が自分を立ち上がらせる最後の思い出だったのに。
それすらも持ち続けることが出来なかった。
視界がぼやけて何も見えない。見えないのが今は都合がいい。
見えてしまえばきっと壊してしまう!
はやくここから逃げないと。
はやく何処かに消えないと。
はやく閉じこもらないと。
はやく出ていかないと。
はやくはやくはやくはやく――――身体を満たす猛毒があの子を傷つける前に死んでしまおう。
■
遠くからでもわかる、世界で一番大好きな女の子の姿。
長くて黒い髪、すらっとしたスタイル、わたしとおそろいの紺色のじんべえ。
残りのふたつのりんご飴を、旗のように振りながらわたしに微笑みかける貴方。
「おかえり~どうだった?スグと仲直りできた?」
「多分!でも…仮面貰っちゃった…これ、売ってるやつじゃないよね?」
「ぽ!! ぽに!! ぽにお!!」
お揃いの仮面にオーガポンが飛び上がる。きらきらのおめめが今日は一段とキラキラで、すっかりお祭りに浮かれてるみたい。
「多分倉庫にあったやつかも…自分の中で消化できたってことかもね」
「そうだよね?だからオーガポンとも仲直りさせてあげたいんだ…」
「ぽに!ぽに!」
「いーじゃんいーじゃん。でもその前にさぁ、言うことあるんじゃない?」
優しい笑顔が一瞬でいじわるな笑顔になる。こういうときは大抵、恥ずかしいことを要求してくるんだよね…
「”ゼイユさまありがとう”って言えたらりんご飴あーげる♡」
「ひ、人前でそんなこと言えないよ! も~!」
「言えないならあげないわよ!」
わたしの背丈じゃどうしても、高く掲げられたりんご飴には届かなくて…
だからぽかぽかと胸を叩くけれど、そんなのものともせずけらけらと笑われる。
「仲直りできたのは誰のおかげ? あたしがが買ったりんご飴のおかげでしょ?
それならかわいくおねだりしてもらわないとねー」
「う゛~ゼイユがいじめるぅ~! 鬼だよ、鬼がここに居るう」
「ぽに!? がお!がおがお!」
オーガポンも加勢してぽかぽかとじゃれつく。
なんて楽しい時間なのだろう…じゃなくって、スグリ君が待ってるんだからこんなことしてる暇ないんだった!
「……ゼイユさまありがとう、りんご飴くださいな…」
思いっきり抱きついて、胸の中でゼイユにだけ聞こえるように、そうつぶやく。
……耳まで真っ赤になるほど恥ずかしい。ほっぺがりんご病みたいにきっと赤い。
「…オッケー。あげる。あげるから、ちょっと抱きつくのはやめて…あたしも恥ずかしい…」
それはゼイユも同じみたいで、まるでりんご飴がみっつになったみたい。
「…はい、あーん♡」
…今更恥ずかしがっても仕方ない。
「…あーむ。おいしい~!」
貴方の手に握られたりんご飴にかじりつく。それは何よりも甘酸っぱい初恋の味。
きっとこの日のことも忘れられない思い出になるだろう。
そしてこれからも、キラキラの思い出が沢山できるんだ!
「あんまり待たせるのも悪いし? スグのところ行ってきな~
…りんご飴の続きはその後で、ね」
「…う、うん。じゃあいこっか、オーガポン」
「がおがおー!」
おそろいのお面をつけたオーガポンと、階段を登る。
けれど、看板の側にいた男の子の姿はどこにもなくて…
ずっと探したけれど、その日は見つけられないままお祭りが終わってしまった。
……結局、スグリ君は体調が悪くなったみたいでお家で休んでいたみたい。
「あんの馬鹿! スグの馬鹿! 体調悪いなら悪いって言いなさいよ!
ロトムフォンで連絡ぐらい入れろっ! ばかばかのばかー!」
スグリ君の部屋の扉をすごい勢いで叩くゼイユちゃん。このままだと扉を破壊しそう…
「まあまあ落ち着いて…!
ロトムフォン買ったばかりで使い方良くわかってないのかもしれないよ? ね?
それにほら、わたしとは連絡先交換してないから仕方ないよ!」
「ホント…スグのアホ! アオイの連絡先絶対教えてあげないから!」
捨て台詞とともに強烈な蹴りが扉にヒットする。なんとか扉は形を保てたようで一安心。
体調が悪いのは心配だけれど…お祭りは明日も明後日もあるから、元気になったら三人でオーガポンと一緒にお祭りに行きたいな。
「はぁ、はぁ…ちょっと汗かきすぎてもうダメ。
本当はもうちょっと早くに帰る予定だったのにクソ~…
アオイ! とっととお風呂入って寝るよ!」
わたしの手をぎゅ!っと掴むゼイユ。んん~? お風呂なのになぜわたしも?
「あたしたちがお風呂最後だし早く入らないと掃除できないから。
だから一緒に入るんだけどなんか文句ある?無い。よかった~!じゃ行こ」
「え、えー!!???!?」
またいじわるな笑顔。ちょっとそういうのはまだ早い…早くはないのかも…いや付き合ってるのだから一緒のお風呂は当然かぁ…そうっかぁ、そうなのかぁ…?でもやっぱり恥ずかしい!だーめー!だめだめだめ!でも抵抗虚しくお風呂にずるずると引きずり込まれちゃう…!うわーん体格差が今は恨めしいよー!
……
「…何? なんか変なこと期待しちゃった?」
「別にぃ…別に…してないよ…」
まさか本当にお風呂に入るだけだとは思わないじゃん。背中の流し合いっことかはしたけどさぁ!
テキパキと体を洗うだけっていうかヤミカラスの行水っていうか!
でも、髪をまとめ上げてるゼイユはすごく色っぽくてどきどきしたのは本当。
若干スグリ君に似てるなぁと思っちゃったのは内緒。
「じゃ、お風呂も入ったしあとは寝るだけね」
「うん…おやすみ…」
また、ぎゅぎゅ!っとわたしの手を掴まれる。え、何?わたしの部屋はあっちだっておばあちゃんが…
「……りんご飴の続き、しないの?」
浴衣をわざと着崩して、悲しそうな、でもすごく可愛い顔でおねだりなんかされたら…そんなの…ずるっこしてるじゃん…
「する」
「即答じゃん。頭ピンクね」
「どっちが!じゃあしない!おやすみおやすみおやすみ!」
「だめ。もう決まってるから。反故にしたら出るとこ出る」
そして…そして。その続きは…ちょっと恥ずかしくて言えない…
でも…りんご飴の味は、今日のことを思い出しそうだからやばい、かも。
■
泣き腫らして吐き戻して、何も出なくなって何時間経ったのだろう。
未だに前は見えなくて、あれから何日経ったのか、それとも、まだ数十分しか経っていないのか。
この地獄の苦しみがまだ数分しか続いていないのなら、もう、消えてしまいたい…
なのに、どうしてか、消えてしまいたいのに踏みとどまっている。
何を思い残すことがあるのだろう、何も得られなかった人生だったのに。
何か大切なものでもあっただろうか。何も手元に残らなかった人生なのに。
生まれたときから詰んでいた。生まれたときから負けていた。
だって、何もかも奪う姉が居るんだから。
そんな姉が居なければよかった?
……実家の部屋の畳の匂い。かすかに香る砕けたりんご飴の香り。
捨ててしまいたい幼少期の記憶が呼び覚まされる。
なんてことはない、ただのいじめ。たくさん泣いて帰ってきたら、なぜかねえちゃんは怒っていて、すごくすごく怒鳴られた。
「やったの誰よ!言わないとぶっ殺すから!」
こわくてこわくて、そんなの言ったらほんとうに殺しちゃうんじゃないかとおもって、言えなかったから泣くしかなかった。
だからずっとずっと怒られて、でも怒られるだけでその時は叩かれなくて、そうして布団に入ってもずっと一緒にいてくれた。
ただそれだけのなんでもない思い出が、まだ、砕けた心を繋いでいる。
……きっと、自分がいなくなったらすごく悲しむ。すごく怒る。
死んでしまっても叩き起こされてもっと怒られる。そんな姿は見たくない。
目が見えなくなっても、絶対に見たくない。
明日になったら…謝ろう。謝ったら仲直りできる。仲直りすれば、悲しまない。いっぱいいっぱい謝る。いっぱい叩かれていっぱい怒られて、そうしてもう一度生きていく。
ねえちゃんから逃げない。ねえちゃんから逃げるんじゃなくてちゃんと向き合う。向き合って、たくさんお話して、言いたいこともたくさん言って、教えてもらう。
秘密にしないでって、ちゃんと言う。そうしてはじめて祝福できるんだ。
だから、今日だけは一年分のほろ苦い猛毒を抱えて眠りにつこう。つぎに目を覚ました時に、手放せるように。
長く患った初恋を今日でおしまいにするために。
……
‥………でも、隣の部屋から聞こえる物音が、なぜかとても神経を苛立たせる。
五月蝿い訳では無いのに、つま先が痺れるような、それはまさに毒のような音。
自然と、聞き耳を立ててしまう。
薄壁一枚を挟んだ向こう側は、ねえちゃんの部屋。
「……!」
「……」
かすかな話し声。もっともっと耳を澄まさないと聞こえない。聞こえたくない。
聞いちゃだめだ。こんな盗み聞きなんて怒られる。怒られるけど、でも。どうして、今日は、あの子は、別の部屋に泊まるって言ってたのに。なんで聞こえるの。どうして聞こえるの。どうして聞こえないの。どうして聞かせてくれないの。どうして頭が理解してくれないの。どうしてこんなにも呼吸が早くなるの。お腹の奥がずしんと重くなる。熱病にかかったみたいに顔が熱くなる。足が痺れて動かせない。こんな感覚しらない、知らないのに知っている。それを表現する言葉を知らない。気持ち悪くて気持ち悪くてでもどうすればいいのかわからなくて耳を塞ぎたくても塞ぐことは出来なくて今日で初恋は終わりって言ったのにどうして今日が終わらないのどうして手放せないのどうして目がみえないままなのどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
どうしておれの初恋は、楽に死ぬことすらできない猛毒なんだろう‥…