ワルプルギスの夜、或いは往昔の為の
「お、おっおお…お兄ちゃん、きき、聞こえますか!?!?」
ペイル社の最奥、一般社員は存在も知らないであろう秘匿された部屋に場違いに明るい少女の声が響いた。
部屋の壁に掛けられたいやに大きいモニターには、緊張した面持ちの赤髪の少女がわたわたと所在なさげに手を動かす姿が映し出されている。
「よう、スレッタ・マーキュリー。水星はどうだ?婆さん達の言った通りな〜んもない田舎だろ?」
実際には田舎どころではない。しょぼい量のパーメットを採るために太陽風に曝され命懸けでモビルスーツに乗らなければ生きていけない、と婆さん達が日々嘆いているので知っている。それはもう耳にタコができそうな程に。
「そそそ、そんな事ない、です…みなさん親切ですし…それにエアリアルと一緒!ですから!私は大丈夫です!」
そりゃ優しいだろうさ。シン・セー開発公社を乗っ取ったプロスペラ・マーキュリーとペイルテクノロジーズの間に結ばれたパーメット流通規定は、水星に莫大な利益をもたらしているのだから。
「ふ〜ん、それでエアリアルの進捗はどうなんだ?スコアは?」
「こないだの救助で、スコアは4になったんです!ね!エアリアル!」
嬉しそうに声をあげた彼女の背後でチカチカと光が点滅した。
エアリアルのコックピットにいるようだ…相変わらず仲が良い。
「じゃあ来期から学園に編入か。頼んだぜ2人とも」
「あと学園の“俺”にもよろしく」
「はい!私達は負けません!」
あと婆さん達がお前の入学パーティーをやるってよ、プロスペラ・マーキュリーも地球での仕事は終わったから来るってさ、と伝えると、すでにお母さんとお婆ちゃんからその件で連絡を貰ったと彼女は嬉しそうに笑った。
そろそろ通信を終わる時間だ。
計画は動き出している。俺が生まれる何年も前からずっと準備されていた。
それがこの少女の肩に載せるには重過ぎることも、皆がわかっている。
しかし、しかしだ。
「「GUNDの未来に──」」
お決まりのフレーズと共に通信は途切れ、モニターはスレッタ・マーキュリーの笑顔の写真を再び映し出した。確か14歳の誕生日に撮ったものだ。
つくづく孫バカな婆さんたちだ。血も繋がってないくせに。
◆ ◆ ◆
スレッタ・マーキュリーからメールが来ている。
ファラクトに操縦を一時停止すると伝え、端末を取り出した。
来期からアスティカシア専門高等学校に編入すること、その前にCEO達がパーティーをするそうなので是非来てほしいことが簡潔に書いてあるメールからは、しかし彼女の嬉しそうな様子が伝わってくる。
全て計画の内ではあると知ってはいるはずだが、それは彼女の学園への憧れを妨げるものではないようだ。
追伸には射撃ゲームの特訓をしたのでもうエランさんには負けません、と可愛らしい絵文字付きで綴られていた。
僕も負けないよ、と小さく呟く。
ファラクトのモニターが賛同するようにパッパッと2回輝いた。
◆ ◆ ◆
メールが来ていることに気付いたのは、会議が長引いて顔を見れなかったと嘆きスレッタの様子をしつこく尋ねてくる婆さん達を適当にあしらい自室に戻った後だった。
もう1週間もすれば本人がここに来るのだから待てば良いのにいちいち大騒ぎする意味がわからなかったし、CEO室に積み上げられた服だの靴だのぬいぐるみだのの箱が今にも崩れそうでおちおち立ち話もしていられない。
婆さん達をはじめ、ペイルに集ったヴァナディース事変の生き残り達はそれぞれ大切なものを喪っている。だがスレッタが可愛いのも理解できるが少々やりすぎだろ…とげんなりした思いがあるのも確かだった。
「お婆ちゃんにもお母さんにも、エランさんにも言えなかったんですけど、やっぱり学園に行くのは楽しみでも怖いんです。学園には生徒がいっぱいいるんですよね…どうしたら仲良くなれるのかな」
メールを確認し、やはり先程の通話での元気さは心配の裏返しだったか、と苦笑する。
それにしても影武者に学生生活を任せてペイルに引き篭もっている俺にどんな助言を求めているのだろうか。友達がいるわけがないだろ。わかってるのかあいつ。そしてエランは俺だ。
まあ彼女の内弁慶さを思うとあの学園で上手くやっていくのは難しいかもしれない。
ほんの2年前、新しく来た研究者に怯えて後ろに隠れていた彼女を思い出す。
そしてもう1人の赤髪の少女も。
「似てないよなあ…」
『エリーはエリクト・サマヤっていうの!よろしくね!エラン!』
彼女は物怖じするという言葉を知らず、常に周囲に愛嬌を振りまいていた。
彼女はあの惨劇の後、生き残ったヴァナディースの研究員達に残された最後のGUNDの希望であり、17年前の事故で彼女を失い研究所は深い悲しみに包まれた。
だがまだ希望は潰えていない。
スレッタ・マーキュリーとエアリアルが全てを取り戻すのだ。
しかし今は彼女の「お兄ちゃん」として返信に頭を悩ませることにする。
「遺伝子的には同一のはずなのに、なんでああも違う性格なんだか」
今度会った時はまた、姉の話をしてやろうか…母親はあまり語りたがらないらしいし、婆さん達も口が重い。今いる研究員もほとんどが事故の後に合流した者達だ。
今日もペイルテクノロジーズでは魔女が笑っている。