ロックスター、シャンクスにケツバットをかます

ロックスター、シャンクスにケツバットをかます


 その日は新世界には珍しい、穏やかな天気だった。

 レッド・フォース号の乗員達は皆揃って宴好き。大頭のシャンクスからして無類の酒好きだ。長閑な天候をこれ幸いと、甲板に集まって酒盛りの最中だった。

 いつものように、どこからか湧いてきた酒にルウさんの料理が合わさって、楽しい楽しい大騒ぎの時間だった。

 だから、古参の幹部たちが一様に顔を青ざめさせた時、ロックスターはただただ困惑するしかなかった。


「……おい、嘘だろ」

「……待て、じゃああれは、まさか……」

「許してくれ……頼む……」

 赤髪海賊団と言えば、四皇の一角を占める大海賊である。

 幹部ともなれば、賞金10億超えは当然とされる。海軍大将と一対一でぶつかって、十分に勝負になる猛者たちだ。

 ”偉大なる航路”の猛威と理不尽を存分に浴び、なお船を出すだけの気概と実力の揃った強者ども。

 そんな、海に出れば並大抵のことでは動じないはずの彼らが、まるで親に捨てられた子供のように怯え狼狽えていた。

 いつもかじってる骨付き肉を取り落とし、それに気づかないルウさん。

 トレードマークのドレッドヘアをかきむしり、ぶつぶつと懺悔らしきものを呟くヤソップさん。

 重大な何かに気付いたように、普段の冷静さを感じない焦燥した顔で船室に駆けこむ副船長のベックさん。

 そして、手で覆った顔から零れる涙を隠し切れない、大頭。

 彼ら幹部以外にも、10年以上この船にいるという古参の船員たちの顔からは、みな揃って血の気が失せていた。

 ロックスターのように船に乗って数年の若手たちにしてみれば、困惑するほかになかった。

(……いったい何があったってんだ。この人達がこんな顔するところなんざ、見たことねェぞ)

 宴どころの話ではないのは、若手である自分たちにもわかる。

 だが、海千山千の彼らがここまで憔悴する理由がわからない。

 並大抵のことは乗り越えてきたはずの幹部たちが、揃いも揃って青い顔をする理由が、自分たちにはわからない。

 暢気に鳴く鳥の声と、穏やかすぎる波の音。それだけが聞こえる時間がしばし過ぎていく。

「部屋に戻る……しばらく、一人にしてくれ」

「ヤソップさん……」

 おもむろにか細い声でそう言い残したヤソップさんが、壊れたぜんまい人形のようなぎこちない足取りで船室へ消えていく。

 彼に続いて一人、また一人と、青ざめた顔をした古参の面々が船室へと戻っていく。

 残された若手たちは訳の分からぬまま、途中で終わった宴の後始末を始めた。


「……なあ、大頭達どうしちまったんだろうな」

「オレが知るかよ……」

 あの日以来、レッド・フォース号はかつてない陰鬱さに包まれた。

 宴の席で何かがあった古参の船員たちは、変わらず青い顔のまま。

 幹部たちも、最低限の仕事以外では顔を見せないようになった。

 シャンクスの大頭に至っては、自室に籠って酒浸りの日々。空の酒樽だけが部屋の前に積み上がっている。

 乗員全員生きてこそいるが、まるで幽霊船のような活気の無さ。辛うじて航海は続いているものの、毎日のように開かれていたはずの宴会は途絶えている。

 航海が漂流に変わるのもそう遠くないとさえ思えてしまうような、そんな日々が続いていた。

「……聞きに行くしかねェか」

「……本気か? お前もあの顔を見てるだろ。ありゃ心の傷だぞ」

 彼が心配するのも当然だ。特大の訳アリだろうというのは、いやでも予想がつく。

「だが、このままだとオレたち幽霊船の仲間入りだぞ。お前だってそれは嫌だろ」

「そりゃそうだが……」

「今夜ベックさんに聞きに行く。多分、あの人が一番落ち着いてるはずだ」

「……そこまで言うなら止めはしねェ。頼む、ロックスター」


「ベックさん、ロックスターっす。入ります」

 自室の中にいたベックさんは、女児向けの服を片手に煙草をふかしていた。所々虫食いの跡があるその服を、形見の品でもあるかのように情念の籠ったまなざしで見つめている。

「……ロックスターか。何の用だ」

 オレに気付いても、そのうすら赤く腫れた眼は服に向いたまま。声にも張りがない。

「あの宴会の時に何があったのか、聞きに来たんす」

 ベックさんは動かない。動かないまま、何かに許しを乞うような嗚咽をあげる。咥えた煙草だけが、短くなっていく。

 煙草が燃え尽きたところで、思い出したかのようにベックさんは吸殻を灰皿へと放り投げた。

 そして、ようやく口を開く。

「……なあロックスター、ウチの音楽家と言ったら、誰だ?」

「……パンチさんじゃねえんですか? いつも宴会を盛り上げてくださってやすが」

「そうだな、じゃあウチの”歌姫”を知ってるか?」

「歌姫ですか? いや、オレは聞いたことが……」

「いたのさ。名前はウタ。赤髪海賊団の”歌姫”で……シャンクスの、俺たちの娘だ」

 そこから、ベックさんはあまりに衝撃的な話をしてくれた。

 20年近く前に拾った女の子がいたこと。

 まだ若かった当時の大頭たちが、彼女を娘として育てたこと。

 航海の途中でエレジアという国に立ち寄ったこと。

 その娘はホビホビの実の能力でぬいぐるみに変えられ、大頭達の記憶から消されたこと。

 自分に気が付いて欲しくて必死に大頭にくっついていたその”ぬいぐるみ”を、まだ幼い頃の”麦わらのルフィ”に半ば押し付けたこと。

 ホビホビの実の能力者が倒され、ウタが人間に戻れたこと。そしてそれが、あの宴の瞬間だったこと。

 影で糸を引いていた黒幕も、ルフィが打ち倒したこと。

「……一面の記事だ」

 そういって手渡された新聞の見出しにはこうあった。「”例外”なき悲劇 四皇の娘に起きた真実」。横の写真には、紅白の髪が印象的な、どこかあどけなさを残した女性が大写しになっている。

「……これが」

「ウタだ」

 そういうなり、ベックさんは次の煙草に火をつける。かつてウタが着ていたのだろう服を、無言で眺めながら。

 受け止めるには重い話をされたオレも、しばらくは言葉が出なかった。新聞に目を向けても、文字が頭に入って来やしない。

 そうして、オレとベックさんは無言でいた。

「……」

「……」

 聞こえるのは波の音と、時々ベックさんがあげるすすり泣きの声だけ。三人目が入ってくるまで、部屋は冷たい静けさで満たされていた。

「なあベック、少し酒に……」

 そんな静寂を破って入ってきたのは、ウタの父親である大頭だった。

 自棄酒でうっすら焼けた声。ベックさんとしたい話があったのだろう。おそらくは彼女のことで。

「大頭……」

「シャンクス……」

「……ロックスターか。ウタの話を聞きに来たのか?」

 こちらに向ける目に覇気がない。どことなく顔もやつれている。こんな大頭を、オレは見たことがなかった。

「……はいっす」

「そうか。邪魔をしたな、出直そう」

 そういって、大頭は体を翻す。その背中に、何か脆いものを感じた。

 大頭の背中はいつも広かった。海賊団の看板を、仲間たちの命を背負って平然としていられる、そんな背中をした人だとずっと思っていた。

 今の大頭は違う。ただ一人の娘の人生さえ背負えない、狭くて細い背中をしている。

 娘のことがよほど応えたのだろう。

 けれどこのままでは、この海賊団の存続に関わる。

 大頭にハッパをかけられるのは、オレのような事情を知らない人間だけだろう。

 そう思ったときには、口が動いていた。

「娘さんには、会いにいかないんすか」

「……! おい、待て……」

 止めに入ったベックさんの声が途切れる。次の瞬間、覇王色の覇気が全身に浴びせかけられた。

「……!!」

 言うまでもない、大頭の覇気。

 全身の毛が逆立ち、膝ががくがくと震える。血の気が引くし、冷や汗もだらだらだ。息は浅く激しくなるし、目の前がうっすら霞んでさえくる。

 歯を食いしばって、気をしっかり持ってないと今にも倒れそうな、そんな覇気だ。

 けれど、いつもの大頭よりも弱い。

 いつもなら、本気で怒った大頭の覇気にオレは耐えられない。四皇である大頭の手加減抜きの覇気なら、オレは既に気絶してる。

「……今更、会えるわけがない」

 怒りを抑えかねるような、耐えがたい苦痛を耐えるような声音。酒に焼け、かすれた声で大頭が呟く。

「12年、12年だぞ。娘だと、愛していると言ってたはずが綺麗さっぱり忘れ果て、人形扱いしてあいつに押し付けた挙句、自分はのうのうと海賊稼業だ。持ち物だってあらかた処分して、残ってるのはその服ぐらい。ウタの思いを踏みにじり、助けての声に気付かずに、今まで12年やってきた。これだけのことをしでかしておいて、どうしておれがあの娘に会える……!」

 言葉に籠った怒気は、きっと大頭自身に向けられたものなのだろう。

 人の親になったことのないオレには、我が子の存在を忘れ去る恐怖なんてわからない。想像も出来ないような苦しみなのだろうと、そう思うだけだ。

 けれど、大頭は赤髪海賊団の大頭なんだ。ここで潰れてしまったら、一味の皆が道連れになってしまう。

 それは、駄目だ。

「……大頭は、ウタさんに会いてえんすか」

「……会いたいと言えるわけがねぇ。ウタに合わせる顔なんざ、おれにはもうねえんだ」

 大頭の肩が震える。言葉にも嗚咽が混じっている。

「会うべきかどうかじゃねえっす。大頭は”会いたい”んすか?」

「おいロックスター、それ以上はもう……」

「会いてえさ!!」

 涙声で、腹の底からの声だった。船中に響いたんじゃねえかと思うような、大頭の本心だと納得できる、そんな慟哭だった。

「ずっと忘れてたとしても、おれの娘だ。おれ達の娘だ! 一目でいいから顔を見てェ。一言でいいから声が聴きてェ。元気でやっていると、楽しくやっているとわかるだけでもいいんだ。会えるもんなら会いてえさ!

 子供の心配をしねえ親なんざ、いるわけがねえんだ!」

「だったら……」

「それが出来る立場か、おれが!

 あの娘には、散々辛い思いをさせてきた。寂しい思いをさせてきた。父親を名乗る資格のないこんなおれに、会えてあの娘が喜ぶハズがねェ……」

「そんなの、会ってみなくちゃわかんないんじゃないんすか! 会いもせずに罪の意識ばっかり背負って、それじゃこれまでと何も変わらないっすよ!

 会ったうえで詫びを入れてケジメをつける。それがスジってもんでしょう!」

「てめェ……!」

 胸倉を捕まれる。殺意さえ混じった大頭の視線に射すくめられる。溢れんばかりの怒りをぶつけられれば、さっきの覇気さえ可愛く思えてくる。

 頭に血がのぼった大頭がどうなるかは、一度見たことがあった。半殺しにされるくらいなら穏当なほうだろう。死を覚悟して睨み返したとき、横からストップがかかった。

「二人とも、その辺にしておけ」

「ベック……」

「ベックさん……」

 落ち着いた声音、冷静沈着なまなざし。副船長として海賊団をまとめ、右腕として大頭を支えてきた、いつものベックさんがそこにいた。

「シャンクス、ロックスターの言い分が正しい。

 確かに俺たちはウタに許されないことをした。こいつの言う通り一度会って、そのうえでどうするのか決めるべきだ。

 ウタが許してくれるとは思わねェ。だが、だからといってあの娘から逃げ回るのは、親どころか男として失格だぞ」

「……すまん、ベック」

 大頭の手が胸倉から離れる。

「ロックスター。言い分は正しいが、言いすぎだ。

 この船のトップはシャンクスなんだ。大頭の面子を考えろ。こいつを立てられないようなら、船から降りてもらわねェといけなくなる。次はないぞ」

「大頭、副船長、申し訳ありやせん。出過ぎたことを言いました。ケジメはなんなりと」

 深々と頭を下げて大頭の沙汰を待つ。理由はどうあれ大頭に楯突くような真似をした以上、なんなりと処罰は受けるつもりだった。

「いや、いい。よく言ってくれた」

 穏やかな声に、はっと頭を上げる。視線の先にいたのは、いつも通りの快活さを漂わせる大頭の顔だった。

「ウタはドレスローザにいるそうだ。ここからなら、そう遠くはねェ」

 ベックさんが新聞を大頭に手渡す。どうするか、そう問いかけるように。

「進路変更だベック。ドレスローザに向かう」

 新聞を受け取るなり、大頭は身をひるがえし甲板に向かう。

「あの娘に、会いにいくぞ」

 部屋を出ていく大頭の背中は、四皇の名に恥じない立派なものだった。

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