ルビコニアンデスコーラルと兄貴、チャプター5にて

ルビコニアンデスコーラルと兄貴、チャプター5にて


『ザイレムが飛んだ。オーバーシアーも我慢の限界らしい』

「……」


そんなもの見れば分かる。睨むことでそう言ってやったつもりだが、効果は薄い。テーブルに置かれた端末の画面に浮かんだアイコンが意思を持ったように瞬き、フフンと鼻を鳴らすようにSEが鳴った。


「甲板の様子は」

『アーキバス艦隊が既にMTや封鎖機構の機体を投入し始めている。RaDもMTで迎撃しているが、多少侵攻の足止めになっている程度だ。おおかたこの後はレイヴンとV.Ⅰをぶつけるんだろう、ご苦労なことだ』

「……」

『だが、私から言わせれば』


子供の頃からずっと聴いてきた声が、ずっと湿度と重力を増す。寝台から起き上がるのも億劫なほど重い身体へ更にのしかかられたような感覚に、息が苦しくなる。


『あのAC乗りにはユーモアはあるが、エレガントさがない。何故だか分かるか?』

「……ドラマ性の無さ」

『正解だ』


短い返答がポロンと軽い音と共に返る。


『人が人を殺す時、その引き金は何らかの理由で引かれる。憎かった、許せなかった、敵討ちだった、聖戦だった、撃ちたかった、焼きたかった、砕きたかった、刻みたかった!何でも良い、何かがあるべきなんだ。

だが、奴にはそれがない』


端末の画面が切り替わり、青い飛行機の3Dモデルが巨大なチェス盤に並んだ駒の隙間を悠々と泳ぐように飛んでいく。ポーンを飛び越し、跳ねるビショップの下を潜り、突っ込んでくるルークをひらりと避ける。


『だから、あと一手のところで必ずことをし損じる』


青い飛行機がクイーンへ飛びかかろうとしたその時、ナイトの頭上から飛び込んだカラスにぶつかり砕け散った。


『賭けても良い、V.Ⅰはあと数分で死ぬ。そしてそこからが、我々の舞台だ』


青い飛行機の残骸もそのままに、盤の外に新たな飛行機が現れる。今度は赤。


『ドラマ性の有無が勝率を変えることはない。

だが、欲。そしてそのイメージ。

その原初の燃料に火をつけられる者だけが、最後まで引き金を引き続けられる。

V.Ⅰ、そしてレイヴン。奴等にはその欲がない。

俺達は違う』


耳から侵食していくような空気中の重みが消え、少しずつ脳の中の霧が晴れていく。生暖かい沼に浸かっていたような感覚が抜けていき、指先すら動かせないほど鬱屈していた身体に火が灯る。そろそろ傾聴を止めてもいいらしい。未だ気怠さの残る身体を起こして地面に足をつける。最低限の暖房では中央氷原の寒波を中和しきれず、冷え切った床に思わず声が漏れた。


『仕事の時間だ、我が伴侶。

機体の更新に伴い、現段階の君の能力を最大限活用出来るよう再調整を施して新調したパイロットスーツを用意してある』


その言葉に思わず一瞬固まった。腕は認めるが気分が悪いしやめろと言った筈なのだが、こいつはまたやらかしたらしい。前科は果たして何犯だったか。


「……貴様、また勝手に…」

『死出のハネムーンに行くのに、一張羅を用意しないほど俺が気の利かない男だと思ったか?それに君の玉体は少しでも目に焼きつけておきたい』

「カメラか言語プログラムが遂に壊れたと見える。変異波形に、そんな俗物的な欲を持つ頭があるとはな」

『私が変異波形だからこそだ。

喪失を恐れるほど蓄積された肉体への愛着。

他のものへ対する強い情動、執着。

救済には死が必要だ。だが死を完成させる為には、前提として命が成立しなくてはならない。そして肉体を持たない私の命は、君の全てを愛し尽くすことでしか完成し得ない』

「……」

『この戦いがフィナーレなんだ。どうせなら、私が誂えたものを着た君を抱いて死にたい』

「…いちいち言い方が卑猥なんだよ、貴様」


少しでも後ろめたさがあるのかやたら口が回り出した様子に溜め息を吐き、着ていたスーツのジッパーを下げた。


「10分この部屋のカメラを切れ、着替える。

それと。私のことを何と呼ぼうが別に良いが、どんな関係であれ対等に接するつもりならプライバシーくらい守れ」

『了解した。では何かあればまた連絡しよう』


その言葉を最後にスピーカーは沈黙した。別に今更生娘じみた潔癖さは持っていないが、好き好んで裸を見せてやるほど変態でもないのだ。

端末の画面も待機状態に変わったのを確認してから身に纏っていた現行のパイロットスーツを脱ぎ捨て、代わりに新たに用意されていた真っ白いスーツを取り出して袖を通す。普段着ていた何の飾りっ気もないものに比べどこか華やかな雰囲気のあるスーツは、晴れ着のつもりだろうか。一切試着をしていないのにジャストフィットしていることについてはもう考えないことにした。


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