リクエスト21.5

リクエスト21.5

33


「何が正義だ!!!」


長閑な町に似つかわしくない悲痛な絶叫が響き渡る。

海兵の顔が一気に険しくなるのを、ローは見逃さなかった。



—————————————



海軍の駐屯所の前で町民たちが人だかりを作っている。老若男女問わず一様に暗い顔をしているその中心にいるのは、今のローとそう変わらないであろう年ごろの男児だった。潤んだ眼で駐屯所の海兵を睨みつけ、その足を小さな手で殴りつけている。

勿論、屈強な海の男にはそんな攻撃など吹いて払えるようなものだ。しかし、子どもに詰められている若い海兵はされるがままになっている。顔は血が通っているのかと疑いたくなるほど青白い。周囲の町民たちはそんな彼を少しの同情を滲ませながら見ているが、子どもを止める者は誰もいない。


「何があった?」


町民の1人に海兵が問うと、聞かれた初老の女性は苦虫を噛み潰したような表情でポツリとつぶやいた。


「あのボウズの母親が仕事で偉大なる航路に出向いた時に、天竜人に見染められてしまったそうでね…」

「ああ、なるほどな」


ローが驚いて見上げるほど、ひどく冷淡な返答だった。

いつも豪快に開けている口を今は一の字に引き締め、目の前の光景を静かに見ている。感情が読めない表情だった。

とうとう決壊した子どもの涙が地面を濡らしていく。哀しみや憤りといった感情をぐちゃぐちゃに混ぜたような声で海兵に叫んだ。


「かあちゃんを返してよォ!!」


言葉になったのはそこまでで、後はただ慟哭が響くのみ。それを叩きつけられる海兵の顔は下まで落ち切り、軍帽の影で見えなくなる。握りしめられた拳は血が滲み、痛みではないもので震えている。


「行こうぜスワロー」

「あ、うん…」


荷物を抱え直し、海兵はその場を振り返らず進んでいく。それを速足で追いかけるローは途中、一度だけ振り返った。

遠くなった駐屯所で、海兵が崩れる姿が小さく見えた。



————————————


「あいつ、海軍辞めるだろうな」

「え?」


駐屯所がすっかり見えなくなったころ、ようやく口を開いた海兵から出たのはそんな言葉だった。怪訝そうに見上げてくるローにふっと笑みを返す。嘲笑じみたその顔を、付き合いの短いローでも『似合わねェな』と思う。


「よくあることだ。正義感の強いやつが海兵に憧れて海軍に入って、現実とのギャップを受け入れられずに…なんてもんは」


最後に見た光景をローは思い出す。立つことすらできず崩れ落ちる海兵の顔は絶望と無力感に塗りつぶされていた。子どもの顔にもあの海兵の顔にも嫌な既視感がある。

振り払うように首を振り、横にいる海兵に問う。


「あんたは受け入れられたのか」

「………まあな。『割り切る』ってのは長く海兵をやる必須スキルみたいなもんだ」


それは暗に、心のどこかではまだ折り合いがついていないという証左でもある。

ふと、今は亡き故郷を———消された白い町を思い出す。今でもあの時の光景はローの心に癒えない傷として焼き付き、それを引き起こした海軍を許すなど不可能だしするつもりもない。しかし、成長し世界とそれを動かす歪な仕組みを知った今、海兵を当事者とは違った視点から見ることはできるようになった。

そして浮かぶのは他意のない単純な疑問だ。

あの町を、彼らはどんな思いで焼いたのだろうか。

思考が巡っていたからか、不意に振ってきた海兵の言葉への反応が遅れる。


「中佐がいなくてよかったよ」

「えっ」


見上げた先に安堵のため息をつく海兵がいた。


「割り切ってるように見えて内心溜め込む人だし…特に”天竜人”関係はどうにも地雷らしい」

「それは…」

「ああいうのを見るとな、まるで全部『自分の罪だ』みたいな顔をする。手を出せないのは皆同じなのにな」

「………」


押し黙ったローに海兵は慌てて『暗い話になっちまったな』と話題を変えようとした。

彼は、いや彼を含めた隊員たちはきっとロシナンテの出生を知らない。いくら信頼のおける者たちだと言っても、どう考えても彼の平穏の妨げにしかならない情報をあのセンゴクや大尉が漏らすわけがない。知っていることで彼ら自身にも何かしら災難が降りかからないとも限らない、それだけ”天竜人”という存在はこの世界にとって多方面で”重い”のだ。

ローとて彼の出生を彼の口から聞くことはついぞなく、知ったのは本懐を遂げんとする直前、彼の実兄からであった。あいつはその出自を誇っているからこそ躊躇いなく口にできたのであろう。彼にとっては、どうだったのだろうか。

生きたロシナンテを前にしても、聞けないことは多い。

今の彼は『コラさん』ではないし。

今のローは『白い町のDの子ども』ではないから。


「ま、この世界は理不尽だからさ。救える範囲の人は救いてェし、身近な人くらいは幸せになってほしい。おれが日々の仕事を頑張る理由なんてそれで充分ってもんよ」


海兵なんてそんなもんだぜ。

そう言って笑う男に、かつてのピエロの不器用な笑みが重なった。


「……じゃあもうちょっと真面目に仕事しろよ。合間に酒飲むのやめてな」

「おっとそらァ無理な相談だ。おれらの燃料なもんでな」

「なんであんたらはどいつもこいつも不健康な燃料抱えてんだ」

Report Page