リクエスト9
33死者の弔い方というのは地域や民族や組織、そこに根付く思想によって様々な作法がある。隣の島でも全く異なる文化を持つことも珍しくないこの世界ではその作法は千差万別であり、ある意味では頓着されないことの一つだ。
さて海軍ではどうかというと、航海中に死亡した海兵の遺体は海に還すのが習わしである。理由はどこまでも即物的で、近年まで長期航海において遺体を綺麗な状態で保存し死者の故郷へ持ち帰るための技術がなかったからである。痛んだ遺体を船にのせておくことは疫病の蔓延という致命的なリスクを抱えることになるので、苦楽を共にした同僚も上官も部下も平等に、故郷に帰ることも帰してやることも叶わないという覚悟を持って海に出る。持ち帰ることができるのは故人の持ち物のみであり、海で散った海兵の墓には大抵そういった遺留品が収められている。
つまり、大半の海兵にとって『墓標』と呼ぶべきものは2つある。
陸に建墓されたものと、母なる海そのものと。
ローは夜中に目が覚めた。この身体になってから寝つきが良くなったので、ずいぶん珍しいことだった。
抱いていたシャチのぬいぐるみをぼーっと眺めていると闇目がきくようになってくる。それと同時に覚醒しつつあった意識が、ぬいぐるみごと自分を抱き込んで眠っていたはずのロシナンテの気配がないことを察知した。
一瞬、心臓が凍りつくような感覚が襲う。ぬいぐるみを抱く腕に力がこもる。自分はまだこの世界にいる、そう確信するために。彼の喪失の感覚を振り払うように。
ようやく落ち着いた心臓を押さえて大きく息を吐いた。彼を探しに行くために、ぬいぐるみを置いてハンモックから飛び降りて部屋を出る。しかし手間がかかると思っていた捜索はすぐに終わることになる。甲板に出たと同時に聴こえてきた歌声がその場所をしっかり教えてくれたからだ。意外にもその音程は外れず、伸びやかに海へと向けられたその歌はまず聴いたものたちから『上手い』と評されるものだった。そしてその旋律とことばはどこか物悲しさをたたえている。
歌が終わったのを見計らって、ローは彼に声をかけた。
「何やってんだこんな時間に」
「うおォ!?な、なんだローか…」
「驚きすぎだろ…」
手すりにもたれかかり海側に向いていたロシナンテはローの接近に気づかなかったらしく、素っ頓狂な声を上げて飛び上がりついでに転んだ。海軍の一左官としてどうなんだとも思うが、人もそれ以外の生物も寝静まっているような時間帯なので警戒が薄かったのかもしれない。起き上がる彼の顔が赤いのはけしてドジによるものだけではないだろう。
横に来たローをロシナンテが抱えて持ち上げてくれたので手摺の下段に足を乗せる。先にある海は真っ黒で、まるで泥のようにも見えた。
「今の歌って」
「あ~…知ってるのか、『海導』」
「話を聞いたことはある」
「そっか…」
海兵を弔うための鎮魂の歌。当然歌う時には、そこに弔いたいものがいる時だろう。
「ずいぶん前に、この辺で海賊と海軍の戦闘があってな」
「……」
「仲間が何人か海底で眠ってる。それが海軍のきまりなんだ」
そう語るロシナンテの目には悲壮感はない。ずいぶん前というのはすでに気持ちの折り合いがつくほどの前ということだろうか。かといって同僚の死に慣れた、というわけではけしてないだろう。少なくともローの良く知る彼は、目の前の命の喪失一つひとつに涙を流せる人だった。大海賊時代の中で奪われる命は数知れず、彼の目から涙が消える未来はまだまだ訪れることはないことをローは知っている。
海を覗き込む。相変わらず黒い波が船を揺らし、海底にあるものは欠片も見えはしない。
「…おれにも弔いたい人たちはいる」
「ん…?」
「死者を思うのは死者のためじゃない。生きているものが彼らを忘れずに生きていくためにすることだと、どこかで聞いた」
ローの愛したものたちは、その多くが安らかな死というものから縁遠いまま終ってしまった。墓なんてものはなく、あるいは場所を知らず、死者たちを思う時の墓標たりえるものは、ローのこの身体くらいのものだった。自分が彼らの生を、愛を覚えている限り、この身体は彼らを背負ってこれからも生きることができる。
今はまだ隣で生きている、けれど確かにその終わりを見た恩人もまた、その中の一人だ。
「ロシーさん、さっきの歌、もう一回歌ってくれないか」
「えェ…なんか恥ずかしいな」
「あんだけ堂々と歌っておいてなにをいまさら」
にやりと笑いながら茶化してやると、やがて彼はこほんとひとつ咳ばらいをしてまた旋律を紡ぎ始める。手すりにかけられたローの手がひそかに組まれたのを、彼は見ていただろうか。
ロシナンテとローの祈りをのせて、その歌声は静かに夜の海に溶けていった。