リクエスト22
33死人の霊魂が恨めしさに泣くこと
その泣き声
海軍の重要な務めの一つに”特殊な能力が関わっているであろう事柄の調査”がある。筆頭は言うまでもなく悪魔の実とそれを食べた能力者ではあるが、業物をはじめとした物もその対象に入る。目的は海の平和を脅かす者達…海賊や革命軍にそれらが悪用されることを防ぐためだ。たった一つの実のいよって国や世界がひっくり返される可能性は、この大海賊時代にはそこらじゅうに転がっているのだから。
立ち寄った島の住民からとあるいわくつきの品について相談を受けたロシナンテ隊はそれを快諾し、ロシナンテや大尉を含む数名が、つい先月に独り身だった住民が亡くなり無人となった家屋を訪れていた。
つい最近まで人が住んでいたというには荒廃が進みすぎている一軒家。壁も床も何もかも朽ちかけている中でその空間は異質だった。よく手入れされた置台の上にまるで奉られているように安置されている、面妖な装飾が施された鞘に納められた刀。
「これか……重ッ!」
3m近いはずのロシナンテが抱えても違和感のない長さの刀身。鞘の太さは大人の腕ほどももあり、よく言えば素朴、悪く言えば地味な島には似つかわしくない代物だった。
「確かに見た目からして異様な雰囲気の刀ですが、どういった点で異常なのですか?」
「……実は……」
大尉の疑問に対して案内してくれた住民が言い淀みながらも答える。その目は刀を視界に入れないように泳いでいる。
そして語られたのは、特定の人物しか抜刀できずその人物による定期的な手入れがないと島内で不運な出来事が頻発するという何とも物騒な内容だった。外から持ち込まれたのは確かだがその出自を知る者はすでに全員この世を去っているらしい。何度か外部の船に譲ったり売ったり押し付けたりして流出させようと試みたこともあったそうだが、乗せた船が突然の時化や海賊の襲撃によってすべて沈み当の刀はいつの間にか島に戻ってくるという結末に終わってからは島民たちも諦めたらしかった。
先月亡くなったという老人が抜刀できる最後の島民だった、このままでは手入れができず島に不幸が降りかかる、何とかしてほしい。切実にそう伝えてきた案内係は、しかしこの家に長居したくなかったのかすぐに出ていってしまった。
先ほどの話をオカルトだと嘲笑する者は皆無だった。この世界では…それこそ新世界の海ではこれくらいの話はいくらでも耳にすることができる。しかし、その怪異の由来や力の元がわからない以上ロシナンテ達にもこの刀を迂闊に動かすべきではないという結論にしか至れない。
ふと、控えていた海兵の1人がポツリとつぶやいた。
「元住民は、刀と共にこの家に隔離されていたんでしょうな」
「でしょうね」
あの住民の様子からこの刀は島で相当忌避されている代物であるとわかる。それを唯一扱える者も然り。しかし島の平穏のためにも、手入れ係という役目は果たしてもらわなければ困る。島の外に出ることも許されず、ただひたすら刀のご機嫌を取りながら生きる日々だったということは容易に想像がついた。その無念さや恨みを込められたかのように、刀はよく手入れされているように見える。
「ただ『そう』だというだけで異物の烙印を押されるのはしんどかったでしょうね」
何気なく漏れた海兵の言葉に、ロシナンテが無意識に唇を噛む。それを見ることができたのは大尉のみであった。
「……まあ、このままここにいても仕方ありません。動かすだけなら問題ないようですしひとまず艦まで運びましょう。いいですね中佐」
「……ん」
「では帰艦しましょう」
唐突に話を振られたからか、ロシナンテの反応が一刻遅れた。それに一瞬だけ目を細めた大尉はすぐにいつもの落ち着いた表情で部下たちを促す。最後に家屋を出たのは、刀を抱えたロシナンテだった。
「すげェ長いからとりあえずおれが持っておくかコイツ……えっと、名前は確か」
「鬼哭…だったっけ」
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「…お手上げですね」
片手で軽く頭を抱えてそう言った大尉に周囲の海兵たちも重苦しく頷いた。
男たちの中心にあるテーブルに件の大太刀…『鬼哭』が鞘にしっかりと納まった状態で置かれている。つまり、未だに鞘から抜けずにいる。一通り隊員たちによって抜刀が試みられたが、刀のお眼鏡にかなう者はいないようだった。
「手入れさえ可能であれば輸送はできると思うのですが…」
そう呟く副官に苦い顔をしたロシナンテが首を縦に振る。
元々外から持ち込まれた者なので是が非でもこの島に置いておかなければならない理由はないだろうという推測の元、隊員の内一人でも抜刀できるものがいれば輸送中はその人物が手入れを担当し、基地に戻り次第大勢の海兵の中から適性のあるものを選別すればよいという結論に至ったまではよかった。問題は、隊の中で抜刀できるものが見つかっていないということである。
……ちなみに島から離そうとした際に起こる事故に関しては「時化や海賊に今更怖気づく者はこの船にはいませんよね」という大尉の一言によって議題に上がることなく終わった。
「あとは主計科の数名と船医と………視線で圧をかけてこないでください。最終手段ですよ」
「当たり前だろ。おれらの面倒事にあいつを巻き込むのはご法度だ」
「何がご法度だって?」
唐突に部屋に響いた高めの声にロシナンテの肩がびくりと揺れた。
いつの間にか部屋の入口に立っていたローが生意気な笑みを浮かべて腕を組んでいる。厳つい男たちの視線が上から降り注ぐことに怯む様子もなく、静止が飛んでくるより早く部屋へと……男たちの輪のほうへと駆け寄ってくる。
「あ、こらロー!今は立ち入り禁止で…!」
「見るくらいならいいだろ。何について話してるん……」
子ども特有のすばしっこさで海兵たちの間を抜けながら、輪の中心に顔を出したローは言葉を最後まで言い切ることなく口を閉ざす。
いや、口は開いたままで固まっていた。大きく見開かれた両目は真っすぐに、彼の身長の倍もある刀に向けられている。
そして「どうした?」と訝しむロシナンテには答えず、静かにその鞘と柄に両手を伸ばした。
そして…
「な……!?」
重さを感じさせないような軽い手つきで、あっさりと鞘からその刀身を抜き出した。
「抜けた———!!?」
ざわつく海兵たち。流石の大尉も珍しく、驚きを顔に張り付けたまま硬直している。
外側に違わずその刀身は隅々まで手入れが行き届いており、部屋の明かりが反射して眩しい。その地鉄は鏡のように磨かれている。
一時の呆然から立ち直ったロシナンテは、刀を引き抜いた状態で動かずにいるローに駆け寄る。そして心配した表情でローを、いやローの背越しに彼の持つ刀を見下ろして——
「え?」
今度こそ、頭の回転が完全に止まった。
磨かれた刀身に顔が写っている。
ローによく似た、しかしローとは違い明らかに大人の男性の顔。
目の下の酷い隈がなぜか異様に気になった。
その表情はひどく歪んでいる。それが示すのは悲哀か、あるいは遺恨か。
そして、何かを訴えるように口を動かしながら両手を伸ばしてきた。
まるでこちらを向こうへ引きずりこもうとしているかのように。
あるいは。
縋ってくるかのように。
チンッ
金属の揺れる音とともに、刀身は再び鞘に納められた。
我に返ったロシナンテを、同じく表情に平静を取り戻したローが見上げている。
「…えっと、抜けたんだけど」
「お、おう……」
「手柄ですよスワロー。不本意ではありますが、しばらくは貴方にこの刀を任せるしかなさそうですね」
テンポの遅い会話を見かねたように大尉が口を挟む。その声に先ほどの動揺は微塵も感じられない。
しかしその表情は彼にしては珍しくやや罰の悪そうな笑顔だった。いわくがいわくなので、冗談抜きでローを関わらせることは大尉にとっても最終手段ではあったらしい。
納得いかないと言わんばかりの上官を「このまま放置して不幸が頻発するよりかは安全でしょう」という正論で黙らせ、大尉は再ローに向き直る。
「こういう武器の手入れ方法はご存じですか」
「ああ、まあ」
「優秀ですね。手入れ道具一式はこちらで用意します。輸送中だけですがよろしくお願いします。詳細は後で」
そう伝えると二人をそのままに未だ動揺収まらぬ海兵たちへ解散するよう指示を飛ばしていく。残された二人はしばらくの間、ローの手に収まっているその大太刀を見つめていた。
ようやく求めていた場所に落ち着けたと言わんばかりに穏やかに鎮座する『鬼哭』。
それが一瞬だけ見せた男の顔が、ロシナンテの脳にこびりついたように離れなかった。