リクエスト16
33昔から動物が好きだ。そしてありがたいことに動物からもよく懐かれる質だ。
ただきっかけはかなり打算的なもので、当時の自分に憎悪を向けてこない生き物は人間以外の動物だけだったということに尽きる。もちろん野生故の敵意を持つものもいたが、警戒心の薄い動物とは人目の少ない森でよく遊んでいた。きっと彼らは自分の初めての友達といえる存在だったと思う。ちなみに、兄は何故か動物たちから敬遠された。彼は彼でそういう性質を持っていたのだろう。
拾ってくれた養父の家でも、先に心を開いたのは家主にではなくそこで飼われていた山羊にだった。
そのことは今でも時々、晩酌の席で養父から恨めし気に揶揄われる。
白い塊が前触れもなく飛び出してきた。それを咄嗟に避けようとしたロシナンテの長い足が縺れ、その巨体が前のめりに倒れる。ドスンと重い音が響いた。
「っっっ~~!」
「大丈夫かロシーさん」
「だいじょばない……」
後ろを歩いていたローに特に被害はなかったが、当人は打った腹を押さえて悶絶している。そのロシナンテの頭に、白い塊が乗っかってきた。「ぶへっ」というよくわからないうめき声がもれる。
長い耳と白い体毛、どうみてもウサギである。が、しかし
「……でかいな」
「お、まえな~急に飛び出したら危ないだろ~」
ローが訝し気に呟いた。目測では通常のウサギの2・3倍の大きさがあり、ただでさえ子どもの身体になり目線が下がっているローからすると若干の不気味さすら感じるサイズである。しかし、こちらも規格外の大男であるロシナンテが片手で掴み上げると違和感がない。ウサギは苦言に対しては素知らぬ顔で——実際言葉の意味など理解してないだろうが——目の前にあるロシナンテの鼻に自身の鼻先をふんふんとこすりつけている。
そうこうしているうちに、このウサギが飛び出してきた茂みから同種のウサギたちが次々と出てきて座り込んでいるロシナンテを囲った。おそらく掴まれているウサギの仲間だろう。抗議するように数匹がロシナンテの膝に乗り込んでぺしぺしと叩き始める。傍から見ているローにとっては、非常に気の抜ける光景だと思わざるを得ない。
掴んでいたウサギが降ろされてもその群れはロシナンテの周りから逃げることはなく、膝の上で呑気に寝転んだり身体を擦り付けたりしてリラックスしている様子だ。一匹が抱っこしろと言わんばかりによじ登ってくるので、ロシナンテは先ほどよりかは丁寧にそれを両手で抱き上げた。
「人慣れしてんなァ」
「さっき島の住人から聞いたが、こいつらはこの島の固有種で神の分身として大事にされているらしいぞ」
元々外敵が少なく島中で繁殖していた彼らに対して、いつからか島民たちが島の繁栄の象徴として信仰するようになったとのことだった。今では子孫繁栄や商売繁盛…広く飛躍のご利益があるとしてちょっとした観光名所として島外にも知れ渡っている。
偶然寄港した島だったので予備知識などなかったらしいロシナンテが、へェ、と声を上げた。
「じゃあ、ローが立派な医者になってその仕事が順調にいきますようにってお願いするか」
頼むぜ~と抱き上げたウサギを胸に抱えなおして撫でまわす。当人…いや当兎は我関せずと言わんばかりにロシナンテの肩によじ登ろうとしている。くすぐってェよと笑う背中に、ローが呆れたように言った。
「なんでおれのことなんだよ。自分のことはいいのか」
投げられた問いに、正義を掛けた背中が振り返る。
ローは全身が妙に冷える感覚を覚えた。自分を見ているロシナンテの目がひどく凍っているように思えたからだ。口角は吊り上げられているのにまったく喜楽の感情を感じない。
「いいんだ」
ひどく凪いだ、ともすれば穏やかにも感じられるはずの声色が、まるで冬の風のようにローの身体を通り過ぎる。どう言葉を続ければいいのかわからないまま、ローはその場に立ち尽くしたままだ。
その気まずい沈黙を、白い塊が遠慮なく破った。
「ぐえ!え、重っ!?」
例のウサギがいつの間にか肩から頭に上がってきていた。それなりのサイズであるということはそれなりの質量があるということで、つまりウサギの全体重がロシナンテの首にかかっているということだ。耐えきれず俯く金髪の上に優雅に鎮座しているウサギが、ローの目の前まで下りてくる。
赤い目がローを捉え、ふんすっと一つ鼻を鳴らした。それが何を伝えたかったのか、ローに知る術はない。
ウサギの下から悲鳴が聞こえる。他のウサギにもよじ登られかけているので身動きが取れないらしい。
「ロ~助けてくれよォ~」
「……しょうがねェな………重っ!」
何とかロシナンテの頭上から引き剥がせたものの、両腕をフルに使って抱える羽目になった。大人しく収まっているウサギの白い毛並みに顔を半分埋める。
少し胸が苦しいのは、懐かしい昔馴染みのさわり心地を思い出したことだけが理由ではないのだろう。
「臭いのでシャワー浴びてきてください」
偵察——という名目の散策から船へ戻ってきた2人に対して開口一番そう告げることになる大尉であった。