リクエスト10

リクエスト10

33


「は?あんた知らないのか?」


きっかけはそんな一言だった。




大尉はタイプライターを打っていた指を止め、ふーと息を吐いた。昔は難なくこなせていたはずのデスクワークは老いてく体には年々負担になっており、無意識に眉間をほぐし背伸びをするというやや歳を感じさせる動きをしてしまう。

できあがった書類に再び目を通す。作成中も都度チェックはしていたが何度もするに越したことはない。それが本部に提出する報告書ともなればなおさらである。誤字なく締められていることを確認できたのでそれを封筒に入れてシーリングスタンプで封をする。

これで午前の仕事は概ね完了であるが、いつの間にやら時刻は午後に突入しており、それは正規の昼食時間も過ぎてしまったことを示していた。大尉は思案する。正直あまり空腹は感じないが、夕食までまだ時間があるので何か腹に入れておいたほうが良いだろう。それに手元のマグが空になっているので、ついでにコーヒーのお代わりをもらうのもよいだろう。そう考えて、マグを片手に立ち上がった。

廊下越しに聞こえてくる喧騒。食堂は昼時を過ぎているというのにやや賑わっているようだ。作戦終了後の航海というものは、交代で周辺の海域を警戒する以外にやることは多くない。長い船旅は負荷も大きいので、当直の海兵以外は各々で比較的自由に過ごさせている。休憩中の海兵たちが話に花を咲かせているのだろう。そう思い食堂に入った大尉が見たものは。


「それで、このジェルマの卑劣な罠にソラが引っかかってしまうんだ」

「ど、どうなっちまうんだ…?」

「そこがソラのすごいところだ。相手の作戦を逆に利用して…」


軍艦内のむさ苦しい空間にあまりにも不釣り合いな光景だった。


「………いったい何が」

「お疲れ様です大尉。それがですね…」


入口付近で立ち止まったままポツリとつぶやいた大尉に、近くの席に座っていた兵が妙なご機嫌顔で近づいてきた。

男の先には…つまり大尉の視線の先には、ロシナンテが自分の膝に乗せたローと真剣に絵本を読んでいるという光景だった。絵本を持つ係はローのようで、ページをめくり時々シーンの解説や小ネタなどをロシナンテに力説している。ローの説明や引き込む話術が上手いのか、ローの腹に回されているロシナンテの両腕には妙に力がこもっている。苦しくないのだろうか。

読んでいる絵本は大尉にも馴染みがあった。『海の戦士ソラ』である。北の海ではポピュラーだが世界経済新聞で連載されていたため世界中にも広まっている絵本で、家で新聞をとったり仕事中にそれで情報収集する質の海兵にはよく目にするものだ。ただし載っているものを読むかどうかは別問題で、子がいるような海兵ならば読み聞かせ等をすることもあるだろうが、独り身の大の男が愛読するかと言われると否だろう。


「中佐が『あんまり知らねェな~』ってスワローに言ったんですよ。そしたらあの子、なんかスイッチ入っちゃったみたいで」

「それで読書会ですか」

「めっちゃ熱のこもった語りなモンで、中佐も最初はあやすような感じで付き合ってたんですがすっかり落とされたみたいです」

「で、周りの皆はどういう状況なんですかこれ」


熱中している二人の周囲にはその光景を妙に優しい目をしてみる海兵たちがいた。結果的にローの語りを大の男たちが聞き入るような格好になっている。


「いやあ癒されるじゃないですか。おれは上の子が下の子に読み聞かせしてるのを思い出しちゃいましたよ」

「……………どっちに『上』を重ねたのかはあえて聞かないでおきます」


はあ、大尉はとため息をつく。

どうにもこの隊は上官であるロシナンテに甘いものが多いのだ。生来のドジっ子気質と末っ子気質がそうさせるのかもしれないが、どうもロシナンテは人に…特に年上には好かれやすい。それとこの平均年齢の高い隊を彼が問題なく指揮できていることは無関係ではないだろう。

かといって年下には好かれないのかというとそうでもないのは目の前の光景が示す通りだ。カリスマ性…とはまた違うのだろうが、彼にもまた一介の兵が持ち得ない、上に立つ者の気質があるのだろう。本人はそれを利用する気など毛頭ないのだろうが、うまく扱えば便利なのかもしれない。たとえば、諜報活動とかに。

そして、大尉は他の海兵たちとは違う光景を目の前に重ねている。それは遠い日の、ロシナンテと彼の養い親であるセンゴクとの思い出だ。世界を知らず、知る余裕もなかったロシナンテにとって、引き取られて心も体も回復してからの日々は毎日が未知の連続だった。出会って直後の寡黙さはどこへやら、日々発見したことや気づいたことを嬉しそうに報告していた。そしてその時の彼の定位置は大抵、センゴクの膝の上だった。きょうにわの木にすずめがとまってたんです!お昼ごはんはカレーでした!そんな些細な報告を、当時の大尉の上官はその威厳をまるで感じさせないような崩れた笑顔で聞いていた。


「ここで合体ロボの新しい武器が出てくるんだ…!」

「すげェかっけェ!」


目の前のロシナンテも、一つの隊を預かる者としての威厳は見られないほど絵本に熱中している。本来であれば小言の一つや二つや三つくらい言ってもよいのだろうが、


「………3時を超えそうであればこの場にいるもので窘めておいてください」

「了解。会議には間に合わせますんで」


楽し気に敬礼をした海兵に頷くと、いつの間にか給仕係が用意してくれていたおかわりのコーヒーとサンドイッチを手に食堂を後にする。

上がりそうになる口角をごまかす様に咳ばらいをして、あの人も大概中佐には甘いよなァという海兵たちの言葉を聞き流しながら大尉は自室へと戻っていった。



Report Page