ラビ、祝福あれ

ラビ、祝福あれ


ユダがなぜ愛しいキリストに接吻をしたのか、ずっとわからずにいた。

己の肉体によって何より尊いお方を穢してよいものか。たとえその神によって、皆を導く一等星と評されたとしても、決して触れてはいけないはず。何より教義は偶像崇拝を禁じているではないか。自身の中に存在する理想の神ではなく、今目の前にあるそれだけを信ずるべきである。

だけど、今なら、わかる。これは祈りだ。報復でも皮肉でも絶望でもない、純然たる祈りなのだ。腕に抱えたグエルは重くて、微かに暖かい。両手が塞がってしまっている。ラウダは己のくちびるで、グエルのまぶたを開け、舌を引っ張り出し、息を吹き込む。苦い味がする。これは血の味か、あるいは信仰の味か。わからない。わからないけれど、単純に、嬉しく思う。

離したくちびるに、まだ温もりが残っている。それが自身のものなのか、それともグエルに未だかすかに残っている体温だったのか、わからない。それで構わないと思う。だってこれで、グエルは何者にも惑わされない。神さま、獅子、王者、ちがう、どれもちがう、グエル、そう、グエルであり続ける。ラウダの兄で、ジェターク家の御曹司で、この世に降り立った救世主、グエル・ジェタークであり続けるのだから。

ラウダの呼気がグエルのくちびるにかかる。微かに跳ね返って、ラウダのくちびるを濡らす。ラウダはこてりと首を傾げて、再びグエルの額に、頬に、髪の先に、とくちづけを落としていった。

「兄さん、ラウダ・ニールはあなたを完全にするなにかになりえたかな」

グエルは答えない。

先程開かせたはずの瞼は、再び閉じられている。先程引っ張り出したはずの舌は、再び押し込められている。いつの間にか、その頬は冷えきってしまっている。

ああ、ようやく見つけたのだ。未だかつて存在していなかった楽園を。あらゆる天使にも星々にも悪魔にも魔女にも触れることのできない、唯一無二の天国を。いかなるものによっても理解されず、いかなるもにのよっても名付けられない、絶対の聖域を。

兄さん、あなたはよく笑ってくれました。ラウダ・ニールの前では、あなたは人間でいることができましたか。それともやはり、神であり続けねばなりませんでしたか。太陽によっても月によっても、かの約束の地は支配されない。兄さんだ。兄さんだけだ。そう、ラウダ・ニールにとって、世界とはあなただけなのだ。ラウダ・ニールという存在の起源は、あなたが与えたのだ。終末さえも、あなたが与えてほしい。あなたに全てを捧げます。あなたのどの臓腑に魂が宿っていましたか? どうか、一緒に永遠の王国に連れて行ってほしい。

だからどうか、兄さん。許してください。

祈りは届かなかった。されど願いは確かに叶った。あらゆる星はその明かりを隠し、暗闇の中で一節の歌が響く。ラウダの体が倒れ伏し、地に墜ちた。


『ああ、ああ、ああ。兄さんに、祝福あれ!』

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