ラウダ先輩、知ってますか? 髪って性感帯らしいっすよ?

ラウダ先輩、知ってますか? 髪って性感帯らしいっすよ?

◆H19550IJas

ジェターク寮の格納庫には隣接して作られた複数のミーティングルームがある。

主にメカニック課メンバーがちょっとした打ち合わせや休憩のために利用する小規模な多目的室だ。


そんなミーティングルームの一室。

僕、ラウダ・ニールは丸テーブル付属の椅子に腰かけていた。

正面には制服姿のペトラが向かい合うように座っている。


テーブルには彼女が気を利かせて持って来てくれたマグカップが二人分。

どちらも中のコーヒーは残りわずかまで減っており、持ち込んでから既に少なくない時間が経過していることを思い出させる。


僕らがなぜここにいるのかと言うと、僕の専用ディランザの調整について打ち合わせを行ったからだ。

ペトラには僕の主任メカニックとして、専用ディランザの扱いを任せている。


もっともその打ち合わせは既に終了しており、先刻まで真剣な会話が交わされていた室内も、今は弛緩した穏やかな空気が流れている。


実のところ、僕とペトラがこの場に留まっている理由はもう無い。

だが逆に急いで出て行く理由も無かったので、今もこうしてペトラのお喋りに付き合っている。


今日のペトラはいつもより上機嫌だ。


先の打ち合わせでは、専用ディランザに調整を試みた結果、長らく課題となっていた腕部の過剰負荷問題に大きな改善があったと報告を受けていた。

その調整はペトラの発案が核になっており、自らのアイディアで良い結果を出せたのが余程嬉しかったらしい。


そんな彼女を見ているとこちらも嬉しくなる。

成果を出してくれた事はもちろんだが、愛機に対して自分と同じように愛情を注いでくれる姿というのは、やはり見ていて気持ちが良いものだ。


「それがメチャクチャ臭くって、フェルシーなんていきなり――って、ラウダ先輩、聞いてます?」

「ん? ああ、すまない。ちょっと考え事をしていた」


ペトラに名前を呼ばれ意識を引き戻される。

会話の最中だったにも関わらず、気が逸れてしまっていたらしい。


先程まで楽しげに話していたペトラは、僕が会話にうわの空だったことを知ると、むっとした表情を浮かべた。


まいったな、機嫌を損ねてしまったか……


それまでの穏やかな雰囲気に影が差し、微妙に気まずい空気が流れる。


どうしたものかと思考を巡らせていると、ちょっと不機嫌そうに僕を眺めていたペトラが、ふと何か思い付いたらしく、いつもの得意げな顔でニヤッっと笑った。



「ラウダ先輩、知ってますか? 髪って性感帯らしいっすよ?」



ペトラが妙なことを言い出す。

どうやら僕がいつもの癖で前髪を触っているのを見て、どこで仕入れたのか珍妙な薀蓄を思い出したらしい。


へそを曲げていた空気はどこへやら、いたずらっ子の様な笑みを浮かべている。

それを見て僕はすぐに彼女の意図を理解した。


つまり髪が性感帯だと仮定するなら、僕のこの癖は自分で自分を慰めている、極めて卑猥な行為である、と言いたい訳だ。


とりあえずペトラの機嫌が直ったのは良かったが、意趣返しにしては少々下品じゃないだろうか?

僕はやれやれっと溜息をつくと、この生意気な後輩からの挑発を鼻で笑ってみせた。


「急に何を言い出すかと思えば、そもそも毛髪に神経は無いだろう? くだらないデマだよ」

「でもパートナーの頭を撫でるのはかなり親密なコミュニケーションって見なされる訳じゃないですか? あり得ない話じゃないと思うんですけどねー」

「いや、それこそ『語るに落ちる』だね。つまり触れる相手が重要なのであって、髪に触る行為そのものが性的な訳じゃないってことさ」


淀みない僕の反論に、ペトラはむうっと唸る。

論破完了。これでこの話は終わり――かと思いきや、ペトラには新たな興味が芽生えたようだった。


「じゃあ、ラウダ先輩の『それ』は、別に気持ち良くないってことですか?」

「当たり前だろう。大体そんなに気になるなら自分の髪を触ってみれば良いじゃないか」

「それはもう試しました」


いや試した後なのか……

じゃあ、ますます僕に聞く必要は無いだろうに。


「なら結論は出てるんだろう? どうだった?」

「全然ダメっすね~。気持ち良いとか、ムラムラするとか、全くありませんでした」

「それは良かった。もしペトラが自分の髪を触って興奮する人間だったら、友人付き合いを考え直すところだったよ」

「うーん、やっぱり自分で触るんじゃダメなんすかね~」


僕からの皮肉を受け流し、ペトラは腕を組んで頭を悩ます。

やがてペトラは僕が髪を触っている姿を見て、何か閃いたようだった。


「ラウダ先輩、私の髪さわってみてくださいよ」

「……なんでそうなるんだ?」

「ラウダ先輩だって触る相手が重要って言ってたじゃないですか。普段から髪に触り慣れている先輩なら、もしかして結果が違うかなって」


ペトラは先程の僕の言葉尻を捕らえて、そんなことを言い出す。


それは親密なパートナーとの触れ合いなら、そもそも触る部位は関係無いだろう、という意味で言ったのであって、テクニックの話をした訳じゃない。


「いや、さっきのはそう言う意味じゃなく――」

「あれあれ~先輩、自信ないんですかぁ?」


僕の言葉を遮って、ペトラがふふんと生意気な笑みを浮かべる。


「ラウダ先輩、女の子さわるの苦手そうですもんね~」


見え透いた挑発だ、と頭では理解している。

しかし妹分な女の子に、こうもあからさまにからかわれるのは多少なりともプライドが傷つく。


どう言い返してやろうか――と思案を巡らせたが、ふと思い直す。

そもそもこの話題が始まってしまったのは、僕がペトラの話を真面目に聞いておらず、無駄に機嫌を損ねてしまったのが原因だった。


ここはひとつ僕の主任メカニックを労わる意味でも、少しばかり彼女の茶番に付き合ってあげることにしよう。


「自信が無い訳じゃないさ。そこまで言うなら試してみるかい?」


あえて挑発に乗ることを選び、こちらも不敵な笑みを返す。

その反応が意外だったのか、ペトラは一瞬きょとんとした表情を見せた。


しかし自分の仕掛けた挑発に相手が乗って来たと理解すると、すぐに自信ありげな笑みに戻る。


「言いましたね? じゃあ期待しちゃうんで、しっかりお願いしますよ~」


ペトラがお手並み拝見とばかりに、ぐっと身を乗り出す。

急に彼女の顔が間近に迫り、動揺して思わず仰け反りそうになったが、何とか堪えた。


「ラウダ先輩?」

「ああ……えっと、じゃあ触るよ?」

「はい、どうぞ」


冷静さを取り戻しながら、ペトラの前髪にそっと右手を伸ばす。


だが良く考えてみると、こんなシチュエーションで他人の、それも女性の髪なんて触ったことが無い。

あまり無遠慮に触るのも気が引けるし、できるだけ優しく、遠慮がちにペトラの前髪に触れた。


自分の髪質とは異なる、サラサラとした感触に指先が少し緊張する。


「……先輩の手って、思ってたより大きいんですね」

「そうかな? 別にサイズは普通だと思うけど」

「そうなんですか?」

「目の前で見てるから、そう感じるんじゃないか?」


僕が髪に触ている間、ペトラは興味深げに僕の手を見つめている。


何だか凄くやり辛い……


しかし目の前で触れているのに、こちらを見るなとも言えない。

できるだけ気にしないよう心掛け、そのままペトラの前髪を指先で遊ばせる。


ペトラは時折、僕の触り方にあれこれ口を出しつつ、多少くすぐったそうにしていた。


しかし期待していた結果とは違ったようで、最後にはガッカリした声を上げた。


「うーん、何か思ってたのと違うっすね~」

「思ってたのって、一体どんなのを想像してたんだ?」

「そりゃもちろん、もっとキュンキュンするというか、あっはんうっふんな感じで盛り上がると思ったんですけどね~」

「それは触る側より、触られる側に問題があるな。僕だってお相手が魅力的な淑女だったら、もう少し本気を出してたさ」

「うわっ、言うに事欠いて何てこと言うんすか! と言うかラウダ先輩、自分の髪を弄る時はもっとこう変態チックでいやらしい手付きじゃなかったでしたっけ~? あー本気出さないってそういう――って痛い! 痛い! 引っ張らないで~!」

「流石に失礼だぞ、ペトラ」


自分の癖を変態行為扱いされ、少しばかりカチンと来た。

僕は触れていたペトラの前髪をちょっとばかり引っ張って制裁をくわえた。


僕がすぐに手を離すと、ペトラは大げさに痛がって抗議する。


「乙女の柔肌になんてことするんですか! ディーブイっすよ! ディーブイ! ハゲたら責任取ってくださいよ!」

「大丈夫だ、前髪を多少引っ張ったところで頭髪に影響は無い。僕が保障しよう」

「何ですかその無駄に経験者は語る的な自信は……」

「信用できるだろ?」

「まあ確かに――って騙されませんよ! 前に『この癖は髪を引っ張ってるんじゃなくて触ってるだけだ』ってラウダ先輩自身が力説してたじゃないっすか!」

「……チッ」

「あー今舌打ちした! やっぱり騙そうとしてる~!」


その後もワーワーとひとしきりバカを言い合い――

流石に疲れて来たところで、僕はこの不毛な茶番を切り上げることにした。


「さて、いい加減気が済んだだろう? そろそろ解散にしよう」

「…………」

「ペトラ?」

「そうっすね~。でもこのままじゃラウダ先輩は愛撫が下手くそなDV男ってことになっちゃいますけど、良いんですか?」

「待ってくれ、どうしてそんな話になるんだ?」


僕が全然まったく心当たりの無い不当な中傷に疑問を呈すると、ペトラは露骨に不機嫌な顔になり口を尖らせた。


「あったり前じゃないですか! 適当に煙に巻こうとしたってダメですよ! 自分のテクニック不足を女性の責任にしたうえに、乙女の命である髪を乱暴に扱って有耶無耶にしようとするなんて! サイテーっすよ! サイテー」


どうやらペトラは僕が思っていた以上に、髪を引っ張られたことを根に持っていたらしい。

僕としては子犬でも扱うように優しく躾けたつもりだったのだが、そんなに痛かったのだろうか?

それならちゃんと謝罪するべきかも――


「大体! こんなクールで知的でセクシーな美少女を前にして魅力が分からないなんて、先輩の目は節穴っすよ! 唐変木! 甲斐性なし! この童〇野郎~!」

「…………」


前言撤回。彼女が気に食わなかったのは淑女失格の烙印の方だったらしい。

ふくれっ面でブーブー言っている。


そういうところが子供っぽいと思うんだけど……とは絶対に口に出さず、僕は最も賢い選択として、大人しく降参することにした。


「分かった分かった。悪いのは僕だよ。他人の髪を正面から触るなんて初めてだったからね。扱いが下手でレディのお気に召さなかったのはすまなかった。許してくれ」

「むぅ、またそうやって適当に誤魔化そうとして……って、あっ、そうだ!」


ペトラがまた何か思い付いたのか表情を明るくする。

僕が怪訝な顔をすると、彼女は再び自信に満ちた顔でほくそ笑んだ。


「言い訳がましい先輩のために、もう一度だけチャンスを差し上げましょう! 正面から触るのが苦手ってことなら、いつも通り髪を触れる姿勢なら問題ないんですよね?」

「言っている意味が良く分からないんだが……」

「つまりですね――」


ペトラは言いながら立ち上がると、その場でくるっと身をひるがえし、僕に背を向けた。


「私が背中を向けて立ちますから、ラウダ先輩は後ろから腕を伸ばす形で私の髪に触ってください。それならもう言い訳できませんよね? あっ、ちなみに女性の方には何の問題も無いのでチェンジはありません」


ペトラは勝手に持論を披露すると、これは名案だと言わんばかりにうんうんと頷いている。


普段のペトラはもっと冷静で論理的なのに、僕や兄さん、フェルシーと一緒にいると急に知能指数が下がる時があるのはなぜなのか。

髪を触るという行動は同じなのだから、向いてる方向で感じ方が変わる訳ないだろ……と言いかけたが、結局は止めた。


「分かったよ。でも追試はこれで最後にしてくれよ」


これで彼女の気が済むなら、もう少しだけ付き合うのも良いだろう。


「じゃあラウダ先輩の再挑戦ということで、ちゃーんと審査してあげますから、私がストップかけるまで勝手に止めちゃダメですよ? あっ、言っておきますけど髪を引っ張って有耶無耶にするのは無しですからね!」


ペトラが後ろ姿であれこれ念押しする。

僕は諦念の溜息を漏らしつつ彼女の背後に立った。

そして手早く済ませようと手を伸ばそうとして、ふと気づく。


この立ち位置は想像以上に犯罪臭がすると言うか、正面から見つめ合う以上に、男女として危うい立ち位置なのでは?


目の前には完全に背中を向けたペトラが無防備にたたずんでいる。

普通に考えて恋人同士でもなければ、女性の背後からこれほど接近する機会など無い。


小柄な背中が強く女性であることを意識させ、普段は意識しない腰やその下のラインに無意識に目が行ってしまう。


沸き上がるモヤモヤした気持ちを振り払っていると、不意に嫌な想像が脳裏をよぎった。


「まさかとは思うけど、他の男にも髪を触らせたりしてないだろうね?」

「え? 別にそんなことしてませんけど?」


想定外の質問だったのか、ペトラが少しだけ顔をこちらに向ける。

その横顔は少々困惑しているようだった。


「それってどういう意味ですか?」

「ん? 別に深い意味は無いよ。ちょっと心配になっただけさ」


髪が性感帯だ、などという眉唾な話はどうでも良いが、少々抜けているところのあるこの妹分が、悪い男に変な話を吹き込まれて、あちこち体を触られていたら――と考えると胸がざわつく。


もしそんな不届き者がいたら、即座に決闘で叩き潰してやろう。


「あの……大丈夫です。他の人にはこんなことさせてません……」


再び顔を前に戻したペトラが、つぶやくように答えた。


「そうか、良かった」


その辺の男に無防備に体を触らせるような事は無いと分かって胸をなでおろした。


一瞬、僕の言葉にペトラがどことなくソワソワしているようにも見えたが、背中側からでは表情をうかがい知ることはできない。


「それじゃ、触るよ?」


許可を求める呼びかけに、ペトラは声を出さずに小さくうなずく。

僕は彼女を驚かさないよう、ゆっくりとした動きで肩越しに右手を伸ばした。


さて、どうしたものか。


前回は慎重になり過ぎたせいか、ペトラからの評判はイマイチだった。

それを考慮すると、今回はもう少し大胆に触ってみる方が良いのかもしれない。


そんなことを考えながら、そっと彼女の髪に触れる。


「ん……」


どこか緊張した雰囲気のペトラの声。


視界に入らない背後からだと、触れられた時の感覚が違うのだろうか?

一瞬、ペトラが嫌がっているかもと手を止めたが、その後も特に拒否するような言動は無い。


これはそのまま続けろという意味だと解釈し、そのまま指先でサラサラと前髪を弄んだ。


前回は触り方について、ああだこうだと感想を述べていたペトラだったが、今回は黙ったまま、こちらの動きに身を任せている。



「んぅ……あッ……」



指が髪や肌を擦る度にペトラがピクッと反応し、やがて悩ましげな声が漏れ始める。

予想していなかったペトラの反応に動揺し、自然と心音が早まる。


これは……もう止めた方が良いのか?

しかしストップを掛けるまで止めるなと言われているし……


背後からでは顔が見えないので、ペトラの表情を読み取れない。

声の雰囲気から察するなら、赤面して身悶えている可能性もある。


しかし先程は髪を触っても平然としていたはず。

僕が怖気づいて手を引いた途端「もしかして本気で感じてると思いました?」と嘲笑される展開も無くはない。



もう少し様子を見よう――



と判断を先送りにしたのがいけなかった。


それから数分間――いや、実際には体感時間がバグっていたので本当の経過時間は分からない。

ペトラは結局ストップの宣言をすることなく、髪への愛撫を受け続けていた。


恐らくは恥ずかしい声を我慢するのに精いっぱいで、口を開くことが出来ないのだろう。


だったら僕が手を止めれば良いだけの話だが、その頃には僕の頭も動揺と興奮で正常な判断が難しくなっており、せめて行為がエスカレートしないよう自制するのが精いっぱいだった。


妄想の中では右手がペトラの髪から頬・首筋を這うように胸元へと下り、左手は彼女の腰から腹の前へと回り込んで、そのまま抵抗できない彼女を体ごと抱き寄せる光景が脳裏に浮かんでは消える。


もう何度目か分からない生唾を飲み込む。


自分が指先を動かす度に、息を乱したペトラが艶っぽい声を漏らす。

背後から見える耳たぶはすっかり赤く熱を帯び、首筋まで肌が赤色に染まりつつある。


その艶めかしい後ろ姿を見ていると、支配欲と背徳感がグチャグチャに混ざった強烈な感情が体内を暴れ回る。



もう少しだけ――もっと彼女を――



とその時、格納庫とミーティングルームを隔てる扉が駆動音を立てて突然開いた。


「――!?」


僕らは二人とも扉を正面に見る形で立っていた。


突然開いた扉に驚愕し、ペトラが反射的に後退りしようとする。

が、背後には僕がいる訳で、背中から勢い良くぶつかって来たペトラが悲鳴をあげてバランスを崩す。


僕は慌ててその体を支えようと彼女を抱き留めた。


「ペトラ~、私のディランザの整備なんだけ……ど」


開いた扉からひとり入って来たフェルシーが、直後に目を丸くして硬直する。


彼女の目の前には、顔を真っ赤にしたペトラが、同じく顔を赤くしている僕の両腕にすっぽりと収まっている姿があった。

僕がとっさにペトラの体を支えようと動いた結果、彼女を背後から抱きすくめるような体勢になってしまっていた。


「え……あ、ペトラとラウダ先輩が、えっと……」


「待て、フェルシー! 誤解だ!」

「そ、そうだよ! 私達まだ何もしてないから!」


いや待てペトラ! それじゃこれから何か始めようとしてたみたいだろ!?


「というかペトラ、早く自分の足で立ってくれ! くっ付いたままじゃ更に誤解が――」

「そ、それが驚いた拍子に腰が抜けちゃって……」


涙目でそう訴えるペトラの言葉に愕然とする。

今のペトラは僕の支えが無いと立っているのもままならない状態らしい。


動揺した僕の腕の力が弱まると、足腰立たなくなってしまったペトラの体がずり落ちそうになる。

再び悲鳴を上げた彼女を落としてしまわないよう、僕は慌ててペトラの体を抱きしめ直す。


しかし先程より不自然な体勢で支えようとしたせいか、妙なところに力が入ってしまい、ペトラが「ひゃう!」っと声を上げた。


「ラ、ラウダ先輩! 変なとこ触んないでくださいよ!」

「な……僕がどこを触ったって言うんだ!?」

「それは――って何言わせようとしてるんですか! 変態!」


ギャーギャーと大混乱に陥っている僕とペトラ。


その様子を呆然と見ていたフェルシーは、この想定外過ぎた状況に脳の処理が追い付かない。

しかし一歩遅れてようやく理解し始めたのか、急激に赤面すると、目をぐるぐる回し、遂にオーバーヒートした。


「ご、ご、ご、ごゆっくり~~~!」


フェルシーはその場で綺麗な180度ターンを決めると、入って来た格納庫に向かって脱兎のごとく走り出した。

それに気づいた僕らが慌てて呼び止めるも時既に遅く、自動で閉まった扉の先からは急速にフェードアウトして行くフェルシーの奇声が微かに聞こえていた。


部屋に取り残されたのは、ただ呆然とする僕とペトラだけだった。


「どうしよう……絶対フェルシー誤解してる……」

「後で捕まえて、誤解を解くしかないな」


果たして何がどう誤解だったのか、という疑問はこの際無視する。

僕は今後降りかかるであろう頭の痛い問題を思考の隅に追いやると、とりあえず目の前の問題に集中することにした。


自力では立ち上がれず、未だ僕に体を預けているペトラを医務室に連れて行かなくては――



***



ミーティングルームから医務室への通路を歩く。


両腕にはお姫様スタイルで抱き上げられたペトラが、顔を真っ赤にして身を縮こめている。

それは少しでも人目を避けようとする努力だったのかもしれないが、残念ながらそれは効果を発揮していない。


僕らはすれ違う寮生達からの注目を一身に浴びていた。


本当は背負う形で医務室に運ぼうと思ったのだが、ペトラの体が背中に密着する姿勢は色々と刺激が強過ぎると判断。

最終的に膝を抱えて座り込んでいたペトラをそのまま持ち上げる形で搬送中である。


なお刺激の強さで言えば、この格好も決して負けてはいない。

ただペトラの顔が見えるおかげで、彼女を守らねばという使命感が沸き、辛うじて冷静さを保つことができた。


しかし気恥ずかしさまで我慢することはできず、今は表情を硬くして誤魔化しているものの、頬の熱さまでは隠し切れずにいた。


「……ラウダ先輩」

「ん?」


すっかりしおらしくなったペトラがポツリとつぶやく。


「あの……ごめんなさい、色々……」

「いや、謝るのは僕の方だ。そもそも僕が自制すれば良かっただけの話なんだ……すまない」


ペトラには本当に悪いことしてしまった。

自らの欲望に逆らえず彼女を辱めてしまった訳で、これが原因でトラウマにでもなったらと思うと自己嫌悪で死にたくなる。


「もう僕に触られるのは嫌だろうけど、医務室までは我慢してくれ」

「別に……嫌ではないですけど……」


抱えられた腕の中で、ペトラがもじもじと俯く。


「でも人の来るような場所では絶対ダメですからね。恥ずかしくて死ぬかと思いました」

「ああ同感だ。あんなことはもう――」


ん? 人の来るような場所では?

それはつまり人が来ない場所ならダメではないと言う事で――


一瞬、先程の秘め事がフラッシュバックし、慌ててブンブンと頭を振った。


「ラ、ラウダ先輩?」

「い、いや、何でもない……」


とにかく今は余計な事を考えるのは止めよう。

ペトラを医務室に送り届けてから、水でも浴びて頭を冷やすべきだ。


僕はすっかり茹ってしまった頭で思考するのを諦めると、無心で医務室へと歩みを進めた。



***



後日、ラウダ・ニールがペトラ・イッタを足腰立たなくしたらしい、という俗な噂がジェターク寮を駆け巡った。

おかげで寮長である兄さんから呼び出しをくらい、二人そろって下手な言い訳をする羽目になった。


どうやら先に兄さんから事情を聞かれたフェルシーが、僕らをかばおうと焦った結果、不必要なウソをついてしまい、元々噂に懐疑的だった兄さんを逆に心配させてしまったらしい。


兄さんにもフェルシーにも随分と迷惑をかけてしまった。


「早いうちに何か埋め合わせをしないといけないな」


寮長室から自室へ戻った僕はそんなことを考えながら、いつもの癖で無意識に前髪に触れた。

ふとその行為を自覚した瞬間、ペトラの後ろ姿と彼女の髪の感触が脳裏を過った。


「…………」


あれ以来、どうにも髪に触るとペトラのことが思い出される。

それが嫌な訳では無かったが、あの時のことばかり思い出してしまうのは、やはり不健全な気がした。


「……顔を見に行くか」


彼女の後ろ姿ばかりが記憶に残っているのはどうにも気に入らない。

ペトラに会って顔を見れば、不埒な記憶もきっと上書きされるだろう。


僕はすぐに行動を起こすため、生徒手帳を手に取り、メッセージ機能を起動した。


兄さんとフェルシーへの埋め合わせは何が良いか、それを一緒に考えて欲しいので、会いたい、とメッセージを送る。

すると間髪入れずにペトラから返信が来た。


それを見て少しだけ口元が緩むと、僕は彼女に会うため、足早に自室を後にしたのだった。

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