ライブ・ショウ・タイム! 前編
name?クゥ……クゥ……と、ウミカモメが青空の下で鳴く。
海風は穏やかで、雲も少ない昼下がりだった。
ここは“偉大なる航路”前半にある港町、トナミ。
その桟橋に到着した商船から、タラップが降りる。
トン、トンと身軽にタラップを伝い、一人の少女が桟橋へと駆け下りた。
たんっ。
少女の履いたショートブーツの底が、桟橋の木と当たって小気味のいい音を立てる。
紅白二色の髪色を持つ少女──ウタは、ティーシャツにショートパンツという快活な出で立ちでトナミの町に降り立った。
ウタはやや興奮したように頬を上気させ、そして頬が少しだけ緩んでいる。
「あっはっははは! 到着!!」
そしてついには、その喜びに耐え切れなかったようで、ウタは腰に手を当てて、満面の笑みを浮かべて笑い始めた。
ウタがエレジア以外の土を踏むなんて、何年ぶりだろう。今まで、あれほど迄に怖かった外の世界が、今の彼女には希望への架け橋のように見えていた。
そんな彼女の後ろから、これまた珍しく黒いティーシャツを身に纏ったブルックがギターを担いで、ゆったりとした足取りでタラップを降りてくる。
ブルックは白い漆喰で塗り固められた家々を見渡しながら、しみじみと呟いた。
「いやぁ、それにしても懐かしいですねェ。もう何十年前になりますか、ここに来たのは。町並みはは少し変わりましたが、相変わらず、穏やかな風の吹くいい町だ」
ブルックのその言葉に、ウタがくるりと振り返って首を傾げた。頭の後ろで二つに束ねられた髪の毛が、頭の動きに、あるいは彼女の感情に合わせるように揺れる。
「あ、ブルックってこの町に来たことがあったんだっけ?」
船の中でそのような話をしていたような気がする。ウタは久々の航海やら外の世界やらに意識を持っていかれていたせいで、船内での会話をほとんど覚えていなかった。
ええ、とブルックが頷いた。
「あの時は大事な仲間と別れて日も浅かったので、寂しさを紛らわすために、港に寄っては酒におぼれてドンチャン騒ぎをしていまして。ヨホホ、まあ五十年以上昔の話ですよ」
海の方へ視線を向けて、ブルックが言う。
そっか、とウタはブルックの視線を追いながら小さく呟く。今は亡き、かつての船員を想っての言葉に、ウタの入り込む余地はない。
そんな二人から遅れて、ゆっくりと船から降りてくる人影が一つ。
「……本当に来てよかったのだろうか……?」
大きい物を含めたいくつかの荷物を担ぎ、燕尾服を身に纏った男。特徴的な額には、昔大怪我をしたのだろう、縫い痕がはっきりと残っている。
「何言ってるの!? 責任を持ってついて来るって言ったのはゴードンでしょ!」
男──ゴードンのその様子に、ウタが少しだけ怒ったように声を上げる。
「い、いや、私は……」
口ごもるゴードンに助け舟を出すように、ブルックがヨホホと笑った。
「まあいいじゃないですか。この同行はウタさんも望んでいたことなんですし。それからやはり、ライブを行うのなら、楽器の担当者は多い方がいいですからね!」
ブルックのその言葉に、ウタが腕を組みながら、うんうんと頷いている。
ゴードンはその様子に、一瞬だけ迷ったように口を開いてから、その口を閉じて口角を上げた。
「そうだな。確かに、音楽は分かち合うものだ」
頷いたゴードンが、静かに、しっかりとした足取りでタラップを降りる。
桟橋に降り立ったゴードンに、ウタが手を伸ばして「ほら」と言うが、ゴードンにはその意味が分からなかったようだった。
「どうした、ウタ?」
「キーボード、持つよ。ほら、貸して」
ウタが小さく首を傾げて言う。
しかし、ゴードンとしてはウタに荷物を持たせることに抵抗があるのか、困った表情を浮かべてブルックに視線を投げた。
ブルックは小さく肩を竦める。
「いいんじゃないですか。担当楽器は自分で、とした方がわかりやすいですし、何より体力も付きますし」
「そうか……そうだな。すまないが、ウタ、頼む」
「……ゴードン、そんなに謝らなくてもいいって」
ゴードンからキーボードの容器を受け取りながら、ウタは少しだけ困ったような笑みを浮かべながら言った。
ブルックが微笑ましそうにその二人の様子を見守っていると、不意に商船から声がかけられる。
「ゴードンの旦那! また一か月後にこの港でよかったですかい?」
声をかけてきたのは、商船の船長だった。
ゴードンは振り返ると、普段の物静かな彼とは違った声質でそれに答えた。
「ああ、一か月後に、エレジアまで頼む! いつもすまないね」
そのゴードンの言葉を聞いて、商船の船長は厳つい顔でニカッと笑った。
客にサービスをするのは当然だ、と言い放って、船長はブルックとウタにも声をかける。
「お嬢ちゃんと骨の旦那も、こんなご時世に音楽のために旅しようなんて良い心掛けだ! 頑張って来いよ!」
ヨホホとブルックは笑い、ウタは歯を見せて満面の笑みを浮かべて「うん!」と頷いた。
船から離れ、町中を歩く一行。向かう先は──。
「少しいいか、ブルック君」
ゴードンが先行くブルックに声をかける。
「おや、どうかなさいましたか?」
「そういえば、どこへ向かっているのかと思ってね。この町には、ライブのできるような会場やホールはなかったように思うが……」
「ええ、ないでしょうね。ですから、路上ライブです。町の中心から少し離れた通りに広場があったと思うので」
「路上、か……」
やや浮かない顔で、ゴードンが言う。
カシャリ、と手首を返して、ブルックが問う。
「不満ですか?」
そうではないのだが……、と一度否定してから、ゴードンは少しだけ逡巡してから、再び口を開いた。
「いや……」
小さくゴードンが呟く。
そういえば、とブルックは思い出す。
エレジアの誇り高き音楽家ゴードンから聞いた、ウタの歌声への評価。それは、彼女の声はもっと広く、世界中に響き渡るべきだという確信に近い物を感じさせた。
彼がひっかかっているのは、そのことだろうか。ある意味、親心に近い物ではないかと、ブルックは推察する。
「どこでやろうとも、音楽は音楽です。既に頭角を現している“歌姫”がどこで歌おうとも、世間はそれを聞きつけるでしょうし、世界は彼女を見つけますよ。あなたが以前おっしゃった通り、彼女の歌は別次元ですから」
自信たっぷりに、ブルックは語る。
「……そう、だな」
ゴードンは、何かの感情を飲み込むように、あるいは自分に言い聞かせるように頷いた。
(…………ふむ)
ブルックは先ほどの自分の言葉が、どうやら的を射なかったらしいことに気づく。
彼は、ウタに対して何らかの悩みを抱えているのだろうか。
ブルックからすれば、そこまでは推察できても、それ以上を推測するだけの情報はない。
「……何かお悩みがあるなら、私で良ければお聞きしますよ?」
ブルックのその言葉に、ゴードンは力なく、まるで自嘲するような笑みを浮かべた。
「……ありがとう。しかしこれは私たちの……いや、私の問題だ」
かみしめるような声で、ゴードンが言う。
そう言われてしまっては、さしものブルックもそれ以上はなにも言えない。
そんな二人のやり取りを知ってか知らずか、ウタが振り返って二人に声をかける。
「ねえー! 広場ってどっちの方に行けばいいのー!」
「そこを右折ですよ! ウタさん、あまり離れないでくださいね!」
「大丈夫だよ! 迷子になんか──」
ドン!
うわっ、と声を上げて、ウタは尻餅をついてしまった。
「あァ?」
ドスの効いた低い声。
ウタは顔を上げて、その声の主の顔を見遣った。
髪の毛のない頭に、傷痕だらけの相貌。さらに左側頭部には槍を模ったような入れ墨がある大男。
太い唇をへの字に曲げているせいもあってか、かなりの悪人面だった。
「っ! 海ぞ──」
「いやぁ海兵さん、私の同行者が失礼しました」
ウタの声に、ブルックが割って入る。
確かにその悪人面の男が身に纏うのは、白を基調として、ところどころに青色のアクセントの入った、海軍のコート。背中には、“正義”の二文字を背負っている。
あ、とウタは自分の勘違いに気が付くと、視線を下に向けて、小さく「ごめんなさい」と呟いた。
大男はニッと口の片端を吊り上げて、これまた人相の悪い笑顔を作った。
「あァ、別に何てこたァない。怪我はないか、お嬢ちゃん」
「あ……うん、大丈夫。ありがとう」
「気を付けろよ。この町にゃ、海賊も頻繁に顔をだすからなァ」
低い声で大男が言うと、彼の後ろをついて歩いていた、二人の海兵が腹を抱えて笑い出す。
「あっはっは! 大佐! 海賊と間違えられるの、今月は何度目です!?」
「ひーっひっひ! だーから難しい顔して歩かない方がいいって言ったじゃないですか! 大佐は人相が悪いんだから、難しい顔しなくても、海賊どもには十分睨みになりますってば!」
部下に大笑いされて、大佐と呼ばれた大男は「このボケナスどもォ!!」と怒鳴り返すが、どうにもじゃれ合っているようにしか見えない。
見た目のわりに、愉快な海兵たちのようだ。
「ウタ、大丈夫か?」
追いついたゴードンが、ウタに手を差し伸べると、彼女は「ありがとう」とその手を取って立ち上がった。
その様子を見て、再び海軍の大男は口を開く。
「お前ら、楽器をやるんだな」
ヨホホ、とブルックがそれに応えた。
「ええ、この先の音楽通り《ミューズパーク》でライブを開こうかと思いまして」
それを聞いて、大佐が「ほう」と感心したように目を光らせた。
「しかし、残念だったなァ。エレジアが滅びてから、あそこで音楽をやる者は居なくなっちまってよ。今はただの商業広場《トレードパーク》さァ。やるのは勝手だが、店の連中に迷惑かけんなよォ」
じゃァな、と言い残して、海兵たちはその場を去って行った。
エレジアが滅びてから、と言う言葉に、ウタが少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。その様子を見たゴードンの表情も、どこか浮かない。
ブルックは二人の事情を鑑みつつも、しかし、その沈んだ空気に歩調を合わせるようなことはしなかった。
「ヨホホ、良いじゃないですか。エレジアから来たお二人が、再び通りに音楽を響かせるんです! いやー、胸が高鳴りますね!」
あ、私──と言いかけたところで、ゴードンが素朴な疑問を口にする。
「ブルック君、君には心臓があるのか?」
その言葉を聞いた瞬間、ブルックは顎が落ちそうなほど口をあんぐりと開き、その後がっくりとうなだれた。
「……ありません。ヨホホ……」
お得意のスカルジョークを未然に潰されてしまったことが堪えたのだろう。笑い声にも、哀しみの色が乗っている。
ゴードンとて、狙ってやったわけではないだろうが、それがより一層、ウタの心をくすぐった。
「ふふっ」
思わず、笑みをこぼす。
(……うん、いいんだ、今は)
ウタは自分に言い聞かせる。
いまだに、あの夜に何が起こったのか。その真実を、ウタは知らない。
ウタが知るのは、ただ、彼女が愛していた人たちが、彼女をエレジアに残して去ってしまった事。そして、あの事件に、彼らが関わっているかもしれないということ。
それだけだ。
ウタは、目を閉じて深呼吸をする。
今、わたしがここに居るのは、それを確かめに行くためだ。そのために、まずは“外の世界に出る”こと。その一歩目だ。
そして、その手段として、ブルックから提案された音楽《ライブ》。
……どうせやるなら、楽しまなければ損でしょ?