ライトハローさんに耳掃除をしてもらう話

ライトハローさんに耳掃除をしてもらう話


 縁側で、冷たい麦茶を飲みながら、俺は外の景色を眺めていた。

 海の潮風の香りと、緑豊かな風景、見上げればとても綺麗な星空。

 見覚えのない景色のはずなのに、どこかひどく懐かしく感じてしまう。


「……お待たせしました、トレーナーさん」


 後ろからの声。

 振り向けば、そこには一人のウマ娘が立っていた。

 トレセン学園の学生よりは大人びた、けれども少し童顔の女性。

 彼女──ライトハローさんは、そのまま俺の隣に腰かける。

 鼻先をくすぐるリンスの香り、微かに感じる身体の熱。

 しっとりとした髪と上気した頬は、彼女が風呂上りであることを示唆していた。


「待ってなんかいませんよ、それと一番風呂ありがとうございました」

「いえ、あの、お湯加減は大丈夫ですか? お母さん、熱いお風呂が好みで」

「ええ、丁度良かったです、それに着替えも用意して……頂いて……」

「……っ!」


 着替え、という単語に思わず視線がライトハローさんの身体に行ってしまう。

 今の彼女の身を包んでいるのは、無地のTシャツと地味な短パン。

 それらは昔に彼女が着ていたものなのか、サイズが合っていないようだった。

 服が悲鳴を上げそうなピチピチ感、伸縮の限界を試してるようなパツパツ感。

 とにかく、すごく、すごかった。

 彼女も自覚があるようで、俺に視線に対して、反射的に身体を隠した。

 ……って何をじっくり見てるんだ俺は。

 

「すっ、すいません、失礼しました……!」

「いっ、いえ、私こそこんなお見苦しいものを……!」


 お互いに謝罪を口にして目を逸らす。

 そして居心地の悪い沈黙の時間が、しばらく続いてしまった。

 どうしてこんなことになったのか。


 俺は今、ライトハローさんの実家にお邪魔していた。



 元々は、ライトハローさんの『とっておきの場所』を連れて行ってもらう予定だった

 彼女の地元にある入り江、とても美しい星空が見える、素敵な場所。

 そこで、彼女の願いと想いを聞いて────その最中であった。


『つめたっ! ……って、これ……まさか……!』


 天気予報にもなかった、突然のゲリラ豪雨。

 慌てて退避したものの、傘も持っていなかった俺達に雨を防ぐ手段はなかった。

 雨は止んだもののずぶ濡れになった俺達の前に、とある人物が偶然現れる。


『あら? やだ、ハローじゃなーい!』


 まさかの、ライトハローさんのお母さんであった。

 その後、なし崩し的に彼女の実家に行き、食事とお風呂まで頂くことなったのである。

 大分時間は遅くなってしまい、今からトレセンの方まで戻るのは難しい。

 どうしたものかと悩んでいると、小さな声でライトハローさんが言った。


「あの……お母さんが、今日は泊っていきなさい、って」

「あー、いや、これ以上お世話になるわけにも……」

「いえ! むしろ今日は私のせいでご迷惑をおかけして!」

「……天気はライトハローさんのせいではないでしょう」

「でも、今までトレーナーさんにお世話になった分には、全然足りなくて!」


 ずいっと、顔を近づけるライトハローさん。

 息がかかりそうなほど距離に、彼女の顔があって、思わずドキリとしてしまう。

 それは彼女も同じだったのか、「あっ」と一声上げると、顔を赤くしながら離れた。


「すすすいません、私ったら……!」

「いえ、気になさらずに、うん、まあ、そうですね」


 状況を整理する。

 今から帰るのは難しい、周辺を見た感じ宿泊施設等も見当たらない。

 何より、ライトハローさんの厚意を無下にすることも、出来ればしたくなかった。

 ……まあ、仕方ないかな。小さく心の中でため息をついて、彼女に言葉を伝える。


「……じゃあすいません、今日はお世話になっても良いですか?」

「……! はいっ! もちろんですっ! いっぱいお世話しちゃいますね!」


 ライトハローさんは、まるで子どものような、無邪気な笑顔を見せてくれる。

 その顔を見ていると、俺も自然に口元を緩めてしまうのであった。



 しばらくの間、のんびり談笑をしていると、ライトハローさんは突然耳をピンと立てた。

 何かに気づいたのだろうか、俺の横顔を難しそうな顔して見つめている。

 いや、顔というよりは、耳だろうか。

 やがて、彼女は少しばかり言いづらそうな声で、問いかけた。


「あの、トレーナーさん……失礼ですが耳のお手入れは最近しましたか?」

「……耳ですか?」

「あー、その反応はしてないみたいですね、ちょっと失礼しますね」

「えっ、うわ!」


 ライトハローさんは俺の耳に手を伸ばすと、軽く摘まんで、顔を近づけた。

 そして、じっくりと俺の耳の中を観察する。

 ……正直、ちょっと恥ずかしい。

 しばらくすると、彼女は呆れたように、そしてほんの少しだけ嬉しそうに言った。


「……トレーナーさん、耳の中が大変なことになっています」

「……そんなひどいんですか? あまり気にならなかったんですが」

「常態化しているからでしょうね、ふふっ、意外とそういうところはズボラなんですね」


 そう言って、ライトハローさんはクスクスと微笑む。

 ……まあ、確かに耳の状態なんてロクに確認をしたことがない。

 耳の状態が走りにも影響するウマ娘には、信じられないようなことなのだろう。

 帰ったら、耳掃除でもしようかな……そう考えていた時だった。

 パンッ、と彼女が軽く両手を合わせた。


「じゃあ、これから私がトレーナーさんの耳掃除をしてあげますね?」

「……は?」

「私はトレーナーさんに恩返しができる、トレーナーさんは耳が綺麗になる、一挙両得ですよ!」

「いや、流石にそこまでは」

「早速、準備してきますね! 少しここで待っててください!」

「えっ、ライトハローさん!? ちょっと!?」


 こちらの言葉なんてまるで聞かずに、ライトハローさんはどこかへと立ち去っていく。

 そういえば、酔っぱらった時とか、結構押しが強いタイプだったなこの人。

 正月の出来事を思い出して、俺は大きくため息をついた。



 10分後、ライトハローさんは様々な荷物を持って、息を切らして戻って来た。

 ……せっかくお風呂に入ったのに、また汗をかいてしまっているようである。


「おっ、お待たせしました……早速、始めましょう、トレーナーさん」


 ぶんぶんと尻尾を振り、きらきらと目を輝かせるライトハローさん。

 何が彼女をそうさせるのかは知らないが、とても期待しているようだった。

 ……とてもじゃないが、今更、断れそうな雰囲気ではない。

 彼女は一人分くらいのスペースを開けて、縁側に腰を下ろした。

 そして、ポンポンと、自身のむっちりとした太腿を叩く。


「さあ、トレーナーさん、こちらにごろんとしてください」


 ……マジか。

 耳掃除もかなり大変なことだと思うのだが、膝枕までされてしまうのか。

 思わず躊躇してしまい、ちらりとライトハローさんの顔を見る。


「……?」


 何で来ないのだろう、そう言わんばかりの不思議そうな顔。

 おかしいな、この人は成人のはずなのに、学園の子よりも警戒心が薄い気がする。

 ────本当は、今からでも断るべきなのだろう。

 けれど、先ほどの嬉しそうなライトハローさんの顔を裏切りたくはなかった。

 ……それと、正直、彼女の膝枕の魅力に、抗えそうになかった。

 先ほどまでの困惑はどこへやら。

 気づけば、俺は誘われるように彼女の膝枕、その太腿の上へと身体を傾けていた。


 むちり、と柔らかい感触に横顔が包み込まれる。


 現役ウマ娘のものに比べればかなり緩い、そして柔らかなの太腿。

 そこからは微かに高い体温と、石鹸の香りと、彼女の持つ甘い匂いと、微かな汗の匂い。

 強すぎる刺激が、思考の中枢を大いに揺さぶり、寝転んでいるのに頭がクラクラする。


「それじゃあ、まずはおしぼりで拭いていきますね? ごし、ごし……」


 ライトハローさんの言葉と共に、片耳が熱を持った布で包まれた。

 おしぼりの熱がじんわりと耳に伝わっていき、荒ぶっていた思考が落ち着いていく。

 そして、彼女の細い指先が、優しい手つきで、ゆっくりと耳を拭っていった。


「ふふっ、どうですか? これ、お父さんのお気に入りなんです」


 布越しのライトハローさんの指先が、撫でるように耳全体を伝っていく。

 背筋に走るぞわぞわとした感覚と、マッサージされているような心地良さ。

 その二つが絶妙に合わさって、なんとも奇妙な快感が、耳の奥底から響いていく。

 今日までの疲労と、日頃の寝不足のせいか、瞼が少しずつ重くなっていく。


「目がとろんとしてきてますね? でも、まだ眠っちゃだめですよ? ふぅーっ……」


 耳の中を吹き抜ける、熱くて、細い吐息。

 反射的に身体がびくりと反応してしまい、浮ついていた思考が呼び戻される。


「……ぷっ、ふふっ、あはは、トレーナーさん、可愛い反応するんですね」


 楽しそうに笑うライトハローさん。

 無性に恥ずかしくなって、顔が熱くなり、身体が思わず固くなってしまう。

 そんな俺を解すかのように、彼女は軽く指先で耳をくすぐり、小さく囁いた。


「えへへ、ごめんなさい。そんなトレーナーさんが珍しくて、つい」


 脳に直接響くような声と、もどかしいくすぐったさが、身体の力を抜いていく。

 強制的にリラックスモードに戻された俺を見て、彼女は満足そうに鼻を鳴らして、指を放した。


「それじゃあ、耳の中の掃除をしていきますね……あっ」


 唐突に響く、間の抜けたライトハローさんの声。

 直後、俺の目の前を竹の棒らしきものが通り過ぎて、ぽとりと彼女の足先に落ちる。

 恐らくは、彼女は耳かきを落としてしまったのだろう。

 拾おうかと手を伸ばした、その瞬間であった。


「すいません、すぐ取りますね」


 先ほどまで手入れされていた耳の上に、ずっしりとした重みがのし掛かった。

 視界には少し形を柔らかく歪ませた、豊かな膨らみと、ライトハローさんの顔。

 一瞬、何が起きているのか、理解出来なかった。

 いや、望外の幸福によって知能がオーバーフローを起こしてしまったのであろう。

 地面側に向けた耳には、むちむちふわふわとした感触。

 天井側に向けた耳には、ぽよぽよむにむにとした感触。


 簡潔にこの状況を一言で纏めれば────おっぱいふとももサンド。


 あまりに最低過ぎる言動だが、語彙を巡らせる余裕など残っていなかった。

 更に、なかなか耳かきを取れないのか、彼女は手を伸ばしながら身動ぎをする。

 するとどうだろう、その豊満過ぎる肉感に、俺の顔はさらに包まれてしまう。

 そして数秒の間、俺は天国と天国に挟まれた地獄の責め苦を、堪能することとなった。


「ふぅ、やっと取れました」


 ライトハローさんが耳かきを回収して、上体を持ち上げる。

 それによって、俺はようやくサンド状態から解放されることとなった。

 大きすぎるくらいのため息をついて、思わず手で顔を隠してしまう。


「トレーナーさん? 一体どうしたんですか………………あっ」


 問いかけたライトハローさんは、急にその言葉を詰まらせる。

 嫌な予感がして、手で顔を隠したまま、俺は上を向いた、

 指と指の間から、ちらりと彼女を覗き見る。

 そこには、顔を真っ赤に染め上げて、目尻に涙を溜めて、胸を押さえながら小さく震える彼女がいた。



「……はっ、始めていきますぅ…………!」


 泣きそうな声色で、ライトハローさんはそう告げた。

 俺も消えてしまいたいと思うくらいだが、もう黙っておく。

 しばらくすると、耳の中に細くて固い感触、耳かきが侵入してくる。

 直後、砂をかき混ぜたかのようなノイズが走り、中の荒れ具合を想像させた。


「痛かったら言ってくださいね……最初は…………すり、すり……と」


 掻く、というよりはなぞるように、耳かきの匙が耳の中をこすっていく。

 一度、二度、と耳かきが出入りする都度、ノイズごと耳垢が浚われていくようだった。

 優しい力で丁寧に、ライトハローさんは耳の清掃を進めていく。

 疼くような痒みと、それを掻かれる快感。

 耳の神経を刺激されるこそばゆさと、心地良さ。

 彼女はその奇妙な快楽を、竹の棒一本で、見事に演出してみせる。


「少し、強く掻いていきますよ……かり……かり……」


 そう言って、ライトハローさんは耳かきに込める力を強めた。

 刺激が強くなればなるほど、その快感も更に高まり、思わず息を吐いてしまうほど。

 俺の耳の特性なのか、彼女の腕なのか、耳かきはトラブルなく順調に進んでいく。

 気が付けば、耳の風通しは明らかに良くなって、彼女の声もクリアに聞こえる気がする。

 そして、それと反比例するように、ノイズの音も少なくなっていった。

 すなわち、耳かきの終わりが近づいているわけで。

 それが、少しだけ名残惜しいと、思うようになっていた。


「かりかり……うん、綺麗になりました、それじゃあ今度は梵天を……ふわ、ふわ」


 今度は、綿のようなふわふわとした物が、耳の中に撫でまわした。

 先ほどまで掻かれていた箇所を、さするように細かい毛先が這いまわっていく。

 ぞくぞくとした気持ち良さに、思わず背筋が震えてしまいそうになる。

 身体を抑えようとすれば声が漏れ、声を抑えようとすれば身体が震える。

 八方塞がりの状況に身じろぐしかない俺を見て、ライトハローさんは嬉しそうに呟く。


「……ふふっ、トレーナーさん、これ、好きなんですね?」


 その言葉、どきりと心臓が高鳴る。

 墓場まで持っていくはずの秘密を暴かれたかのような、そんな心境。

 彼女の小さな笑い声とともに、幸せを届けてくれた梵天は離れていった。

 ああ、もう少しだけ。

 心の奥底から響く懇願を、理性は留めるものの、耳はぴくりと反応してしまう。


「ダメ、ですよー?」


 ライトハローさんは、子どもに言い含めるように優しい声色で囁く。

 言葉とともに出される吐息が感じられるほど、彼女の口は耳のすぐ近くにあった。


「反対側が終わったらまたしてあげますから、我慢してくださいねー?」


 優しいような、厳しいような、可愛らしいような、艶やかなような。

 いつもと違う魅力に満ちたライトハローさんの言葉に、俺は白旗を上げる他なかった。

 ごろりと身体を回転させて、彼女に反対方向の耳を差し出す。

 おしぼりで拭われて、耳の中を囁きながら丁寧に掃除されて、梵天がまた入る頃。

 俺に意識は、ゆっくりと夢の世界に旅立っていくのであった。




「ふわあ……ん、ここは?」


 雀の鳴き声が鼓膜を揺らし、意識がはっきりと覚醒していく。

 気が付けば、俺は布団の中に入っていた。

 恐らくは、あの耳かきの最中、眠ってしまったのであろう。

 多分、眠った俺をライトハローさんが布団まで運んでくれたに違いない。

 いやはや、とことん迷惑をかけてしまったものである。


「今度お礼をしないとな、それにしても……」


 この布団、妙に暖かい。

 一見するとどこの家庭にもあるような布団にしか見えないが、実はお高いのだろうか。

 まるで湯たんぽでも入っているような、そんな暖かさを感じる。

 いや、見れば布団が妙に大きく膨らんでいるし、これはもしかして本当に湯たんぽ────。


 刹那、最悪の想像が頭を過ぎった。


 いや、まさか、いくらなんでもそんなはずは。

 しかし、湯たんぽにしてはデカすぎる膨らみ、飛び出てるウマ耳がそのまさかを肯定する。

 いっそのことを、そのままにしておけば結果が確定しないのではないか。

 ……いや、アホなこと考えてないで、戦わなきゃ現実と。

 実はデカイ犬だったりしないか、そんな一縷の望みをかけて、布団を剥がす。


「むにゃ……えへへ、トレーナーさぁん……♪」


 至極、残念なことに、そこにはライトハローさんが眠っていた。

 俺の目の前で、涎を垂らした顔を晒し、ぎゅっと俺の服を握り締めて、とても幸せそうに。

 ────いや、あの後何があったんだよ。

 どう考えても、そういう感じになる流れではなかったはずだ。

 とりあえず、一旦離脱しようとも考えるが、服を握り締める手がそれを制止する。

 彼女を起こさないように指を解いて、なんとか脱出するしかない。

 緊張で震えそうになる手を何とか誤魔化しながら、彼女の手に触れようとする、その時であった。


 ブー、ブー、とスマホから小さなバイブレーション。


 悲しいかな、日頃の習慣が骨身に染みている社会人にとっては、それだけで十分だった。

 ライトハローさんはぴくりと耳を反応させて、即座にぱちりとその両目を開く。

 俺達の、目と目が合ってしまう。


「…………~~~~ッッ!!?」


 声に鳴らない悲鳴と共に、ライトハローさんの顔が沸騰する。

 ……やっぱり無理してでも帰るべきだったかもしれない、と俺は思った。

Report Page