ライトハローさんに耳掃除をしてもらう話
縁側で、冷たい麦茶を飲みながら、俺は外の景色を眺めていた。
海の潮風の香りと、緑豊かな風景、見上げればとても綺麗な星空。
見覚えのない景色のはずなのに、どこかひどく懐かしく感じてしまう。
「……お待たせしました、トレーナーさん」
後ろからの声。
振り向けば、そこには一人のウマ娘が立っていた。
トレセン学園の学生よりは大人びた、けれども少し童顔の女性。
彼女──ライトハローさんは、そのまま俺の隣に腰かける。
鼻先をくすぐるリンスの香り、微かに感じる身体の熱。
しっとりとした髪と上気した頬は、彼女が風呂上りであることを示唆していた。
「待ってなんかいませんよ、それと一番風呂ありがとうございました」
「いえ、あの、お湯加減は大丈夫ですか? お母さん、熱いお風呂が好みで」
「ええ、丁度良かったです、それに着替えも用意して……頂いて……」
「……っ!」
着替え、という単語に思わず視線がライトハローさんの身体に行ってしまう。
今の彼女の身を包んでいるのは、無地のTシャツと地味な短パン。
それらは昔に彼女が着ていたものなのか、サイズが合っていないようだった。
服が悲鳴を上げそうなピチピチ感、伸縮の限界を試してるようなパツパツ感。
とにかく、すごく、すごかった。
彼女も自覚があるようで、俺に視線に対して、反射的に身体を隠した。
……って何をじっくり見てるんだ俺は。
「すっ、すいません、失礼しました……!」
「いっ、いえ、私こそこんなお見苦しいものを……!」
お互いに謝罪を口にして目を逸らす。
そして居心地の悪い沈黙の時間が、しばらく続いてしまった。
どうしてこんなことになったのか。
俺は今、ライトハローさんの実家にお邪魔していた。
◇
元々は、ライトハローさんの『とっておきの場所』を連れて行ってもらう予定だった
彼女の地元にある入り江、とても美しい星空が見える、素敵な場所。
そこで、彼女の願いと想いを聞いて────その最中であった。
『つめたっ! ……って、これ……まさか……!』
天気予報にもなかった、突然のゲリラ豪雨。
慌てて退避したものの、傘も持っていなかった俺達に雨を防ぐ手段はなかった。
雨は止んだもののずぶ濡れになった俺達の前に、とある人物が偶然現れる。
『あら? やだ、ハローじゃなーい!』
まさかの、ライトハローさんのお母さんであった。
その後、なし崩し的に彼女の実家に行き、食事とお風呂まで頂くことなったのである。
大分時間は遅くなってしまい、今からトレセンの方まで戻るのは難しい。
どうしたものかと悩んでいると、小さな声でライトハローさんが言った。
「あの……お母さんが、今日は泊っていきなさい、って」
「あー、いや、これ以上お世話になるわけにも……」
「いえ! むしろ今日は私のせいでご迷惑をおかけして!」
「……天気はライトハローさんのせいではないでしょう」
「でも、今までトレーナーさんにお世話になった分には、全然足りなくて!」
ずいっと、顔を近づけるライトハローさん。
息がかかりそうなほど距離に、彼女の顔があって、思わずドキリとしてしまう。
それは彼女も同じだったのか、「あっ」と一声上げると、顔を赤くしながら離れた。
「すすすいません、私ったら……!」
「いえ、気になさらずに、うん、まあ、そうですね」
状況を整理する。
今から帰るのは難しい、周辺を見た感じ宿泊施設等も見当たらない。
何より、ライトハローさんの厚意を無下にすることも、出来ればしたくなかった。
……まあ、仕方ないかな。小さく心の中でため息をついて、彼女に言葉を伝える。
「……じゃあすいません、今日はお世話になっても良いですか?」
「……! はいっ! もちろんですっ! いっぱいお世話しちゃいますね!」
ライトハローさんは、まるで子どものような、無邪気な笑顔を見せてくれる。
その顔を見ていると、俺も自然に口元を緩めてしまうのであった。
◇
しばらくの間、のんびり談笑をしていると、ライトハローさんは突然耳をピンと立てた。
何かに気づいたのだろうか、俺の横顔を難しそうな顔して見つめている。
いや、顔というよりは、耳だろうか。
やがて、彼女は少しばかり言いづらそうな声で、問いかけた。
「あの、トレーナーさん……失礼ですが耳のお手入れは最近しましたか?」
「……耳ですか?」
「あー、その反応はしてないみたいですね、ちょっと失礼しますね」
「えっ、うわ!」
ライトハローさんは俺の耳に手を伸ばすと、軽く摘まんで、顔を近づけた。
そして、じっくりと俺の耳の中を観察する。
……正直、ちょっと恥ずかしい。
しばらくすると、彼女は呆れたように、そしてほんの少しだけ嬉しそうに言った。
「……トレーナーさん、耳の中が大変なことになっています」
「……そんなひどいんですか? あまり気にならなかったんですが」
「常態化しているからでしょうね、ふふっ、意外とそういうところはズボラなんですね」
そう言って、ライトハローさんはクスクスと微笑む。
……まあ、確かに耳の状態なんてロクに確認をしたことがない。
耳の状態が走りにも影響するウマ娘には、信じられないようなことなのだろう。
帰ったら、耳掃除でもしようかな……そう考えていた時だった。
パンッ、と彼女が軽く両手を合わせた。
「じゃあ、これから私がトレーナーさんの耳掃除をしてあげますね?」
「……は?」
「私はトレーナーさんに恩返しができる、トレーナーさんは耳が綺麗になる、一挙両得ですよ!」
「いや、流石にそこまでは」
「早速、準備してきますね! 少しここで待っててください!」
「えっ、ライトハローさん!? ちょっと!?」
こちらの言葉なんてまるで聞かずに、ライトハローさんはどこかへと立ち去っていく。
そういえば、酔っぱらった時とか、結構押しが強いタイプだったなこの人。
正月の出来事を思い出して、俺は大きくため息をついた。
◇
10分後、ライトハローさんは様々な荷物を持って、息を切らして戻って来た。
……せっかくお風呂に入ったのに、また汗をかいてしまっているようである。
「おっ、お待たせしました……早速、始めましょう、トレーナーさん」
ぶんぶんと尻尾を振り、きらきらと目を輝かせるライトハローさん。
何が彼女をそうさせるのかは知らないが、とても期待しているようだった。
……とてもじゃないが、今更、断れそうな雰囲気ではない。
彼女は一人分くらいのスペースを開けて、縁側に腰を下ろした。
そして、ポンポンと、自身のむっちりとした太腿を叩く。
「さあ、トレーナーさん、こちらにごろんとしてください」
……マジか。
耳掃除もかなり大変なことだと思うのだが、膝枕までされてしまうのか。
思わず躊躇してしまい、ちらりとライトハローさんの顔を見る。
「……?」
何で来ないのだろう、そう言わんばかりの不思議そうな顔。
おかしいな、この人は成人のはずなのに、学園の子よりも警戒心が薄い気がする。
────本当は、今からでも断るべきなのだろう。
けれど、先ほどの嬉しそうなライトハローさんの顔を裏切りたくはなかった。
……それと、正直、彼女の膝枕の魅力に、抗えそうになかった。
先ほどまでの困惑はどこへやら。
気づけば、俺は誘われるように彼女の膝枕、その太腿の上へと身体を傾けていた。
むちり、と柔らかい感触に横顔が包み込まれる。
現役ウマ娘のものに比べればかなり緩い、そして柔らかなの太腿。
そこからは微かに高い体温と、石鹸の香りと、彼女の持つ甘い匂いと、微かな汗の匂い。
強すぎる刺激が、思考の中枢を大いに揺さぶり、寝転んでいるのに頭がクラクラする。
「それじゃあ、まずはおしぼりで拭いていきますね? ごし、ごし……」
ライトハローさんの言葉と共に、片耳が熱を持った布で包まれた。
おしぼりの熱がじんわりと耳に伝わっていき、荒ぶっていた思考が落ち着いていく。
そして、彼女の細い指先が、優しい手つきで、ゆっくりと耳を拭っていった。
「ふふっ、どうですか? これ、お父さんのお気に入りなんです」
布越しのライトハローさんの指先が、撫でるように耳全体を伝っていく。
背筋に走るぞわぞわとした感覚と、マッサージされているような心地良さ。
その二つが絶妙に合わさって、なんとも奇妙な快感が、耳の奥底から響いていく。
今日までの疲労と、日頃の寝不足のせいか、瞼が少しずつ重くなっていく。
「目がとろんとしてきてますね? でも、まだ眠っちゃだめですよ? ふぅーっ……」
耳の中を吹き抜ける、熱くて、細い吐息。
反射的に身体がびくりと反応してしまい、浮ついていた思考が呼び戻される。
「……ぷっ、ふふっ、あはは、トレーナーさん、可愛い反応するんですね」
楽しそうに笑うライトハローさん。
無性に恥ずかしくなって、顔が熱くなり、身体が思わず固くなってしまう。
そんな俺を解すかのように、彼女は軽く指先で耳をくすぐり、小さく囁いた。
「えへへ、ごめんなさい。そんなトレーナーさんが珍しくて、つい」
脳に直接響くような声と、もどかしいくすぐったさが、身体の力を抜いていく。
強制的にリラックスモードに戻された俺を見て、彼女は満足そうに鼻を鳴らして、指を放した。
「それじゃあ、耳の中の掃除をしていきますね……あっ」
唐突に響く、間の抜けたライトハローさんの声。
直後、俺の目の前を竹の棒らしきものが通り過ぎて、ぽとりと彼女の足先に落ちる。
恐らくは、彼女は耳かきを落としてしまったのだろう。
拾おうかと手を伸ばした、その瞬間であった。
「すいません、すぐ取りますね」
先ほどまで手入れされていた耳の上に、ずっしりとした重みがのし掛かった。
視界には少し形を柔らかく歪ませた、豊かな膨らみと、ライトハローさんの顔。
一瞬、何が起きているのか、理解出来なかった。
いや、望外の幸福によって知能がオーバーフローを起こしてしまったのであろう。
地面側に向けた耳には、むちむちふわふわとした感触。
天井側に向けた耳には、ぽよぽよむにむにとした感触。
簡潔にこの状況を一言で纏めれば────おっぱいふとももサンド。
あまりに最低過ぎる言動だが、語彙を巡らせる余裕など残っていなかった。
更に、なかなか耳かきを取れないのか、彼女は手を伸ばしながら身動ぎをする。
するとどうだろう、その豊満過ぎる肉感に、俺の顔はさらに包まれてしまう。
そして数秒の間、俺は天国と天国に挟まれた地獄の責め苦を、堪能することとなった。
「ふぅ、やっと取れました」
ライトハローさんが耳かきを回収して、上体を持ち上げる。
それによって、俺はようやくサンド状態から解放されることとなった。
大きすぎるくらいのため息をついて、思わず手で顔を隠してしまう。
「トレーナーさん? 一体どうしたんですか………………あっ」
問いかけたライトハローさんは、急にその言葉を詰まらせる。
嫌な予感がして、手で顔を隠したまま、俺は上を向いた、
指と指の間から、ちらりと彼女を覗き見る。
そこには、顔を真っ赤に染め上げて、目尻に涙を溜めて、胸を押さえながら小さく震える彼女がいた。
◇
「……はっ、始めていきますぅ…………!」
泣きそうな声色で、ライトハローさんはそう告げた。
俺も消えてしまいたいと思うくらいだが、もう黙っておく。
しばらくすると、耳の中に細くて固い感触、耳かきが侵入してくる。
直後、砂をかき混ぜたかのようなノイズが走り、中の荒れ具合を想像させた。
「痛かったら言ってくださいね……最初は…………すり、すり……と」
掻く、というよりはなぞるように、耳かきの匙が耳の中をこすっていく。
一度、二度、と耳かきが出入りする都度、ノイズごと耳垢が浚われていくようだった。
優しい力で丁寧に、ライトハローさんは耳の清掃を進めていく。
疼くような痒みと、それを掻かれる快感。
耳の神経を刺激されるこそばゆさと、心地良さ。
彼女はその奇妙な快楽を、竹の棒一本で、見事に演出してみせる。
「少し、強く掻いていきますよ……かり……かり……」
そう言って、ライトハローさんは耳かきに込める力を強めた。
刺激が強くなればなるほど、その快感も更に高まり、思わず息を吐いてしまうほど。
俺の耳の特性なのか、彼女の腕なのか、耳かきはトラブルなく順調に進んでいく。
気が付けば、耳の風通しは明らかに良くなって、彼女の声もクリアに聞こえる気がする。
そして、それと反比例するように、ノイズの音も少なくなっていった。
すなわち、耳かきの終わりが近づいているわけで。
それが、少しだけ名残惜しいと、思うようになっていた。
「かりかり……うん、綺麗になりました、それじゃあ今度は梵天を……ふわ、ふわ」
今度は、綿のようなふわふわとした物が、耳の中に撫でまわした。
先ほどまで掻かれていた箇所を、さするように細かい毛先が這いまわっていく。
ぞくぞくとした気持ち良さに、思わず背筋が震えてしまいそうになる。
身体を抑えようとすれば声が漏れ、声を抑えようとすれば身体が震える。
八方塞がりの状況に身じろぐしかない俺を見て、ライトハローさんは嬉しそうに呟く。
「……ふふっ、トレーナーさん、これ、好きなんですね?」
その言葉、どきりと心臓が高鳴る。
墓場まで持っていくはずの秘密を暴かれたかのような、そんな心境。
彼女の小さな笑い声とともに、幸せを届けてくれた梵天は離れていった。
ああ、もう少しだけ。
心の奥底から響く懇願を、理性は留めるものの、耳はぴくりと反応してしまう。
「ダメ、ですよー?」
ライトハローさんは、子どもに言い含めるように優しい声色で囁く。
言葉とともに出される吐息が感じられるほど、彼女の口は耳のすぐ近くにあった。
「反対側が終わったらまたしてあげますから、我慢してくださいねー?」
優しいような、厳しいような、可愛らしいような、艶やかなような。
いつもと違う魅力に満ちたライトハローさんの言葉に、俺は白旗を上げる他なかった。
ごろりと身体を回転させて、彼女に反対方向の耳を差し出す。
おしぼりで拭われて、耳の中を囁きながら丁寧に掃除されて、梵天がまた入る頃。
俺に意識は、ゆっくりと夢の世界に旅立っていくのであった。
◇
「ふわあ……ん、ここは?」
雀の鳴き声が鼓膜を揺らし、意識がはっきりと覚醒していく。
気が付けば、俺は布団の中に入っていた。
恐らくは、あの耳かきの最中、眠ってしまったのであろう。
多分、眠った俺をライトハローさんが布団まで運んでくれたに違いない。
いやはや、とことん迷惑をかけてしまったものである。
「今度お礼をしないとな、それにしても……」
この布団、妙に暖かい。
一見するとどこの家庭にもあるような布団にしか見えないが、実はお高いのだろうか。
まるで湯たんぽでも入っているような、そんな暖かさを感じる。
いや、見れば布団が妙に大きく膨らんでいるし、これはもしかして本当に湯たんぽ────。
刹那、最悪の想像が頭を過ぎった。
いや、まさか、いくらなんでもそんなはずは。
しかし、湯たんぽにしてはデカすぎる膨らみ、飛び出てるウマ耳がそのまさかを肯定する。
いっそのことを、そのままにしておけば結果が確定しないのではないか。
……いや、アホなこと考えてないで、戦わなきゃ現実と。
実はデカイ犬だったりしないか、そんな一縷の望みをかけて、布団を剥がす。
「むにゃ……えへへ、トレーナーさぁん……♪」
至極、残念なことに、そこにはライトハローさんが眠っていた。
俺の目の前で、涎を垂らした顔を晒し、ぎゅっと俺の服を握り締めて、とても幸せそうに。
────いや、あの後何があったんだよ。
どう考えても、そういう感じになる流れではなかったはずだ。
とりあえず、一旦離脱しようとも考えるが、服を握り締める手がそれを制止する。
彼女を起こさないように指を解いて、なんとか脱出するしかない。
緊張で震えそうになる手を何とか誤魔化しながら、彼女の手に触れようとする、その時であった。
ブー、ブー、とスマホから小さなバイブレーション。
悲しいかな、日頃の習慣が骨身に染みている社会人にとっては、それだけで十分だった。
ライトハローさんはぴくりと耳を反応させて、即座にぱちりとその両目を開く。
俺達の、目と目が合ってしまう。
「…………~~~~ッッ!!?」
声に鳴らない悲鳴と共に、ライトハローさんの顔が沸騰する。
……やっぱり無理してでも帰るべきだったかもしれない、と俺は思った。