ユウカとエア
「どうでしょうか、ユウカ」
私の目の前に座ったエアがそう問いかける。不安げに私を見つめる瞳は目が覚める程に赫く、その白磁のような肌は血が通っていないのかと疑ってしまう程に白い。
「……」
私は視線を下ろし、手の中のものを見つめる。それは、先生の家計簿だった。
ある日唐突に先生の下に訪れ一悶着を引きおこした生徒、エア。彼女はどうやら先生がキヴォトスに来る前からの知り合いであるらしく、その距離は他のどの生徒と比べても明らかに近い。
さらに、エアは情報処理の分野に極めて長けているようで先生の仕事の手伝いを行うことも少なくない。そんな彼女が私の真似をして先生の家計簿をつけ始めたと聞いた時は、ともすれば私の居場所が無くなるのではないかと青ざめたものだ。
しかし、結果としてはそうはならなかった。その理由は…。
「うん、数字に間違いは無いんだけど…。この[古物取引 ¥10万]って何かしら?」
「それはレイヴンが中古品店で1/50スケール"スティールヘイズ(※1)"を購入した時の物ですね」
「はあ…」
そう、常識に疎くやけに素直な彼女は先生が"これは必要なんだよ"と一言囁くだけで「そうなのですね」とあっさり納得してしまうのだ。
もし別件で近くに来ていた私が偶然その会話を聞きとがめていなければ、その日の先生の家計簿には[オールマインドエンブレムステッカー10種100枚セット ¥2万]と刻まれていたことだろう(しかも、私にはそうとは分からないよう巧妙に隠された形式で!)。
それ以降、エアが先生の家計簿をつけた時は必ず私がダブルチェックを行うようにしている。
「相変わらず無駄遣いばかりなんですから…」
「レイヴンは"これはとても重要な物なんだ"と言っていましたが…」
この場にはいない先生へのぼやきをもらすと、エアが困ったように首をかしげる。
「全くもう…。エアみたいな純粋な子をだまくらかして無駄遣いなんて、先生が帰ってきたらきつく言っておく必要があるみたいね」
呆れ半分、怒り半分でそう言いながら、更におかしな点が無いか入念にチェックを重ねる。
その間、手持ち無沙汰であろうエアを退屈させるのも良くないだろうと思った私はとある問を彼女にぶつけることにした。
「そういえばなんだけど、エアはどうして先生のことをレイヴンって呼ぶの?」
それは、私が以前から抱えていた疑問。私の記憶が正しければレイヴンとはワタリガラスを意味する単語のはずだ。
当然、先生の名前とはかすりもしておらず、あだ名のようにも聞こえない。
「それは私が最初に確認したライセンスにそう記されていたからなのですが…」
なるほど、ライセンス。身分証明書にそう書いてあったのならそれが名前だと思うのは当然の話だろう。しかし、それなら何故ライセンスに本名と違う名前が記入されていたのか。
その答えはエアの口からあっさりと明かされる。
「後で分かった話なのですが、それは拾った他人の名義だったそうです」
「えぇっ!? ちょっと!? それ大丈夫なの!?」
思わず手に持った電卓を取り落としそうになる。
「当人と対峙した際に『レイヴンの名を返せとは言いません』と言われたので大丈夫だと思いますが…」
「そ、そういう問題なのかしら…?」
きょとんとした表情でそう言う彼女を冷や汗を流しながら見つめる。
……まあ、名義を奪われた本人がそう言っていたというのなら深く考える必要はないはず。そう無理矢理に自分を納得させる。
「ま、まあそういうことなら分かったわ。…でも、それなら結局なんで先生のことをレイヴンって呼ぶの? 他人の名前だったんでしょう?」
「それは…」
私が再び最初の問を口にした瞬間、エアの雰囲気が変わった。
「私が調査したところによると、[レイヴン]とは特定の個人を指すものでは無いのだそうです」
それは、誇らしいものを語るような、或いは恨めしいものを語るような。一言では言い表せない複雑な感情が入り交じった独特の空気。それこそ、私では到底入り込めないような。
「それは、[自由意志]の象徴として傭兵たちが受け継いできた称号。選び、戦う者のみが相応しい」
「だから、あの人が戦う理由を自ら選び、そのために強く羽ばたき続ける限り…。私はあの人のことをそう呼び続けたいと思っています」
その空気に飲み込まれてしまった私はしばらく声を出すことが出来なかった。
…の、だが、どうにも聞き逃せない単語が混ざっていたような。
「ちょっと待って? 今、傭兵って言わなかった? 先生が?」
「ええ、そうですが。レイヴンはここに来る前は独立傭兵として数多くの依頼をこなしていました」
何を当たり前のことをと言わんばかりに首をかしげるエア。その返答を聞いた私は思わず頭を抱える。
「あああぁぁぁ……。ああ、でも確かに納得できることも…」
考えてみれば、思い当たる節は少なくない。目の前できょとんとした顔をしている少女もその一つだ。
エアはその華奢に見える見た目に反して戦い方が非常に荒っぽい。人が相手だと特にそれが顕著で、射撃戦で敵の姿勢を崩したと思ったらそこに向かって急接近し蹴りをお見舞いするのが彼女の常套手段だ。
どこでそんな戦い方を教わったのかと聞いてみれば、何と先生から学んだのだという。
そんなまさかと今まで本気にしていなかったが、その先生が元傭兵だったというのであれば腑に落ちる。
「あの、何か気分を害するようなことを言ってしまったのでしょうか?」
私が一人でぶつぶつ呟いていると、エアが慌てたように私にそう問いかけてくる。
「えっ!? あ、いや大丈夫よ。ちょっと驚いただけだから…」
「そうでしたか……」
私の言葉にエアは胸をなでおろす。だがそれとは反対に私の内心は穏やかではない。薄々分かってはいたことだが、彼女は私が知らない先生の姿を数多く知っている。
先生がキヴォトスに来てから私と過ごしてきた時間はエアのそれを遥かに凌駕しているというのに……。その事実が妙に悔しく思えてならない。
「ねえ、エア。あなたが良かったらでいいんだけど…。これからも先生の昔の話をしてくれないかしら? お礼はするから…」
「はい。その代わり、ここに来てからのレイヴンの事を教えてください。…よく見てきたのでしょう?」
赫い瞳が挑発的に揺れる。…どうやら考えることは同じだったらしい。
「……ふふふ。ありがとう、エア」
彼女の提案をありがたく受け入れながら、私は新たに生まれた対抗心を燃やすのであった。
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※1 アーキバス傘下の企業が生産したヴェスパー部隊をモデルにしたプラモデル、"ヴェスパーシリーズ"の一体。現在は絶版であり全てにプレミア価格がつけられている。
特にスティールヘイズは人気が高いのだが、脚部の都合上ヴェスパーシリーズの中で唯一自立しない。