モラトリアムにおやすみ
モラトリアムの終点の馬鹿視点
馬鹿の能力は全部捏造で妄想。馬鹿の過去も妄想。マジで全部妄想。
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「出会う人全てを平等に大切になさい」
それが母ちゃんの口癖だった。
知らない生き物がそこに居た。
知らない生き物っていうのは、文字通り知らない生き物だ。
見たことないし、多分いない。
いやもしかしたら居るのかもしれねえけどわからないから居ないんだと思う。
見たことないほど██が苦戦していて、もうボロボロだ。
絶対に絶対に俺が死なないようにって必死に頑張ったんだ。
怖い。本当にめちゃくちゃ怖い。
知らない生き物がそこに居るだけでもこんなに怖いのに、それよりずっと██がボロボロなのが怖かった。
『私と全く同じものがあるなら、私が居なくても同じでしょう?』
眼鏡をかけてた時の██がそんなことを言っていたのを思い出す。
どういつせーだったかなんだったか全然わからん俺にめちゃくちゃわかりやすく教えてくれたっけか。
でもやっぱり俺にはわかんなかった。同じ記憶があったって、同じ肉体だったって、そっくりな魂まであったって、そんなのが居てもそれは自分が死んだっていい理由にはならない。
だって、死なないって分かってても死ぬのは怖いし死んだら悲しいだろ。
██は必死だった。
こんなに必死になってんのは初めて見た。
どうにか逃げ出せないかってたくさん頑張ったけどそれも全然ダメだった。
たくさん頑張って、ボロボロになってた。
だから俺も頑張んないとなって自然にそう思った。
俺に出来ることってやつをやらないとなって、そう思った。
怖いけど。本当に怖くてたまんないけどまだ出来ることがあるから。██のために、出来ることがあるから。
だから。これで、お別れだ。
「なー、赤味噌ー」
なるべく落ち着いた声を出す。怖がらせたらいけないから。ちゃんと、言葉を聞いてくれるように。
「……なんだこんな時に!」
こんな会話するのもこれで最後なんだって思ったらさ、とても名残惜しいし嫌だって思うけど、でもやんなきゃいけないんだよな。いや、俺がやりたいんだ。██のこと、死なせたくないから。ここで██が死んでそしたら別の██が起きて、何も無かったことになるんだとしても、俺の目の前でこんなに頑張ってる██をそんな怖い目には遭わせたくないから。
でも、怖いから。怖いものは怖いし、嫌なものは嫌だから。だから、受け取っといて欲しかった。俺のとってもとっても大事なもの、何より大事にしなさいって言われてたもの。絶対に誰かに渡しちゃいけないよって父ちゃんにも母ちゃんにも言われてたもの。父ちゃんも母ちゃんも爺ちゃんも婆ちゃんもみーんな俺以外に知らなかったもの。
「おう。俺の名前さ、××××ってんだ」
大事にしてくれよな。ほんとに、すっげえ大切なものなんだからさ。お前にあげるから、ちゃんと持っといてくれ。
██はポカーンって俺を見た。そんな顔も初めてだった……いや初めてか?呆れてる時とかだいたいこんなだった気もするな。
それよりやらなきゃいけないことがある。██の前に立つ。変な物の前に立つ。
「おい、まて、何をする気だ」
妙に震えてる声を無視して、息を吸い込んだ。
「……『蒼崎橙子』!」
「『走れ!こいつの手が届かないようなところまで!こいつの目で見れないようなところまで!俺の姿が分からなくなるほど遠くまで一歩も止まらず走って逃げろ!』」
すぐに駆け出して行ったのを見てほっとした。これならちゃんとここから出れる……と思う。
「……よし!やるか!」
そいつへ向き直る。足がすくんで震えて、へたりこみたいのを我慢して。
「最初から全力で……!『神の失望』!!」
苦無を投げてそいつを取り囲む。
印したそこが即ち街。
硫黄のにおいと共に炎が空から流れ出し、小さな『街』を焼き尽くす!
それは……ダメだ、まだ生きて動いてる。
「……っ……『神の再創』!!」
足元からどこまでも湧き出る水がそれを襲う。だがここはそれの領域、押し流すにも場所は無い。だから。
「『神の威厳』!」
轟く雷鳴が波を伝ってそれを焼き焦がす!だが、ダメだ、通らない!
「『神の両腕』!『神の匣』!『神の流刑』!!!」
技はどれも通らない。
もっているものなにもかもが通らない。
それでも。そうであったとしても!
連発する。
思いつくだけのものを片っ端から叩きつける。
「ぐぅっ……!!!」
ばき、と音がした。左手の指がひび割れている。違う、塩になっている。
力を使いすぎた罰だ。これ以上はよせと言われている。
…………知るか!!!
こいつは残しといちゃいけないんだ。こいつはどうにか倒さなきゃいけないんだ。こいつがいたら、██がまたこんな目に遭うから!
「あああああああああ!!!!!神のっ……『神の知恵』!!!『神の生命』!!!」
水と火、言葉、土。
形成された小さな領域に、二本の木が生える。
「っ……今、楽園はあり……悪魔はここに忍び寄る……!蛇、来たりて、お前を誘う……!」
そのうちの一本に蛇が現れて、果実を咥え、それの口らしき部分へ飛び込んだ。
「禁忌、は……口にされっ……愚かな知恵はお前の目を曇らせる……!ゆえ、に、……はぁっ……ゆえに、扉は、閉ざされた……!」
もう一本の木に回る炎の剣が現れる。手が焼けるのにも構わずひっ掴む。
「っああああああああ!!!!『神罰・失楽園』!!!!!ここからっ……!出ていけええええええええ!!!!!!」
それに叩きつける。そいつは実を呑み込んだから、言葉が通る、道理が通る。
今楽園は閉ざされた。
許されざるにも関わらず実を呑んだ者にこの楽園は一切合切容赦をしない!
それの後ろに扉が開き、領域ごとそいつを呑み込んだ。この世界から、叩き出す!!!
そうしてバタンと扉が閉まり、雷の跡だけ残してそこにはもう、何も無い。
「は……っう……はは……しょっぺ……」
身体が塩になっている。口の中が塩だらけだ。息をするだけでボロボロと崩れ落ちていく。
罰だ。俺は、やってはいけないことをしたから。
『出会う人を平等に大切になさい』
母ちゃんがそんなことを言っていた。
何度も、何度も。
同じくらいに大事にしなさいって。
好きな人にも嫌いな人にも平等に接しなさいって。
『善いことをした人には祝福を。悪いことをした人には罰を。慈悲を持って接しなさい。決して。……決して、どれほど好ましい相手でも、その人の為だけに全てを捧げることのないように』
そのちからは、決して我欲でふるってはいけないものなのだから。
あなたはあなたのために、全てを平等に大事になさい。
母ちゃんは俺のことを心配して言ってくれてるんだって知ってた。なんとなくそれはちがうって思っても、そうじゃなきゃ俺がどうにかなっちゃうって思ったから言ってくれてたんだって分かってる。
だからなるべくそうした。どうしたらいいか分かんないなりに頑張った。皆が不幸せじゃなければいいなって思った。
だから、俺は本当はこんなことしちゃいけなかったんだ。
皆のためじゃなきゃいけなかった。誰かのためじゃダメだった。
知ってた。でも、それでも俺はそうしたかった。ダメだってわかってても、そうしたかった。
ぼろぼろ、ぱらぱら、崩れていく。塩になる。
ぱち、と音がする。
今出ていったそれはこの世界の脅威だったらしい。だから、皆のためにやったことにしたらいいらしい。その代わりに██のことは忘れちまうけど、そうしたらちょっと腕が取れるくらいで済むらしい。
だから、嫌だって言った。
「俺……俺さ、多分、みんなよりあいつのことが大事なんだ」
「俺はみんなのためにやったわけじゃない。世界のためにやったわけじゃない。救済のためにやったわけじゃない」
「俺は!あいつが生きてて欲しいからやったんだ!俺がやりたいからやったんだ!」
言ってやった!言ってやった!
身体が崩れ落ちたって知るもんか!だって俺はあいつのことが名前をあげたっていいくらい大事なんだ!
じゃあな、バイバイ、さよならだ。
もしかしたらあげた名前も取り上げられちまうかもしれないけど、顔も形も無くしちまうかもしれないけど、だったとしてもたくさん頑張って声くらいはどうにか残すからさ。
だから、少しは俺のこと覚えててくれたらいいな。嘘、本当はずっと覚えてて欲しい。俺のこと、忘れないで欲しい。
「橙子、ははっ……橙子……!」
ぜーんぶ虫食いになったから、やっと普通に名前を呼べるようになった。頭の中でも、口でも。頭の中でも呼んじまったらおかしくしちまうから。でももう大丈夫。それが嬉しくってここにはいないけど何度も呼んだ。
「橙子、橙子、俺、お前と出会えてよかった……!」
回る舌だけ最後に残されて、すぐにそれも塩になった。
それで、おしまい。