端切れ話(メモランダムハムスター)
監禁?編
「エランさん、今日はこれをお願いします」
そう言ってスレッタから渡されたのは、何の変哲もない買い物用のメモだった。小さな紙片が二つ折りにされ、中身がすぐに見えないようにされている。
「分かった。仕事終わりに買ってくる」
エランは受け取ったメモ用紙を無くさないよう別のメモ帳に挟んでポケットへ入れた。
「ありがとうございます」
スレッタが律儀にお礼を言ってくれるが、なんてことはない、いつもの朝の風景だ。
現在、アパートに越してきてから1カ月近くが経っている。
自由に外に出れないスレッタの代わりに、彼女の欲しい物を購入するのはエランの役目になっていた。
とは言っても内容のほとんどは2人が共通で消費する食材や日用品だ。
大量に物を持ち運ぶための乗り物などは持っていない為、毎日小まめに購入する必要がある。なので買い物用のメモも毎日のように貰っていた。
「じゃあ行ってくる」
「はい、いってらっしゃい、エランさん」
挨拶を交わしてアパートを出る。エランはほんの少しだけポケットに入れたメモ帳を意識しながら、朝の雑多な賑わいの中を歩いていった。
工場に着くとまずは作業着に着替えていく。途中でメモ帳を私服から作業着のポケットへと入れ替え、細々とした品もすぐ使えるようにしておく。
逆に端末はロッカーの中だ。
家族からの緊急連絡の可能性がある場合などは申請すれば仕事中も持てるが、基本的には端末を持ったまま工場内には持ちこめない決まりになっている。
仕事の手を止めて端末の操作に夢中になったり、守秘義務のある工場内を撮影したり、そういう問題ある行動を防止するための規則だ。
だから何かを書き留めたい時には、実際のメモ用紙を使っている。
だいたい端末にもメモ機能はあるが、紙のメモ帳に直接書き込んだほうが手早く済む。なのでエランは防犯用にもなる重めの芯が入ったボールペンと一緒に、仕事中はいつも作業着のポケットへ入れていた。
最後に鉄板入りのセーフティシューズにも履き替えて、着替えは完了だ。
すぐにでも仕事を始められるが、少し早く家を出ている為着替え終わってもまだ時間に余裕はある。
空いた時間があることを幸いに、エランはポケットへ入れたメモ帳をもう一度取り出して紙片を広げた。今朝スレッタから貰った買い物用のメモ用紙だ。
別に今すぐに読む必要はない。必要はないのだが…。
「………」
読み終わった後、買い物用のメモをもう一度丁寧に折ってメモ帳へ仕舞いこむ。
傍から見たら何の変哲もないメモ用紙だ。内容だってただの買い物リストに過ぎない。
けれど。
エランはほんの少しだけ目を和ませて、この日も仕事を頑張ろうと思っていた。
スレッタからのメモは、初めはそっけないものだった。欲しい物の名前を書いてあるだけの普通のメモ用紙だったのだ。
そこに小さなイラストが付いてきたのは、確か新しい調理器具を買い足した時だった。野菜の皮を剥くときに使うピーラーだ。
その時のエランはピーラーを実際に見た事がなかった。朝食の場でそれを知ったスレッタは、すぐにどんな形のものか描き写してくれた。
小さくイラスト化された調理器具。けれど特徴はよく捉えていて、エランはすぐに店の売り場でお目当ての品物を見つけることができた。
よく考えたら端末で調べることもできるし、店員に聞くことだってできる。けれどわざわざ書いてくれたイラストが嬉しくて、その日に買ってきたばかりのピーラーを渡しながら、とても分かりやすかったとスレッタにお礼を言った。
そうしたら、たまにイラストが付くようになったのだ。
最初の頃のイラストは書いてある内容を補足するためのものだった。けれど少しずつ花や果物、時にはまったく関係のないイラストが入るようになり、そうしていつの間にかイラストの横に言葉も添えられるようになっていた。
───お仕事がんばってください。
───暑いから水分補給はしっかりですよ。
───この間の果物、とっても美味しかったんでまた食べたいです。…名前は分からないですけど、こんなのです。
そんな感じの文字がイラストと一緒に書かれているので、エランは何度も見つめてしまう。
当然、捨てることなんてできなかった。新しく貰ったメモは無くさないように別のメモ帳にしっかりと挟み、家に帰ってからはきちんとケースに入れて保管している。
他の人からしたらただの買い物リストだろう。けれどエランにとっては宝物だった。一枚一枚、彼女からの大切な気持ちや言葉がこもっていた。
恐らくスレッタは毎回メモは捨てられていると思っている。エランも普段ものを増やさないようにしている手前、餌を溜め込むリスのようにせっせと紙片を集めているなんて少々バツが悪かった。
だからこれは、スレッタにも内緒の貯食行動なのだ。
手のひらに容易に隠せるケースの中に、何枚も重なったメモ用紙。本物の貯食とは違い、エランの場合は保存場所ごと持ち運べるのだから安心だ。
少しずつ増えてきた紙片を思い、餌を溜め込んだ動物のように、エランは満足げな笑みを浮かべた。
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