ミッシングリンク〜刻を結ぶ少女〜その5
学校終わりの放課後、夕暮れ迫るおいしーなタウンの街の空を二つの影が建物の屋上を、住宅の屋根を、電柱の上を、次々と飛び渡りながら駆け抜けて行く。
「待てー、待てったら、待ちなさーい!」
「そんな暇はない!」
「まさか今日も安売りに行くって言うんじゃないでしょうね!」
「中華ストリートで人気お惣菜が限定販売だそうだ!」
「マジだったかー。ゆみちゃんそりゃ食いつくよね〜……でも安売りじゃないならアンタがついて行く必要ないじゃない!」
「購入は一人二つまでらしいから、俺も一緒に並んでくれって。芦原、君も来てくれたなら三人で六個買える。ゆみが喜ぶぞ。奢ってやるから付き合ってくれ!」
「うわ〜、どうしよう……」
追いかけっこを続ける二人の先に中華ストリートが見えてきた。
時刻はまもなく逢魔が刻。暗闇広がる黄昏時、闇に潜むは誰ぞ彼……
……問うても答えぬ怪物が、闇の底から浮上する。
「デリアンダーズが出たぞ!」
「やっぱりアンタじゃなくて、ゆみちゃんが狙われてるんだね」
「連中にとって俺は所詮“抜け殻”だからな。次の器を欲しがっているのさ。──また手を借してくれ、芦原!」
「しっかたないわね。アンタじゃなくゆみちゃんの為だからね。誤解しないでよね!」
空を駆ける二人の姿が戦士へと変貌する。
赤黒の銃士ブラックペッパー。
紫の戦乙女キュアアスラ。
建物の影から、怪物メガデリビョーゲンがストリートを歩く幼い少女を狙ってその姿を露わにしようとする前に、二人はその場へと到着した。
怪物の周囲を虹色のオーラが包み込み、その巨体を亜空間デリシャスフィールドへと閉じ込める。
荒野が広がるその亜空間に、ブラックペッパーとキュアアスラも降り立った。
「あ、二人ともいらっしゃい。それとも学校終わりならおかえりなさい、かな?」
そこに、和実ゆいも居た。
「ゆい、ただいま〜」
「おかえり、鈴ちゃん。……雅海くんは挨拶してくれないんだ?」
「やってる場合じゃないでしょ!?」
ブラックペッパーは既に中華風ランタンのような形状をしたメガビョーゲンと肉弾戦を繰り広げていた。
「ゆいさん、俺が時間を稼ぎますから、その間にアスラから力を分けてもらってください!」
「おっけー。じゃあ、鈴ちゃんお願い!」
「わかった」
アスラが司るエレメントの力を解放させ、その余波がゆいを包み込んだ。
「よぉし、今なら行ける気がする。デリシャスタンバイ、パーティーゴー!」
ゆいの周囲でフィールドを構成する空間が微かに震えた。アスラの力と共鳴するように、ゆいの姿がプリキュアとしての姿へと変化して行く。
桃色の戦衣に身に纏いし戦乙女・キュアプレシャス。
その彼女が、メガデリビョーゲンめがけ真一文字に突貫する。
「2000キロカロリーパーンチ!」
メガデリビョーゲンを抑え込んでいたブラックペッパーが飛び退くと同時に、プレシャスが光輝く拳を振りかざしながら流星のように飛び込む。
メガデリビョーゲンの巨体を遥か後方に吹っ飛ばすほどの攻撃が炸裂した。
「流石です、キュアプレシャス!」
「えへへ。ありがとう、雅海くん」
「アスラ、今のうちに浄化を頼む!」
「私に指示するな!」
自身が司る12のエレメント全ての力を結集し終えたアスラが、三叉槍ケルベロスをメガデリビョーゲンに差し向ける。
「プリキュア・オールエレメントシャワー!!」
浄化の光がメガデリビョーゲンを貫き、その核となっていた光のエレメントを救出した──
〜〜〜
「プリキュア・プレシャストライアングル!」
戦いを終えてから数分後、デリシャスフィールドの荒野でまた浄化技が放たれた。
技を使ったのはキュアプレシャス。その目標は、岩に封じ込められたメガデリビョーゲンだった。
岩が砕かれ、一体化していたメガデリビョーゲンが浄化の光の中で粒子となって散華し、囚われのレシピッピが解放された。
「ピピピ〜♪」
「良かったね、レシピッピ」
「プリキュア・オールエレメントシャワー!」
別の場所でもキュアアスラが浄化技を放ち、メガデリビョーゲンを浄化してエレメントを救出していた。
「ぜえ、ぜえ……ちょっと雅海! あと何体残っているのよ!? この数日でもう十体は浄化してるのに全然終わる気配が無いのはどう言うこと!?」
「多分、あと三百体以上は残っていると思う」
「嘘でしょ……どんだけよ」
「ここ数年、数日置きに出現していたし、群れで襲ってきたことも何度かあったから正確な数とか俺にもわからないよ」
「ゆみちゃん狙われ過ぎだわ。あんたも気づかれずによく対処できたわね」
「出てくる時間やタイミングが決まってるからな。でも俺じゃ浄化できない。芦原やゆいさんが居てくれなかったら、永遠に封じ続けてしまうところだった。破壊よりマシとはいえ、これじゃ墓石と変わらない」
ブラックペッパーはため息をつきながら変身を解き、雅海の姿に戻った。
「ありがとう、二人とも。今日は一旦ここまでにしよう」
「えーっ」
と声を上げたのはプレシャスだ。
「あたし、まだまだ浄化を頑張れるよ?」
「頑張れるというのと、出来るというのは別問題ですよ、ゆいさん」
雅海はハンカチを差し出しながら言った。
プレシャスの額には汗がびっしょりと浮かび、その肩は荒い息で大きく上下していた。
プレシャスは少し迷ってから、ハンカチを受け取って額の汗を拭った。
「ありがとう。でも、あたしは一度変身を解いたら、アスラちゃん来るまで変身できないし……それにレシピッピたちも早く助けたいよ」
「気持ちはわかります。でも、無理を押したら体が持ちませんよ?」
雅海が、大きな袋に入ったあるものをゆいへ差し出した。
それが何かを察した瞬間、プレシャスのお腹の虫が鳴った。
「腹ペコっちゃった……」
「お弁当、用意したんで食べてください」
「うぅ〜……ありがとう」
大人しく変身を解いて袋を受け取るゆい。
雅海はその姿に安堵の息をつきながら言った。
「俺たちは外で約束があるんで、ちょっと行ってきます」
「そっか、妹さんが待ってるんだったね。うん、ごめんね。引き止めるようなこと言っちゃって」
「安心してください。時間の流れが違いますから約束に遅れることはありませんよ。後で必要なものを取り揃えてまた来ますから、しばらく失礼します」
「うん、ありがとう。鈴ちゃんもまたね」
手を振るゆいに手を振り返しながら二人の姿がデリシャスフィールドから消えて行く。
そして、フィールド内の荒野にはゆい独りが取り残された。
「行っちゃった……」
寂しいなあ、とゆいは苦笑いしながらお弁当が入った袋を持って帰路に着いた。
目指したのは、荒野の真ん中にこんもりと繁る森だった。
そこはわずかに盛り上がった丘陵地帯で、中に足を踏み入れると密生した背の高い巨大な樹木の枝枝が空を隠すように頭上を覆い隠していた。森の中には澄み切った流れを湛えた清流も流れている。
ここは、ゆいが意識を取り戻した最初の時に居た場所だ。
ゆいは清流のそばにある、大地から大きく隆起した木の根に腰掛け、袋を開けた。
「わぁ……」
目を輝かせながら袋から取り出したものを眺める。そこにはおむすびとデザートに果物が入ったランチボックスと、魔法瓶のスープジャーがあった。
「いっただっきまーす♪」
満面の笑みでお弁当を堪能していると──ふと目の前に影が落ちた。
顔を上げるとそこにレシピッピたちの姿があった。ゆいがお弁当で幸せを感じた証、ほかほかハートに惹かれてやって来たのだろう。
そんな彼らを見ながら、ゆいはまた一口おむすびを頰張った。
「えへへ……美味しいなぁ」
おむすびは真心が込められたものだった。
ほかほかハートが泡のように立ち上り、レシピッピたちが宙を泳ぐように動き回る。
見上げたその先には、木々の枝葉越しに青い空が水面のように揺らめいて見えた。
(なんだか、水槽の中に居るみたい)
この森はさながらアクアリウムのようで、頭上のレシピッピは熱帯魚さながらに木々の間を泳ぎ回っていた。
このレシピッピが何か、彼らが好むほかほかハートが何か、ゆいはそれをちゃんと知っていた。自分が変身出来るプリキュアの力がどんなものであるかも理解していた。自分が「和実ゆい」であることに疑いもない。
でも、そういう知識はあるのに、肝心の記憶がない。自分がなぜここに居るのか、過去に何があったのか、その記憶がない。
そんな不安定な状態ではあるけれど、でも、ゆいに不安は少なかった。
「どんな時も、ご飯は笑顔! ……だよね」
誰から教わったのか思い出せないけれど、でも、自分を支えてくれる数々の言葉はちゃんと覚えていた。
それに、このアクアリウムのような森は居心地が良かった。
ゆいが閉じ込められてしまったデリシャスフィールドは、雅海が作り出した亜空間だ。デリシャスフィールドは生成者の影響を強く受けて反映されるらしい。ということはこの森も雅海が無意識に作り出したものだろうか、とゆいは思った。
(雅海くん……か)
彼を思うと、不思議と心が温かくなった。安心感とでもいうのだろうか。
(どうしてだろう、昔からずっと知ってた気がする)
記憶に残る数々の言葉と同じくらい、ずっと自分のそばにあって、共に生きてきた存在……そんな風に感じてしまうのは、何故だろうか。
(雅海くん、なんかあたしのこと知ってそうな素ぶりはあるんだよね〜。うーん、うーん……腹ペコった)
悩んでいると食欲が増す。ゆいは手元に残っていたおむすびの最後の一個を平らげた。
空にしたお弁当箱と魔法瓶、そして借りていたハンカチを清流で洗い終えた頃に、雅海と鈴が戻ってきた。
二人とも大きな荷物を両手に抱えている。
「ゆい、ちょっと聞いてよ。雅海ったら人使いが荒いんだよ!?」
荷物を置くなり鈴が捲し立てた。
「下着売り場に私を一人で行かせて、全部買ってこいだなんて、無茶言わないでよね!?」
「仕方ないだろ。俺が女性用下着売り場で買い物してたら通報されかねないし」
「そんなわけないでしょ。買い物して何が悪いの?」
「男が何の理由があって女性用下着を買うんだ」
「ゆいの着替え用でしょ。正当な理由があるんだから堂々と買えばいいのに」
「いや、それでもさぁ……」
「あ、この荷物ってあたしの着替えだったんだ?」
袋から出すと新品の下着類が多数入っていた。
「ゆいから聞いたサイズで買ってきたけど、合うかな。この前、私の下着を貸した時にだいたい合ってたから大丈夫だとは思うんだけど。あ、こっちは服の着替えね」
「鈴ちゃんありがとう〜〜! でもこの前借りた服、ちょっときつかった……鈴ちゃん、あたしよりスレンダーだから」
「キツいのは多分胸だけだと思うわ。ウェストとか私とほとんど変わらないでしょ」
「鈴ちゃん脚も長いよね」
「ゆいはあの腕力と脚力で私より手足が細いのが信じられない」
下着と服を並べて談義を繰り広げる女性二人。雅海はどうにも居た堪れなくなって、その場から離れようとした。
「あーっ! 雅海逃げるな!」
鈴が非難の声を上げ、ゆいは不思議そうに首を傾げた。
「雅海くん、どこ行くの?」
「ああいや……それはですね……」
美少女二人が明け透けに下着やスタイルについて話しているのは、思春期真っ盛りの少年にとって刺激が強すぎて困るんです、なんて正直に言えず雅海は慌てて言い訳を考えた。
「そ、そうだ。ゆいさん、ここで野宿してるんですよね!?」
「え? うん、そうだよ?」
「辛いですよね」
「そうでもないよ。この前貸してくれた寝袋の寝心地も良いし、気温もちょうど良いし、それに夜になるとお空にすごく綺麗な星空だって広がるんだよ!」
「思った以上にタフですね……」
「野宿、楽しいよ♪」
ちなみに清流で洗面、洗身、洗濯も出来る。周りの木々にはロープも貼られ、そこには洗濯した服や下着、使ったタオルなどが干されていた。
雅海はそこから目を背けながら、なおも言い募った。
「そ、それでもですね、やっぱり屋根さえ無いのはどうかなぁ、って」
「雅海、あんた何が言いたいの?」
「えーっと」
鈴から問われ、雅海は言葉に詰まった。
正直、話を逸らそうとして適当に口走っただけで、特に結論があったわけじゃないが、鈴から問われたことで、ふと思い浮かんだことを雅海は口に出してしまった。
「ゆ、ゆいさんが暮らすために小屋の一つでもあった方がいいかなぁ……って」
「小屋!? 山小屋!? あたしたちで作るの!?」
ゆいの大声に、雅海は慌てて首をすくめた。
「ご、ごめんなさい、やっぱり突拍子もないですよね、こんなこと──」
「あたし、作りたい!」
「──冗談で……え?」
「山小屋、作ろうよ。みんなでさ。きっと楽しいよ!」
目を輝かせて身を乗り出してきたゆいに、雅海は呆気に取られた。
ゆいのそばで、鈴が肩をすくめた。
「言い出しっぺが責任取りなさいよね。私はパスするから」
ゆいが「えー」と不満の声を上げた。
「鈴ちゃんも一緒にやろうよ。絶対楽しいって」
「側から観て楽しませてもらうわ。だから材料とか道具は買ってきてあげる。ケルベロスが株取引で稼ぎ過ぎて、お金を持て余してたところだから」
「今すごく羨ましい話を聞いた気がする」
どうりでケルルンの舌が肥えている訳だ。雅海は今頃ゆみに甘やかされているであろう黒い仔犬を思い浮かべた。
こうして、ゆいと雅海による山小屋作りが始まったのだった。