ミッシングリンク〜刻を結ぶ少女〜その4

ミッシングリンク〜刻を結ぶ少女〜その4


「ただいま〜、けるちゃん飼っていい?」

「うん」と、ゆい。

「いいよ」と、のどか。


 こんな感じであっさりと仔犬:ケルベロスの化身ケルルンは品田・花寺家に迎え入れられた。

 いや、本当はもう少し詳細な説明と数分間の検討時間、そしてペットを飼うにあたっての心構えをゆみに言い聞かせるなどの出来事があったのだが、全体的にさしたる不具合もなく事は進んだので詳細は割愛する。


(母さんたちに、こいつがヒーリングガーデンからの刺客って言った方がいいのかな)


 しかし言ったところで母たちに要らぬ心配をかけてしまうだけだ。雅海はそう判断し、その事実を胸に秘めた。


 彼は、ブラックペッパーの力を纏って今もデリアンダーズと戦い続けていることを家族に秘密にしていた。


 それにもう一つ、雅海はある疑いを持って母親たちの様子を眺めていた。


「ん? 雅海くん?」


 その視線に気づいたゆい……品田ゆいと目が合う。


「いえ、別に……犬、好きだったんですね」

「昔、子狐さんと暮らしてたことがあったんだ……大切なお友達だよ」

「そうでしたか」


 少し遠い目をして懐かしげに呟いたゆいの姿から目を逸らしながら、静かに息を吸い込み、その香りに感覚を集中させた。


(いつものゆいさん……だな……)


 今日一緒に戦った気配や、それを匂わせる気配……文字通り、匂いがない。

 雅海たちの窮地を救ったあの和実ゆいは、今ここに居る品田ゆいとは別人だ。雅海はそう結論付けた。


(──じゃあ、彼女は誰なんだ?)


〜〜〜


 夕食を終え、ゲストハウス和福あんにある自室へと戻った雅海の元に、ケルルンがやってきた。


「カリカリのドッグフードというものは味気ないものだな」

「わざわざそんな事を言いに来たのか?」

「ゆみが魚肉ソーセージをくれようとしたのだが、あれは私の口に合わんでな。……チュールを持ってないか?」

「思った以上に図々しいんだな、お前。今日ペットを飼い始めたばかりの家にそんなものがあるわけないだろう」

「そうか、残念だ。しかし困ったな。このままだと欲求不満で君の喉を噛みちぎるかも知れん」


 黒い仔犬の顔が、牙を剥いてにたり、と笑った。


(まるで獲物に喰らいつく直前みたいな顔だ)


 愉快じゃないな、そう思いながら雅海は自分のベッドに仰向けに横たわり、頭の下に腕を組んで枕にしながら天井を見上げた。

 その態度に、ケルルンが「ふっ」と笑った。


「刺客の前だというに、なかなか大胆ではないか」

「殺気の有無ぐらいわかるさ。今のあんたにはその匂いがない」

「なるほど、そこらの犬程度には鼻が効くようだ」


 ケルルンは床から勉強机の上に飛び乗り、そこからベッドに寝そべる雅海を見下ろした。


「…………」

「…………」


 そのまま、しばらく沈黙に部屋が降りた。

 雅海は天井を見上げたまま、視界の端にケルルンの姿を捉え、その気配に注意を払い続けた。

 殺気の匂いはないが、この犬は必要とあらば、そんな感情など露わにする事なく他者の命を刈り取るだろう。

 雅海は頭の下に組んだ腕枕の手のひらに隠し持ったデリシャストーンを、微かに握りしめた。

 ケルルンは、雅海の内心に気づいているのか、それともいないのか、どちらともつかぬ態度のまま、微かに鼻を鳴らした。


「花寺雅海。お前には、妙な匂いが混じっているな」

「……どういう意味だ?」

「お前からキュアプレシャスの匂いがする」

「……?」


 あの戦闘で庇った時に接触したから、匂いがして当然だろう。それはケルベロスも知っているはずだ。

 このケルルンがそれを失念するとは思えない。


(まさか…?)


 微かな心当たりが浮かび、雅海はベッドから身を起こした。


「ケルルン。俺の……どこからその匂いがしているんだ?」

「お前という存在の奥底……そう、おそらくは、お前に繋がる亜空間だろう。そこから、キュアプレシャスの匂いが漂っている」

「亜空間? そうか、デリシャスフィールドか!」


 あの和実ゆいは、まだデリシャスフィールドの中に取り残されている。

 雅海はそれを確信した。


〜〜〜

 デリシャスフィールド内部にある、深い森の中の高い木の上。


(あと、もう少し……)


 そこの枝に実る大きな果実のようなモノに、ゆいは必死に手を伸ばそうとしていた。

 もう少しで届きそうな距離にあるのに、あと数センチのところで届かない。それがたまらなくもどかしい。


「あと……ちょっと……」


 そう呟いた時、大きな木の枝が急に折れ、ゆいの身体が宙に浮いた。


(え!?)


 そのまま地面に叩きつけられると思ったその寸前、


「ゆいさん!?」


 その下に駆け込んできた雅海が、両腕でその体を受け止めた。

 雅海は腕、腰、脚、その全身をクッションにして衝撃を受け流す。


「大丈夫ですか?」

「あ、う、うん。……ありがとう」


 横抱きの状態、いわゆるお姫様抱っこされたまま礼を告げたゆいに、雅海は訊いた。


「なんで木の上に?」

「そりゃもちろん──」


 ぐぅぅ〜〜、と腹の虫がその理由を告げるかのように大きく鳴った。


「──腹ぺこったぁ〜〜」

「おむすび持ってきました」

「やったぁぁぁぁぁ!!!」


 ゆいが喜びのあまり我を忘れたように雅海に抱きついた。


「うわっ、ゆいさん!?」


 バランスを崩して尻餅をついてしまう。危うく、足元に置いてあったおむすび入りの袋を潰すところだった。

 ゆいの体まで投げ出してしまったが、彼女はまるでゾンビのような表情で地面を這い、その袋ににじりよろうとしていた。


「お、おむすび……は、早く……もう限界だよぉ……」

「あ、はい、どうぞ」


 袋からラップに包まれた大きな特製おむすびを取り出し、ゆいに手渡した。


「おむすび! おむすび♪♪ いっただきまーす!!」


 可愛い顔に似合わぬ大きな口で、一気に半分近くが頬張られた。


「ん、むぐ……デリシャスマイル〜〜……💕」


 そのまま二口目、三口目と頬張り、大きな特製おむすびはあっという間に消えてしまった。


「んぐぅ!?」

「お茶どうぞ」

「んぐっ……ごく……ぷわぁ〜〜。ごちそうさまでした!」

「お粗末さまでした」


 ただの慣用句だが、雅海のその言葉にゆいは首を強く左右に振った。


「粗末じゃないよ! 本当にどんな豪華なお食事より美味しかったんだから!」

「まあ空腹は最高の調味料とも言いますしね。そんなことより、ちょっとお話ししませんか?」

「へ? うん、いいよ?」

「じゃあ──」


 ──あなたは何故このデリシャスフィールドに居続けて、そもそもどこからきて、これから何をしようとして、というかそもそも誰なんですかあなた。


「あたしは和実ゆいだよ?」

「他には何にも覚えてないんですか」

「うん、全然」

「ここにきた理由も、出られない理由も?」

「さっぱり」

「プリキュアに変身できる理由も?」

「変身できる、って確信はあったんだよね〜。でも、何か物足りない気はするけど」

「……コメコメって名前に聞き覚えはありますか?」

「コメコメ!? よくわかんないけど、その名前聞いたらすっごく懐かしい気分になった!!」


 ゆいの大きな目がハッと見開かれ、すぐに涙ぐんでぎゅっと瞑られた。


「コメコメ……なんだろう、すごく大切な気がする……でも思い出せないよぉ……」

「ゆいさん……」


 彼女の目尻に涙が滲むのを見て、雅海はハンカチを差し出そうとした。


「……腹ぺこったぁ」

「あ、こっちか」


 ハンカチの代わりに、おむすびをもう一つ差し出した。


「はむっ、はむはむ……うーんデリシャスマイル〜〜もがもが」

「まだ涙が溢れてますよ」

「もがむが……ひぃっふ、あふ?(ティッシュある?)」

「紙ナプキンでよければ」

「んぐ、ごっくん。ありがとう。というかよく通じたね?」

「妹で慣れてますから」


 やっぱりこの人、ゆいさんだな。と雅海は確信を深めた。妹のゆみは、若い頃のゆいを知る街の人からよくそっくりだと評されていたが、まさにその通りだった。

 この和実ゆいは、品田ゆいの過去の姿か、でなければ妹ゆみの未来の姿、そのどちらかとしか思えなかった。

 雅海は、紙ナプキンで涙を拭いた後そのまま鼻をかむゆいを眺めながらそう思った。


「ところで、雅海くんは何者なの?」

「あー、えっと」


 不意にゆいから問い返され、雅海は答えに窮した。

 自分は何者か。それはずっと問い続けてきて、未だに答えの出ない問題だった。

 ただ、一つだけ確かなことが……揺るがせたくないことが、一つだけある。

 雅海はそれを口にした。


「俺は、花寺のどかの息子です」

「のどか………」


 ほんの一瞬だけ、ゆいの心が揺らいだ匂いがした。

 けれどその匂いは彼女自身が自覚する前にその奥深くへと沈められるように消えていった。


「えーっと、お母さんが、のどか…さん、でいいんだよね?」

「そうですね」

「それ、あたしが知ってる人かな?」

「……どうなんでしょうね」


 雅海は、先ほどゆいから漂った揺らぎの匂いを察して、それ以上深く説明することを避けた。

 代わりに、彼は言った。


「ゆいさんにお願いがあるんですけど、いいですか?」


〜〜〜


 森から出て、荒野に出る。

 広がる“明るい空”の下、幾つもの巨岩が荒野のあちこちに聳え立っていた。


「そういえばゆいさん、俺たちがここから消えた後、どれくらい時間が経っていたんですか?」

「あたし腕時計持ってないからわかんないけど、でもそんなに時間経ってなかったと思うよ? あの時からもう腹ぺこりすぎて結構限界だったし」

「そうですか」


 フィールド内と外では時間の進みが違うことは気づいていたが、それはてっきり、内部の時間が外よりも速く進んでいるだけかと雅海は思っていた。

 しかしゆいの話を信じるなら、遅い速いとはまったく違う、方向の異なる時間の流れ方をしているのかもしれない。

 そんなことを頭の片隅で考えながら、雅海は目的地にゆいを案内した。


「ゆいさん、これを見てください」

「これって……あの怪物と同じもの……?」


 連れてきたのはあちこちに聳える巨岩の一つ。

 ゆいが見上げたその先には、岩肌に埋め込まれて一体化したような、怪物の姿が浮かび上がっていた。


「メガデリビョーゲン。デリアンダーズに感染させられたレシピッピやエレメントたちが怪物化したものです。俺一人の力では浄化することができなくて、仕方なくこうやって岩に封じ込めるしかなかった」

「じゃあ、この荒野のあちこちにある大きな岩って、もしかして?」

「ええ、全て俺が戦って封じてきたメガデリビョーゲンです。彼らを浄化してレシピッピやエレメントを救うには、プリキュアの力が必要なんです」

「つまり、あたしやキュアアスラちゃんの力が必要ってこと?」

「アースラにも浄化を頼もうとは思っているんですけど、あいつとは実はまだ知り合ったばかりで、まだ腹を割って話し合えるような仲じゃないんです」

「そうなんだ? じゃああたしの方が先に雅海くんとお友達になれたんだね」


 くすっと笑うゆいに、雅海は不思議な、少しくすぐったいような気持ちを胸に感じつつ、話を続けた。


「彼らの浄化をお願いしても良いですか?」

「うん、もちろんだよ!」


 ゆいは力強く頷くと、その手を大きく広げて、天に向かって大きく叫んだ。


「デリシャスタンバイ、パーティーゴー!!」


 荒野にゆいの声が響き渡り、どこからともなく拭いた風がタンブルウィードを転がした。


「………デリシャスタンバイ、パーティーゴー!!」


 荒野にゆいの声が響き渡り、どこからともなく拭いた風がタンブルウィード(西部劇でよく転がってる例の草)を転がした。


「………デリシャスタンバイ、パーティーゴー!!」


 荒野にゆいの声が響き渡り、どこからともなく拭いた風がタンブルウィード(西部劇でよく転がってる例の草でありその多くはアザミと呼ばれる植物であるが、特定の種を指すわけではなく、根から分離した枝や枯れ草が風に吹かれて絡まった塊である場合も多い)を転がした。


「デリシャスタンバイ──」

「ごめんなさい、無理を言った俺が悪かったです! ごめんなさい!」

「ぱーてぃーごぉぉ……どうしてぇ、なんでぇぇ……」


 落ち込んだゆいのために、雅海はフィールドを出入りして新しいおむすびを用意したのだった。

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