ミゼラブル・3

ミゼラブル・3



ミネは怒っていた。


元来、彼女はカッとなりやすい質である。己の信条にもとる行為や情報が耳にはいると、全体を判断する前にまず手を出してしまう所がある。

故に、彼女が何事かに怒りを滾らせ、肩をあげながら、トリニティ校舎の廊下を歩んでいることそのものは、さして珍しいことではない。奇人として有名な彼女の歩みを生徒達が止めることもない。

だが、彼女をよく知るものならば、その瞳にどこか切実で、不安さをたたえたものであることが読み取れるだろう。

例えばそう、歩みの先にたどり着いた扉の先にいるであろう、同じく組織の長として彼女のやり方をよく知る同級生達ならばわかるのではないだろうか。


「失礼します。」


ゴッゴッと鈍いノックの音をさせた後、ミネは会議室へと入室し、そこに広がる光景を目にした。

彼女の怒りに満ちていた厳しい顔が、ぐらりと揺れて目が見開かれる。


「なんですか、ソレは。」


声をかけた先。そこにはナギサ、セイア、ハスミ、サクラコの各派閥の重鎮達が顔を揃えており、これからそこで議決される内容が、トリニティそのものの進退を決めるような、重要なものであることが推し量れる。

だが、ミネは席につかなかった。それどころか、部屋にずかずかと踏み入れると、己の腰へと手を伸ばし、銃と盾を即座に構えた。


「席に着きたまえよ、ミネ団長殿。今日はとても大切な日だ。普段のような奇行は抑えてくれるかな?」


「奇行?今、奇行と言いましたか?」


セイアの落ち着き払った言の葉に、青筋をたてるミネ。

彼女の構えた銃と盾は会議の場にいる全員にハッキリと向けられていた。

それは臨戦態勢そのもので、会議には相応しくない。だが、ミネが彼女の信念に基づき、この場に『救護』が必要であると判断しているという姿勢を示していた。

会議室で目にしたものへの第一声。信じられないものを見たことへの驚愕と、困惑と失望。そして再燃した怒りのこもった声で、ミネは続ける。


「そのようなものを!この場に掲げていることに勝る奇行があるとでも!?!」


ミネが向けたショットガンの先。会議室に垂れ幕のごとく吊り下げられたそれは、この場がなんのためのものであるかを示す校旗。

瞳ある太陽を三角が囲む、新生アビドスの校章が描かれたものであった。


「奇しくもなんともありませんよ、ミネさん。実にこの場に相応しい装いです。」


涼しい顔でナギサは紅茶をすすっていた。

トリニティの公的な会議の場で、他校の校章を大きく掲げる。その意味を彼女が理解していないはずはない。


「トリニティはこれから、アビドスに吸収され、アビドスの分校として生まれ変わりますから。」


ズガン!と鳴り響く銃声。立ち上る硝煙は、ミネの銃口からではなく、机の側から漂っている。ミネは衝撃を受け止めた盾をずらし、発砲した生徒を睨みつけた。


「…なんのつもりですか、ハスミ副委員長。」


「先手を撃っただけですよ、ミネ団長。あなた、今、旗を打ち抜こうとしたでしょう?実に愚かしいことです。折角送っていただいた旗に傷をつけるなど、トリニティの名誉に関わります。」


ハスミの発言に、ミネの口が歪む。抑え込んだ息が獣の唸り声のようにシュウシュウと漏れだしていた。


「私は、私らしくもありませんが、今、猛烈に抑えています。なぜだか、わかりますか。」

「あまりに荒唐無稽で、ありえないことだからです。理解できないという感情にまず整理をつけなくては、適切な救護はできないとそう判断しているからです。」


「聞かせてください。あなた方は、なぜ、このようなことをしているのですか。」


すべての言の葉はゆっくりと、苦々しいものを噛み締めるように発されていた。それは、ミネらしからぬ行動である。普段であれば既に高々と叫びながら、救護活動を始めているはずである。

だが、彼女はそれを必死に抑え込んでいる。


「なぜ!こんなものを!!トリニティにはびこらせたままにしていたのですか!!!!」


懐から取り出されたそれを、ミネは激昂と共に会議室の机の上に叩きつけた。

ビニールの袋に入れられた白い粉。袋にはアビドスの校章が入っている。


「砂糖などと銘打って言いますが、これはまぎれもないドラッグです!!そして、これは!!」


「うちの食堂の倉庫から持ってきたのだろう?どこから嗅ぎ付けたのかな。まだ使ってもらってはいなかったのだが。」


「あら。勝手に備品を持ち出すとは、救護騎士団団長ともあろうものが、みっともないですよ。」


「黙っていてください!!」


セイアとハスミの揶揄に、ガンッと激しい音をたてて、ミネは地面に盾を打ち付けた。一瞬、サクラコがビクッとするが、それ以外のメンツは相変わらずミネの激昂をなんでもないことのように平坦な顔で聞いている。


「なぜ、なぜなのですか!?いつからですか!?どうして!!こんな、生徒を、滅ぼすような馬鹿げた真似をしようとしているのですか!?!?どうして…!!!」


ミネの叫びには怒りと、それと同量の悲痛があった。

トリニティという自分の学校が、それを導く指導者たちが、仲良くはなくとも信条は理解し合っていると、そう思っていた者たちが、狂った真似をしているという衝撃への信じたくないという気持ちが、そこには乗っていた。


「ティーパーティーはトリニティを導く責任ある立場ではないのですか!?正義実現委員会は正義を貫くのではないですか!?シスターフッドは沈黙を辞めたのではなかったのですか!?なぜ、こんな…!!」


「その方がいいからですよ?」


だが、ミネの昂ぶりに返されたナギサの答えは、冷たく端的であった。


「だってその方が気持ちがいいでしょう?」


ミネの表情が石のように固まる。ナギサはまるでそれをなんでもないことのように言った。周りのものも、そのことに意を唱える様子すらない。発言の衝撃に、ミネのくらくらと揺れ出す視界の中で、会議のテーブルの上にあるものが、ようやく目に入る。

お茶の近くに、角砂糖が山のように積まれている。鉢に盛られたお茶菓子はどれも甘そうだ。


「……。」


ガクンとミネの首が落ちた。そのまま彼女は床を開いた瞳で見つめている。少女の胸に渦巻く怒り、混乱、絶望が整理され、答えが出されるその数秒間の間。誰も何も言わなかった。会議室を包む沈黙を割いたのは、普段であればその少女からはでてこない声色だった。


「…わかりました。」


静かに、冷たい声で。ミネは再びショットガンと盾を構えた。


「あなた達は全員要救護者です。」


ゆらりと首をあげたミネの空気が変化したことを、ハスミは感じ取る。

普段、ミネがそれを発することはない。確かに暴力をよくふるい、救護者と定めた対象を、時には破壊するのが彼女である。だが、あくまで救護であるならば、それは発されることはない。

殺気。あのミネが、その場にいる全員を、明確に叩きのめすという意志を持ったという異常事態。

ミシリとミネの足元の床がひび割れる。後、数瞬で、彼女は会議室そのものを破壊するつもりで暴れ狂い出す。ハスミは、先ほどミネに一度発砲してから、片手に抱えたままであった愛銃を持ち直した。


「今、ここで…私が…!!」


だが、ミネの膨れ上がった殺気がそこで爆発するより前、ハスミはミネの後ろにその人影が突如として現れたことに目を見開いた。


「ミネ団長…。」


「っ!?」


「どこから入ったのです!?」


鷲見セリナ。救護騎士団団員の突然の登場に、ミネも、他の参加者たちも面食らう。彼女は既に涙が枯れ果てた乾いた瞳に、茫然自失とした顔で、その手に一通の手紙を大切そうに持っていた。


「ハナエちゃん、から、です。」


「………。」


セリナはその手紙をミネに差し出した。可愛らしい絆創膏の封止めのシールに、片隅に書かれた署名の字は、ぐにゃぐにゃと荒れていても、自分の後輩のソレだと理解できた。

膨れ上がっていたミネの殺気はしおれていき、暗い悲痛の色と、信じたくないと言う絶望が顔を覆っていく。


「読んで、ください。」


セリナのふるふると細かくふるえる指先から、そっと、ミネは手紙を受け取った。だが、それを受け取ったミネの指もまたどこかおぼつかない。アビドスの消印がされているその手紙の封を開ける動作は、一度手紙が開けられた痕跡があるのに、ひどく緩慢なものであった。

丁寧に三つ折りに折られた便箋の中には、かすかに固く、重みのある写真らしきものが包まれているようだ。

ミネは、ゆっくりとそれを開いた。


◆◆◆


親愛なる救護騎士団の皆さんへ


拝啓

お手紙がおくれちゃってごめんなさい!ハナエはげんきです。

祝福を受けたばかりの患者さんは暴れやすくって、大変だと思います。でも、団長や先輩なら、きっとうまく救護していますよね。

私は、ここで新しいことをいっぱいお勉強していたので、お手紙をかくのが遅くなっちゃいました。

実はですね、トリニティってホントにヒドい学校だったんですよ!!勢力争いとか!陰湿な所とか!責任のなすりつけとか!お勉強のおかげで、ハナエはそのことに気づけました!!

でも、そういった争いは、改めて己を見つめなおし、祝福を通して『改心』することによって、少しずつ正していけると知ったんです!!そしてそれをティーパーティーの皆さんたちもするつもりなんですって!!


トリニティは生まれ変わります!正義実現委員会も!ティーパーティも!シスターフッドも!皆、祝福によって改心し、より良い学校にまもなくなるのです


そのために、救護騎士団の皆さんはアビドスにさらわれていたのだそうです。大いなる計画のためのじゅんびにどうしても必要だったんだとか。


だからどうか、皆さんを許してください。

祝福を広めるための店を通した活動や、正義実現委員会が砂糖に関しては目をつむっていることも、全ては必要なことみたいです。


この計画実行のための道行は過酷で、多くの救護者が出ると思います。

そこで、是非皆さんにも協力して欲しいと思っています!

現在、こちらに来ている救護騎士団の皆さんで救護を行っていますが、少しでも多くの人員が必要なんです。トリニティなんかにしがみついていないで、ぜひアビドスに来ていただければ嬉しいです。


お体に気をつけてくださいね!



P.S.こちらの写真を送ります!疲れていますが、トリニティの明るい未来のために!ハナエは頑張っていますよ!!


◆◆◆


写真がある。

汚らしい病棟の一室が映っている。

ベッドの上に、最近いなくなった救護騎士団員が縛り付けられてる。

彼女は口から泡を吹き、目からは涙が流れており、写真の手前にいる人物に必死に首を振っているらしい。

ベッドの脇には、どっさりとアビドスの印が入ったサイダーの瓶がまとめておいてある。

手前にハナエが映っている。

目元に濃いクマができている。

目が疲れで落ちくぼんでいる。

笑みは顔がその形で引きつってしまったように不自然極まりない。

粗雑に包帯が頭や腕に巻かれている。

その両手にはチェンソーが握られており、既に何度も使われたのか、刃が摩耗していた。


狂わされた後輩の姿が、その写真にはあった。



ミネが手紙を読んでいる間。誰も何も口にすることはなかった。

ナギサとセイアはじっと手紙をよむミネを待っていた。

ハスミは紅茶に角砂糖を大量に溶かし、ゆっくりと啜っていた。

サクラコはまるで石像のように動かず、だが、時折目だけでちらちらとミネの方を窺っていた。


ミネは、手紙を読んでいる間。息継ぎすらなくそれを読んでいた。


そのミネを己の胸の苦しさを横において、心配そうに見ているセリナは、彼女の表情に気づく。


厳しさの中に、確かな慈愛がある。そんな彼女の顔が、手紙を読む中でだんだんと変わっていっていると。

それは憤怒ではない。殺気ではない。もっと、底冷えするような。しかし、ごうごうと燃える音がするもの。

最後に写真をチラリとミネが見た頃には、その色は彼女の顔を覆っていた。

丁寧な手つきで手紙と写真を封筒にしまい込み、ミネは席についている長たちへと再び顔をあげる。


「…質問をします。」


もはや温度すら感じない平坦な声。そこにあるのは、怒りではない。相手の間違いを正し、救護しようとする意志ではない。

憎悪の色。

心の底から見下げ果てているという、失意と絶望の色。


「ツルギ委員長はどうしていますか?」


「アリウスに置き去りにしてきました。邪魔だったのでしばらく迷っていてもらおうかと。」


「……。シスターフッドの情報網ならば、私たちとは違い、もっと早くから気づけたのでは?なぜ何も?」


「…気づいた時には既に遅かったのです。手の打ちようがありませんでした。」


「……。最後です。聖園ミカさんはどこですか?」


「檻の中で、しあわせな甘い夢を見ていると思いますよ。…それはそれは楽しそうに。」


「そうですか。」


くるりとミネは彼女たちに背を向けた。その背は、もはやこれ以上、彼女が言葉を尽くす気はないという拒絶に他ならない。

ただ、それでも一言だけ、扉に手をかける直前にミネは言葉をこぼした。


「また、戻ってきます。」


音を立てずに、扉は閉められた。


「……これでよかったのですか。」


海の底のように重い空気の中で、扉から目を離し、一番最初に口火を切ったのは、ミネのいる間、ほとんど口を開かなかったサクラコであった。彼女はとても悲しそうに、他の三人を見ている。

セイアは疲れ切ったように椅子にしなだれかかり、ナギサは気まずそうに眼を反らし、ハスミはティーカップに映る己の姿をじっと眺めていた。


「ええ、これで、いいのです。」


震える指でティーカップを持つナギサは、己に言い聞かせるようにそう言った。


「もう、トリニティは助かりませんから。彼女には、それをどうしても認識していただかなくてはいけませんでした。」


「私たちを殴り飛ばしたところで、もう、どうしようもないのです。」


「だから、トリニティが終わる時に、一つだけ派閥を残すために、彼女に白羽の矢が立っていると、察してもらうしかなかったのです。」


ナギサは薄く微笑む。その笑みは、ひどく疲れ切ったものであった。


「これで、ようやっと要求を満たせます。」


「…本当に、トリニティに瓦礫の山しか、残さないつもりですか。」


「私たちはもう、彼女を見捨てないと誓ったからね。そのためなら、何を差し出しても惜しくは無いよ。」


セイアの声に落ち着きはない。自分たちのしていることの重さをよくよく理解して、震えが止まる日はないのだろう。

ナギサは閉じられた扉をもう一度見ると、祈るように言葉をつづけた。


「頼みますよ、ミネさん。どうか、トリニティを…」




廊下を早足で歩いていくミネを、不安に満ちた顔でセリナは追う。初めて見る団長の表情に、どのように声をかけていいのかを、セリナは惑っていた。だが、それは彼女にとって幸福であったのかも知れない。少なくともこうしてまどっている瞬間だけは、可愛がっていた後輩の尊厳が滅茶苦茶に破壊されていたという事実から目を反らせていたのだから。

…それほどまでに、ミネの雰囲気は常ならざるものであった。危うさを隠しもしない、刺々しい空気を彼女は纏っていた。


「セリナ。」


「…はい。」


ミネの乾いた声に、返事を返す。彼女が何を言い出すのか、それがセリナは恐ろしかった。


「私は。無能な団長です。」


彼女の声はわずかに震えている。


「救うべきものを、必要な時に救えず。大切なものを、失い。」


足は止まらない。


「のうのうと生かされていることにすら気づけず。」


彼女の制服に、顔から振る粒で、シミが出来ていく。


「もはや、すべてが手遅れになってから、彼女たちにするべきことを促されました。」


「団、長…?」


セリナは恐ろしかった。彼女がその先に口にしようとしていることは、あまりに恐ろしいことな気がした。彼女には到底似合わないことである気がした。だから、言わないで欲しいと、そう止めようとして、声を振り絞ろうとした。

だが、その声は、ミネがその背に纏う空気に気圧され、出されることなく掻き消えた。

ミネは、低く、暗い覚悟のこもったその言の葉を吐いた。


「私が、トリニティを、壊します。」


その日、救護騎士団はトリニティを出奔した。










それから数日後。トリニティのアビドス併合のニュースがキヴォトス中を駆け巡る中。


その少女は、バイトでとある兵器工場を偶然襲撃していた。オフィスから情報を盗み出す彼女にとっては難なくこなせる部類のミッション。そうして、手に入れたとある購買記録を送信するその前に目に留まった情報に、顔をしかめていた。


「コレは…どういうことだ?」


首を捻る彼女は、その情報の不可解さと同時に、妙にイヤなデジャヴに似た感覚を覚えていた。


「なぜ…救護騎士団が、武器を買っている?」


いかめしいマスクが特徴的なその少女は、少し考えた後、とある人物にメッセージを送信する。


「…トリニティで、何が起きているんだ、先生?」


彼女の名は錠前サオリ。かつて、トリニティを滅ぼそうとした、アリウスの一員である。



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