ミゼラブル・1

ミゼラブル・1


トリニティの救護騎士団詰所。

普段であれば整理が行き届いているのだが、書きかけの書類や開いたまま置かれ、積み上がった医療参考書、脱ぎ散らかされたパーカー、まとめられずにいっぱいになってしまったゴミ箱等、非常に雑然とした印象を受ける場所になっていた。

そんな中で、誰かの枕が置かれたソファーとその前の机には、どうにかスペースが確保されている。


「つ、疲れました~…」


「はい、ココアです。ハナエちゃん、今日もよく頑張りましたね。」


「ありがとうございますセリナ先輩。ここ最近、患者さんがいっぱいでもうへとへとです~。」


そこにちょこんと座り込む生徒が二人。

紫色の髪にツインテール、絆創膏をモチーフにしたアクセサリーが特徴的な生徒は、ぐってりとソファにもたれかかって息を吐いている。

もう一人の桃色の髪をサイドテールにし、ナース服風の制服をきっちりと着た生徒は、テーブルに二人分のココアを置くと、ソファで延びている生徒に微笑みかけた。

朝顔ハナエ、鷲見セリナ。救護騎士団員である。団員として普段から積極的に活動している二人の顔には、疲労が見え隠れしていた。


「最近は要救護者がとても増えましたからね…。」


「団長のようになぐ…救護しないといけない患者さんばかりで疲れちゃいます~。」


「なんだか、トリニティの治安が悪くなってる気がします。正義実現委員会の皆さんでも対応しきれないぐらい毎日事件が起きてますし。すぐに確保はしてくれますけど、取り押さえるのが大変ですし…」


詰所が二人きりでこの有様な原因の一つがそれであった。

トリニティにも正義実現委員会という治安維持組織があり、救護騎士団という医療従事組織があり、自警団まである以上、キヴォトスらしい犯罪自体には事欠かない。

だが、それでも、毎日こうして片付けをする暇もないほどの忙しなさではないのだ。ひっきりなしの救護要請が鳴り響き、トリニティをあちらこちらに駆け回るような忙しさなど、なにかよっぽどのことがないとそうはならない地区なのである。


「流石に最近のトリニティはなにかへん…ですよね?先輩。」


「えぇ。ミネ団長もいぶかしんでいらっしゃいました。ただでさえ救護活動でお忙しいのに、最近は各団体の方々ともよくお話しされています。トリニティに悪い空気を流行らせている元凶がいるのではないか…とのことで。」


「はえ~、流石は団長ですねぇ…ならこんな時こそ、私も頑張らないと、ですね!」


ココアをすすりふんすと気炎を上げるハナエをセリナは微笑ましそうに眺めた。

まだ治療につたないところや、思い込みの激しさはあるが、どんな時でも健気で、ひたむきに治療に当たる彼女の熱心な思いこそ、なによりも患者を癒しているのだろう。

先輩として、思わず目じりも下がってしまう。


「ええ、そうですね。ハナエちゃん。団長のようにとは言いませんが私達にもできることを精一杯していきましょう。」


「はい先輩!…あ、でも……」


そんな疲れながらも元気のよかったハナエの顔が、何かに思いあたった途端に、しゅんと落ち込んだものに変わってしまった。セリナも少し心配そうに先を促す。だが、なんとなくその思いあたった事項がなんなのか、彼女は察していた。


「いなくなってしまった仲間達の分も頑張らないと、ですよね…」


「……。」


詰所の散らかっている原因のもう一つ。それは救護騎士団の人員が数人とはいえ減っていることであった。

『いなくなってしまった仲間達』。ハナエの言葉に、セリナは鎮痛で複雑な顔をする。ここ最近の治安の悪化にあわせるように、救護騎士団からは人員が減っていっていた。


「皆さん、お元気ではいるみたいですけど。…やっぱり心配です。」


ちらりとハナエはテーブルの上、ココアの置かれたスペースの周りで重なった数枚の紙束を見る。それは、手紙だ。消印はなく、ただ救護騎士団に向けての宛名と、署名だけがされている。


「ええ…ミネ団長もこの件が最も胸を痛めていらっしゃいます。この奇妙な失踪は、いったいどういうことなのでしょう……」


失踪。ここ最近、救護騎士団から人員が減少しているのは、激務に耐えかねての退団や、過労によるダウンではなかった。普段からミネという苛烈極まりないトップについていく団員はちょっとやそっとのことではへこたれない。故に、この減少は団員の失踪が相次いでいるという異常事態によるものであった。

だが、この失踪には奇妙な点があった。


テーブルにまとめられた手紙達は、すべて、その失踪した団員達から送られてきたものなのだ。


セリナは何度も読み返され、封の緩くなった一枚の便箋を手にとった。

手紙に書かれている内容の多くは謝罪である。

『自分は無事である』『唐突に姿を消したことを許して欲しい』『どこにいるかは言えない』『だが、ここにいるのは自分の意志である』『救護の信念を胸に頑張っている』『また手紙を送る』『会いたい気持ちはあるが、今はやるべきことがある』『私のことは気にせず、救護騎士団としての活動を続けてほしい』…

場所や具体的な内容はどこかぼかすような近況の報告から読み取れるのは、彼女たちがどこかで、救護にあたっているということだけであった。


消印のないその手紙達は、団員が失踪してから数日後に、確かに救護騎士団に届けられる。筆跡は間違いなく本人のもので、時にはどこでとったのかわからないが、写真が送られてくることもあった。続けて何度も送られれば、無事である…ということを信じる他ない。


「手紙はいつも気づいたらトリニティ行きの郵便物に混入しているそうですし…なにより、皆さん一人、二人と失踪しだしてからは夜道には充分に注意して、決して生徒一人で行動しないようにしているのに…」


考えれば考えるほど、セリナの心には悪寒が降り積もっていった。

今のトリニティ全体に漂っている不気味な空気。不可解な失踪事件、相次いでいる暴動、トリニティの皆が、それらに対して必死で対応し、事態の解決を図っている。その筈であるのに、未だにその原因がイマイチはっきりとしていない。少しでも謎を探ろうとすると、目の前にあることにかかりきりにならざるを得ず、気づけば謎の糸口になりそうだった出来事が、蜃気楼のように消えている。

一言で言えば、気味が悪いのだ。まるでトリニティそのものがゆっくりと蟻地獄に滑り落ちていっているのに、誰もそれを口に出さない。そんなイヤな空気が漂っているような気がしてならなかった。


「ハナエちゃん、よーく気を付けてくださいね。」


「えっ、あっはい!」


思わず、セリナは隣に座っている後輩の方を向き、ずいと顔を近づけた。セリナの言葉に同じく不安そうな顔になっていたハナエは、一瞬びくっとした後、どこか気恥ずかしそうに顔をこわばらせながら返事をする。


「ハナエちゃんがいなくなったら、患者の皆さんもとても悲しいと思いますから。」


「は、はい。」


「ええ。今みたいな時こそ、ハナエちゃんの笑顔は、皆さんを助ける薬になりますよ。」


「え、えへへ、えっと…はい…」


どこか声の裏に不安な気持ちをにじませながら、じりじりと近づき心配と激励をしてくるセリナに、ハナエの顔は徐々に恥ずかしそうな色が増えていく。


Ppppppp!


「あっ!」


狭いソファの隙間で狭まっていた二人の距離は、鳴り響いた着信音によって弾かれた。セリナがスムーズな動作で携帯を取り出して電話に出る一方で、ハナエはどこかほっとしたように息をついた。


「…はい……はい。承知しました。では……。ハナエちゃん、出動です。詳細は連絡網を確認してください。人員不足なので、一人で別の場所に出動してもらうことになりますが…お任せしますね?」


「はい先輩!ハナエ!救護が必要な場に救護を届けて見せます!」


「はい、行きましょう。」


ソファから立ち上がった二人は慌ただしそうに詰所から飛び出していく。

その直前で、セリナはちらりと先ほどまで使っていたテーブルの上を見た。空になったマグカップが二つ、そこには寄り添うように並んでいる。

片付けるのは、帰ってきてからでもよい。今は一刻も早く患者の元に駆けつけなくてはならないのだから。

そう思い、セリナは先へとバタバタと走っていっている後輩の背を追いかけた。




「…これは、間違いないですね。」


パタリとファイルをミネは閉じた。

トリニティに異変が起きている。急激に増加する暴動事件。少しずつ、だが確かに続いている生徒の失踪。確実な治安の悪化。

その解決のため、ここ最近のミネはいくつものアプローチを実施していた。

まずは、各組織への情報収集と協力の呼びかけ。ティーパーティー、風紀委員会、シスターフッド…かつての一件での反省を活かし、トリニティに確かに訪れている危機に、積極的ではないものの、協力関係を存外スムーズに築けているのは重畳であったといえる。だが、これはあまり芳しい結果を産んでいなかった。

唯一わかったのは、何者かがトリニティで暴動を先導しているということだけである。


「ミネさん。今、救護騎士団には非常に負担がかかっているとは思います…ですがどうか、生徒達を救ってあげてください。このような現状…とても受け入れられるものではありませんから。」


「私の勘でも、敵…そう、今トリニティを暗雲で覆わんと導く存在は敵と呼ぶに相応しい。その手がかりすら掴めていないんだ。相手はどうやらよっぽど雲隠れが上手いらしい。対処療法しか出来ず、結果君たちを擦り減らしているのは、私としても不本意だよ。…それでも、耐えてくれと、お願いするしかない。」


悔しそうに歯噛みするナギサの表情や、悲しそうに目を伏せるセイア。


「ミネ団長。正義実現委員会は、断固として正義を貫くつもりでいます。…今、トリニティを呑み込もうとしている敵はただならぬ相手です。道中、多くの委員たちが傷つくでしょう。…あなた達がいれば、私たちは安心して戦えます。…信じていますよ。」


決意を込めた目で、こちらを見た旧友。


「どうか、無茶はしないでください。…シスターフッドですら、それが誰であるのか。具体的にわからないのです。どうか、どうか。いつものように、気を逸らせ、最悪の展開になることだけは避けてください…。」


何か祈るように、心配してくれたサクラコ。


どの組織の長たちも、己にできる事をしつつこちらが任を果たすという信頼を向けてくれている。

それに私が返す言葉があるとすれば一つだ。『救護が必要な場に救護を』ただ、それを貫くのみだと。


ミネは先ほど閉じたファイルを眺める。そこに入っているのは、ここ最近、救護を行った対象達、その内、暴動を起こした生徒達のカルテであった。

それは、もう一つのアプローチ。暴動を起こした生徒に、「どのような症状がでているのか」から、その原因を探るものだ。

正義実現委員会はこの事態解決に非常に積極的で、暴動生徒達の取り締まりは徹底していた。事件が起きれば、すぐさまにでも現れて、犯人たちを一斉に連れて行く。制圧も速く、救護騎士団による治療の機会もわずかしかなかった。

しかし、犯人たちへの尋問の成果は、今のところでていないそうだ。


故に、こちらが知っているわずかな診察の情報から、推測を繋ぎ合わせた結果、ミネは一つの診断を下した。


「…これは、何らかの薬物の副作用です。」


自分で下したその結論に眩暈がする。これでは、このトリニティでドラッグが蔓延している可能性が高いということになってしまう。

いや、暴徒達にはトリニティ生でないものも多かった。ならば、キヴォトスのどこかにドラッグの温床があることになる。

どちらにせよ、この結論から感じられるのは凄まじい悪意だ。あまりにも根深い悪意が無くては、これを利用して、トリニティという学校へと攻撃をしかけるなど考えつかない。


「急がなくては、いけませんね。」


この診断結果を出すという行為をもっと速くにしておけば、対策の打ちようもより幅広かったはずだ。だが、暴動を起こした生徒のサンプルは少なく、救護活動に謀殺されていた。このファイルの閲覧すら、救護騎士団の車両に揺られながら行っている。車窓の外はすっかり夜になり、運転を任せている団員も度重なる出動で眠たげな様子であった。


「すぐにでも皆さんを集めましょう。この情報を速く伝えなくては…ヘタを打てば、救護対象が増えるばかりになってしまいます。」


この対策を打つには、組織的、かつ大体的な喧伝が必要不可欠だ。幸い、協力体制はできている。すぐにでも、連絡をいれて…


「……。」


急ぎ、メールを打とうとして、ふと、ミネの手が止まった。

何か、違和感がある気がする。直感にも似たソレが、彼女の指を止めた。

それはおそらく、ミネがこれまで繰り返してきた行動から来たもの。

『救護対象』を見逃しているのではないか?という危機察知にも似た、直感。

誰か、何かを忘れている気がする。救護が必要な人物がいる気がする。


後一歩、あと少しで、そのぼんやりとした影が、身を結びそうになって。


「…!…はい、どうしましたセリナ。」


後輩から掛かってきた電話に思考は遮られてしまった。報告か、指示か。どちらにせよ、優れた救護の腕前を持ち、落ち着いて、揺るがぬ意志で、なすべきことをなせる後輩である彼女が、このような夜更けに電話をしてくるなら、迷わずでるべき事項であると、ミネは判断していた。


『だ、団長っ…団長……!』


「?、どうしたのです。セリナ!?」


だが、受話器越しに聞こえてきたその声が、彼女らしからぬ震え声と嗚咽の混じったものであることに、ミネは慌てざるをえなかった。普段のセリナからは考えられぬ程の狼狽が、声からは感じられたのである。同時に、胸の中の緊張度を数段階はね上げる。ただならぬ事態が、起こっている。


『ハナエちゃんが………』


「……ハナエが。」


顔が歪む。セリナの反応と出された名前に、最悪の予想が、胸の中で結びつく。


『消えちゃい…ました……。』


「っっ………。」


夜の路を行く救護騎士団の車両の速度が、ぐんと上がって、道をかけていく。

街の明かりでちらちらと照らされる車窓から覗く、ミネの顔は、やるかたない怒りに溢れていた。


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