ミゼラブル・決別篇9

ミゼラブル・決別篇9



——ブラックマーケット地下街


ブラックマーケットの表が違法と脱法と合法のマーブル模様だとするならば、その裏は完全な漆黒である。ここで行われることに、誰も目を向けるべきではなく、ただその成果を受容するだけにとどめるべきだとここを利用するモノたちは考えている。

無能なヴァルキューレが介入できるわけもない。稀代の犯罪者達とて、ここに手を出す理由はない。暴力と報復を恐れるならば、誰も逆らうわけがないのだから。


だが。


「相変わらず下衆な臭いがここは満ちていますわね。」


そのような娑婆いことなど気にかけない女が一人。


「うーん、久しぶりに戻ってきたが変わらないねぇ、ここは。およそ最低の場所だよ。」


そのような権威など鼻で笑う女が一人。


「二十と三。二十と三人です。コレは私を慕う可愛い妹達が身持ちを崩した数ですわ。」


「教授に前々から進言はしていたのです。ブッ込みの機会をくださいと。ですが、時を待ってくださいの一点張りでして。」


「それに、あなた一人では自殺行為だとその妹たちからも必死に止められておりましてね。お陰でここ最近、非常に、非常に鬱憤が溜まっておりましたの。」


「ちなみにブチ切れているのは何も私だけではありませんので。…ダチ滅茶苦茶にされてキレねぇスケがいねぇわけがねぇでしょう!!」


「スゥーッ…ハァッー!!行きますわよ!貴方達!!」


「「「ウオォォォォォッッ!!!!!」」」


スケバン達が怒号を上げてなだれ込む。先頭に立つ彼女は独特の呼吸をし、雄叫びをあげながら、その進行上にある全てをなぎ倒していく。


「うるさいなぁ、ずいぶん昂っているんだねぇ。」


「あぁ、私は別に功罪はどうでもいいよ。流石に今の矯正局にいても意味がないと思って勝手にでてきて、ここにいいサンプルがあると教えられたただの脱獄犯だからね。」


「…なあ、私はこう見えて薬の調合が非常に得意でね。」


「症状を弄るのは十八番なんだが…どうして私の解毒薬が症状の緩和しかできていないんだと思う?まあ、こんな雑な環境で好き勝手投与をしているだけの智恵者気取りの君達は知るわけがないか。」


「この時点で、仙丹の完成には関与しない失敗した実験だとして放棄しても全く構わなかったんだが…。」


「…この随分と悪意に満ちた何かを解決することを諦めずに取り組んで見るのも、いいかと思っているんだ。」


「だからさぁ…教えてくれないかな?重篤な症状の生徒達がいる、君達の拠点。ほかにもあるんだろ?私ならそのデータを有効活用できる。売ってあげてもいい。」


「何もかも、せっかくの研究成果が彼女たちに壊されるよりはいい…そうじゃないのかね?」


「「「~~~~~~~””!!!」」」


地面に転がされたマフィアのロボット達が声にならない悲鳴を上げながら指し示す方向に、ガスマスクをつけた彼女は去っていく。時折思い出したようにまき散らすガスを吸わされたロボットたちは次々と地に倒れ、弱っていたスケバン達には活力が戻っていった。


その日はブラックマーケット最悪の日と語られるようになった。

大量に発生した覆面水着団による多数の銀行への同時多発的暴動被害。

災厄の狐による大規模かつ徹底的なインフラの破壊。

慈愛の怪盗の相次いだ目撃情報と情報の混乱。

伝説のスケバンのカチコミによる地下の壊滅的被害。

五塵の獼猴によるガスを用いたバイオテロと生徒の誘拐。

七囚人たちが一日の内に狙ったように一気に押し寄せたその犯罪被害は、ブラックマーケット内に一日にして内戦が起きたかのような状況を起こし、その経済と内部の権威に多大な影響を及ぼしたという。


「そのあとはなぜか、『砂糖非推進派』のマフィア達の権力が増したそうですよ、先生。運良く被害が少なかったからだとか。」


「そういえば、あの時ブラックマーケットにはあの『ファウスト』がいたというじゃありませんか。」

「恐ろしいですね、このような大規模犯罪を犯してみせるとは。実際、ブラックマーケットでも彼女の名がますますとどろいているそうです。」

「彼女に目をつけられていたという反社会的組織もすっかり大人しくなったそうです。しばらく他学校に進出などは考えないのではないでしょうか?」


「是非お会いしてみたいものですね。ファウスト。できればご友人になりたいぐらいです。」


「…ご期待に添えましたか?」


「では、またいつかお会いしましょうか、親愛なる先生。」


キヴォトスのどこか、金髪の少女はそう言って安楽椅子の上でコロコロと鈴がなるように笑い、電話を切るのであった。



「そうです。アズサさん。動かさないで、ゆっくりと回復体位をとらせてあげてください。先ほどから嘔吐が激しいですから。下手な向きにすると窒息してしまいます。」


「ヒフミさん、落ち着きましたか?友人の有様にショックを受けたのはわかりますが、今は私の指示に従ってください。見ての通り、私は動けないので。彼女が死体になるかどうかはあなた次第です。覚悟を決めて。…そうです、その調子で。」


「あぁ、カヤさん。アリスさん達を連れてきてくださったのですね。ありがたいです。流石にもう喋るのも疲れてきました。後はミネ団長の指示に従ってください、適切に救護してくださるでしょう。」


「私は…少し、寝ます。」


「私の死体の処理も…よろしくお願いしますね?」



「セナ!しっかりしてください!!死んじゃいやです!!」


「ふふ、…ジョークです。…まあ、そんなことを言っていないと本当に死にそうなぐらい痛いのですが。」


アリスとミネがリオの案内で駆け付けた現場には、地に並べられ、アズサとヒフミに治療されているアビドスの三人がいた。

彼女たちを最初に裏路地で発見した時、彼女たちはヘルメットを被り、新生アビドスの校章が入れられたパーカーを羽織っていた。それはいわゆる最近アビドスに入学したという印であり、そういった類の生徒は、それらの装飾品以外には、前からの学校のモノを流用していることが多い。

地に並べられた彼女たちのパーカーの破片らしきものが周囲に散らかり、叩き壊されたヘルメットは脱がされて地に転がっている。よく見れば、彼女たちの身に着けている服は、トリニティの制服の一種であるようであった。


「目を覚ましてください…なんで、なんでこうなっちゃったんですか!アイリちゃん!!」


「げふっ…ごほっ…あ、、やっぱりヒフミちゃんだ…ひさしぶりだね…げんきだった…?」


ヒフミはそのうちの一人に涙ながらに必死に呼びかけながら包帯を巻いていた。その声にうっすらと目を開けた生徒はつかれきったような、なつかしむような、深い絶望の底にいるような悲しい声で、友人の名を呼んだ。


「…こんなはずじゃなかった。なんでよけいなことしたしたのよ、アンタ…おかげで…ぜっこう…できなかったじゃない……」


「あは…ふひっ…っへへへっ…ふへ……」


顔を手で覆った三人の中で一番小柄な少女が涙ながらに、力の入らない声でそういい、横に並んだ眠たげな目の少女はひきつけのように溢れ出る笑いが抑えられず、しかし、ぼとぼとと地に涙を落しながら、恨みがましくセナを見ていた。


その三人よりも、セナは重症であった。全身に擦り傷ができており、至近で爆発をくらった後もある。瓦礫を背にしてもたれかかっているのは、動かないのではなく、その場から動けないからであることは明らかであった。


「死体は死体。怪我は怪我。そして私は医療者です。それ以上に何か?」


「…それでも、何が起きたのかは、詳しく聞かせてくださいね。セナさん。」


胸につまるものをぐっと堪えてかけよるミネに、うっすらと笑みを返して、セナはその意識を手放していく。


「(あれ、前もたしかこんなふうに気を失いましたっけ。)」


「(まあ、でも、今度は)」


「(……を護れたでしょうか。)」


「(………。)」



「クソッ……!」


走る影がある。煙と火と喧騒が未だに立ち上るブラックマーケットを、しなやかに交わし、避けながら走り抜けていく影がある。

悪態をつきながら走るその身体に大きな傷はない。血も垂らしてはいない。だが、不思議と敗走の二言がそれには似合った。


「なんなの…なんなのよッ!!」


彼女の怒りの籠った言葉に近くにいた生徒がビくりと身を震わせ、銃を取り落とした。ギロリと影の中の瞳がそちらに向き、生徒は縮みあがる。

目の前にいるその影は、実に刺々しい風体をしていた。フードを深く被り、前が開かれたパーカー。趣味の悪い柄の入ったマスク。ところどころに巻きつけられたままの包帯。一件よくいるスケバン風に見えて、その身に纏っている空気のヒリヒリとした危険性が、彼女が単なる不良生徒とはとても言えなくさせている。


「…アビドス生?」


「ヒッ…!ちが、っ違います!私っ、今日はどこでも戦ってるから怖くてただ逃げて来ただけで……」


人波を交わしながら猛烈な勢いで駆け抜けていったその影は、気づけば路地裏の方へと駆け込んでいた。どうやら、その生徒はそこで震えていたらしい。


「…とっとと消えてくんない?」


「は、はいっぅ…」


銃口を向けられ、すごまれた生徒が慌てて銃を拾い上げて去っていく様をじっと睨みつけていたその影の瞳に、生徒がバタバタと慌てて逃げていく中で、ぽろぽろと落していったものが目に入った。


飴玉だ。ライトグリーン、ホワイト、レッドのポップな色合いで一つ一つパッケージングされている。


影は、それを心底鬱陶しそうに粗雑に蹴り飛ばし、視界から消した。


「…甘い物なんて大嫌いだ。」


「…みんな、みんな、だいっきらいだ。」


嫌悪を隠せぬ声音で、路地裏で一人つぶやく彼女の頭上の猫耳は、力なく垂れ下がっている。

彼女の名は杏山カズサ。

かつてキャスパリーグなどと呼称された不良生徒で、放課後スイーツ部の一員だった。

今の彼女の傍らには、何も無い。全てが恨めしい、憎たらしいとでもいいたげに、ブラックマーケットの薄暗い路地裏を空虚に睨んでいた。その視線の先には、もう逃げていった生徒すらいない。表通りにはまだ火の手が上がっており、裏路地の影をより濃くしている。黒を基調とした服装のカズサは、今にもその影に溶けていきそうで、目だけが爛々と光っている。


カズサはふっと視線を落とした。視界に自らが蹴り飛ばした飴玉が入る。裏路地の埃と砂に塗れて、既にもう、それは口に入れるに値しない物体になった。カズサ自身がそうした。


…いつの間にかしゃがみ込んで、カズサはそれに手を伸ばしていた。触れようとした直前で、はたと指が止まっていた。


瞳からは、先ほどまであった光は消えていて。ただ、虚しさだけが残っていた。


「…”     ”」


喉の奥から細く漏れた声は、声をだした彼女本人にすら聞き取れない。ただ、フラフラと力なく立ち上がると、カズサは闇に消えていった。



悲劇は、未だ止まない。



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