ミゼラブル・決別篇8

ミゼラブル・決別篇8


ワカモの救護は完了し、彼女は地に倒れている。そのすぐ側で、アリスの腕にミネは包帯を巻いていた。

彼女の小さな手と細い腕は、ミサイルという熱源を至近で握ったことで赤く擦り剥け、火傷もできている。アリスに自らが傷ついたことを気にする素振りはない。だが、ミネがそっと傷に触れれば、痛そうな顔を流石にした。


「アリスさん…改めてですが、助かりました、ありがとうございます。…ですが、無茶をしすぎです!もう少し、自分の身体を労わってくださいね。あまり弟子が無茶をすると師匠は心配ですから。」


「あう…ごめんなさい……なら、アリスは、師匠が安心できるぐらい、強くなってみせます!今度はミサイルを着弾前に撃ち落とします!目指すは発生4Fの対空…いえ、この場合は飛び道具の相殺でしょうか…。」


「…お互いに精進していきましょう。よし、これで大丈夫です。さ、ヒフミさん達を追いかけることにいたしましょうか。」


「はい!…あ、ワカモはどうしましょう…。」


「ふむ、放置していくわけにも参りませんし…どこか建物の影にでも…」


『ちょっと待ってちょうだい。…ええ、場所はここよ…二人とも、少し待っていてくれないかしら。彼女を預かりたいと言っている人が近くまで来ているの。』


「そういえばリオはアリスを手伝いながら誰かと話をしていましたね?カヤ達のサポートをしているヒマリですか?」


”私だよ。”


「わあ!先生!!」


悪い足場にふらつきながら、穏やかないつもの笑みを浮かべて声をかけてきたその人物の登場に、アリスは両手をあげて歓迎し、自慢げに胸をはった。


「アリスやりました!師匠と共闘して、災厄の狐を救護したんです。ヒーラー系勇者としてボスを倒したんですよ!」


”…そっか、ありがとうね、アリス、ミネ。”


「いいえ。私達はなすべきことをなしたまでです。…そういう先生はよくこちらにこられましたね。今の災禍真っ只中のブラックマーケットに突入するのも危険でしたでしょうに。」


”ちょっと目的地が同じだった心強い生徒がいてね、その子に送ってもらったんだ。”


「ふむ…とりあえず、リオさんの話ででてきた災厄の狐…ワカモさんを預かりたいのは先生。ということでよろしいのですね?」


“うん、彼女も大切な生徒だからね。”


“ここにあるものを探して欲しいと頼んだのも私だし。”


“ここまでの規模になった責任は私にある。”


“少し、二人で話してくるよ。”


そう言った先生は、ワカモを優しく背追い上げると、少しふらふらとしながら立ち上がった。


“二人とも、本当にありがとう。ワカモを救護してくれて。”


「…先生。私たちにできたのは、彼女の行動をうち壊すことのみです。彼女を癒す救護は、あなたにしかできないと私は思います。…どうか、お願いします。」


「はい!先生はマスコットポジションですから!癒し能力は抜群ですよ!」


“はは…頑張るよ。…二人も頑張ってね。”


「お気をつけて!」


ワカモを背負ったまま、軽く手を振って去っていく先生を見送り、身支度をすませたミネとアリスにドローンから声がかかる。


『…三人には無事追いついたそうよ。怪我人もいるからその場で簡単な応急処置をしているらしいわ。装備のあるあなたたちも早くいくべきね。場所はココよ。』


「わかりました!アリス、現場に急行です!」


「ええ、あの三人の救護はまだ済んでいませんものね。急ぎましょう。」



目を覚まして感じたのは頭の下のぬくもりと、心温まる匂い。なぜだか私の心は安らいでいて、不覚にも打ち倒されたというのに、飛び起きる気にはなりませんでした。そっと瞼を開けた私の顔には、光を遮る影がかかり、私を誰かがのぞき込んでいます。


”おはよう、ワカモ”


「あ、ぁぁあなた様っ…!」


その影が愛しいあなた様であることがわかった瞬間、私の意識は心臓が破裂したような衝撃と共に覚醒いたしました。跳ね起きようにもあなた様を押しのけて体を起こすことができるわけもなく。呆気にとられて目を見開いたあと、慌ててごろりと顔と身体を横にそむけることにいたしました。

だって、あなた様がとても心配そうな顔で私の顔をとっぷりとのぞき込んでくるのですもの。気恥ずかしさと申し訳のなさで目など合わせていられるわけもございません。

どこかの人気のない公園の景色が私の前に広がっています。この様を見られることはないという意味では大変よろしいことです。…二人きりというのはますます恥ずかしくも思えますが。


”硬いベンチでごめんね。ちょっと休憩のつもりで…膝まくらはやりすぎだったかな?”


「いえ、そんなことは!…あ…その…も、もうしわけありません…ワカモは…やりすぎ、ましたよね?」


口をついてでたのは謝罪。あれから私の傍に先生がいらっしゃるということは、私は失敗したということです。あなた様にこれ以上負担を増やしたくないというその一心でしたのに、こんな風に寝かしつけられてしまうとは。


「つい昂ってしまったと申しますか、張り切ってしまったのです…ですので!この件について、あなた様が何か、責任を感じる必要はございません!あくまで、私の独断専行なのです。どうしようもない私のサガに結局抗えなかったワカモが悪い生徒というだけなのです!なので、その…」


あぁ、みっともない。目を合わせることもできず、涙ながらに弁解して、あなた様の膝を枕に縮こまる。あなた様が責任を感じる必要はないのだと。私は、あなた様に迷惑をかけるつもりはなかったのだと。

だから、どうか、悲しい顔をしないで欲しい。私を嫌いにならないで欲しい。そんなワガママな感情があふれかえってきて。


”…ワカモ”


あなた様の優しく私を呼ぶその声が、それらすべてを見透かしているとわかってしまって、ますます情けないのです。


”私のために頑張ってくれたんだって、わかってるよ。”


「っぅ……」


”…ニヤニヤ教授に、会いに行ってきたんだ。”


意外な人物の登場に耳を疑い、思わず、横に向けていた視線を上方向に少し戻します。先生はすでに私の顔をのぞき込むことをやめて、正面に広がる景色を眺めていました。人気のない公園は、火の煙も、叫び声も無い。どこか遠くを思うにはおあつらえ向きな景色です。…ああ、ここはあの公園です。失意に沈んでいた先生と、私が出会った、あの公園。


■ 


「ま、こんな所にいたしましょうか?商談ごっことしては65点。ですが、まあ、妥協するといたしましょう。早速とりかからなくてはなりませんしね。」


「しかし、あなたがここまで粘るとは思っておりませんでした。随分と『生徒を守る』ということに熱心なことで。」


「…ほむ。」


「その熱心さに免じて、犯罪コンサルタントとしてお一つご忠告を。」


「一番最初に狐坂ワカモの話をいたしましたね?」


「あなたの言う通り、彼女はもう恐ろしくはないのかもしれません。」


「ですが、”危うさ”という点で言えば、彼女は以前よりもずぅっと危険だと私かねてより思っているのです。」


「なぜって?」


「ほむほむ。」


「気づいていないとは言わせません。」


「それは炎、熱、高鳴り。世界を一色に染め上げて、それ以外は塗りつぶす。とても美しい絵空事。」


「恋する乙女の熱情ほど手に負えないモノはありませんよ?先生?」



”裏で何が起きていたか、彼女から聞いたよ。”


「ぁっ……。」


先生の言葉に少し先生の方を向いていたワカモの目線が再び下がった。先生は少し目線を下げてワカモの頭を見ながら少し自嘲気味に話しかけた。


”ここで、ワカモには、情けない所をみせちゃったよね…”


”生徒に信じてもらえないほど、頼りなかったかな。”


「それは…!」


ワカモはその言葉に身を起こした。そのまま先生の膝に手をつき、彼女の愛するその相手を見つめながら、涙ぐんだ瞳で言葉をこぼしてゆく。


「いいえ、いいえ!あなた様は大変努力しています!苦しんでいます!私が心許せるお方だと、そう思っております!だからこそ…私は…!」


”ありがとう、ワカモ。…あのね。”


一瞬言葉につまり、胸の内からあふれ出すソレをまたこぼしそうになる彼女を制するように、先生はしっかりと彼女に言葉を言い切っていく。


”ワカモは、もう、独りじゃないんだよ。”


”私がいる。”


”ワカモを想ってくれる誰かが、きっといる。”


”生徒が独りで泣いているなら、それがどんなことでも、先生は手を差し伸べたいんだ。”


“君が泣いていると、私も悲しいよ。”


「先、生…私は…」


狐坂ワカモの胸に感情が去来する。それは恋ではない。炎ではない。あなたに惹かれている。けれど、それ以上に。こうして、あなた様に語り掛けられて、その下にあった思いに初めて目が向いた。


「私、寂しかったんですね。」


寂しさへの自覚。誰にも思いと感情を共有できない。苦しみを共有できない。この悲しみを理解してくれる人がいない。

だって、初めてのことだったから。誰かを思って、こんなにも心乱れて苦しくなるだなんて、これまで知らなかったから。


「ねぇ、あなた様。私、頑張ったのです。あなた様にもう苦しんで欲しくなくて、悲しんで欲しくなくて。少しでも、あなた様の目に映る世界に邪魔者が減ってほしくて。」


「…けれど、全然スッキリいたしませんでした。いつものように浮かれてみても、気が晴れないのです。」


「そもそも、それでは埋まらないのだから当然だったのですね。」


ワカモは小さく、けれどおかしそうに笑った。そのまま少し、先生と見つめ合っていたその顔が下を向く。

先生の手が少し迷うようにわずかに動いた。うつむく彼女の頭に、そっと、ゆっくりと手が伸びていく。


「ですので!」


ガバリと勢いよく上がったワカモの頭に思わず先生の手が引っ込んだ。ワカモの目は先ほどまで涙を流していたせいか爛々と光っていた。いや、それにしてはなんだか少し危険な輝きを孕んでいる気がする。


「私も、その、今からあなた様に甘えてこの寂しさを埋めていただいてもよいでしょうか…!」


ワカモの顔は真っ赤だ。なんというはしたないことを言ってしまったのだとでもいいたげな恥じらいがそこにはある。が、力がやけに入ってしまっているのか、先生の膝に置かれているてがぐりぐりと突き刺さっていた。


「色々と噂だけは聞き及んでいるのです!先生が生徒にしてくださったというアレやコレや!」


「自分の立場に自覚はございますので、そうそう気軽に近づいて良妻面などできませんでしたが…」


「折角のこうして合法的にあなた様のお側にいられるまたとない機会ですのでっ…!」


「頼らせていただいてもよろしいですわよねっ…!」


”ちょ、ちょっと、ワカモ!?甘えるだけだよね!?”


そう、初めての感情と言うことは、ワカモにとってその処理方法もよくわかっていないということ。それにこうして先生と至近距離で、あまつさえ体を触れながら二人っきりであるという状況に、冷静になってワカモは気づいてしまったのだ。

結果、オーバーフローを起こした。大きく身を乗り出した結果、ベンチの上で先生の状態は大きく倒され、ワカモはそれにのし掛からんばかりだ。押し倒し寸前である。


「ええ!えぇ…まずはぁ…そのぉ…あぁん!恥ずかしいです!こういうのは段階を踏んでからの方がやっぱりいいですよね…でもでもやっぱりここまで来てしまったのですから、やらなくては女が廃るというものですし…つまり、やっぱり?女は度胸ともうしますか?ふふ、うふふふふふふ!」


“わあ、全然話聞こえてない”


「全くですね。そのような茹でタコは放っておいて、いかがでしょうか?私の成果に目を通しながらゆっくりとティータイムなどは。」


ヒートアップの末に内燃する思考で自分の世界に入ってしまったワカモ。遠い目をする先生。その上からふりかかる、穏やかで甘く、蠱惑的な響きを持つ声。…普段と比べると呆れたようなどこか冷たいものがこもっている。


「………。」


見上げたワカモの表情が完全に停止して一秒。


顔の血の気が引いて真っ白になって二秒。


ふたたび血の気が上って真っ赤になっていくのに三秒。


「〇んでください!〇んでください!殺します!あなたを亡き者にして私も死にますッッ!!!」


「おやおやあぶなっかしい狐ちゃんだ。睦言の最中をのぞき見られていたのが、随分と恥ずかしいようですね?」


「あああああああぁぁ”””!!!」


どこからか取り出したいつもの狐の面を一秒もかけずに被り直すと、ワカモは半狂乱でアキラに襲い掛かった。それをあしらうアキラは実にしてやったりという笑みを浮かべながら明らかにワカモをからかっていた。


”…ほどほどにしてね、二人とも。”


「えぇ、このあとあなたとたっぷりとお話したいこともありますからね。とくに、この災厄の狐があそこまでしおらしくなるなんて。どんな口説き文句を使ったのかとか。…ぜひ、私にも囁いていただけませんか?」


「先生はそのような不埒な方ではございませんッ。どうやら小一時間その魅力について教え込んでさしあげなくてはならないようですわね!」


先生を巻き込まないよう、銃を使わずグルグルと揉み合いを続ける二人。彼女たちのそんな様子を見る先生の視線は、どこかほっとしたようなものに変わっていた。


”先生は、生徒の心を埋めるものを見つけていく手伝いをするものだよ。”


”私以外の誰かや何かが、ワカモの世界に少しずつ増えていくように。”


”彼女が何度間違えたとしても、その手伝いをしていくよ。”


”きっと見つけられると信じているから。”

そう先生は呟いた。その視線の先の二人は、ついにはキャットファイトじみた砂にまみれながらの乱闘を始めてしまっている。二人が落ち着けそうなことを考えながら、声をかけにいくのであった。


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